八話
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いきなり目が覚めた。 数度瞬きをし、部屋を見ればまだ暗い。 「――――うわ」 突然振動を感じて、慌てて腹に手をやった。そこはふっくらと膨らみを見せている。 「……起しちまったな。わりぃ」 五ヶ月を過ぎたあたりから、腹部がわかるほどに膨らんできた。それと同時に胎動も感じ始め、日々成長する我が子が愛しいやら不思議やらでナルトはなにやら複雑な気分になる。 愛しげに摩りながらも、子供のことを考えれば同時に憂いも生ずる。既に安定期には入った。しかし、いまだナルトは大社から出ることなくここにいる。 波の国から直接神殿を尋ねたナルトだったが、綱手から話が通っていたのか、待ち構えていたかのように出迎えられた。 身の回りのことをしてくれる巫女を五人もつけられ、何かといえば年齢不詳の巫女頭が世話を焼く。その上にも下にも置かぬ歓迎ぶりに、雑草育ちのナルトはどう対応していいのやら困ったものだったが、慣れてしまえばそう気を張ることもなくなった。 つわりの頃は、朝酷くて起き上がれなかったり、眩暈が酷かったりしたもので、誰かしらが付き添って心配してくるのはありがたかった。 「―――サスケ、心配してるよな」 寝所を出て寝汗に濡れた寝巻きを着替えた。 「―――いかがしましたか、姫様」 声の主は巫女頭のものであった。村雨という、男のような名前だが、れっきとした女性だ。本名ではなく受け継いできた号なのだそうだ。刀匠の家系の出だそうで、本来なら女性がなることは許されない刀打ちを、無性となることで継ぐことを許されたのだそうだ。そして、火の神殿で唯一女性の守り刀を打てる人物でもある。 「村雨さんこそ、どうしたってば?」 白の小内に赤茶の袴姿で彼女は現れた。 「姫様がこのような時間に動いていたようなので、なにか体調が芳しくないのかと思いました。大丈夫ですか?」 小鳥のように首を傾げられた。 「大丈夫だってばよ。起こしてごめん」 薄暗い中、不安がじっと湧いてきて、ナルトは思わず口にしていた。 「……あのさ。オレの腹の中に九尾が居るじゃん」 村雨の表情が曇った。腹に巨大な化け物を封印されている者など滅多にいないのだから、聞かれたとて答えがないのはナルトだとてわかっている。ただ、どうしても気になっていたのだ。 「ごめん…どうしようもないってばよね。うん。忘れてくれ」 くすくすと笑われてナルトは困ってしまう。見た目はどう見ても二十代後半なのだが、たまにこうして実年齢のわからない発言をされるのだ。 どうも彼女は、ナルトの母親も、その母親もよく知っているらしい――と言うか、それ以上に年上のような物言いをよくしている。 「じゃあ…ちょっと頼もうかな」 村雨が怪訝な表情で宙を睨む。暫くすると、ふいと穏やかさを戻した。 「今、私が張ってます結界が破られました。姫様に来客のようですね。朝餉の用意、追加して参りますわ」 朗らかに笑むと、村雨は出て行った。 「――――!」 知った気配に気づき、ナルトは部屋を出て中庭に降りる。 さわさわと、風に揺れては朝露が降って来る。その雫ひとつひとつがとても清々しく、辺りは静謐に満ちていた。 その根元に男が座り込んでいる。 近寄るにつれて、ナルトの足が鈍くなった。かすかに血の匂いがする。神域は穢れを嫌うのだから、この状態で結界を破ったとなるとかなりの力を使ったに違いない。 あと数歩という所でとうとう足を止めてしまう。 ナルトはぐっと息を詰めた。 「―――サスケ……」 近くで見れば満身創痍のその姿に、何事かと尋ねたかったが、今更何を言えばいいのかわからずに口篭もってしまう。 頭上に光の粒が落ちてきて、ナルトの髪や衣服をしっとりと濡らした。朝露と思ったそれは、ぱらぱらと降る雨だった。 (―――天気雨?) 「―――オレは……」 はっとしてサスケを見た。彼は肩膝を抱えた姿勢で、地に視線を落としたままだ。 「オレは、ずっと復讐を誓って生きてきた。その為なら悪魔に魂さえ売っただろう。それ以外の生き方なんて…両親の死をこの目で見た時から考えられなかった」 「だけど…冷徹でも非情でなくても、お前は強いんだもんな。オレの求めるものが何なのか――イタチがオレでなくお前を欲したことで見失ってたんだ。そして思い知った。オレは――イタチに認めて貰いたかったんだ。強さを、存在を、アイツに知らしめたかった。……ただ、それだけだったんだ」 「―――アイツが死んで、オレは何も残ってないことに気づいた。この己に流れる血さえ疎ましかった。あとに残ったのは充足感でなく――本当の孤独だった」 飛びつくように抱きつく。大きく骨ばった手が、ナルトの頭を撫でた。 「オレはお前がいないとダメなんだ。そうしたのはお前だし…ずっと一緒にいてくれるって言ったのもお前だろう。約束破るなよ……」 声が掠れている。抱きついた躰が震えている。 それらを感じて、胸のあたりが絞られるように痛み。熱の固まりが込み上げてくる。顔を上げれば、目元がうっすらと赤い、感涙に潤んだ双眸がじっとこちらを見ている。 ごちゃごちゃと考えていたものが、躰中を縛り付けていた柵が、一斉に霧散した気がした。 勢いに任せて口づける。相手の唇は冷たい。何度か繰り返すうちに、熱を帯びていった。 「―――あ。ああ、そうだな。お前を忘れちゃいけないってば。サスケ、二人じゃないってばよ。もう」 いきなり挙動不審になったサスケに、ナルトは微笑み返す。その手を取って、己の腹へと当てた。 「な、パパ?」 言葉が出てこない。サスケの視点は膨らんだ腹に注がれたままだ。初めて、実感した子供の存在。手から伝わる温もりと振動に、恐れ多いものでも触れているかのように緊張した。 「…っ! う…動いた!」 突然、ボタボタとサスケの目から大粒の涙が零れたものだから、ナルトはぎょっとした。 「サ…サスケ?」 それはあとからあとから流れ出た。びっくりして、手で拭ってやるも追いつかない。 「ナルト……」 破顔すると、ナルトはその頭をよしよしと撫でてやった。 陽がまっすぐと差込み、葉の間から零れる。 朝日が昇ると、緑色の空に、七色の橋が綺麗に円を描いていた。 |