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夕刻。
結果から言えば、負け犬そのままに、燃え尽き抜け殻と化したサスケを三人は目撃することになる。
場所は火影詰め所だ。
真っ白になって床に手をつき、敗北者そのままに微動だにしない。これを一枚の絵に例えるならば、題名はまさしく『絶望の渕』しかないだろう。
それぐらいの勢いで打ちのめされているサスケが居た。
サクラ、いの、ヒナタは掛ける言葉もない。火影席で煙管を吹かす綱手はどこ吹く風といった態度だ。
壁際にはぼへーと立っているカカシに、殺気を漲らしたイルカ。
その反対側には、自来也が渋面を作っている。
これだけのナルト関係者が集まったにも関わらず、本人の姿はない。
(何処に行っちゃったんだろう…ナルト……)
あのあと、サクラ達もナルトを探しに出たのだが、いっこうにその姿を見つけ出すことができずに今に至った。
ただ所々で、暴走したサスケの噂を耳に入れては、追いかけ、最後に辿り付いたのが火影詰め所。そして、打ちのめされているサスケを発見したのである。
ちなみに何故、イルカが殺意滾らせてここにいるかと言えば、ナルト探しに必死になっていたサスケが、商店街でばったり出会った教師に状況を正直にも説明してしまったからでだ。
サスケは危うく魚屋の前で、そのまま魚の代わりに三枚に卸されるところだったらしい。見かねたカカシに首ねっこを掴まれて、火影詰め所まで連れて来られたようだ。商店街の皆さんに目撃談を聞いたので確かだろう。恥曝しもいいところだ。
「―――あの…五代目……」
「なんだい、サクラ」
気だるげに綱手が紫煙を噴出す。
「ナルトは…どこにいるんでしょうか?」
「ナルトならもういない。火の神殿に行ったわよ」
「神殿?」
サクラは目を丸くした。それはヒナタ、いのも同様で、一緒になって驚く。
「二回も三回も同じ説明は面倒だね。シズネ、代わりに答えてやってくれ」
「はい!」
綱手の隣に立っていた、愛弟子でもある側近のシズネは、申し訳なさそうに肩を竦めた。
「ナルト君は…、巫女ですから。子を孕んだら大社に篭らねばならないんです。これが掟なんですよう。本来ならば、この里に居つくこと事態、珍しいことなんです。このまま神殿で安定期まで過ごしてもらいますが、出産もあちらでやるかどうかはナルト君次第となります」
「ここに戻って来ないってことですか?」
サクラの問い掛けに、サスケの肩がビクリと動く。
カン、と音がして、綱手が煙管の灰を落とした。
「さあて、そいつはアイツ次第だ。そもそもこの里には子供を身篭ってしまえば用はないからねえ」
「そんな…!」
「なんかサスケって種馬みたいだねえ」
「うるさいわよ! カカシ先生!」
「失敬〜」
「ちょっと、サスケ君もしっかりしてよ」
つかつかと近寄ると、その頭を容赦無く叩いた。
「ほら! あんた父親になるんだから!」
「父…親……」
ぼんやりとしているサスケに活をいれるため、その肩を掴んで揺さぶった。
「ナルトはアンタの子だから産む決心したのよ? 元々男として育ったアイツがよ? どれぐらい悩んで決めたことだと思ってるのよ!」
「サクラ……」
「なに、サスケ君」
「子供ってどうやってできるんだっけ…」
言い終わらぬうちに素晴らしい平手打ちが決り、サスケは後ろにふっ飛んだ。
頬をさすって「サクラー!」と、ちょっと涙目になって批難する。
「喧しい! いつまでも惚けてんじゃない!」
「間違えたんだ! 間違えました! どれぐらいして産まれるのかって聞きたかったんだ!」
「十月十日よ!」
答えを貰い、立ち上がった。
「神殿まで行く。誤解されたままじゃ…ダメだ」
決意も新たに、詰め所の扉に向かったサスケの頭に、ブタが投げられた。も避けることなど造作もなかったが、相手もただのブタではない。宙で一回転をすると、振り払うサスケの手を掻い潜って見事頭に着地。
「ぶひ」と、しがみついた。
「……なんなんですか! 五代目!」
「待てと言うのに」
「いちいちブタを投げるな!」
「カカシー! お前教育悪いわよ!」
「綱手先生には負けますから、そこは抜かりなく」
「減給?」
「こら、サスケ君。相手は仮にも火影様だぞ。ちゃんと敬意を表しなさい」
「喧しい! どいつもこいつもオレの邪魔をするなあっ! ああ…こうしている間にも、失意のナルトがどんな心境でいるかと思うと…オレの心臓は張り裂けそうだ…」
「ちょっくらガイが乗り移ってないか〜サスケ〜。ヤダなあ」
戯言の耐えないカカシを睨みつけたが、かえってその隣のイルカに睨まれて、情けなくも視線を逸らしてしまった。
「そこは大丈夫よ。ナルトは別に誤解してないから」
「え…しかし、五代目」
「最初はやっぱり勘違いしてたけど、ここに来た時にはそもそもアンタが勘違いしてたんじゃないかってーのには気づいたみたい。アイツがいなくなったのは、誤解のためでなくて……やはりお前を巻き込むことへの決心が揺らいだからだとよ」
「オレを巻き込む?」
「今説明したろ。お前が次期火影になるってことを」
「それは……」
柄にも無く狼狽してしまう。確かに強くなりたい、力を手に入れたいとは渇望していたが、火影になろうとは不思議と願ったことは一度もなかった。―――いつも身近に「オレが火影になるってばよ!」と宣言していた奴がいたからかもしれない。
だが、実はそう言っていた本人にこそ、火影選抜が託されていたとは誰が想像しようか。
「さっきカカシが種馬などと言ったがな…実際、昔の婚姻制度は女性が主体だった。父系の系譜ではなく、母系重視なんだ。…産まれた子供は母親が引き取り育てる。そこに男親は入ってこない。だから婚姻という制度は無かった」
「――そういう形態をとっていた時代があるのは知ってますが…まだ残っていたんですか?」
母系でなる一族の跡取りは女性で、女性は優秀だと思われる血を身内に取り込んでは繁栄していくのだ。
今では不埒な意味でしか取られないが、『夜這い』という行為はそうした習慣から生まれたと言われている。女が欲するのは力ある血だ。その為ならば来る者は拒まない。一緒に暮らす訳でも家族になる訳でもないので、どのような男であろうと構わないのである。
それが女傑社会の特色であった。優秀な血のみを後世に残す事だけを考えるあり方は、他の生き物の生態系を見ても理に適っていると言っていいだろう。
ただし、人には『感情』というものが存在する。時代と共に変わる倫理観に、自然と淘汰された形態でもあった。
「残っているというかな。巫女が守らねばならないのは、あくまで己の血筋だ。家族じゃない。子供の将来を考えるのなら、その子が相手を選べる年まで、神殿で隔離されて育つのが安全だろう。それに…この里でお前と暮らせば、嫌がおうにもナルトの特殊性が全員にばれる。奇異な目で見る者、奪おうとする者。…他の里にまでバレれば恰好の的だろうな」
「そんな…オレは…オレは…アイツと家族を築けるのなら、築きたい。そして、それを取り囲む世界を、命にかけて守りたい」
サスケはまっすぐと、綱手を見た。
「わかりますか? 貴女にこの感激が。天涯孤独だった二人に絆ができて、子が産まれる。1+1が3になった…この感動が…」
「―――お前は…覚悟を決めているんだな」
「当たり前です。オレは…アイツをいかなる理由だろうと失う気はない」
断言した男に、皆の視線が集まった。
綱手は「一応合格だ」と、ニヤリと笑みを漏らす。
「だったら死ぬ気で火影を目指しな。おいそれと昇れる高みじゃないよ。時期がくれば、ナルトは戻ってくるだろう。これは確かだ。だから――それまでに精進しな」
サスケは腹を括ると、頭を下げた。
「よろしくお願いします。五代目」
コン、とまた煙管の灰を落とす音がする。サスケはさっさと部屋を出て行った。そのあとをサクラといのが追う。
姿が消えたところで、ずっと黙っていた自来也が長嘆した。
「若いのう〜」
「アラシだってこんなもんだっただろ」
「そうだっけか? いかんいかん、どうにも物忘れが酷くてのう」
「年だねえ。さっさと引退しな」
「お前にだけは言われたくないわい」
「ヒナタ!」
「はい」
「お前に命ずる。サスケを張れ。火影たるに相応しいか、調査し、全て私に報告しなさい」
「はっ」
ヒナタは膝をつき、任務を拝命すると、すっと影に溶けるかのように消えた。
「カカシとイルカはサスケのサポートをしてやってくれ。ナルトが可愛いなら、アイツを一人前にしな」
「はっ」
「承りました」
こちらも短く承諾をすると、すっと消える。一気に人口密度の減った部屋で、綱手は声を出して笑った。
「動きだしたね」
「そろそろ動いてもらわねば、ワシ達の躰が持たんわい」
「まったくだよ」
ずんずんと前を歩くサスケに必死で追いつく。その腕をやっとで掴んだ。
「サスケ君!」
「―――悪かったな、サクラ」
こちらを見ずに、ぼそりと謝罪を呟かれる。
「ずっとお前が…至らないオレの変わりに、ナルトを支えてきたんだろう?」
「サスケ君……」
「オレは…バカだよな。本当に…どうしようもなくバカな男だ」
俯いた男の顔が少しだけ赤い。サクラは苦笑すると、その腕をそっと引いた。
「少し、話をしましょう。サスケ君」
そのまま、火影詰め所の庭にある小さな庵へと移動する。小高い山に建ったそれは、夕日に照らされて真っ赤になっていた。
中央に並んでいる椅子に座る。いのは気を利かせたのか、いつのまにか姿がなかった。
空には巣に戻るのであろう、鳥達が黒い影となって羽ばたく。
庵を取り囲むように生えている木々は梅で、紅がそこかしこに咲き誇っている。その後ろに並ぶのは桜の木。そろそろ蕾が目立っていた。
それらを惚けたように見やるサスケに、サクラが静かに口を開く。
「――私がね、ナルトのことを知ったのは偶然なのよ。アイツさ、あんまり女の子の知り合いなんていないじゃない。今までずっと男として育ってきたのに、いきなり女として生きていかねばならない…なんてなった時に、頼れる人間なんて私くらいしかいなかったのよ」
「―――どれくらい経つんだ?」
「五年ね。悪いけど、男であるサスケ君に相談なんてできなかったことは、わかってよ。―――それに…ずっとライバル視してきた貴方に知られるのは、プライドが許さなかったんだと思う。一人の男として、貴方に認めて貰いたかったのよ」
「――――それは仕方ないとは思ってる。でも…やはりショックだな。少なくとも、オレと付き合うことを承諾した時には、教えて貰いたかった」
「―――教えたら、子供なんて作らなかった?」
「サクラ」
声が低くなる。恫喝めいた口調に、しかし怯むような女ではない。
「サスケ君のことを好きになって、付き合うようになってからの方がナルトは悩んだわよ。『血を残す気はない』『子供はいらない』って散々言ってのは誰? ―――そりゃ、サスケ君にも事情ってものがあるでしょうし、それを知りながら、身篭ったナルトの問題もあるけどね」
「それは…違うんだ。オレはただ―――くそ。言葉は選ぶべきだな」
「その選んだ言葉は、ナルトに言ってやって。―――ねえ、ひとつだけ聞かせてよ。子供ができたって聞いた時。サスケ君、どう思った? 正直な感想を教えて?」
「そんなの―――」
冷たい風が、二人の間を抜ける。だが、それは春の匂いを微かに運んできた。
「最初は、もちろん驚いたし。真っ白になったさ。まさかオレ達の間に子供ができるなんて思ってもなかったし……」
「うん」
「今もあんまり実感が湧かねえよ。ナルトは雲隠れしちまうしさ。でも――オレに子供ができる。血を残す気なんてなかったオレに子供ができる。オレは――独りでずっと闘って来た、アイツに家族を作ってやれるんだな」
その真摯な台詞を聞き、サクラは感極まってしまってうまく返せなかった。
―――ずっと、ずっと。孤独と共に戦い、お互いを見つけ。ゆっくりと、一緒にいることを当然にしていって、やっと癒され始めた二人。
良かったね。アンタ達は、もう互いだけじゃなくなるんだ。
搾り出すような声しか出なかったけれど、サスケにはちゃんと伝わっただろうか。
「―――来年の桜は、家族で見られるわね」
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