二話





 

 そろそろ春という季節が現実味を帯びてくる陽気である。
 キンと冷えた空気にも明るい日差しが色をつけ、それに触発されるように木々にも命の芽吹きが感じられるようになった。
 上忍受付事務所の前もそうだ。
 ここは一般の任務受付所から少々離れた場所にひっそりとある。隠密性の高いものが多いために、外から来る依頼人でごったがえす一般事務所から一線を引くためだ。
 その上忍受付事務所の玄関前に、大きな木がある。
 高々と上へと伸びる枝に、大ぶりの真っ白な花を咲かす木蓮だ。冬空特有の薄っぺらい青空の下。その柔らかい色をした花はどこかふくよかな女性を連想させられた。
 いや、ふくよかと言っても包容力とか、優しさとかいうことだ。
 白い大きな花弁が、大切なものをそっと包むような手に見える。
 この花からは『母』と呼べるべきイメージを、朧ろげながらも感じ取れて、柄にもないしそんな年でもないと思いながらも気に入っている花の一つだ。
 いつもならただの喬木としか感知していないのに、この季節になると咲く大きな花を見て「ああ、もう春なのだな」と気づく。上忍となり、この事務所に通うようになって四回目。この時期に木を見上げては春を知ったのも四回目だ。
 そうして例年ならば気がつけば散っており、里には桜が咲き誇っていたのが例年の感覚である。
 毎回事務所に顔を出して任務の受理や終了報告ができるほど、簡単な任務を請け負っている訳がないからだ。

 それが今回に限り、この木を何回見上げ、何回咲き誇る花を見ては溜め息をついたであろうが。

「―――どこ行きやがった……あのヤロウ」

 思わず口に出るグチは、出した途端に後悔に変わる。
 強がりの仮面もそろそろ剥がれ落ちるには充分な時間が、サスケを弱気にさせていた。
 無表情だけど、その分秀麗さが際立ってとてもステキ。と、里の若い女性達に絶大な支持をもつサスケの顔も、今は見る影もなく随時不愉快そうな渋面を崩さない。
 だがこの顔も見る人が見れば、弱りきっている時のクセなのだということがわかるだろう。

「二ヶ月…そろそろ二ヶ月経つぞ……っ」

 独り言など普段の彼ならば決してしない醜態を、知らず演じているあたりに余裕の無さが伺えるというものだ。
 毎年見上げるだけでどこが安堵した木蓮の花を、今やまるで仇でも見るかのように睨み上げている。
 蕾から見守り、今はもう満開だ。頼むから、花が全て散るのまで観察する嵌めにだけはなりたくない、と切に願ってしまう。
 それほどサスケは頻繁に事務所を訪れていた。任務が矢継ぎ早にくだっている訳では、もちろん無い。

 サスケの目的は他にあった。

 同じ上忍である―――ナルトの任務先を知るためである。

(上忍の任務先を教えられないのはオレだってわかってる。だが、この二ヶ月事務所にも現れないって、そんな長期な任務なんて一体今時期なにがあるってんだ…っ)

 それなりに平定を保っている昨今である。ナルトほどの上忍がかかりきりとなるような、よっぽどの事件など起きているはずがない。
 それなのに、探し人はもう二ヶ月も里から姿を消している。

 ―――いや、サスケの前からというほうが適切かもしれない。

 任務から帰ってくるのを捕まえようと、連日事務所を張っているのにも関わらず、影も形もない。
 考えたくはなかったが、ここまでくればもう答えはひとつしかないだろう。

(―――避けられてる……んだよな………)

 今にしてやっと認めてしまうと、もう頭を抱えるしかない。
 ナルトがサスケの目の前から消える前日のことを思い出しては、悔恨の念に苛まれた。 

(―――やっぱり…アレがまずかったんだよなあ……)

 思い当たることはひとつしかない。と、言うよりもそれ以外ありえなかった。それほどのことをしてしまった自覚は、残念ながらサスケにはある。

 あれは二月も初めの頃だった。
 火の国の大名が、和平交渉の名目で会議の場を作り、他国へと出向いた。その護衛としてサスケが選ばれ、大名についてふた月ほど遠征していた。

 とくに大きな事件が起きることもなく、無事に護衛を終えたサスケは暫くぶりに里に戻ると、その足でナルトの家に行く予定でいた。ナルトとはアカデミーを同時に卒業したのちに、スリーマンセルで同班となり、仲間であり好敵手とも呼べる相手であった。
 その関係が微妙に色を変えていったのはいつの頃からであったか。
 そうなるまでには葛藤やいざこざが、なんやかんやとあるはあったが、気づけば『仲間』『好敵手』のほかに『恋人』という関係ができあがっていた。
 そう、ナルトはサスケにとって今や掛替えの無い、愛しい存在であった。
 少し前までは照れ臭さが先に立ち、思いを態度に表すことができずにいたが。二十歳も過ぎれば自然に、愛しい相手を愛しく扱うことになんら抵抗がなくなってくる。
 その時も長い間、顔も見られなければ触れられもできなかった恋人に早く会いたいと、任務報告もそこそこにナルトの住む家へと足を急がしていた。
 こういう時一緒に住んでいれば楽なのにと、何度か同居の話を持ちかけたりもしたのだが、いつもけんもほろろに断られて終っていた。

 どうしてだ? と不機嫌さを隠しもせずに問えば、毎回困ったように―――オレにもオレの都合ってもんがあるんだってばよ。と、言われてしまえばサスケも強くは出れなくなる。
 確かに男同士でいきなり同居を始めれば、複雑な事情だらけの二人だ、どんな心無い噂が飛びあうかはわかったものではないだろう。

 

 ―――それでも、オレはお前と一緒に居たいんだ。

 

 久し振りに会えたナルトを見た途端に、たまらなくなってサスケは開口一番そう迫った。
 当たり前だが、いきなりのことに眼を丸くしていたナルトは、両肩を掴まれたまま硬直したのち「はあ?」と素っ頓狂な声を上げた。
 恋人は女性体の姿をとっていた。彼は公な任務の場合は大概女性に変化して人前に出ているので、サスケにとって珍しいものではない。
 その時も、これから任務か、それとも終ったばかりなのか、と勝手に解釈していた。
 女性の姿でいるナルトは、本来の姿とは違った意味でサスケの鼓動を速めてくれる。どちらにしてもナルトには変わりないのだが、極上の絹のように流れる長い髪と丸みを帯びた体は誰よりも完璧に美しい女であるように思えるのだ。
 惚れた欲目と言えばそれまでだが、どちらの姿であっても美しい恋人がサスケにとっては至福のように感じられた。
 道行く全ての人に紹介して自慢したい衝動と、誰の目にも届かぬところでひっそりと自分のものだけにしたいという衝動がいつも心中でせめぎあっている。
 我ながら手におえない、と自嘲する日々だった。 

 ―――とにかく、部屋に入れってばよ。

 そんなサスケを呆れたようにナルトが招き入れてくれた。

 

 


「そのあとだ…そのあとがいけなかった……」

 木蓮の木に額を押し付けて苦悩する。
 久方ぶりの逢瀬だ。若い恋人同士だ。
 と、くればする事なんてひとつしかないだろう。
 だがその時、抱きしめた途端に拒まれてしまった。さすがにサスケはショックを受けた。
 理由が「暫く変化の術が解けないから男になれないんだ」というものだったので「それがどうした!」と無理矢理ことにおよんでしまったのだ。

『ぎゃ―――っ! ヤメロって言ってるってばよっ! この色魔っ!』
『赤信号、車は急に止まれない』
『アホかあっ! やめれー! 孕む〜』
『上等だ! 孕んでみやがれっ』

 その辺りまではじゃれあい程度で済んでいたのだが、ナルトの動きがはた、と止まった。

『子供、欲しいのか……』

 いやに真剣な声音に、少々戸惑ったのをサスケは覚えている。

『―――お前との子ならな。…悪い。聞くな、そんなこと……』

 その時の感情は複雑としか言えない。

 サスケは己の中に流れる忌まわしい血を呪っている。後世に残す気などさらさら無かった。それをナルトはよく知っているはずだった。何故なら、うちは一族の唯一の生き残った兄弟同士での対決にナルトは深く関わってしまっていたからだ。
 だが、子を成したくない為に、男であるナルトを選んだ訳でもないのだ―――と、しっかりと伝えてある。

 組み伏せられて見上げる形でいたナルトは、長い睫を伏せると小さく『ごめんてば』と呟き――この話はこれで終りだと言わんばかりにサスケは抱きしめる力を強めた。

 ナルトの抵抗はそこで終った。



 

(――――しかしよく考えれば本当は男なのに、女の姿の時にヤラれるっていうのは屈辱だろう…。ううう…オレはバカだ。大バカだ)

 樹木の硬い皮に頭を打ちつける。
 情けなさと浅はかさに、気分は「誰かオレを殺してくれ〜」と叫びたいほどであった。
 己のしでかした、消し去りたい過去に苦悶している男は、今の己の姿がどれほど滑稽かなど念頭にない。

 里一番の色男と評判の容姿の持ち主である。そんな男が樹に抱きついて、尚且つ頭を打ちつけて苦悶しているのだ。もしここに子持ちの母親が通れば「見ちゃいけません!」と子供を横抱きにして脱兎のごとく逃げるであろう光景であった。

「――――サスケ先生。なにしての? 頭突きの練習?」
「頭突きでこんなふっとい樹を倒せるのか? まあ、サスケ先生ならやれそうだけどさ」
「でも先生。折角キレイに花が咲いているんだから、倒したら可哀想だよ」

 痛々しいものでも扱うがごとく声をかけられる。

 諌められたサスケはピタリと動きを止めると、何事もなかったように体制を立て直して振り返った。

「―――なんのようだ。ツバメ、ヒバリ、ツグミ」
「凄い変り身だわ。さすが先生」

 呆れたように嘆息したのがツバメと呼ばれた少女だ。

「今まで異常行動を起こしていたとは思えないほど自然に答えたぜ」

 感心したように頷いた少年がヒバリ。

「先生のファンが見たら身投げする勢いで台無しだったのにねえ」

 のほほんと辛辣なことを吐いたのがツグミと呼ばれた少年である。三人とも十三歳で、スリーマンセルを組んでいる仲間であった。

「喧しい! お前等中忍になれたんだからいつまでもオレの後ろをついてくるな!」

 甚だ大人気ない態度で手を振るサスケに、三人は白い目を向ける。最初に口を開いたのは弁の立つツバメだ。

「あのね、先生。私達は確かに先生のもとから巣立った生徒だけれど――春まではまだ私達の上官な訳なのよ。先生の苦情は私達にくるわけ」
「いい迷惑だぜ。出会う上忍出会う上忍に『お前の所の上官をどうにかしろ。鬱陶しくてたまらん』って言われてさ。なんじゃそりゃ、と見にくれば堂々と奇行に走ってるし…」
「恥ずかしかったよ…見てるこっちのほうが」

 優しげな風貌のツグミに駄目押しに言われ、サスケはさすがに言葉に詰まった。

 この上忍を上忍とも思っていないような子供達は、サスケが初めて受け持った下忍のスリーマンセルであった。
 ガキの世話など面倒以外なにものでもない、と毎年断り続けていたのだが、一度は受け持てと現在の火影に押し切られて部下にしたのがこの三名である。
 最初は試験で落としてやろうと画策していたのが、どうやら一番優秀な組を押し付けられたらしく、結局は受け持つことになってしまった。
 だがそれもこの春で終りだ。優秀な者達らしくさっさと中忍試験に受かってしまったのである。

「先生、お願いだから教え子に恥をかかせるような真似はやめてよ」
「どうも先生って実力もあるし顔もいいのに、どっかネジが飛んでるんだよなあ」
「ヒバリ…ダメだよ。そんな容赦ない本当のこと言っちゃ」
「―――お前等…黙って聞いてりゃ言いたい放題…」

 口の減らない教え子に「これだからガキは嫌なんだ」と悪態をつくサスケだが、己の過去のカカシへの態度は見事に忘却しているらしい。

「サスケ先生の奇行の原因は、どうせナルトさんでしょ」

 わかりきった顔でツバメが爆弾を落とした。

「なんだよ〜先生。またナルトさん怒らせたのか? 進歩ねえの」
「まあ、ほら。大人の事情っていうのも色々あるんだよ。ツバメ、ヒバリ。――どうせまた先生がラーメンを運ぶ岡持ちに嫉妬したり、ストーカーしたり、ナルトさんに気のある素振りした忍を片っ端から潰したりしたんだよ」

 ませた口調で図星さしまくりな子供達に、とうとうサスケが切れた。

「お前等――っ! 全員揃ってアカデミーに送り返してやるっ」
「きゃー! 先生が怒った〜」
「あはははは――っ! おっとなげねえの」
「春には部下でもなくなるんだどねー。うふふ」
「おのれ…その生意気さは一体誰に似たんだ…っ」

 師を師とも思わない子供達にサスケは歯噛みする。大体において最初の出会いで「オレはお前等の教師になる気はさらさらねえ」と暴言を吐いていたサスケなので、自業自得というものだろう。

「まあ、こんなとこで腐ってないでさー! 久し振りに会ったんだから御飯奢ってよ〜。先生〜」
「あ、オレ焼肉食いたい!」
「牛庵に行こうよう〜」
「喧しい! そんな強請る時だけしがみつくな――っ!」

 毎回なにかと言えばたかられているサスケは、一言吼えるとさっさと姿を消した。
 腐っても上忍というべきか。中忍になりたての三人の目に、残像さえも残らせなかった。

「行っちゃったわねえ」
「セッカチだよな」
「あ〜あ〜、ナルトさんの居場所教えてあげようとしてたのにねえ」

 三人の悪魔は確信犯的なのをおくびにも出さずに、嘆息した。

 

 

 

 情けなくも教え子から逃げ出したサスケは、建物の影に身を潜めて頭を抱えている。

 ―――ロクなことがねえ。

 嘆きながら、今は誰の目にも触れられたくなくて壁によりかかったままズリズリと下がっていった。

「―――……だから」

「――――…え……」

 女性の会話が風に乗って微かにだが耳に届いた。他の場所に移動するのも面倒で、サスケは完璧に気配を消す。

「どうするの……」
「うん……」

 そこで初めて、声の主が知り合いであることに気づいた。
 気取られないように喋りながら近づいてくる女性二人を見る。
 サクラといのであった。
 声をかけようかとも思ったが、どうせ話題はナルトのことになるだろう。責められたり叱られたりするのは遠慮したい。
 しかも二人の雰囲気から察するにどうやら人目をはばかる会話をしているらしかった。妙に真剣な二人の表情に、サスケは他に行こうと腰を浮かす。

「妊娠判定薬―――陽性だったんだ?」

(――――は?)

 聞こえてしまったいのの恐ろしい台詞に、サスケが硬直した。

(な…なななな…なんの話をしてるんだ…っ?)

 場を外すタイミングを逸した時。衝撃的な発言がサクラの口から飛び出した。

「うん―――妊娠二ヶ月だって。ようやっとわかったの」

 雷に打たれように、サスケは立ち竦んだ。

「ちょっと…どうするのよ。サクラ――相手はわかっているんでしょう」
「当たり前じゃない。心当たりなんて一人しかいないわよ」
「二十歳で妊娠か…。結婚とか…どうするのかしら。相手は知ってるの?」
「ううん。…そう簡単に知らせる訳いかないじゃない」
「でも…。子供ができたのよ? いつまでも黙ってられないでしょうよ」
「そうだけど…子供…いらないって…欲しくないってよく言ってたの知ってるから…」
「えっ? そうなの…っ! なにそれ!」
「それに事情が――事情でしょう?」

 そこからサクラの声は聞き取れないほど小さくなっていった。二人の女性は耳打ちをしあうように、足を速めてサスケの側を通り過ぎてゆく。

 二人が去ったあとも、サスケは暫く動けずにいた。

 ゆっくりとだが、今の彼女達の会話を反芻する。


 ―――妊娠二ヶ月……

 ―――相手は知らないわ……

 ―――子供はいらないって……

 

「なんだと――っ! どこのどいつだっ!」

 一気に感情が沸騰した。

 サクラは自分にとって大事な仲間である。女性の中で一番大切な者は誰かと問われれば、悩むこともなく「サクラ」と答えるだろう。
 男と女の間に友情は成り立たないとは世間の言い分だが、サスケとサクラの間には確かに友情と呼べる絆が存在していた。
 そんな親友の女性が――妊娠。
 しかも相手の男性には言えないと苦悩しているのを知って、嫁入り前の娘に手を出された父親の気分にまで突き抜けた。

「探し出してブチ殴る…」

 剣呑な表情で吐き捨てると、震える拳を握り緊める。

 ―――偶然とはとにもかくにも、恐ろしく。サスケの視野は上忍にあるまじき狭さで己の首を絞めていった。 

 

 

 

 

 

 





 サスケが怒りに燃え盛っている時間から話は前後する。

 ―――一日前の出来事だ。

 衝撃の度合いならば、きっとこちらの方が大きかっただろう。
 なにしろあまりのことに、笛を取り出しては召喚術で蛇を呼び出し「レッドすねいくカモン!」と昔懐かしギャグをのたまって背後に居たサクラに頭を殴られるぐらいだ。

「今時の若者に謎な動揺の仕方をするなっ!」
「うわーんっ! うわーんっ! 嫌だってばっ! なんでこんなトコに来なきゃいけないんだってばよ〜っ」

 まるで歯医者に行くのを嫌がる子供よろしく、ナルトは木ノ葉総合病院の産婦人科の前で駄々をこねていた。
 産婦人科は他の科と違い、個別の棟にある。渡り廊下を行けばすぐに科の受け付けなのだが、ナルトとサクラは現在そこで悶着を起こしていた。

「行かなきゃわからないからでしょーっ? アンタ検査薬で陽性出ちゃったんだから観念なさいよっ!」
「できねーってばよっ! まだ敵地に一人で乗り込むほうがましだってばっ!」
「漢らしくしろ――っ!」
「男の行く場所じゃねえ――っ!」

 美女と言うに申し分ない二人なのだが、渡り廊下で叫ぶ内容により些か誰もが退く光景となっている。桃色の髪を束ねた女性が、金色の髪の女性の腕を引っ張っていて、その女性は柱にひっついているのだから面妖としか言いようがない。不幸にもその場を目撃してしまった妊婦は、一様に目を伏せてそ知らぬ顔で横を通っていった。

「もう! 恥ずかしいのはこっちも同じなんだから! せっかく先輩を紹介するっていうのに…。それともなに? 私に見て欲しいわけ?」
「―――――ぐっ…っ」

 いい加減面倒になったサクラの目が据わる。その剣呑な眼差しに本気を感じてナルトは青くなった。

「せ…専門の先生に診て頂きます…ってばよ」
「よろしい。まったく世話やかせないでよね。――ナルト?」

 いきなり口に手を当てて黙り込んだ友は、急いで産婦人科の棟に入りお手洗いに駆け込んでいった。

「―――興奮するからよ…」

 サクラはゆっくりと嘆息を漏らす。

 医者というものは常に冷静であった。

 

 

 屈辱だ。

 と、ナルトは青い顔で呟いた。唇が動いてなかったので腹話術の要領で喋ったのかもしれない。
 口を動かせないほどショックだった割には芸人魂が溢れている。
 ぐったりと長椅子に座るナルトの隣で、粒さに観察してしまっていたサクラはさすがにちょっと同情した。
 かかった事はないが、産婦人科の診療に触診があるぐらいは知識として知っている。ナルトはまさしくそれを受けてきた直後なのだ。
 普通の女性でさえ始めは勇気がいるだろうに、元々男として育ってきているのだからその衝撃は計り知れない。

「ナルト――気持ちはわかるけどね…」
「サクラちゃん」

 優しい声音に疲れきった顔を向けた。

 サクラはふっと、笑みを漏らす。

「自業自得でしょう」

「がーんっ!」

 あまりに容赦無い台詞に、ナルトはそのまま長椅子に倒れ込んだ。

「な…なんかサクラちゃんてば――きついってばよ…」
「ナルト、あんたが全然わかっていないから…あえて言うのよ。この二ヶ月間は黙ってたわ。まだ妊娠しているかどうかもわからなかったからね。でも判定で陽が出た。少なくともアンタはそこで腹を決めなきゃいけなかったのよ。万が一間違いかもしれない…でも、そのおなかに子供が居るかもしれない――それを確かにしなくちゃいけない」

 さきほどまでのどこかふざけあっていた感じを一切ぬぐって、サクラは厳しい目付きでこちらを見ている。
 『子供』の単語ひとつで、咄嗟にナルトは体を起こした。妊娠よりも、その響きは現実味を帯びて胸に痛みを残したからだ。
 この二ヶ月間、考えないようにしていた。見ないようにしていた。

 その逃げを、サクラは指摘しているのだ。

「判定が出たのは一ヶ月も前だったじゃない。それから一ヶ月、アンタは何をしていたの? 私も仕事だったから今日まで付き合えなかったけど、一人でだって来れたでしょう。一人が嫌ならばヒナタでもいのでも頼れば良かったのよ。なのに、アンタは何をしていたの――サスケ君から逃げて、隠れるように仕事をして…」

 責められて跋悪く目を逸らす。

「仕事は…内々の…軽いものしか…」
「ナルト」

 強く名を呼ばれ、ビクリと肩を震わしてしまう。後ろめたい証拠だった。

 ―――サクラにはばれている。迷いが、葛藤が……。

「アンタはさっきから同情を欲しがっているような態度ばかり取るけど――同情ならするわよ。その、おなかの中に居る子供にね」
「―――――っ!」

 ちょうどその時、診察室から名を呼ばれた。唇を噛みながら立ち上がる。

 本当は今すぐにでも逃げ出したかった。

 恐い。

 自然と体が震える。

 竦みあがった足を、ゆっくりだが前に出す。

 そっと、サクラがその手を握ってくれた。

「…………」

「アンタ一人で、なにもかも決めなくていい。私が居るの。いのもヒナタも居るの。――大丈夫よ」

 握った手に力が込められる。ナルトは鼻がつんと痛くなって、慌てて顔を下に向けた。

「―――オレってば…オレってば…両親いないじゃん?」
「関係ない」
「こ…子供ができても……は、母親って…どんなんかわか…ら…ないし…オレ、男だし……」
「大丈夫」
「オレ…オレに産めるかな? オレ―――親になれるかな…っ!」
「できる。アンタなら、なんでもできる。何度も言うけど、ナルト―――一人じゃないんだから……」

 背中に温かい手のひらの感触がする。ゆっくりと、押すように撫でてくれる。

 ナルトはキッと顔を上げると、歩き出した。

 

 サクラの先輩という女性は四十代近い、品のある医師である。
 柔らかい色の髪を後ろで無造作に一本に束ねているだけなのだが、自然と大雑把な印象はない。
 白衣は冷たい感じがすると、普段から思っていたナルトだが、彼女が着ているとそれも感じなかった。全体的に優しい雰囲気を持っているからだろう。
 診察室に入ってきた二人を見ると、少々垂れている目元を緩めた。

「お久しぶりね、春野さん」
「はい。ご無沙汰していおります。タワラ先生――この度は相談に乗って貰いまして…ありがとうございます」
「いいのよ。これも仕事だもの。――それよりナルトさん…と今はお呼びしていいかしら?」

 女性体で居る時に使っている偽名ではなく、本名を名乗るよう言ったのはサクラである。極秘で――と、最初に医師のタワラには説明をしていた。

 ナルトは「はい」と、神妙に頷く。

「産婦人科はプライバシーの保持にとても慎重に対応する科なのよ。いくら家族とは言え、本人の了解なしではココにかかっている事さえ漏らしません。――だから問うけれど、春野さんが居る前で結果を言ってもいいのかしら?」
「それは――結構です。彼女はオレ…私の一番信頼している友人ですから…」

 きっぱり答えると「そう」と、タワラは笑んだ。

「――では、そこのベッドに横になってね。さっき見せても良かったんだけれど、やはり報告と一緒の方がいいかと思って――特に悩んでいる方にはね」

 笑んだ医師に、ナルトは目を丸くする。どうやら自分の葛藤は他人からでも一目瞭然だったらしい。
 ベッドに横になると上着を捲り上げられて、下腹部を出す形になった。その上に医師はクリームを塗っていく。
 そうして、硬い感触の機械を腹に当てて動かし始めた。

「さあ、モニターを見て頂だい」

 ナルトが首をめぐらす。サクラもモニターを凝視した。

「まだ凄く小さいけれどわかるわよね? しっかり子宮の中に居るわよ」

 真っ黒い、ノイズだらけの画面の中。

 白い、種のようなものがキチンと映って見えていた。

 初めて見る光景に、ナルトとサクラは息を呑む。

「ちょうど八週目ね――もう各種機関が全部揃って、これから急激に成長していくわ」
「―――これが……」

 声が震えた。ナルトはごくりと咽を鳴らしながら、瞬きを忘れたように画面を凝視する。

「そう。これが、あなたの赤ちゃんよ―――お母さん」

 知らずに、涙が出た。

 下腹部に熱を感じた気がした。気のせいかもしれない、それでも・・・・・・

 

 ―――ナルトが覚悟を決めるには充分だった。












三話

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