十一話






 ―――暗い。

 どこまでも暗い。

 重い瞼は、開くことを忘れたかのようにピクリともしない。
 そして閉じた瞼に光を感じることもない。 
 四肢までなにかに絡み取られたように動かず。

 ナルトは段々と焦った。

 眼を開かないと――そうもがくのに、どこもかしこも言うことを聞いてくれない。

 光が、漂っている。それが――小さくなっていくのがわかった。

『ダメだ! 行っちゃダメだってばっ』

 手足に絡みつくものを、力任せに千切った。

 黒くドロドロしたものから抜け出したくてもがく。瞳は確かに開いている。遠くに光があるのだ。それを見失ってはいけないと、本能が訴える。

『ダメ、返して! 戻って来て!』

 咽が張り裂けんばかりに叫ぶ。腕が千切れても構わないと手を出す。

 なのに手は虚しく宙を掻き、光は段々と遠ざかっていく。

『ダメだ、そっちはダメだってば!』

 走り出す。息が切れる。体が重い。世界が、空気が、全てが重く圧し掛かり、邪魔をする。

 追いかけた光。あと少しという所で、何かにぶち当たった。
 それは――頑丈な牢屋だった。

『ダメだ! そこは…そこは!』

《グオォォォオオオオ――――ッ!》

『九尾……っ!』

 かっと、腹が熱くなった。

 何重にも札が貼られている牢屋の中から、けたたましい咆哮が轟く。巨大妖魔――九尾の狐だ。

『返せ、返してくれ! 子供を返してくれってば! 代わりにオレをくれてやるから! オレの魂でも体でも食っていいから!』

《――契約だあ。契約だったな、ナルトオォオ……》

『してないってば! お前が勝手にそう思ってただけだろう!』

《いいやあ、契約したぞおー……。お前に力を貸せば、お前に宿る命を食らうとおー……》

『してないってば! 食うならオレを食え!』

《お前はダメだあ。契約だからななあ。お前は食えぬのさあ》

 鼓膜が破けんばかりの咆哮。ナルトは必死で立ち向かった。

『契約って…何が……』

《あの男と、あの女との契約だあ。お前は食えぬ。お前が死ぬまで、ワシはここに縛られ続けるうー……》

『それって……』

 ナルトは唖然とした。両親はナルト一人をただ犠牲にしたのではなく、己の命を引き換えに、この化け物を契約という名で子に縛りつけていたのだ。

『だったら、オレの命と引き換えに、契約をしなおそう。だから、子供達は返してくれ……』

 その子達は奇跡なのだ。

 自分に訪れた、最高の奇跡。

 涙を流して、嘆願した。格子に手をかけて、叫ぶ。

『その子達を返してくれえ!』

《グウォオオォォオオオオ―――ッ!》

 突然、狂ったように九尾がのた打ち回る。

《またお前かあぁあぁ! ワシの中から出ていけぇぇええー! ワシから離れろおぉぉおお――!》

『九尾……?』

 雷光のごどく、光が射した。ナルトは眩しくて目を眇める。九尾の咆哮は、断末魔に等しく狂おしい。

 あまりの激しさに、ナルトは耳を塞ぎ、眼を瞑った。

 どれくらいの時間が流れただろう。いや、この世界では時間の感覚など意味がない。

 異様な静けさが訪れた。

 ナルトは、心臓が止まるんじゃないかと思われるほどの恐怖心と戦い、なんとか瞳を開ける。

 そろそろと辺り窺えば、格子の中はただの闇と化していた。九尾の姿がない。

『九尾! 子供…子供は・・・っ』

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、それでも叫びつづけた、もう声も枯れ、空気しか漏れなくとも、叫びつづけた。

 ――ふい、と。

 小さな光がふたつ。

 確かに、ナルトの眼を捉えた。

 それは段々と明るくなってくる。――近づいてきている。

『――――………』

 光が、目の前まできた。

 それを抱きかかえ、運んでいるのは―――男だ。

 ガタガタと、指先が震えて止まってくれない。声ももう出ない。
 それでも、ナルトは唇を必死で動かした。男は、緩やかにこちらに近づく。とても優しい気配を持つ男だった。

 春の陽気。

 そう表現するにぴったりな笑顔が、涙でぶれた視界にも鮮烈な印象を残す。

 男は両手に抱えるそれに、愛し気にキスをすると、ナルトに差し出した。

 言葉はない。 

 けれど、蒼穹の瞳が全てを物語る。優しく、強く、美しい光を称えて、微笑する男。

 ―――会ったことなどないのに、無性に懐かしさを覚え胸が搾られた。

 ああ、ここにいたんだ。ずっと、ここに……

 そして戦っていたんだね。休まることなく。

 里のために―――オレのために。

 産まれくる―――新しい命のために。

 光を格子越しに渡されて、その温かさに、ナルトは感謝した。

 全てに、命あるもの、それを育み護るもの。
 体が浮かび上がる。男は手を離す。

 

『ありがとう―――お父さん』

 

 

 通じたでしょうか。貴方に……

 この世界に生を受けた、喜びが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サスケが息せき切って戻ってきた。
 あまりの慌ただしい姿に、皆の倦んだような眼差しが集まる。
 だが、その生気に満ち溢れた顔を見た途端、全員が立ちあがった。

 サスケは迷うことなく、分娩室のドアの前に立つ。

『―――オギャアア! オギャアアアア!』

 同時に聞こえてきた、新しい生命の叫び。

 全員が総毛だった。

 次いで、どすん、どすん、と音を立てて崩れ落ちる。誰ともなしに、大きく息を吐く音が漏れ出た。
 ドアに手をついていたサスケも例外なく、崩れ落ちる。床に膝をつくと、産まれて初めて―――喜びのために、声を上げて泣いたのだった。

『オギャアアァァ! オギャア!』

『オギャアァァア! オギャアァァアア!』
 
 大分だって最初に気づいたのは誰が先か。カカシは「おや?」と首を傾げた。
 サクラは手で涙を拭いながら、サスケの震える背に手を置いて、労るように撫でる。

「サスケ君。良かったわね。一気に二児の親よ」
「―――二児?」

 ぴたり、とそこに居た全員の動きが止まる。
 サクラは満足そうに、声を張り上げて笑った。

「だって、双子だもん」

「ふ…」

 双子?

 

 ようやっと、待ち望んでいたドアが開いた。
 元気良い鳴き声が、尚も二重で院内に響く。
 やり遂げた顔をした医師が、満足そうに出て来た。

「うちはさん。おめでとうございます。母子共に健康ですよ。男の子と女の子の双子さんです」

 立ち尽くすサスケに、一人一人が涙声ながらも「おめでとう」と祝辞を送る。

 長い長い冬の夜が、こうして明けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――泣いてる。

 ナルトはガンガンと痛む頭を抑えながら、眼を開いた。

「ナルトさん。お子さん、元気に産まれましたよ」

 助産婦が声をかけたので、だるい頭を横に向けた。真っ赤で小さな生き物が、顔をくしゃくしゃにして泣いている。

「ちゃんと…二人居る?」
「いますよ。可愛い、男の子と女の子のお子さんです。男の子の方が五時五十五分。女の子の方が六時五分」
「……ちっちゃい」
「お兄ちゃんが二三四〇グラム。妹さんが二六五〇グラムですよ」
「は…ははは……疲れた」

 ゴムのような手足を動かす赤ん坊を見ると、なんだかもうやり遂げた気がして、どっと力が抜けた。

 意識が浮上した途端に、激痛に声を上げてからどれくらい経ったか。陣痛が二分間隔で襲い、仰向けにされていたものだから、腰まで痛く。何が何やらわからないうちに、出産の運びになっていたのだ。

「しかも二人だし。……あれ?」

 まだ陣痛のようなものが始まり、驚いていると助産婦が「はい、胎盤が出ますよ」あと産が残っていたのを忘れていたナルトだった。

 それから三十分後、部屋に移されると、二時間だけ子供達と一緒に居れるということで、その時に続々と皆が顔を見せにきてくれた。やはり一番最初に入ってきたのはサスケで、その顔を見てナルトは思わず吹き出してしまった。

「すっげー顔」
「……仕方ねえだろ。心配かけやがって……」

 男前な顔を泣き腫らして、サスケは恐る恐る赤ん坊の寝ている籠を覗き込む。二人の子供はホヤホヤとむずがっている。サスケはそれをまじまじと見ると、胸の奥がカーッと熱くなった。

「ちっちゃいな……」
「産まれたばっかだし。人間の顔してねえなあ」
「いーや! こっちはオレ似だな。んで、こっちはお前似かも」
「わかるかい」

 つん、とサスケが赤子の頬を触る。小さい手は人形のよう、というよりも別の生き物みたいである。知らず頬も弛むというものだ。

「名前、決めなきゃな」
「そうだなあ〜二人だからなあ〜」
「ナルト」
「うん?」
「頑張ったな」
「おう」
「―――ありがとな」
「お互い様だってばよ」

 ベッドに寝ているナルトに近寄ると、サスケはその頬に口づける。小さく「良かった…」と繰り返した。

 感動的な場面だったのだが、それは長くは続くない。

 次の瞬間には待ちきれなかった者達が、ドアを開いて崩れるように入ってきたからだ。

「うわっと!」
「押さないでよ!」
「いや、オレじゃないよ!」
「―――お前等……」

 雰囲気をぶち壊されて、サスケが苦々しくぼやいた。

「赤ちゃん見せてー! うわ、ちっちゃ!」

 サクラが感嘆の声を上げて、赤ん坊にかぶりつく。

「おお〜、指の数かぞえとかないとな」

 カカシは感心したように、その手を取った。

「双子か…もしかしなくても前代未聞なんじゃないか?」

 綱手も覗き込むと首を傾げる。

「前代未聞ってなんでですか?」

 すかさずサクラが問うと、「だってさ」綱手は困惑気だ。

「双子で…男女だろ? どっちが火の巫女になるんだ」
「あ、そうか…。女の子じゃないのかしら……」
「男の子の方だったら、結局両方女の子みたいなものかもね」
「待てーっ! 何の話をしてんだ!」

 不穏な会話に、サスケが待ったをかける。
 そして至極真面目にこう言い放った。

「誰にもやらん! どこぞの馬の骨野郎なんかに、我が子を持ってかれるなんて想像したくもねえ!」
「うわったー! バカ父誕生でもあるのね」
「私がアンタにやったみたいにやればいいじゃない。娘が欲しけりゃオレの屍越えていけってねえ」
「当たり前だ!」
「おいおい、赤ん坊の前で大きな声を出すな」

 呆れてイルカが宥める。そしてナルトのところに行くと、優しくその髪を撫でた。

「頑張ったな…ナルト」
「うん。やってやったぜ、って感じだってばよ」

 『ブイ』とサインをしてみせれば、イルカは感極まって泣き出した。だーっと滝のような涙を溢れさせる男を、やれやれとカカシが引き摺って外に連れていく。

「またあとでな、ナルト。大変なのはこれからだぞー」
「うん。またね」
「じゃあ、私達もまた来るよ」
「ゆっくり休んで、ナルト」
「綱手ばあちゃん、サクラちゃん。ありがと」

 全員が引き払うと、見計らったように二人が入ってきた。

 ナギとレンである。

 ナルトは眼を丸くした。レンが仮面をつけていなかったのだ。
 やはり若い。そして鼻梁のすっと通った、甘い顔立ちだ。
 中々イイ男なのだが、それが今は途方にくれたように立ち尽くしている。ドアの側から離れない男に、ナギが蹴りを入れて前に押し出した。

「―――その…すまなかった」

 勢いよく、直角に頭を下げる。その様にナルトは呆気に取られた。
 サスケがナルトを護るように立ちはだかっていたのだが、それを横にずらすと、苦笑を浮かべる。

「――もういいってばよ。無事に産まれたし。それよりも早く帰ったほうがいいんじゃないか? お前達二人がここに居ることがばれればややこしいことになると思うけど」
「……でもオレ達のせいでお前を危険に曝したんだ。謝罪ぐらいさせてくれ、ナルト」

 ナギが前に出て来た。サスケの正面に行くと、にっこりと笑みを向ける。水の巫女から清浄な気が立ち上った。
 サスケの背筋が泡立つ。人の気配ではない。なにか、が彼女の中に流れている。そう感じた。

 一瞬の出来事だった。

 気づいたら唇に触れられ、離れたそれは彼女の唇で。

 氷の息吹が咽を駆け抜けたような気がした。

「うわ!」
「貴殿に水の加護があらんことを」
「え…なに? え…ナルト、違うんだこれは」
「や、慌てなくていいからサスケ。大体お前が火の神の加護を受けた時だってオレちゅーしてやったじゃん」
「あれってそういう意味があったのか?」
「あったらしい。あとでオレも知った」

 赤くなったり青くなったりの夫に対して妻は冷静だ。

「あはは、焼けたか? ナルト」
「どっちかーってーと、後ろの人が焼いてるんじゃないでしょうか」
「放っておけ。まあ、オレにも旦那できたらよろしく」
「おう」
「……は? え、待て。それはナルトも誰かに口づけなきゃダメだってことかっ!」
「いいじゃないか。お前だって今されたんだし」
「ダメだ! や…っていうか、オレのは不可抗力で…」
「男らしくねえな。ま、いいやサンキュ。ナギ」
「じゃあ、オレ等も行くな。互いに、もう戦争なんてないといいな」
「オレ達から戦をしかけたことなんて無いってばよ」
「―――これからはウチだって…そんなことはしない」

 答えたのはレンだった。サスケ、ナルト、そしてナギが驚いたように息を呑む。

「また、会おう。今度はちゃんと、正面から会えるよう努力するよ」
「ああ――今度はきちんと名乗り合おう」

 サスケが手を差し出せば、固く握手で返す。ナギは細く笑むと、未来の水影の背を叩いて、部屋を出て行った。

 赤子の声だけが響く部屋の中。
 サスケはもう一度ナルトへと振り向くと、至極真面目な顔で問うた。

「―――で、アイツ等は何しに来たんだ?」

「……さあ?」

 

 

 

 





 

 その夜。カカシは酒を持って慰霊碑にやってきた。
 冬の空は澄んでいて、星が降るように瞬いている。
 いつものように慰霊碑の前で膝を折り、黙祷を捧げ、背後に回ると火影達の墓の前に一升瓶を置く。
 コップを二つ、懐から取り出し、なみなみと注いだ。

 墓の前に置く。

 じっと、動かずにどれぐらい居たろうか。万感の思いが胸に去来して、時を見失った。
 ようやく思い出から解放されると、口布を取る。
 コップを掲げると、そのまま口をつけた。

 ―――果たしてどれだけの里人が知っているだろう。

 この墓には確かに歴代火影の骨が埋まってはいるが、魂と呼ばれるものは無いということを。

 初代、二代とその魂を悪用され、三代目がその身を持って封じた。四代目の行方も、格とした証拠こそないが、屍鬼封尽を発動させているのである。無事である訳がない。

 だから、この墓には何もない。

 あるとすれば『目印』だろう。未来の者達への道しるべ。里の為に戦い、散っていたその思いを、継げと。

「―――貴女は、そこで護人となること選んだ。貴女の骨も、ここへと遺言なされた」

 相手の杯の中身を地に蒔く。

「貴女の思いを継ぐ者が、また新しく継ぐ者を…。血は繋がり、連綿と受け継がれる。どうぞ、護ってください。貴女の子を、愛した人の子を――――」

 自嘲が漏れる。

「正直、オレの周りから次々と大切な人間がいなくなることに、幾度己が運命を怨み、絶望したことでしょう。死んでいった者達の意思を受け継いでこの里を護ることに、少々疲れることもありましたよ。なんだか、一人だけ貧乏くじを引いたみたいでね。一番死にそうもない、貴女や四代目までさっさと逝ってしまった」

 でも、と―――

「いいものですね。生きていくのも。だって紡がれる瞬間が見れるんですから。新しい仲間を、迎えることができるんですから…」

 手酌で酒を注ぎ、一気に煽る。

「―――そこで貴女は独りで待っているんでしょう? もうちょっと待っててやって下さいよ。きっと、絶対あの人は貴女の元に戻ってくるでしょうから……オレはね。貴女方二人が無茶ばかりしているの、見てる分には好きでしたよ」

 巻き込まれるのは勘弁でしたけど。乾いた笑みは、白い息とともに消える。

「それまでは、オレがちょくちょくお相手しますから。いい酒も持ってきます。ねえ、だからもう少し――この里を見守ってください。あの若い二人はまだまだ、この里を背負って立つには心もとないですからね」

 静かに語りかける。答えなどないけれど、カカシは確かに相手が笑っているのを感じていた。

 

 ―――当たり前だろう。愛した男が心底惚れた、里なんだから。

 

「まったくです。この里はなんて恵まれているんでしょうかね」

 

 月が優しく、男を照らす。

 胸の中には在りし日の、亜麻色の髪を持った美しい女性が居た。

 

 

 

 

 









最終話

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