十話






 それからというもの、ナルトはすんなりと妊婦として里に溶け込んで生活していた。
 詳しい事情を知らぬ者は、皆一様に首を捻ったが、実際腹の大きなナルトを目の当たりにすれば、疑う余地は無い。
 そして、誰もが恐くてどうして妊娠したのかを、面と向かって聞けないでいた。

 いつのまにやら『ナルトは実は女で、特殊な事情からずっと男の振りをしていた』ということに収まったらしい。

 落ち着いてしまえば考えもつかなかった、里一番かもしれない最強夫婦の誕生に、里人達は純粋に祝福を送った。

 どちらも不遇の年少時代を過ごしてきたのは、周知の事実だ。
 中には当たり前だがそうでない人間も居る。しかし、表面上は平穏に月日が流れた。

 里から緑が消え、木々は肌を顕わにする。吹く風は冷たくなり、空から厚みがなくなった。

 商店街は年の瀬に向け活気溢れ、歩く人々もどこか急ぎ足である。十二月の寒空の下。久し振りに晴れた中を、ナルトは大荷物を持って歩いていた。

「ナルト、大変そうだな」
「イルカ先生」

 背後から声をかけられて、振り向く。イルカが心配そうに顔を曇らせた。

「おいおい、臨月だというのにそんなたくさん持って。貸しなさい、オレが持つから」

 言うやいなやさっさと奪い取る。それは正月に向けての買出しが主で、野菜などの食材が入っていた。

「うわ、ごめんってば。あんがと、先生」
「まったく、一人で行かないで、オレでもカカシ先生でもいいから誘いなさい。荷物持ちぐらいいつでもするから」
「やーでも悪いってばよ。しかも今更流産もないし」
「バカ言ってんじゃない。縁起の悪いことは言うもんじゃないよ。えーと予定日までそろそろだな。もういつ産まれてもいいぐらいじゃないか? 危ないなあ、お願いだから一人でウロウロするな」
「一応三十日だってばよ。でもなんつーか慌ただしい日程だってば。正月はベッドの上かもな、オレ」
「ふふふ、いいじゃないか。早くオレに子供の顔を見せてくれよ。楽しみだなあ。男の子か、女の子か」
「産んでからのお楽しみだってばよ」
「ようし、出産のために精のつく物をオレが作ってやる! サスケが今忙しくて中々家事の手伝いもできないだろうからな。今日はオレがやるよ」
「え、いいの?」
「昔は散々甘えてたじゃないか。こんな時くらい頼りにしてくれよ」
「わーい! イルカ先生の手料理だってばよ!」

 はしゃぐ元生徒に、目元を和ませる。どんなに美しい女性の姿をしていようと、イルカにとってはいつまでもあのワンパクだった少年ナルトだ。
 そこに、もうひとりの教え子が通りかかった。

「あら、ナルト丁度良かった。今からアンタんとこに行こうと思ってたのよ」
「サクラちゃん」
「おう、サクラ。久し振りだな」
「イルカ先生、こんにちは」

 艶やかに返すは、美人くの一と名高いサクラだ。手に大きな包みを持っていた。

「ウチに用だってば?」
「そう。これをね、お届け。鏡餅よ。ウチの一族がついて、恒例のデカイ鏡餅作りしてたの」
「うわあ、立派だってばね。ありがとうってばよ」

 当然のようにサクラからその包みを貰おうとして、拒まれた。

「バッカじゃないの。こんな重い物持とうとしないでよ。アンタの家に届けるって言ってるじゃない」
「う、そうなんだ。ごめんってば」
「アンタ、そろそろ出産なんだから。ちゃんと自覚持たなきゃ」
「気をつけるってばよー」

 懐妊がわかってからというもの、皆の態度の一変には、たまについていけない。自分を大事にしているのではなく、お腹の子を大切にしているのだということはわかってはいるのだが、幼い頃からぞんざいにしか扱われたことの無いナルトは、そう優しく接されるたびにどうしていいのかわからなくなる。

 一度、そのことをサスケに相談してみたら「普通に感謝すれば、それでいいじゃないか」と簡単に言われた。そんなサスケが一番壊れ物のように扱ってくるものだから、もうしょうがないと諦めたが。

「サクラ、丁度いいからお前も食べて行きなさい。今からナルトの家でメシにするんだが…大勢だと鍋がいいかな。今の季節」
「鍋? 行きます行きます! ナルト、いい?」
「聞かなくてもいいってばよ。皆で食べようってば」
「大勢ってことは他にも誰かいるの?」
「サスケとカカシ先生だって」
「いつカカシさんが入ることになったんだ?」
「何言ってるかな、イルカ先生。イルカ先生が来たらカカシ先生一人で食事になっちゃうじゃん。皆で食うんだろ?」

 当たり前だ、と言われてイルカは押し黙った。サクラは「今更じゃない」と笑う。

「そうだな…じゃあ何鍋にしようか。水炊きでもいいなあ」
「あ、イワシのいいの買ったってば」
「じゃあ、つみれ鍋にしようか」
「わあ! 美味しそう!」

 サクラが手を叩いて喜んだ。

「よし、足りない物は買い足しておこう」
「オレ先に行ってイワシ捌いとくってばよ。先生、荷物貸して」
「それじゃあ魚の入ってるヤツだけな。あとはオレが持っていくから」
「わかった。んじゃあとで!」
「気をつけて帰れよ」

 そこでナルトとサクラはイルカと別れた。

「いやあ、なんかいい時に出くわしたわ」
「オレも、皆と鍋すんのすげえ楽しみだってばよ」
「うーん。しかし立派なお腹よねえ。早く出てこいって言いたくなるわ」
「そうだなあ。もう動き難くて動き難くて。いい加減軽くなりたいってばよ」
「十ヶ月だものねえ、長いわよねえ。もうサスケ君のバカ親ぶりって凄い噂になってるじゃない? 産まれたらそれこそ目も当てられないわね。あれじゃ」
「う…噂?」
「知らないの? 内務なのをいいことに暇さえあれば赤ん坊の靴下を編んでるって聞いたわよ」
「んなことしてんのか、仕事中に!」
「器用な男よね。その内ベビー服とかも自分で作るんじゃない?」
「やめて…ありえそうで恐いってば。しかし、子供できてあんなに変わるとは思わなかった。毎日腹に話かけてるし、疲れて家に帰って来ても風呂掃除やら食器洗いとかしてくれるもんよ」
「あら〜いい旦那っぷりじゃない。羨ましいわよ。出世頭の男前で、優しいってか?」
「お腹に向って『早く出てくるでちゅよー。パパ待ってるでちゅ』とか言っててもか?」
「うふふ、嫌」

 真顔で返された。

「北風が身に染みるってばよ」

 家につくと二人は荷物を下ろして、急いで暖房をでつけた。ナルトは生物を冷蔵庫に入れていく。サクラはさっさと床の間に鏡餅を設えた。

「こういうの置くと正月って気分になるわよね」
「そうだってばねー。あ、洗濯物入れなきゃ……」

 夕刻も近いので、慌てて庭の方へ向う。大きなお腹を支えながら、サンダルを履いて外に出た。

「ナルト、お茶呑みたいからお湯沸かすわね」

 床の間を出ると台所に行く。ヤカンを探して火にかけた。

「湯のみ…どれがお客様用かしら?」

 聞こうと思い、庭に面する部屋へと移動する。

「ねえ、ナルト」

 だが返事が返ってこない。怪訝に思い、中庭を覗いて目を見開いた。

「ナルト?」

 中庭には誰もいなかった。しかも洗濯物は半分だけ取り込まれたままの状態だった。

「ナルト!」

 嫌な予感に駈られて、サクラは部屋という部屋を覗いて回った。が、何処にもいないし、気配も無い。

 ナルトの姿が家から消えたのだ。サクラは悲鳴を飲み込み、なんとか感情を抑え冷静さを取り戻すと、外に出て指笛を鳴らす。
 寝床に戻る前の鳥が集まってきた。それに術を施すと、一斉に放つ。

 ――――数分もしないうちに、サスケ、カカシ、イルカが顔色を変えて飛んで来た。

 

 

 

 

 果たして何がどうなったのか。
 一番聞きたいのはいなくなった当の本人だろう。

「―――なんだってば…いきなり……」

 顔が引き攣る。

「お前、誰だってばよ……」

 つい先ほどまで、確かに自分は庭で洗濯物を入れていたはずなのだが、強い風が吹いたと感じた途端、連れ去れていた。
 身重の自分をいともあっさり攫ったのは、目の前に立っている長身の男だ。威圧するように、こちらを睥睨している。
 対してナルトは及び腰になり、樹木の根に腰を下ろしている状態だ。

 疾風のごとく、ここに連れて来られたかと思えば、巨大な樹木の根に下ろされたのである。

 周りを見れば、そこは見知った木ノ葉の森の中だということがわかった。家からそう離れてはいない。
 それでも滅多に人の来ない場所でもある。
 ナルトは腹を庇いつつ、男をじっと睨みつけた。

「その額当て……霧の忍だな。オレに何の用だってばよ」

 他国の忍装束に、霧の額当て。そして顔を隠す異形の仮面。
 ざっとチャクラの力を量り、舌打ちした。

(―――強い。こいつ上忍クラスだな)

 身のこなしや、落ち着きさも尋常の者ではない。明らかに修羅場慣れしているのが見て取れる。
 普段のナルトならば逃げることも、戦い勝つことも可能かもしれない。だが、現在いつ産まれてもおかしくない妊婦である。

 自然、体が震えた。

 平和ボケしていた自分に心底歯噛みする。退路を必死で探しながら、じりじりと体を移動させた。

「―――火の国の巫女。うずまきナルトだな」
「………」

 冷水を浴びせられたようなショックを受ける。ただの人攫いならば、まだ隙をついて逃げられたかもしれない。が、正体がばれているというのならば、相手の油断は無いだろう。
 巫女の神通力は有名な話だし、うずまきナルトと言えば木ノ葉で名の知れた上忍だ。

 ここで白を切っても意味がないので、慎重に頷き返した。

「お前は誰だってば」
「―――そんなに警戒するな。申し訳無いとは思ってる。危害をくわえる気は無い。ただ、話を聞きたいだけだ」
「話? ―――それにしては手荒な扱いだってばね」
「すまない。オレは堂々とアンタに会える立場じゃないんだ」

 頭を下げられて、ナルトは拍子抜けした。だが相手の意図がわからない限り、気は抜けない。

「オレさ、見てのとおりいつ産まれてもおかしくない状況な訳だってばよ。さっさとしてくれないと…お前命無いってばよ?」
「そうかもな。お前の旦那は手強そうだ。次期火影だからな」
「そこまでわかってるなら、何故……」

 巫女の相手が影になる、というのは、隠れ里の中でも中枢に居る人間しか知らないはずだ。現に、ナルトの周りもよほど近しい人間でない限り、巫女だということすら知らない。
 そこである可能性に気づいた。

「お前…ナギを知ってるのか?」
「―――――………知ってる。水の巫女だろ」
「オレのことも、ナギに聞いたな?」
「そうだ」

(あんのスチャラカパーっ! なーに人の事ベラベラ喋ってるかな!)

「って言うか、お前次期水影かっ?」

 咄嗟に思いついて当てずっぽうで聞いてみた。これだけの力の持ち主で、ナギが秘密を打ち明ける人間と言ったらそれしかいないような気がしたのだが…。

「ち…違う! オレは承諾していない!」
「図星かい」
「―――オレは…そんなものになる気は無いんだ。水影なんてロクなもんじゃない」

 苦々しく吐き捨てられたことで、男が随分若いと知る。二十代も前半だろう。

 改めて全身を見た。身長はサスケと同じくらい。細身ではあるが、効率的に筋肉が付いているのがわかる。
 年や水影への恨みごとから、この者が先代の水影によほど辛酸を舐めさせられたのが窺えた。

 先代といえども水神の加護は無い。気性が荒く、冷淡で知られる霧の隠れ里である。先々代を殺した者が、産まれたばかりの水の巫女を攫い、幽閉した。それが先代だ。

 先代水影は己の地位を維持するために手段を選ばず、霧の里の忍を道具としてしか見ていなかった。無理な人数で小国を攻めたり、残虐で危険度の高い、高額の任務のみを選んでそれに当てたりさせた。

 自分に逆らった者は、一族全て根絶やしにせねば気が済まず。里から逃げ出した血継限界を探し出しては殺した。

 そんな恐怖政治が続くわけがなく、水影を名乗っていた男は既に三年前に死んでいる。それ以降、霧の里は政権の建て直しと、里の威信回復に尽力を注いでいるのだが、未だ水影を襲名した者はいないとのことだった。

 他里の者達も、この霧の里の動向を気にし、放たれた諜報員が逐一情報を届けているようだが、水影選抜の噂も無い。
 それどころか、それを選ぶはずの巫女の姿までもが行方知れずのままだった。

 その極秘情報を、ナルトは持っている。ただし、巫女同士の関係は国も里も関係の無いことだ。元を辿れば同じ血筋。どちらかと言えば特殊な同胞意識があった。

 その繋がりは、それぞれの里の長や大名達でさえ知らぬ。
 水の巫女は、幽閉されながら大人しく育った。水影はそれに満足し、いつしかその監視にも怠慢になる。巫女一人でいったい何ができるのか、と軽視したのだ。巫女は水影を選ぶ。本来なら殺しても良かったのだが、土地神を怒らせることは、さすがに男も忌避したかった。外に出さねば良いのだし、年頃まで育ったのなら己のものにしてもよいと考えていたらしい。

 だが――残忍で知られる霧の里の巫女が、そんな穏和な者であるはずがない。三年前、男は巫女を寝室に招きいれ、帰らぬ人となったのだ。

 そして里の者達は、独裁者から解放されたのだった。

「ロクなもんじゃないって…。先代と呼んでいいのなら、アイツは簒奪者だろう。水神の守護がないんだから」
「それがわからないんだ。守護が無いとお前は言うが、では何故あんな男が十七年も水影でいられたんだ!」
「だから霧の国は荒れただろう? 天災や人災、作物は取れず、人々は餓え、争いばかり起きた」
「何故だ! 水影を名乗った男が好き勝手したからと言って、何故罪も無い人々が被害を被るんだ。ならば神とやらがさっさとヤツを殺せばよかったじゃないか! それに現在の火影にも火の守護が無いだろう! なんなんだこの差はっ」

 なんとなく訴えたいことはわかった。が、どうしてそれをわざわざ自分に聞くのかが図りかねる。それこそ水の巫女に聞けばよいだろうに。

「あのなあ…オレは火の国の巫女であって、霧の国のことなんざ知らないってばよ。ナギに聞けよ」
「あいつに聞いたとしても、あやふやな答えしか返ってこない」
「確かに、水に映った月の如くだってばね」
「あんなヤツ海月で充分だ」
「あのさ、オレマジでいつ産まれてもおかしくないわけよ。わかるか? 今ここでオレに丸焼きにされても文句言えないってばよ?」
「―――非常識だとはわかってる。やるならやればいい。もっともオレも大人しく焼かれてやるほどお人よしではないがな」
「はあ…すっごい堅物。あのな…土地神はあくまで、土地を護る神なんだ。どうして人ごときを護らねばならない。人は神の護る地に住まわせて貰っているだけでも感謝するべきなんだ。いいか? 神は頼みごとをする存在ではない。祈りとは、感謝するということだってばよ。そこんとこよおく叩きこんどけ!」
「それは……」
「影とは何か。民を護り、育む者のことではない。巫女を護るべき者だ。それを忘れるな。――って言うかこんなこと言わせるなってばよ。オレのキャラじゃねえ」
「お前…いや、貴女は次期火影と里で暮らしているという。どうして大社に戻らないんだ」
「決まってるってばよ。オレは確かに巫女だけど、だからといって自分の幸せを犠牲にしなきゃならないなんて掟はねえからな。オレは惚れた男と一緒になって子を育む。そんな普通の幸せを手にしたいだけだってば」
「普通の幸せ?」
「人それぞれだってばよ。他人に、ましてや他里の者に文句を言われる筋合いはねえ」
「文句なんて…ない。ただ意外に思っただけだ。巫女とはこう、自意識の強い高慢ちきなヤツばかりだと思ってたから……」
「ナギはナギだってばよ。それに里によって、選ばれる影の性質も違う。アンタは一体どんな水影を望んでるんだ? それともあれだけ異色の者達が集まる隠れ里を、いつまでも統治者不在のままにする気か? それこそまたすぐに覇権争いになるってばよ」
「オレはただ……貴女と同じだ。普通の、些細な日常を営むことのできる里であって欲しい」
「ならば、お前が動け。思ってるだけで理想が現実になるか。お前の夢ならば、お前が動くのが筋ってもんだってばよ。――ウチだって別にのうのうとここまで来たわけじゃない。四代目は里を護り早世した。三代目も長年里を守り抜いた末、壮絶な死を遂げた。その意思を継いだ今の火影だとて、もう体はボロボロだ」
「――――……」
「確かに五代目には守護が無いってばよ。だからこそ…その体にかかる負荷は計り知れない。それでも、里を護るべく命を張ってんだ。お前んところと一緒にするな」

 厳しい声音に、息を呑む。女で、しかも臨月の女性だというのに、その迫力は修羅を潜ってきた男の背筋を泡立たせるのに充分だった。
 長嘆を漏らすと、ナルトは立ち上がる。足元についた土を払った。

「オレ帰るってばよ。これ以上お前と喋る気もないし、そろそろ里じゃ大変なことになってるだろうし。お前も命が惜しけりゃさっと逃げるんだな」

 荒れた山道を、それは軽い身のこなしで降りてゆく。

 そこで、ふと振り返った。

「―――影なんて制度ができたのはここ最近で、現にお前のところだって次が六代目だろ? そもそもは強い男の血を、巫女が取り入れていったってだけの話だ。そこにどんな感情があるかなんて、知るか。ナギに聞け」

 言うだけ言うと、スタスタと帰っていく。
 その後ろ姿を止める言葉を、男はもう持っていなかった。

「―――気が済んだか?」

 間髪いれずに、嘲笑が飛ぶ。男は仮面を外して、振り返った。

「済んだ。巫女っていうのはあれか? 気が強くなきゃいけないものなのか」
「あれは特別。腹に何入ってるか、お前だって知ってるだろう。それにもう『母親』だしな」

 樹の上から落ちてきたのは、青銀の髪を靡かせた女だ。文句なく美女と呼ぶに相応しい面立ちだったが、男にはそれさえ腹が立つ。何故なら、この美女が男でもあることを知っているからだ。

「ナギ、前にも言ったがオレは覗き見されるのは好きじゃない」
「レン、オレも前に火の国の巫女のことは忘れろって言ったよな?」

 そう切り返されれば、約束を破った自覚のある男は押し黙るしかない。

「まったく。アイツ絶対怒ってたぞ? そして怒られるのはオレなんだ。余計なことしやがって」
「お前がいけないんだろうが! のらりくらり躱しやがって。しかも…何でオレなんだよ」
「知らない。オレに靡かないお前になんて教えてやらない」

 つん、とそっぽを向かれて、レンは渋面を作った。

「話はもっと簡単だったんだ。お前が普通に女として、目の前に現れればな」
「バーカ。オレはオレなんだよ」

 冷たく言い放つナギに容赦は無い。氷のような美貌を裏切らず、彼女の中身は絶対零度でもまだ温い気がする。今度はレンが溜め息をつく番だ。

「お前でも、普通の幸せって望むのか?」
「普通の基準は人それぞれだ。ったく煮えきれないヤツだな」
「そんな男を選んでおいてよく言う」

 いいようにこき下ろされて、泣きそうなのは男のほうである。

「堂々巡りはよせ。時間の無駄だろうが。とにかく、さっさとここを離れるぞ。木ノ葉の連中に見つかると厄介だからな」
「わかって…」

 る、と語尾に重なって子供の悲鳴が木霊した。ついで、水飛沫を上げる音。

「……っ?」

 男が振り返る間に、ナギが駆け出していた。

「ナルト!」
「―――え?」

 子供の声しか聞こえなかったが、ナギはナルトの異変を察知したようだった。レンも即座に、そのあとを追った。

 川まではすぐに出た。そこで目にした光景に、ナギだけでなくレンも絶句する。

 それは流れの早い川で、こちら側は丁度抉れた部分だった。下を覗き見ると、そこには川中で必死に岩にしがみ付く金色の髪の女性。

「ナルトっ? ば…っ何して…」

 理由は一目瞭然。片手で岩にしがみ付き、もう片手には四歳ぐらいの子供を抱えていた。

「ちくしょう!」

 ナギは声を荒げると、両手で印を組んだ。
 その時、数人の影が現れる。

「お前達、何者だ!」

 木ノ葉の忍が三人。ナギは「バカ! 退け!」と、押し退け川の方に出る。が、それを一人が鬼のごとき形相で止めた。

「ナルトを何処にやった」

 今度はレンが、力任せに男に掴みかかる。

「助けるのが先だ!」

 血相を変えて叫ぶ男に、一人が川の中で起きている惨場に気づき、愕然した。

「ナ…ナルト!」

 それに続いて、皆の視線が川へと向う。その隙間を縫って、ナギが渾身の力を叩きつけた。

「水雷招来!」

 ドン!

 水面がはじけた。そして盛り上がる。
 竜が生まれた。水の竜だった。
 それはナルトと子供をくわえ込むと、空へと伸びる。
 そのまま地上まで運び、土に弾け、ただの水に戻った。
 いきなり繰り出された大技に、木ノ葉の忍は固まる。しかし、一人はそんなことなどに目もくれず、走り出した。

「ナルト! ナルト!」

 駆けより抱き起こす。一体何が起こったのかわからないまま、同じく地上に投げ出された子供が盛大に泣いた。

「ナルト! …やばい。顔色が悪い…! カカシ」
「こんな大事な時期に…っ」
「早く病院へ…っ!」

 騒然とする男達に、ナギは放っておくこともできずに申し出た。

「動かさないほうがいい。オレが病院まで運ぶから、場所を教えてくれ」
「―――誰だ、アンタは!」
「ナルトをこんな目に合わせたのはおまえ等か?」

 鼻の上に傷のある男と、片目を隠した男。二人に凄まれたが、ナギは堂々と見返した。

「オレはナルトの親戚みたいなものだ。誓って嘘じゃない」
「親戚?」
「アンタがサスケだな。オレは、水の巫女だ」

 身分をさらしたナギに、レンが驚く。しかしもっと驚いたのは木ノ葉の忍達だろう。

 だが、サスケの決断は早かった。

「わかった、送ってくれ」
「場所を教えて貰うぞ」

 一応断りを入れると、ナギはサスケの額に手を翳した。おもむろにナルトに近寄り、両手を添える。

 二人の姿は一瞬にして消えた。

「オレ達も急ごう」

 サスケは猛然と走り出す。二人の忍もそれに続いた。

「うおい!」

 残されたレンは仕方なく泣く子供を抱き上げて、あとを追った。

 病院に着くと、先に運ばれたナルトは緊急処置室へと入っていた。泣きじゃくる子供は病院で検査を受けて、両親が迎えに来た頃やっと説明をするほどに落ち着いた。

 その子は両親と虫採りに森に来ていたらしい。好奇心旺盛で、親が眼を離した隙に虫を探して川の渕までやってきたそうだ。怖いモノ見たさで、下を覗き込んでいたらバランスを崩して落下。それを止めようとしたナルトが、タイミング悪く巻き添えを食って転落したらしい。

 両親は感謝と、謝罪の言葉を交互に口にして、逃げるように去って行った。

 仕方ないことだろう。誰もがむっつりと押し黙り、こちらに見向きもしないのだから。しかも、続々と里の有力な忍達、しまいには火影まで駆けつけたのだから、居た堪れなかったのだ。

 綱手がやってきた時は、皆顔色を失い病院の椅子に座り込んでいた。カカシとイルカ、サクラとナギ。そしてサスケ。

「一体なにがどうなったんだ?」

 急いて問うも、誰もが項垂れていて話にならない。その中で一人、蒼銀の髪の女だけが立ち上がり説明した。

「―――川に飛び込んだ衝撃で、破水してしまって。今、危険な状態です」
「危険?」
「羊膜に穴が開いたってことですから、本来なら感染予防の処置をしなければならないんです。なのに――川の中にいた。どうやら陣痛も始まっているようなんですが、本人に意識が戻らない。母子ともに……危険な状態です」

 ガン、と音が響く。

 サスケが壁を力任せに殴ったのだ。

「…………」
「サスケ君……」

 サクラが隣で心配そうにしている。だが、激高しているサスケをおいそれと宥めることなどできない。

「―――出産が始まったんだね?」
「はい」
「悪いが、アンタは誰だ? この里の者じゃないだろう」
「……すみません。私が山の中に呼び出したばかりに…こんなことに……」
「呼び出した……」
「五代目、彼女は水の巫女だそうですよ」

 疲れたようにカカシが答える。綱手は目を見張った。

「何故、水の巫女殿が」
「ナルトに…尋ねたいことがありました」
「だからって、何も攫っていかなくったっていいじゃない! しかも山奥ですって? なんで…そんな酷い……っ」

 話を聞いていたサクラが耐え切れずに叫んだ。非は明らかに自分達にあると弁えているナギはただただ頭を下げることしかできない。

「もう一人男がいたでしょう? そいつは何故ここにいないのよ!」
「すまない。あの男は関係ないんだ。全ては私が軽率だったゆえ」

 唇を噛む巫女と名乗る女に、尚も噛み付こうとしたサクラだが、それはサスケに止められた。

「サクラ。ナルトがあそこにいなければ、一人の子供が死んでいたんだ。アイツはそれを助けた。見過ごせなかった。それだけだ。もし知らぬとはいえ子供が死んでいたら、アイツは助けられなかったことを嘆いただろう」
「だってサスケ君! だって、ナルトが…ナルトが…」
「サクラ」

 震える肩を、イルカが叩く。涙を称えた眼で見れば、頭を左右に振られた。

 そうだ、今一番辛いのはサスケなのだ。

 愛する者と、己の子供。

 どれほどの葛藤に苛まれていることか、想像もできない。

 誰もが無言で、分娩室のドアが開くのを待っていた。

 医療術に長ける綱手でさえも手を出せず待つしかない。ただの怪我ならば、命に替えてもその傷を塞ぐことはできる。だが、産まれてくる子供に一体何を施せばいいというのか。出産の苦痛に耐えるナルトに何の術をかければいいというのか。

 ただ―――待つしかできないのだ。

 人はなんと無力で、縋ることしかできない生き物なのか。
 皆がひしひしと、聞こえるはずのない死神の足音に怯えた。
 まんじりともせずに、夜が過ぎる。夜半はとうに過ぎ、鳥の囀りが聞こえるまでになった。

 最初の頃はイライラしていた面々も、ここまでくるともうぐったりとし、惚けたように微動だにしない。

 そんな中サスケがふらりと立ち上がった。幾人かは視線を向けたが、誰も咎めることもせず。彼はそのまま病院を出て行った。

 月が薄くなった夜空の中、ぼんやりと輝いている。

 こんな時にでも、綺麗に飾る空が悔しくて、段々と景色がぼやけていった。

 開けた場所に出た。慰霊碑の前だ。殉教者達が奉られる慰霊碑の後ろに、歴代火影の墓がある。

 ひとつの前で、膝を追った。

「―――助けて…くれ。助けてくれ! アンタの子供だろう! アンタの孫だろう…っ! 助けてくれ…っ!」

 誰の前でも崩さなかった気丈な態度をかなぐり捨て、縋った。眼に見えぬものに訴える。もはや自分にはそれしかできないのかと思えば、悔しさに目尻が熱くなった。

「どうしてアイツばかり…。幸せになるんだ。これから、オレと子供と、幸せに暮らすんだよ! これからなんだよ! アイツを最初に独りにしたのは誰だ? アイツに業を背負わせたのは誰だ! アイツは産まれた時から闘って来た。不満もあったろう、死にたくなったときもあったろう。でも、あいつは投げ出さなかった。それどころか誇りだとさえ言っていた。そんな…そんなアイツを連れて行かないでくれ……っ」

 拳で何度も石を叩く。

「オレのこれからの人生。全てこの里にくれてやる。木ノ葉を護ることを誓う。だから、助けてくれ…助けて……」

 風が流れた。サスケはビクリ、と体を揺らす。

 この寒空の下、いやに暖かい風だったのだ。

 思わず顔を上げ、周囲を見回した。

「――――え」

 耳に言葉が吹き込まれたような気が―――した。

 

 












十一話

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