早春賦 三話 長くもあり、短くもある三年間の中学生活の終りは、そうして幕を閉じた。一時間だけあった、卒業生だけの謝恩会も終ると、大体が親と一緒に家路へとつく。幸村もそうして、名残惜しくも皆と別れた。 自宅に着くと、一番に仏壇の前に行き、亡くなった祖父と叔父に卒業証書を捧げる。線香をあげ、手を合わせた所に、背後にそっと祖母が座った。 「――おじいさんも、純也も、喜んでいるだろうねえ」 感慨深く、祖母も一緒に手を合わせる。目を開けた幸村は、細い煙の立ち上る線香を、じっと見つめた。 病に倒れ、何度も挫折感や敗北感を味わった。その度に、祖母も、母も、父も。幼い妹までもが、この仏壇の前で延々と自分のことだけを祈っていたことを知っている。 退院したのちも、上手く体を動かすことができなった自分。苛立つ子供を、笑顔で励ます日々が続けば続くほど、祖母達が、仏壇の前に居る時間が長くなっているのを知っていた。 祈ったからといって、何がどうなるわけでもない。そんな腐ったことを考えていた時期もある。だからこそ、今ならわかる。祈らずにいられない。そんな心を持ってもらえることが、なによりも大切なんじゃないだろうか。 「うん。卒業できて、よかった…」 「でも、良かったの? ちゃんと勉強についていけるの? 私はそれだけが心配だよ。精市が頭良いのはわかるけど」 「おばあちゃん…」 幸村は苦笑した。祖母を見れば本気で心配していることがわかって、少しばかり心苦しくなる。 祖母といっても、まだ六十代だ。充分若い。式に出たこともあり、きちんと化粧し、着物姿の背もまっすぐな祖母は、年を考えても美人といっておかしくない。しつけに厳しく、甘やかすということはまず幼い頃からされた覚えはなかった。そんな祖母が、自分が倒れた時から一変した。 「大丈夫だよ。入院していたときも、無理言って家庭教師の人に来て貰ってたし…。ちゃんと高等部への試験も合格したんだから」 「そうね…。精市がいいなら…それでいいわ。アンタの人生だものね」 「――うん。心配してくれてありがとう」 「これからは楽しいことばかりだね」 「え?」 「楽しいこと、嬉しいことだらけだよ。そうに決まってる。そうじゃなきゃ、私は先に逝ったおじいさんと二人で神様に説教するね」 「おばあちゃん」 勝気な祖母らしい発言に、幸村はどこにも捻くれた感情を持たずに笑うことができた。そんな自分が、とても嬉しくてもっと笑った。 「さあて、今日はご馳走だ。一成さんが帰ってきたら、お祝いだわね」 「うん。…じゃあ、オレ着替えてくるね」 「――その姿を見るのも最後か」 「新しい制服も似たりよったりだよ」 「――お前は、顔と違って情緒というものが無い。誰に似たんだか」 お小言が始まる前兆を察知し、幸村は慌てて和室を出た。 (顔と言われても…困るんだよなあ) 祖母の若い頃にそっくりらしい自分が、よく言えばおおらか。悪く言えば大雑把なのが気に食わないらしい。 今年から二階へと移された自室へと入ると、ほっと一息ついた。コートを壁にかける。制服を脱ぎ、シャツのボタンを全部外したところで、ブレザーのボタンを目端に捉えた。 (……そう言えば、今年は真田に祝って貰えなかったなあ) さすがに去年はそれどころでなく、会うこともできないでいたので祝いの言葉はなかったが、一昨年は言われた覚えがある。 (まあ、なんかドタバタしてたし…。卒業式ってのがな。仕方ないか……) 今度会ったら「誕生日だったんだよね」と、意地悪く言ってやろう。真面目な真田のことだから、すぐに祝いの言葉をくれるだろう。少しだけ寂しいが、言われないままというのもやはり悲しい。 (我ながら女々しい……) 自嘲すれば、他にも色々と真田のことを思い出し、切なさで胸が押し潰された。 ―――仲間には誰にも言っていないが、実際は教師達に一年留年しないか。と、進められていた。 その時の衝撃は計り知れない。 普通に生き。普通に暮らし。普通に小学校、中学校、高校へと行くもんだと、疑いもしていなかったのだ。 ―――いきなり、手足が動かなくなる日まで。 半年以上、ろくに学校に通うことができなかった。出席日数が明らかに足りなかったし、テストも受けることができなかった。 (高校だったらアウトだったな。――それは…運が良かったというべきか……) 話を出された時には、それがもう決定事項だと思い込み、目の前が真っ暗になったものだ。が、中学は義務教育ということもあり、本人さえ望めば卒業は可能なのだと説明を受け、目の前が開けた。 ただ、問題は本人の学力だ。 幸村は死にもの狂いで、勉強の遅れを取り戻した。 (もう嫌だ…。置いてかれるのは…嫌だ。離れるのも嫌だ) 発作的に、鞄に手を伸ばす。苛立ちに手が縺れながらも、携帯を取り出した。無性に――声が聞きたかった。 自分が産まれた日を、祝ってもらいたかった。 (忙しいかな…。もう帰ってる時間だとは思うけど……) 通話ボタンを押す。 何も初めてのことでもないのに、心臓が口から飛び出す勢いで跳ね上がった。 コールが鳴る。 一回。二回。 「―――?」 小さく聞こえるメロディは『早春賦』。丸井が「ジジ臭い」とバカにした。だけど、春らしくて好きな曲だな。と、自分が漏らした。 飛びつくように、出窓を開ける。自分の部屋の側面には道がある。下を覗き込めば、暗闇の中。なにやら慌てて荷物を置いて、コート内を探っている男がいた。気づけば、幸村は携帯を折りたたんでいた。 失った音に拍子抜けしたように、男の動きが止まる。 「真田!」 「――っ」 名を叫べば、顔がこちらに向けられた。そこに居たのは、確かに会いたいと切望した男だった。 「真田…なんで…」 嬉しさ半分、戸惑い半分。自然とにやける口元を抑えて、なおも身を乗り出す。 真田といえば――顔を真っ赤にして怒鳴った。 「なんて格好しているんだ! 幸村!」 「え…?」 一瞬なんのことだかわからなかったが、すぐに冷気が素肌を撫でる感触に身震いした。 「おっと、着替えてた最中だった」 「風邪ひくだろうがっ! さっさと着ろ。そして閉めろ!」 「今すぐ行くからっ! 待っててっ!」 言うとおりに閉めると、制服をもどかしくも脱ぎ捨てて、セーターとジーンズに着替える。階段を駆け降り、玄関で靴をつっかけて出て行った。 背後で祖母が「なにやってんの! 精市!」と怒っていたが、今はそれどころではない。 (真田…!) 白い息が、闇の中に溶け込む。丁度小道から出て来た真田と、角でぶつかってしまった。 「危ない…。そんなに急ぐな」 「だって…っ。真田…どうしたの? 家に帰ったんじゃなかったのか?」 「帰った。これを取りにな」 差し出されたのは、白いビニール袋に入った鉢植え。むっつりとした顔を、少々染めて、それを差し出す。 「これ?」 「誕生日、おめでとう」 「―――! 覚えてたのっ?」 「覚えている。当たり前だろう。お前の産まれた日だぞ?」 忘れるわけがないだろうと、心外そうに眉を顰められた。 「あ…ありがとう」 信じられない思いで、鉢植えを受け取る。中には二輪の、白く美しい花がひっそりと咲いていた。 ガーテニングが趣味な幸村は勿論、その名前を知っている。 「スノードロップ……」 鮮やかな緑色の茎。垂れた先に、鈴のように大きな花弁が丸まってあり。その中に小さなラッパのような花が護られている。 「キレイ…」 「お前…上着はどうしだんだ。寒いじゃないか」 「真田、この花が好きなの?」 早く家に戻れと、背を押そうとして、真田は止まった。 「なんでそう思うんだ?」 「え…。だって、オレこの花が好きだって真田に言ったことなかったと…思ったけど」 「そうだな…。うん――その…キレイな花だから」 「うん、オレも好きだよ」 なにやら口篭もる真田に、らしくない戸惑いを感じて、幸村は(おや?)と首を傾げた。もしかして、と知っている知識を口にしてみる。 「まさかの時の友」 「なんだ?」 「花言葉、逆境の中の希望や友情を意味する花なんだよ」 「そうなのか」 「知ってて選んだんじゃないのか?」 違ったか、と幸村は真田を見つめ続けた。根負けしたのか、それとも話終えなければ家に戻る気配のない幸村を心配したのか。 溜め息をつくと、言いにくそうに説明をした。 「ドイツの伝説だそうだ。天地創造の時、雪はなんの色も持っていなかった。雪は神のもとへと行き、風と自分だけは何の色も与えられていないと不平を言った。すると神は、花に色を貰いなさいと勧めた。だが、花たちは雪に色を与えようとしなかった。その時、ひとつだけ、色を分けてくれた花がある。それが白い――スノードロップだった。だから雪は、スノードロップのために地を覆い、冬の寒さから護っている」 言い終えた頃には耳まで赤く染めている。 「えーと…そのだな…だから」 「うん」 「恥ずかしいから。一回しか言わないぞ」 「うん」 「オレに色を分けたのは、お前だから」 「―――……」 「それだけ…言いたかっただけだ。その、寒いだろう。早く家に入れ」 「…………」 「な…泣くな」 無茶を言うなよ。 歪む視界の先で慌てる真田に、声にならない応えを返した。 「赤くなる…」 次の瞬間。 幸村はすっぽりと、その広い胸に包まれていた。 身長はそんなに変わらないのに、体格差がこんなにもある。でも体温は同じくらい。震える体も、同じだった。 「お前が泣く時は、盾になるって…約束したもんな」 しがみ付き、頬を胸に寄せれば、真田のコートは冷気を吸ってひんやりとしている。しかし、時が経つにつれ、何も感じなくなった。 瞳を閉じる。 広がる景色は、約束をしてくれたあの日の夕焼け。病院の屋上から何処までも続く、圧倒的な空の下。灰色の厚い雲。隙間に広がる、うっすらとした紅と紺の深く透き通った空。 大切なものを、ひとつひとつ失っていった。失うことに疲れて、声を上げて泣いた。 その時も――冷たく吹く風の、盾になってくれたのが真田だった。 どうして――どうしてこんな人がいるんだろう。 好きだ。好きだ。好きだ。 突き上げる激情に、身を捩るほどの悶えを覚える。 幸村は唇を噛み締めて――それに耐えた。 春は名のみの 風の寒さや谷の鶯 歌は思えど |
この話は書いている最中に幸村の病名がわかりました。
慌ててサイトから消したのですが、書き直してアップです。
最初はどうなることかと、自分でかってに思ってたのですが。
幸村は見事に幸村様でした。
こんな所で終って「え?」って思われるかもしれませんが。
二人の仲はまだまだこれからです。
オンとオフ。織り交ぜて、この二人の物語は続いていくと思います。
――確実にくっつく二人なので、そこはご心配なく(汗)
真田の兄の大樹は『性相近し〜』の方で、元『叔父』となっていた
ポジションにいます。サイトも書き直しました。
幸村の入院生活。真田との約束は『誰かの願いが叶うころ』に入ってます。
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