早春賦  二話



 大きく真田がクシャミをしたのはそんな時だ。

「なんだ、風邪か?」

「寒そうですもんね」

「――気を引き締めんとな」

 ジャッカルと赤也。二人に心配されて、真田はコートの前を手で閉じた。

「風が強いな」

「さっきまで囲まれてたから、わからなかったっすね」

 強い風に嬲られると、赤也の髪はあちこちに絡まる。面倒そうに手で髪を抑えていた。

「あ、今だけ帽子返しましょうか。寒くないっすか?」

「いい。気にするな。寒いならお前がかぶってろ」

 赤也が手に持っていた帽子を、一度だけ真田は受け取ると、そのまま頭に被せてやった。「えへへ」と、赤也ははにかんで、改めて帽子をきちんと被る。今回一番の戦利品、鬼の副部長の帽子だ。優越感があって当たり前だった。

 先ほどまで、テニス部男子生徒全員が真田の周囲を取り囲んでいた。同級生は互いを称えあい、下級生は涙ながらに思い出を欲しがった。女生徒が遠くで地団太を踏む中。ボタンから校章、果てはコートのボタンまでが奪い取られ、なんとも寒そうな格好となってしまっている。

「でも、一番寒そうなのはジャッカル先輩だよね」

「冬だけ伸ばしてもたかが知れてるしなあ」

 スキンヘッドの頭を後輩に指摘され、手で撫でながらこちらも笑った。

「だけどさ、野球部のヒト。夏から伸ばして、今は超ロン毛になってたじゃん」 

「ロン毛ねえ。見たいのか、赤也」

「うーん」と、ちょっとだけ考える素振りをしたが、すぐに「ハゲでいいや!」晴れやかに言い放ち、先輩に叩かれた。

「――おい、ゲン」

「兄さん」

 来賓口から出て来た、背の高い男が寄って来る。兄という単語に、ジャッカルと赤也は揃って驚いた。

「母さんは先に帰って、飯の支度するってさ。オレも一度職場に戻らなきゃなんないんだが……」

「わかりました。わざわざ来て頂いてすみません」

「父さんが来れりゃ、それに越したことはなかったんだがな。入学式は行きたいって漏らしてたぞ」

「忙しいのはわかってますから。それにそんな子供でもありません。兄さんもわざわざ来なくても…」

「わはははは! 可愛いやつめ〜」

「――やめてください」 

 揶揄するように、頬をつっつかれて真田は思わず赤面する。
 とても珍しいものを目撃してしまった。と、赤也とジャッカルは身を寄せ合って、ひそひそと話た。

(真田さんのお兄さんって初めて見たけど。体格以外は全然似てないっすね)

(オレもだ。なんか…すげえ、カッコ良くねえ?)

 中学生男子からすれば惚れ惚れとするほど、真田の兄は頼りがいのある大人で、標準以上に男前だった。秀麗な顔立ちは、弟よりも幾分甘めにできている。だが、体格は負けず、身長も上回っていて、スーツの上からでもしっかりとついた筋肉が見て取れた。
 こちらを窺っている二人に気づき、真田はどこか気恥ずかしそうに「兄だ」とだけ、紹介した。

「弟が世話になりました。テニス部の仲間かな?」

 低いバリトンは、女だったら腰を抜かす勢いで魅力的だ。赤也は我知らず、頬を赤らめてしまった。

「は…はいっす。そのっ。オレのほうこそ、お世話になりっぱなしっす!」

「あははは、可愛い後輩だな。しかし、さすがオレの弟だ。男にモテモテってあたりで泣けてくるぞ」

「見てたんですか……」

「ばっちり。ちなみに上から見てたから、歯噛みしている女の子達も見れたぞー。男にガードされて彼女ができない、か。高校生活頑張らなきゃな」

「何を頑張るんですか、何を」

「やだなー。むっつりめ。彼女の一人や二人。死ぬ気で作らないと、暗い男子校ライフを送ることになっちゃうぞ。すでにそんな気満々だけどさ」

「兄さん…」

「あ、でも変な女の子にひっかかったらお兄さんは、断固として阻止に走るので。女を見る目養わないとな。お前はこの兄から見ても、女に騙されていいように扱われる要素がたくさんだから」

「兄さん……」

「キレイな女に惚れられそうだけどさ。
お前ポヤポヤしてっから、一生他の女に目移りしないように呪縛し、尻に敷かれそうだもんなあ」

(お兄さん…ピンポイントで思い当たる人物がいます)
(その忠告は的を射てますが、既に遅い気満々です)

 赤也とジャッカルの脳裏に浮かんだ顔は、相談したわけでもないのに同一人物であった。

「いい加減にしてください!」

 怒りに声を震わす弟の背を、それは爽やかな笑顔で叩く。
 見守るはめになってしまった、赤也とジャッカルはありえない光景に息を詰めた。真田がいつ切れるか、気が気でなかったのだが、反撃は意外な形で行われた。横に顔を向けると、その先にいた教師の名を呼んだのだ。

「柴田先生!」

「おう、なんだ?」

 振り返った剣道部の顧問でもある教師に、すかさず「兄です」と紹介。その時の教師の百面相ぶりは天晴であった。

「真田大樹――っ!」

「げっ…っ」

「お前! 一度ぐらいはちゃんと顔見せに来いって言っただろう!」

「お久しぶりです…。柴田先輩……」

 怒涛の勢いで迫ってきた教師に、大樹はぎこちない笑みで対応した。真田は(先輩だったのか)と、初めて知る事実に多少驚きながらも、ジャッカルと赤也の腕を取って逃亡。

「あ、ゲン!」

「この間のOB会も来なかったろう。歴代の先輩方がそれはそれは残念がってだな…っ」

 背中で兄の呼びかけを跳ね返し、真田はズンズンとその場から離れていった。

「いいのか? 真田……」

「いい」

 ジャッカルの問いにも一刀両断。赤也は「ほえ〜。剣道部の上下関係って厳しいんすねえ」と、妙な所を感心している。

「武道は徹底しているからな。――ったく。幸村はどこに行ったんだ?」

 式が終ると同時にいなくなっていたのを、真田はちゃんと気づいていた。柳も一緒らしいので、さほど心配はしていないのだが、やはり見える所にいないのが気になった。

「幸村のことだから、どっかに隠れてんじゃねえ?」

「つーか、他の先輩達も全然見かけねえっすね。だから、テニス部全員が真田さんに集まっちまったんっすよ」

「まったく。協調性のない奴等だ」

「一緒にいたら、真田さんとお兄さんの面白いやりとりが見れたのに〜」

「あははははっ! お前も『弟』なんだなあ。真田」

 ジャカルと赤也。交互に揶揄されて、真田は掴んでいた二人の手を勢いよく離した。

「ぎゃ!」

「うわっ」

 二人はつんのめって、互いに支え合う形でなんとか止まる。
 一瞥すると、真田は改めて校舎のほうへと顔を向けた。校舎横の茂みの向こう側に、見知った背格好の生徒達が固まっているのを発見する。大股でそちらへと移動を始めた。

 矢先に、またもや邪魔が入った。

「真田――っ!」

「……!」

 横合いからタックルされて、油断していた真田はモロにしがみ付かれた。

「なんだっ」

 沸騰寸前で相手を確認すれば、嫌というほど見知った男。剣道部元部長、下津家だった。

「結局中学生活を、お前と共に過ごせなかったのが悔しいぞーっ! お前がいたら、絶対全国優勝だったのにっ!」

「えーい! 毎度毎度鬱陶しい! いい加減諦めんか!」

「諦めきれるかぁ! ちゃっかり二段まで昇進しおってっ。しかも個人で警察の大会に出て優勝しやがってっ」

「仕方ないだろうっ。オレにだって都合というものがあるのだ!」

「目の前に超高級の腕前があるのに、指をくわえて見てるしかなかったオレの情けない気持ちがわかるかっ?」

「だーかーら、わかるかっ! 自分達の力で勝てっ! 人を当てにするな!」

「当てにしないほどの実力があったら、こうしてしがみ付いてるわけなかろうが!」

「胸を張って言うことかっ!」

 どちらも百八十センチ台の長身の男が、くんずほぐれず。見ている分には、素晴らしく微笑ましくない光景に、赤也とジャッカルは二歩ほど退いた。

「高校で一緒に剣の道を極めよう! 真田!」

「はーなーせーっ!」

「ウンと言うまで放すものかっ」

「そうだ! 下津家っ」

「真田…っ。オレ達の悲願をわかってくれっ」

「増えるなあっ!」

「卒業式ってここまでハイになれるもんなんだなあ」

 他人事のように、ジャッカルは真田の周りをどこからともなく現れて取り囲む、剣道部員達を眺める。ガタイのよい兄ちゃん六人の男泣き。熱気がむんむんとして、寒さの中湯気が立ち上らんばかりだ。

「真田あーっ! いやさ、弦一郎っ」

「いい加減に…っ」

 忍耐も限界にきた真田は、手を振り上げようとして…。目標の人物が目の前から、一瞬にして消えたことに拍子抜けした。

「あ…」

 ズサササ――ッ!

 地を巨体が滑っていく。

 見事に倒れた剣道部元部長を、誰もが信じられずに、呆気に取られた。

 果たして何が起こったのか。

 脳味噌が状況を理解する前に、冷え冷えとした声が耳に突き刺さった。

「――ヒトのもんに何してくれてんだ」

「ゆ…」

 幸村。

 きちんと言葉にならない。ぽかんと口を開きっ放しで、見た先には轟然と立つ幸村が、地に倒れ伏した男に一瞥。
 のちに、真田と下津家を除いた全員が『衝撃映像。あの時ボクは見た』を、興奮気味に語ったものだ。

(――…今…)

(なんか、幸村精市が……)

(と…飛…?)

(回し蹴りが、横っつらに決まったような……)

 しかしそれは、あくまでのちほどの話。今は一斉に、皆が目を擦り始めた。

 ちなみにテニス部員も然りである。

 そんな緊張感溢れる中、真田はなんとか口を一端閉じて、再度開いた。

「幸村――…捜したぞ」

「あ、ごめんね。真田」

「そこかよっ!」

 誰もが突っ込めなかったところを、下津家がガバリと起き上がって言った。

「ちっ。生きてたか」

「幸村くんっ? きみキャラ変わってないかっ?」

「――あまり無茶をするな。勢いあまってお前まで転んだらどうする気だ」

「そうだね。ごめんね、真田」

「うおいっ!」

「いつまで経っても落ち着きのない男だな」

 真田に向けていた顔を下津家に向けた途端に、言葉使いまでもが、大魔人もかくやの変わりようを見せる。離れて全てを一望できた、周囲の者達は全員目頭をおさえた。

「アホか! ヘタしたら死んでいたオレのほうこそ労れ、真田!」

「いや…。現にお前無傷だからなあ」

「その顔に騙されるなっ! 色香に惑うなっ! 悪魔だぞっ? 鬼だぞっ?」

 勢い余って怒鳴りつけた下津家に、幸村は拝んだ者を心底まで凍らせる冷笑を浴びせた。

「相変わらず、言いたい放題言ってくれるじゃないか、下の毛。下品なのは苗字と顔だけにしとけよ」

「下津家だっ!」

 普段ならばここから、二人の舌尖が繰り広げられるところである。そして大概幸村が圧勝で終るのだが、本日はどうも違った。

「大体な! 何度も言うが、真田は剣道をすべきなんだっ。テニスでもそりゃ天才だとは思うぞ? しかし、どう見たってテニスというより剣道のツラだろうがっ」

「ツラって…」

 攻撃目標がテニス部ではなく真田というのは珍しかった。テニス会場で散々「オヤジ」扱いされてきた(特に山吹のオレンジ頭とか氷帝のオレ様とか)真田は思わずショボンと己の顔を摩る。

「真田――。オレはお前ほどカッコ良い男を見たことはないよ」

 幸村は先ほどまで下津家に向けていた剣呑さを、見事に消しさると寄り添うようにその手を取った。

「お前は素晴らしい男だ。オレが女だったら、出会った瞬間から一生離さなかったろう……」

「幸村……」

「そこ雰囲気作るとこ違う! 照れるとこ違う!」

「確かにオレは未熟な部長だった。こんなオレを立て、テニス部を引っ張ってくれてありがとう。感謝してもし足りない」

「何を言っているんだ、幸村! オレはお前がいたから、テニスを続けたんだ。お前は立派だった。オレこそ、女であったらお前に確実に惚れていただろう」

「なんでオレを無視して見つめあってんだっ!」

 互いに手を取り合いながら、顔を寄せ合う。その姿はどう見ても恋人同士、愛の語らいの図であった。

「オレは――高校でもきっと、今までの実力は出せなくなっているだろうし、皆についていくこともできないかもしれない。でも…お前とまた、同等に打ち合いたい」

「幸村――オレもだ」

「――-………」

 さすがに下津家も、そこはぐっと黙る。男として、同級生として言っていいことと悪いことの区別ぐらいはついた。
 しかし、幸村はそんな粛然とした下津家をヒョイと見ると、にやりと笑み、

「悔しかったら、お前も色香というヤツを使ってみろ」
と、言い放った。

 呆気。

 まさしく、それしか表現のしようがない。

 だが、次に下津家を襲った感情は、爽快なまでのおかしさだった。
 破顔一笑。豪快な笑い声が、辺りに響く。

「まいった。まいったよ。さすがは、王者立海の部長だ」

「なに言ってんだか」

「高校行っても、オレは諦めないぞ。また、お前と真田を取り合う日々だな」

「ないない。取り合うもない。いい加減諦めろ、バカ」

「――ほっんとうに可愛くない男だな」

「もういいだろう、二人とも」

 本人の意思を一切無視して、男二人に争奪されていた真田は、長嘆すると幸村の肩を抱いて自分のほうへと、下津家から引き離した。

「こんな所でオレになんかかまってないで、柴田先生の所に行け、下津家よ。伝説のオレの兄がいるから」

 心の中で(兄さん、すまん)と謝りながらも、場の収集を考えて兄を売った。その効果は絶大で、剣道部員が余す所なく色めき立つ。

「それは本当かっ!」

「あの、日本一まで上り詰めた!」

「伝説の剣豪!」

「――仕事があるから、すぐにいなくなるぞ。早く行って、日本一になった時の話でもしてもらってこい」

 少年たちは、顔中を輝かせて挨拶もそこそこに、我先にと柴田を捜しに走り出した。テニス部員だけが残された所で、真田は幸村を解放した。

「お前等も、見ているだけでなくて助けようとは思わんのか」

「どっから入って、どっから出りゃいーんだよ」
 丸井があっけらかんと、肩を竦めれば「同感です。真剣で斬りあっている者達の間に割って入るようなものです」とは柳生の意見だ。

「馬に蹴られるようなもんじゃしのう」

「仁王の言うとおりだな。弦一郎以外に、誰が止められようか」

「それに、なんだかんだ言って、けっこう楽しそうじゃん」

 仁王、柳に続いて、ジャッカルが洩らした感想はいただけなかった。ギロリと、真田と幸村に睨まれて、慌てて目を逸らす。

「ま、ま! せっかくやっと先輩達が集まったんだし! 記念写真撮りましょーよ! オレカメラマンしますからね?」

 場を取り繕うように、赤也が申し出る。そこで当初の目的を皆が思い出した。

「そうじゃのう。じゃあ、このデジカメで」

 仁王がポケットから小型のカメラを取り出す。女生徒達がそれぞれのカメラを持ち回りで、何枚も撮っている中。そこまで気の回らない男子生徒は、一人か二人持参しているのがせいぜいだ。
 この面子では、仁王と柳生以外持っきそうな者はまずない。
 赤也はそれを受け取ると、「じゃあ、その樹の前…ベンチで撮りましょう! 三人ぐらい座って、あとは後ろに立ってくださーい。ちゃんと全員入るように…」元気よく指示を出す。が、液晶画面を覗き込み、フレームを確認しながら――咽がつまるような感覚が、どっと胸まで降りてきた。

 仁王・柳生・丸井・ジャッカルが立ち。ベンチには柳・幸村・真田が座る。

「撮るっすよー」

 自然、声から力が抜けた。

 フレームの中にいる七人。この全員の中に、確かに夏までは自分も入っていたのだ。

 でも――1人だけ、今はフレームの外。

 それを思ったら、たまらなくなった。

 シャッターを押す。

 二枚押したところで、柳の穏やかな声が、赤也の柔らかい部分をそっと撫でた。

「バカだな。泣くヤツがあるか。――これからはお前が王者立海を率いるんだから」

 堰を切ったように、ボロボロと涙が頬を伝って。とても情けないとは思ったが、この人達の前で繕うものなんてない。

「うーっ! オレ。オレがんばるっす! がんばるっす!」

 袖でぐいっと目元を拭った。歯を一生懸命噛み締めながらも、大きく息を吸い込む。力をこめて、腹の底から大声を張り上げた。

「ご卒業! おめでとうございますっ!」

 全員が笑顔で応えたのは、言うまでもない。

 















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