早春賦  1話






 

 

「桜が咲いているってことは、春なんだよね」

「春の代名詞だからな」

「―――それにしちゃ…凄い寒くないか」

「関西では昨日雪が降ったそうだ。今日あたりは、こちらでも降るかもとあったが…。降ってもおかしくないぐらいの寒さだな」

「うん。すんごく寒い。鼻水たれそうだ」

「風邪と花粉症。どっちだ?」

「どっちでもないと思いたいが……」

「花粉が二十〜三十粒でも鼻の粘膜についたら、花粉症になるらしいからな」

「そうか…。今日からペパーミントティー飲もう……」

「効果のほど、あとで教えてくれ」

「うん。自家製だよ。今度あげようか」

「興味はあるな。ティッシュいるか?」

「ありがとう」

 差し出されたポケットティッシュで、鼻を思いきりかんだ所で、頭上から呆れたような声が降ってきた。

「――幸村くん、柳くん。君たちはいったいこんな所で何しているんですか?」

「あや…みづがった…」

「ちゃんと鼻をかんでから喋れ、精市」

「こんな所で隠れて泣いてたんですか」

「そうなんだ、柳生」

「嘘をつくな、嘘を」

 しれっと答えた幸村を、すかさず柳が窘める。それを見下ろす形となった柳生は、ますます呆れた。

「皆が君たちを捜し回ってましたよ」

「だから、こうして隠れてるんじゃないか」

「でも幸村くん。真田くんも捜してましたよ」

「―――……。そうか、じゃあ仕方ないな」

 なにが仕方ないのか。柳は心の中でそっと突っ込むも、やれやれと一緒に腰を上げた。

「――と、いいますか。何も卒業式に、こんな渡り廊下の外で座り込んでることないと思いますが」

 柳生の疑問ももっともで、二人は自分達の卒業式だというのに、式が終ると同時に姿を消している。たまたま柳生は一号棟と二号棟の渡り廊下を通ったところ、話し声に気づき手すりから身を乗り出してみたら、二人を発見して驚いたのだった。コートとマフラーで完全防備し、小さく丸まって座っている二人というのは珍しいというより正直不気味だ。

「謝恩会が始まるまで隠れているつもりだったんだよ」

「何故ですか」

「この寒空の下、制服のボタンを毟り取られるのは嫌だ。式が終ったと同時に集団で追いかけられたぞ。たまったもんじゃない」

 心底嫌そうに答えた幸村に、柳生は「ああ、なるほど」と納得した。確かに、幸村は下級生によくもてる。尚且つ男にまで、不純、純粋両方の意味でもてた。幸村を血まなこになって捜していた、半分は男子だったのを、柳生は思い出す。

 昨年いっぱい、病に苦しんだ幸村を、薄倖の佳人などと夢想して憧れるバカ者が多いのも一端だ。

「オレは付き合いだ。精市が一人でいるところ見つかって、囲まれた挙句にキレられたら困るからな」

「―――蓮二。なんでついてくるのかと思ったら、そんな理由か」

 じろり、と幸村が睨むも、柳はどこ吹く風と気にせず、きちんと答えた。

「当たり前だ。お前のことだから、囲まれたと同時に卒業するんだ。せいせいする、とかなんとか抜かして、暴言吐きまくり、信者を一掃する気だろう。高等部は目と鼻の先なんだぞ」

「信者? なにそれ。オレは不動峰の橘か? どっちかというとお前のほうが信者多い気がするぞ」

「柳くんの場合は信者というより、信望者じゃないですか?」

「そう言うお前はどうなんだ、柳生」

「ははは…。御覧の通りですよ」

 立ち上がった柳は、渡り廊下内に立つ柳生の全身を覗き込んだ。
 室内を動き回っていたのだろう柳生は、コートを手に持っており、ブレザーだけを羽織っていた。そのブレザーにはボタンがひとつもない。校章も名札もキレイになくなっていた。

「寒くないか?」

「寒いですよ…。ですが、女生徒に囲まれて嫌とはいえませんでした。勘弁して下さいって頼んだんですが、泣かれるとどうにも……」

「そうか、お前には泣き落とし作戦でいったか」

「作戦…なんですか?」

 首を傾げた柳生に、幸村は哀れむように目を細めた。

「運動部の女生徒達の間で、ボタン獲得率リストってのが出回ってるんだ。果敢な女性徒は上位の男にアタックし、堅実な女生徒はランク外の男子を狙う。ちなみに、部活対抗でどれぐらいランク上の男子生徒のボタンを集められるかを競いあっているらしい」


「はあ……」

「テニス部は上位なんだ。今頃、丸井と桑原…真田もやられているだろうな」

「各運動部部長のボタンはプレミア物らしいぞ。一位のテニス部部長の第二ボタンは、それだけで優勝なんだそうだ」

 柳も肩を竦めて説明を付け加える。

「優勝って…、なんですかそれは」

「シャワー室優先権」

「迷惑な話だ。人のボタンで遊ぶな。ランク付けなんてもってのほかだ。大体オレは天然記念物か、未確認生物か」

「そう憤慨するな。結局お前は守り通したんだから」

「知ってたなら教えて下さいよ。だから柳くんも逃げてたんですね?」

「まあなあ…。こう言ってはなんだが…、カケの対象だと知っていい気はするまい? 本気で思いつめて来られても困るが」

「まったく、冗談じゃない」

「でも幸村くんなら、本命の子だって多数おりますでしょう」

「だったら尚更あげないよ」

 きっぱりと、幸村は言い切った。

「そんなこと言うけど、柳生はどうなのさ。本命の子でもできたのか? 第二ボタンは誰にあげたんだ」

「第二…ボタンですか…」

 言いよどむ柳生に、幸村は尚も「そうだよ」と促す。

「二つめのボタンでしたら…、仁王くんに持ってかれましたよ」

「………」

「………」

 幸村と柳は思わず互いを見合わすと、揃って口を開いた。

「それは、おめでとう」

「荊の道だとは思うが、友人として応援するよ」

「わざとらしく気色の悪いこと言わないで下さい」

 この男にしては珍しく、顔を思いっきり歪めると吐き捨てるように毒づく。

「あの人は卒業式が終ると同時に、勝手にハサミ持って迫ってきたんですよ。今の話を聞いて納得しました。ボタン争奪戦の話、仁王くんも知ってますね?」

 先ほどの話題で出なかった仁王の名前を、柳生は目敏くも気づいていた。

「さあ。でも、まあ仁王のことだしね」

「そうだな…。オレ達も別にそれぞれ得た情報だからな」

「いつか君たちとは『仲間意識』について語りあってみたいところですよ」

「望むところだ」

「望むぐらいなら、態度で示してくださいよ。幸村くん」

 口ではそう言いつつも、既に諦めている柳生であった。大体において、個性豊かで主張の激しいテニス部員を纏めあげているのは真田で、幸村の役割といえばその上で、でんと構えていることである。なにやら真田にとっては理不尽な力関係だが、本人が気にしていないなのだから、それでいいのだろう。

「真田くんにも、では教えてさしあげなかったのですね」

「……会ったんだろう?」

「ええ、でもコートを着ていたので、中身までは」

「そう」

 幸村が歩き出したので、柳生は慌てて上履きから持っていた靴に履き替えて追いかけた。柳はやれやれと、前をゆく幸村に早足で近寄ると肩を並べる。

「だから弦一郎に言っておけば良かったんだ」

「なんて言うんだ。女生徒がお前のボタンを狙っているから死守しろって? 無駄だよ。泣かれて頼まれて、断れるものか」

「それはそうだが」

「それとも先に貰っておくべきだったって? できるわけがない」

「意地っ張りめ」

 ぴたり、と幸村は足を止めると、鋭い眼光を向けた。

「お前ならどうする。卒業式に、同級生の男から第二ボタンをくれなどと言われたら」

「―――悪かった。軽率だった」

 弦一郎だったら訳もわからず簡単に渡してくれそうな気はするんだがな。柳は思ったが、多分それを承知の上で、本気で恐れているのだろう幸村に、何も言えなかった。

「待ちたまえ、幸村くん」

 立ち止まったことで、柳生が追いつく。その肩を掴むと、なにやら鞄の中から小さな包みを取り出した。

「謝恩会のあとにでも渡そうと思ってたんですが、君はさっさと帰りそうなので、今渡します。お誕生日おめでとうございます」

 きょとん、と幸村は目を丸くしながら、それを受け取る。

「ありがとう……。覚えてたんだ」

「覚えておりますよ。卒業式と重なったってこともありますけど」

「それでも…言っちゃ悪いが、珍しいよね」

 中学生男子の間で、誕生日プレゼントの交換などまずない。よくて、ジュースや菓子を奢るくらいだ。このように包装された物を、実は初めて貰った幸村である。

「大したものでもありませんし。それに、三年間テニスでお世話になったってのも含めましてね」

「――二年間だけだよ」

「いいえ、三年間です。あなたがいたから、わたしも頑張れました」

「開けていいかい?」

「どうぞ」

 花柄の包みを、幸村はかじかむ指でなんとか開いていく。開けたと同時にはにかんだ。

「お守りか。この包装は柳生がしたの?」

 掌にコロンと落ちてきたのは、小さな木彫りの狐だ。首の後ろに赤い紐がついている。

「残念ながら、妹ですよ。今そういうのにこってるんだそうです。キラキラ光る立体シールも貼られそうになって、慌ててやめさせたんですが」

「可愛いな。どこのお守りだい?」

「この間鎌倉に行ってきたんです。佐助稲荷神社のお守りです。去年は残念な結果になりましたしね。今年こそ、万全の体調で挑めるようにと」

「ふふ、ありがとう。大切にするよ」

「これで暫くは皆同じ年だな。おめでとう、精市」

 柳もその肩を叩く。

「ありがとう。本当に暫くだけどね。来月には丸井が、再来月には真田だ」

「真田はともかく、丸井と殆ど一年離れているってのは不思議だな」

「そんな事言うと丸井が怒るよ」

 微笑む幸村の名前を、遠くで呼ぶ声が聞こえたのは同時だった。

「噂をすれば影だ」


 校舎の正面玄関前は、保護者と生徒で溢れている。その中から一人、小柄な少年が手を振り上げてこちらに駆けて来た。

「幸村―! 捜したぜ!」

「丸井…。君も見事に取られたみたいだね」

 三人の前で息をつく丸井は、ブレザーにボタンどころか校章や名札、ネクタイまでもが無い。見事なまでに、簡素になった学生服姿に、三人は呆気に取られた。が、本人はさほど気にしてないらしく、無邪気に笑っている。

「へへ〜、ボタンって言っても二個しかないじゃなん。その内一個は仁王が持ってったからさ。女の子の間で一個を巡っての壮絶な闘いになっちまって。仕方なくな。もてる男は辛いぜ」

「もてる…ねえ。追いはぎの間違いじゃ…」

「精市」

 おっとりと毒を吐く友人を、柳が窘める。幸村は肩を竦めた。

「見つかったら二の舞だな。もうちょっと、校舎の影に行こうよ」

 さすがにもみくちゃにされるのは御免だ、特に幸村を慮って少しばかり移動した。

「真田は? 知らないか、丸井」

「さっきまでテニス部の後輩達に、ジャッカルと一緒に囲まれてたぜ。んでんで! これ、はい幸村へ!」

 なにやら興奮冷め遣らぬ状態の丸井は、頬を赤く染めて顔中で笑うと握り緊めていた拳を開く。

「……え?」

「誕生日おめでとー!」

 全員がそれに注目した。そこにあったには、見慣れた銀色のボタン。
 暫く、全員が無言でそれに見入った。丸井だけが、満足気に胸を張っている。

「丸井……」

 最初に口を開いたのは幸村で、その手をそっと押し返した。

「悪いけど、君の気持ちは受け取れないよ。オレには心に決めた人がいるんだ」

「たまに幸村ってボケるよね。それって素? わざと?」

「冗談に真面目に返されるほど辛いものはないな。誰のだか言ってから渡してくれよ。お前のは仁王が持ってったんだろ?」

 ――冗談だったのか。

 柳生と柳は揃って胸を撫で下ろした。幸村が口にすると、その手の冗談が冗談に聞こえないあたり性質が悪い。

「そこら辺のボタンなんかプレゼントするかよ。プレミア第二位の代物だぜ」

 一位がテニス部部長なのだから、二位といえば考えるまでもなかった。

「……毟り取ってきたのか?」

「泣き落とし」

 けろり、と答えた丸井に、柳生と柳は天を仰いだ。

「弦一郎は、お前ごときの泣き落としにまでひっかかるのか」

 今頃はシャツのボタンまで取られているんじゃないだろうか。柳は自分がついて行かなかったことを後悔した。

「んーと、簡単だったぜ。『ボタン仁王に取られちゃったよ〜。オレ、弟達の為にも制服はキレイなまま取っておこうと思ったのに〜』って、泣いたらくれた」

「なるほど…。まさに情に訴えたのですね」

 妹を持っている柳生は、そう言われれば自分も騙されたかも。と、納得する。

「ちなみに真田は怒って、仁王を追いかけてった」

「お前のせいで、追いかけ回されたわ」

「うお!」

 いきなり背後を取られて、丸井は慄いた。振り返れば、やはりボタンも校章も無い仁王が立っている。

「んだよ! 自業自得だろ! お前ボタン集めて回ってなにやってんだよっ」

「幸村、お前どこに隠れてたんじゃ?」

 あっさりとその問いを無視すると、仁王は幸村へと歩みを進めた。

「中庭だよ」

「そうか。誕生日おめでとうと、言おうと思って捜しとったん…」

 伸ばされた仁王の手が、バシっと叩かれる。

「ありがとう」

「…だから、幸村」

 バシっと再度、幸村へと伸ばした仁王の手が叩かれた。

「幸村さん?」

「ボタンはあげない」

「そんな! お前はオレのことをそんな目で見てたんかっ?」

 叩かれた手を抱き締めて、仁王は衝撃を隠し切れないように嘆く。皆の白々とした視線の中。幸村は「仁王…」と、優しく名を呼んだ。

「半々」

「――せめて6:4で」

 釣られて答えてしまったのが運の尽き。幸村はその手を掴んで、捩じり上げた。

「貴様、やはり金か」

 金――、と聞くと同時に、丸井と柳生は全てを理解して憤慨する。

「ええ〜〜っ! ずりぃー! オレのボタン売ったのかよ!」

「仁王くん…。君という人は…」

「いだだだだっ! 誘導尋問なんて卑怯じゃー!」

「なにが卑怯だ。仁王、全部それぞれに返しなさい」

 手を離されると、慌てて仁王は幸村から遠ざかった。

「――オレのもかい」

「当たり前だろう。情けないことをするな」

「わーかりました。ちょっとしたお祭り騒ぎに便乗しただけなんじゃがな」

 悪びれなくも、捩じられた腕を撫でる。しかし勝手にボタンを奪われた丸井と柳生は、それで治まるわけがなかった。

「なーに言ってんだよ!」

「まったく、少しは常識というものを考えなさい」

「硬い奴等じゃのう。仕方ないじゃろうが、女子テニス部の連中に鬼気迫る表情で頼まれたんじゃから」

「買収されたの間違いでしょう?」

「あほう。アレで断っとったら命がなかぞ。大体集団でテニス部襲ってボタンをせしめようとしていた女子を宥めて、オレが貧乏くじひいてやったんじゃ」

「だったらボランティアでやんなさい」

 しごくもっともな意見を、幸村は止めと口にする。
 身長も体格も、まったくもって仁王のほうがあるのだが、放たれる威厳が違う。仁王は渋々と、承諾するしかない。
 さすが、我等が部長と仰いだ人物だ。と、それぞれが感心するなか、丸井は改めて手の物を丸井へと差し出した。

「幸村、でもこれはちゃんと真田から貰ったものだからさ」

「……いいんだよ、真田に返してやって」

 苦笑して戻され、丸井は目を見開く。

「なんで? やっぱ本人から…直接のほうがよかったか? オレ余計なことしちゃった?」

 途端、しゅんと項垂れた友人に、幸村は慌てて「違うよ」と否定して、決まりわるそうに言葉を濁した。

「――その…恥ずかしい話なんだけど。そのボタンがオレのだ」

「―――……は?」

 立ち尽くす五人の間を、いっそう冷たい風が吹く。ぽかん、と間抜けにも口を開いて固まったのは、何も丸井だけではない。冷静沈着と名高い柳までもが、呆気に取られた。

「なんと言うか…。手術終ったあとも、部活できなかったじゃない。一人で部室にいることもしばしあったし…」

「ま…まさか、弦一郎のブレザーからボタン引っぺがして、自分のと取り替えた……のか?」

 恐る恐るとだが、柳が問えば、他のメンバーは生唾を飲み込む。

「違うよ。真田のボタンが取れてたから、付けてあげるって申し出たんだよ。さっきも言ったけど、暇だったから。――で、ちょっとこう…魔が差したというか」

 照れ笑いで誤魔化す幸村に、全員が(――取れたボタンというのは、そんなに運よく第二だったんですか)と、突っ込みを入れたかったが、一生懸命押し留まった。

「……だから余裕で弦一郎を放っておいたんだな。そして自分は雲隠れか……」

「いいじゃないか。人の恋路を邪魔する者は、殺されても文句言えないんだぞ」

(大きく違うと思います……)

 しかしやはり誰も突っ込むことはできなかった。それこそ命を捨てる覚悟で来いと、幸村が言っているのは一々尋ねなくてもわかる。

「わかったよう。幸村のボタンは守り通してやるから。とりあえず真田とジャッカルを探して、一緒に写真を撮ろう?」

 泣きそうな顔で丸井が提案をすれば、他のメンバーは黙って頷く。幸村といえば「恥ずかしい…」と、今更ながらに恥じ入った。その姿だけ見れば、匂うような艶がある。全員がその外見と中身のギャップに遠い目をした。

 

 












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