ビューティフルデイズ 最終話





 

「―――き」

 ゆさゆさと、躰を揺すられている。

「―――づきってば」

 誰かが一生懸命耳元で怒鳴っていた。煩わしげに頭を振る。

(うるさい、僕は眠いんだ…)

「観月ってば!」

「赤澤っ!」

 がばり、と躰を起こした。 
 眠っていた頭が一気に覚醒する。

 何故寝てしまったんだ、と後悔するや否や「おい?」と声をかけられて、反射的にそちらを見た。

「観月…お前こんな所で寝てたら風邪ひくぜ? 四月とはいえまだ寒いしよ」

 ぽかん、とまぬけ面で自分を気遣うように様子を伺う男を、凝視して固まる。

「おい…まだ寝てんのか、観月」

 目の前で掌をひらひらと翳された。

 小麦色の肌。よく見ればそれなりに整った顔立ち。肩に届くそれはいつも鬱陶しいから切れと言ってはいるものの、実は気にいってたりする黒髪。

「赤澤」
「うん。大丈夫かよ…なんだ? 恐い夢でも見てたのか?」

 訝しげに問われ、その意味することを察して慌てて目元に手をやった。濡れていることにビックリする。

「な…なんで泣いてるんでしょう。僕…」
「さあ? つかもう部員誰もいないじゃん。オレが来なかったらお前いつまで寝てる気だったわけ」
「いつまでって……」

 周りをきょろきょろと見回すと、そこは確かにテニス部の部室だった。

 自分の着ているものはテニス部特製のジャージ。赤澤を見れば聖ルドルフ高等部の制服。

「今日は新入生仮入部か。どうだった?」
「えーと…赤澤はなんで制服なんですか」
「はあ? って、今日は初の部長会だってお前知ってるだろうが。長引いて部活時間内に間に合わなかったんだけどよ。朝練で使ったタオルロッカーに入れっぱなしだったから取りに来たわけよ。そしたらお前が涙流してテーブルに突っ伏して熟睡してたんだな、これが」
 丁寧に説明されて、止まっていた頭が動き出す。そして赤面してしまった。
「そ…そうでした。なんか夢と現実がごっちゃになってたみたいです。新入生は二人ばっかいい人材が居ましたよ。それの練習メニューを考えてたんでした」
「熱心なのはいいけどさ。ちゃんと休む時は休めよ」
「何言ってるんですか。今年こそ全国優勝ですよ」

 恥かしさを紛らわすためにあえて強気に出てみた。赤澤は軽く「わかってるよ」といなす。
「でももう真っ暗だし。寮に帰ろうぜ」
「―――そうですね。僕としたことが不覚でした」

 促されて慌てて立ち上がる。制服に着替えようかと思ったが、どうせ近いしと止めた。これ以上赤澤を待たすのも悪い。
 荷物を持つと部室のプレハブから出る。冷たいけれど、どこか優しい春の風が吹いた。

 部室の鍵を締めて、赤澤の隣を歩く。高校に上がり、一気に背の伸びた赤澤は易々と百八十センチを越えていた。妬ましさを感じるとともに、羨ましい。頭の上から彼の声がした。
「あのさ、ちょうど桜の時期だし遠回りして行かないか?」
 何が嬉しいのか、はしゃいでいる図体のでかい男を呆れて見上げるも、先ほどの恥かしいところを見られた弱みもあり「いいですけど……」と、渋々頷く。
「さっき通ったけどキレイだぜー」
「さっき通った?」
「……あ」
 まずった、と口に手をあてる赤澤に、察しの良い観月は気づいてしまった。部長会が終ったあと、この男は一度寮に帰ったのだ。だがそこに自分がいなかったものだから、わざわざ戻ってきたのだろう。おかしいと思ったのだ、この怠惰な男が朝練で使っただけのタオルを取りにわざわざ部室に来るわけがない。

 観月がじいっと赤澤を見つめたものだから、居心地が悪くなったのだろう。わざとらしく咳をすると「そういえば」と話題を唐突に変えた。

「さっき、何の夢を見てたんだよ。恐い夢か?」
 子供扱いのように、頭を撫でられてムッとする。その手を払いのけようと思ったのだが、ふいに体温を感じて意識すると思いとどまった。

「―――恐い、夢だった気がします」

 忘れてしまいましたが、と付け加えながら観月は並木に目をやる。

 花弁が目の前に、雪のように落ちてくる。
 くるくると回っては、街灯に反射した。
 闇夜に白く浮かぶ、満開の桜たち。
 夢のように美しい景色だ。

 ―――夢…どっちが?

 胸の中が、いきなり不安にざわめいた。が、

「そっか。でも、夢でよかったな」

 そう、赤澤があまりに優しく笑うから…

 観月は頭に置いてある手を掴むと、ぎゅっと握った。

「……?」

 不思議そうに見られたが、観月は何も言わずに手に力を込める。赤澤も頭から手を下ろして、握り返してくれた。

 じんわりとした温もりが、手から心まで繋がる。
 桜は可憐に、強く咲き誇り。

 黙って手を繋いだまま、その下をゆっくりと二人は、

 ――――歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その手を離さなくて 本当に良かった
 夢を叶える途中で出逢った二人だから

 うまくいかない毎日に つまづいてばかりだけど
 ひとりで受け止めてた さびしさを持ち寄って
 おかえりと言い合える この場所があるのならば

 長い長い道だから、手を繋いでいてね
 時々弱気になるから、あなたは味方でいてね

 ずっとずっと ほんとうにずっと

 そしていつの日かふりかえって
 しあわせに目をみはろう

 長い長い夜を越え今確かに誓うよ

 あなたの隣で生きていこう

 美しい日々を

 

  

 この美しい日々を……

 

















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