ビューティフルデイズ 6話



 

 職場に電話がいきなりかかってきて呼び出しをくらった。

 急いで必ず来い、と命令されたので仕方なく柳沢は車で待ち合わせの場所へと急ぐ。九段下の駅で呼び出した相手――木更津を拾うと、目的の場所へとまた移動した。

「一体何がどうなってんだーね?」
「……その喋り方久し振りに聞いたね」
「うっ…しまった。ついつい淳と居ると出ちゃうわ」
「柳沢らしいからオレは好きだけどね。つか職場では出さないの?」
「……郵便局長に殺されるだよ」
「あはは、面白くていいと思うけどねー」
「うっさいわい。…で、一体急に呼び出した理由は? 今から観月のところに行って何するんだよ」
「だーね。って言ってよ」
「………あのなあ」
「いいじゃん、慎也の住んでる緑ヶ丘と新地なんて近い近い。ってかねー…観月と連絡が取れないんだ。全然」

 助手席のシートに背を沈ませて、木更津は困ったように笑った。
「連絡? 仕事の連絡か?」
「いや、仕事自体は半月も前に終ってるよ。原稿送られてきたけど……それ以来会えないんだよ。昼間はいつもいないみたいだし、携帯の電源は切られてるし……。他の出版社の人にもそれとなく聞いてみたんだけど、どうにも今年の最後あたりからしか仕事受けてないみたい」
「そういや、まだ新年会もしてないだーね…おっと」
「もうムリして喋らなくていいって。そうだよね、いつもなら三日に新年会してるのに――赤澤も捕まらないんだよ」
「赤澤も?」
「―――あの二人別れたんだって」
「ふーん…ええっ? はい?」
「気持ちはわかるけど前見て! 前!」

 いきなり横からベンツに割り込まれて二人は焦る。これだから高級車様はよ、といつもなら悪態をつくのだが、柳沢はとても情けない顔で隣の親友を見た。

「別れたって…何が?」
「だから、赤澤と観月。半月ほど前かな、相談されたんだよね。赤澤から言い出したらしいよ」
「赤澤から〜? 何の冗談だ」
「ねえ? もう観月すっごい落ち込んでてさー、見てられなかったから『もう一度話しあえ』って勧めたんだよね。それからどうなったのかわからないまま、音信不通になっちゃってさ……」
「―――ちょっと待て、淳。なんでそんな恐い状況を今まで黙ってた」
「今教えたじゃない。んで、直接様子見に行くわけよ。赤澤の電話番号変わったの、聞いてる?」
「変わった…のか?」
「変わった。少なくとも家電話も通じない。しかももっと恐い話があります」
「聞きたくありません」
「赤澤、仕事辞めてた」
「ぎゃーっ!」
「安全運転してね!」
「無茶言うなーっ。車線変更してる最中狙うなあっ」

 夜道に、前方のハザードランプが光る。はるか向こうは赤いランプの川だ。

 しばし車内に、流していたラジオの音だけが響く。

「―――観月…思いあまってブスッっといってなきゃいいけど」

 ぼそり、と木更津に呟かれた柳沢は、季節はずれの怪談に本気で泣きそうになった。

 

 

 目的のマンションに着き、その前に車を停める。数週間前に降った雪が、隅っこで解けずに黒くなっていたこともあって寒さは格別だ。二人は息を真っ白に染めながら外に出て、観月の部屋に目をやる。
「居るね。居留守使われないようにしないと」
 きらり、と目を光らせて何故か原稿取り立てモードに入った木更津を、柳沢は寒々と眺めた。
 玄関前まで行くと、木更津が携帯を取り出し鳴らす。

「―――出ないし……」
 舌打ちをすると、仕方なくインターホンを押した。
 二度、三度と鳴らすが中からはうんともすんとも返ってこない。
「みーづーきくーん!」
 どんどんどん。と、戸を叩き始める木更津に容赦はない。
 近所迷惑を気にしたのか、渋々とドアが開けられた。

「……今、締め切り持ってないですよ、僕は」
「なーにぬかしてくれちゃうかな。この男は」
「飲んでるんですか、木更津」
 この問いかけは隣に立っていた柳沢へと投げられたものだ。
「飲んで無いよ。観月、久し振りだーね。つか明けましておめでとう?」
「おめでとうございます――――なんですか、二人揃って」
「なんですかじゃないでしょう。とにかく、寒いから上げて」
「……いきなり訪れてきて図々しい人たちですね」
 顔を顰めながらも、観月は仕方なしにドアを開けて二人を迎え入れた。

 暖房の入っている部屋に通されて、来客者はコートを脱ぐ。観月はヤカンを火にかけた。

「で、一体何の御用でしょうか」
 お茶の準備をしながら、背後で勝手にくつろぎ始めた友人達に批難の視線を投げる。柳沢は首を竦めたが、木更津は真剣な顔で堂々とそれを受けた。
「観月…正直に答えてね」
「なんですか藪から棒に」

「―――赤澤、ヤっちゃったの?」

「……………はあ〜?」

「淳…淳、お願いだからもうちっと気を使って喋るだーね」
「気使う相手なら使うよ」
「使いなさい。存分に使いなさい」
「もうヤダ。お前等の会話は昔から恐いからヤダ」
 カップにポットと茶漉しを持ってテーブルの上に置くと、観月は仁王立ちして二人を睥睨した。
「揶揄いに来たんですか、あなた方は」
「複数形にしないで……淳だから、言ってるの」
「だってさ。観月連絡全然取れないんだもん。驚くじゃん」
「そんな時もあります」
「―――本当なら聞きたくないけど…赤澤とどうなったの?」

 ピー、とヤカンが鳴った。

 観月は、はっとして止めに行く。お陰で、その質問に一瞬強張ったのを二人に悟られずに済んだ。
 湧いた湯をジャーに移すと、リビングに戻ってくる。

「お騒がせしまして…恥ずかしながら、またもや縁りを戻させて頂きました」
「なんだ…そっか、良かったね」
 木更津の肩がほっとしたように落ちた。彼なりに緊張していたようだと、他二人は目敏く気づき苦笑が漏れる。
「じゃあさ赤澤、今どこで何やってるの?」
「何って…」
「会社辞めたでしょう」
「知って…たんですか」
「しかも電話番号変わってるし」
「―――引っ越したんですよ、彼」
「引越し?」
「ええ。その、やっと二人で暮らそうと決めまして」
「同居するの?」
「まあ、同居してなかったほうが不思議だったから…良かっただーね」

 コポコポと湯気を立てて、紅茶の葉が入ったポットに湯を注ぐ。そしてポットカバーを被せて、タイマーをセットし、蒸らす。
 木更津はその動作を目で追った。

「赤澤…が仕事を辞めたのは……その、僕の口からはなんとも」
「え、そんなに大変なことがあったの?」
 観月は言いづらそうに口に手を充てた。いくばくか逡巡したのちに、躊躇いがち二人を交互に見る。

「彼―――病気なんです」
「「病気っ?」」

 あまりのことに柳沢と木更津の声がはもった。
「ええ……それはとても、酷い―――痔で」
「「痔となっ?」」

 またもや仲良くはもった。観月は悲しそうに肩を震わせて尚も言い募る。
「それはもう凄くて、切れてイボで、とてもじゃないですけど椅子に座ってられないんです。手術するために、長期入院を余儀なくされて――彼は会社に迷惑がかかるからと」
「観月……笑いながら言われても……」
「おや、失礼」
「嘘だーね?」
「嘘じゃないですよ」
 一部分だけと、とりあえず心の中で付け加えておく。

 タイマーが鳴ったのでポットからカップへと、茶漉しを通して注ぐ。と、優しいダージリンの匂いが部屋中に流れた。それぞれの前へと置く。寒さに震えていた柳沢は嬉々として受け取り、口をつけた。その時である。

「大体、痔になるなら観月じゃないの?」
 命知らずな木更津の一言で、暖房の効いているはずの部屋が一気にマイナスまで下がった。
 観月の氷のような笑みが、いっそう寒さを誘う。
「今更なりませんよ。馴れてますから」
「ぶはっ!」
 熱さとあまりな返答に、耐え切れずに含んだ紅茶を噴出す。間髪入れずに、観月のゲンコツが柳沢に飛んだ。
「汚い!」
「なんつー会話してるだーね!」
「ふん。大体赤澤のモノがどれだけのモノだった言うんですか」
「―――ああ、観月。大人になっちゃって……」
 木更津が大袈裟に嘆き、涙を拭う。付き合っていられないとばかりに、柳沢は話題を変えた。
「ひ…引っ越したってことは、観月もそっちに行くんだろ? 一体どこに行くんだーね」
「―――秘密です」
「へ、秘密?」
「ええ、赤澤と念願のスイートホームですからね。暫くは邪魔しないで下さい」
「だから仕事も後半以降じゃないと受け付けないの?」
「すみません、木更津」

 じい、と凝視されて頭を下げる振りで、それから逃れた。

「―――いつかは、教えてくれるんでしょう?」
「―――もちろん」
「なら、いいや」
 あっさりと引き下がると、淹れられたばかりの紅茶を啜ったのだった。

 それから暫く雑談をし、次の日も仕事だからと二人は早々に退去した。


「寒いだーね」と、手を揉みながら車のドアを開け乗り込む。次いで木更津も乗り込んだ。
 部屋を出てからじっと黙ったまんまの親友に、首を傾げながらもエンジンをかける。
「淳、何考えてる?」
「―――観月、何隠してるんだろうって」
「言いたくないなら仕方ないよ。そーゆー水臭いヤツだ」
「――――………」
「いつかは教えるって言ってたんだから、それでいいじゃないか」
 目をぱちくりとさせて、木更津は運転席を見た。
「気づいてたんだ」
「何年一緒に居ると思ってるだーね」
 わざとふざけた物言いをして、笑う。つられて木更津も破顔した。
「少なくとも、観月は赤澤と一緒に居る。それでいいんじゃない。オレ達が口を出すことじゃないよ」
「はあ〜、お前って本当に目敏い時は目敏いよね」
「含みのある言い方だな」

 車がゆっくりと動き出す。

「あのさー、もういい加減観念してオレの元に落ちておいでよ」
「なんの話だ、なんの」
 盛大な溜め息を助手席でされて、柳沢は慌てふためいた。この話題が出るのは何も初めてのことではない。その度にどうしていいのかわからなくなる。木更津の顔が見れずに、柳沢が口ごもった。
「この間の彼女はどうした?」
「いつの話題よ。別れたよ、とっくに」
「長く続かないなあ、お前」
「オレのことなんてどーでもいいんだよー。プラトニックな純愛もいいけどさー」
「淳……」
「なに?」

「この年になって、お前だけは絶対ヤダーね」

「は、どうせ最後に残るのはオレじゃん」

 言いたい放題けなしながら、夜道を疾走する。


 この時点では二人ともそんな気はなかった。やがて纏まるのだが、それはこのあとに襲いくる果てしない後悔のあとである。

 観月の嘘がそれほど重いものだと、二人は気づきもしなかった。










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