ビューティフルデイズ 5話
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[ 花瓶を持って部屋に戻ってきた母親は、心配そうに外を見る。 赤澤もじっと、外だけを見ているからだ。 「お袋…なんで観月連れて来たんだよ」 百八十以上ある背の男なのに、躰を丸めて震えるとなんとも小さく感じた。いや、頼子にとっては幾つになっても、守るべき子供である。 「アンタが、そう望んだからじゃない」 「―――……言ってねえよ」 「いい子ね、観月君」 「あんたって、面食いだったのね」 これだから会わせたくなかったんだ、と赤澤は舌打ちした。 頭が段々と冷えてきた。 かれこれ三十分は雪の中を歩いて来たのだから、充分だろう。 ―――なんで雪が降ってるんだ……。 鉛色の空から、真っ白い綿菓子のような雪が降り注ぐ。しんしんと、とはよく表現したもので、雪は音を吸い込み、辺りは信じられないほど静かだ。 ―――決まりすぎですよ。こんな時に雪が降るなんて…ドラマじゃあるまいし…そんな中を泣いて歩くなんて…。恥かしいじゃありませんか……。 景色が丸かった。空の中心の真下にいる錯覚に陥る。自分めがけて降ってくるようで癪に障った。 じん、とまた目頭が熱くなる。 ―――あの男は、もうあそこから出られないと言った。 力一杯、目元を手で拭うとひりひりと痛んだ。 唐突に理解する。 この冬を越えられずに、あの男はいなくなるのだ。 半年間、彼は戦っていた。 (――何も知らずにわがままばかり言う自分を、貴方はどんな気持ちで一緒に居たんですか。何故教えてくれなかったのか、とは責めません。多分、ボクでも黙っていたと思うから……黙って、最後まで貴方の側に居たと思うから……) だって、貴方が好きだから。 貴方が好きだから。
あの男を失う事に耐えられない。 両親をいきなり失った、あの足元が崩れる感覚を思い出してぞっとする。最後に触った彼等は、冷たく、まるでゴムのような感触の肌に慌てて手を離した。 悲しみよりも恐怖が先に立ったのを覚えている。 ―――これは、人間じゃない。 そう思った。 ふらふらと歩き出す。 〈ブ―――ッ!〉 「…っ!」 突如なったクラクションに、慌てて身を退いて尻餅をついてしまった。 積もった雪を避けて歩くうちに、道路へ出てしまっていたらしい。すれすれに車が横を通る。観月は驚いて、黒いBMWを見送った。 途端、カッと頬が熱くなる。 ―――今何を考えていたっ。どこまで自己中心なら気が済むんだ! 一番辛いのは誰かなんて明白なのに…っ。赤澤は恐怖を押し隠してずっと僕の側に居た。だったら、自分は何ができるかを考えなきゃいけないのに……っ! 何ができるか。何がしたいか。 起き上がる。汚れた衣服を気に止めずに歩き出す。 ―――泣くのはあとだ。ずっと―――あとです。 その日。雪は夜半まで続き。 町を白一色に染め上げた。 「こんにちは!」 「観月……」 男にしておくには惜しい容姿をした観月だ。百合の花束を抱えると似合いすぎていて、これが二十八歳の男かと思うと恐ろしい。 (か…変わってねえよな。こいつのこーいう所) 自分の容姿を存分に使って相手に好印象を与える。そして自分に優位な人間関係を作ることに、観月は長けていた。ただ、そこで勘違いして、自分に好意を持っているのか、と慣れ慣れしくも近寄ると途端手痛いしっぺ返しを食らうことになるのだが。 「――来るなって、言ったじゃねえか」 蠱惑的で誘うかのような表情を浮べられて、赤澤は情けなくも見惚れてしまった。 「それに知ってるんですよ」 ベッドに乗られて、顔がゆっくりと近づいてくる。息が頬にかかった。 「貴方、ボクが大好きでしょう?」 唇が降ってくる。 完敗だ。 ―――いや、無い。 「すみません。大好きです」 久し振りに、満面の笑みを二人は交わしあった。 |