ビューティフルデイズ 5話



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帰っちゃったのね。観月君」
「うん…アイツ…傘持ってた?」
「いいえ…大丈夫かしら……」

 花瓶を持って部屋に戻ってきた母親は、心配そうに外を見る。

 赤澤もじっと、外だけを見ているからだ。

「お袋…なんで観月連れて来たんだよ」
「観月君じゃなかったら、連れてこなかったわ」
「なんでだよ」

 百八十以上ある背の男なのに、躰を丸めて震えるとなんとも小さく感じた。いや、頼子にとっては幾つになっても、守るべき子供である。
 身長を追い越されようと、いっぱしに年を重ねようともだ。
 優しく、頭に手を置いた。

「アンタが、そう望んだからじゃない」

「―――……言ってねえよ」

「いい子ね、観月君」
「また…明日来るって言ってた……」
「あら、じゃあ母さん邪魔ね。明日は遠慮するわ」
「クソババア」
「うふふふ〜悪いお口はこれかしら。コレ!」
「いでででっ! やめてお母様! 柳沢になる〜」
 口を思いっきり抓られて、釣られた魚のように母親に遊ばれる。

「あんたって、面食いだったのね」
「……うるせえよ」

 これだから会わせたくなかったんだ、と赤澤は舌打ちした。

 








 

 

 頭が段々と冷えてきた。

 かれこれ三十分は雪の中を歩いて来たのだから、充分だろう。
 ずっと泣き続けていたから、きっと凄い顔をしているに違いない。
 それでも涙は止まらず、観月はもう拭う事もせずに空を見上げていた。
 そろそろ家に着く。
 雪が勢いを増してきていて、外を歩く人影まばらだ。誰もが深く傘を差しているので、すれ違う人間が男か女かもわからない。

 ―――なんで雪が降ってるんだ……。

 鉛色の空から、真っ白い綿菓子のような雪が降り注ぐ。しんしんと、とはよく表現したもので、雪は音を吸い込み、辺りは信じられないほど静かだ。

 ―――決まりすぎですよ。こんな時に雪が降るなんて…ドラマじゃあるまいし…そんな中を泣いて歩くなんて…。恥かしいじゃありませんか……。

 景色が丸かった。空の中心の真下にいる錯覚に陥る。自分めがけて降ってくるようで癪に障った。

 じん、とまた目頭が熱くなる。

 ―――あの男は、もうあそこから出られないと言った。

 力一杯、目元を手で拭うとひりひりと痛んだ。
 雪で髪の毛も肩も真っ白で、体温でゆっくりと溶けていくそれは水滴となって躰を濡らす。
 何度も何度も、色々な赤澤の姿を思い浮かべるのに、最後に残るのはやはり、窓を見ている姿で―――果たしてどんな表情をしていたのかが気になった。

 あんなに元気だった男が、とにわかには信じられない。降って湧いたかのような出来事が、既に半年前からあったことなんて―――。

 唐突に理解する。

 この冬を越えられずに、あの男はいなくなるのだ。

 半年間、彼は戦っていた。
 死を宣告されるというのは、どういう気分なのだろう。
 悔しかった?
 辛かった?
 己の運命を恨んだか?

(――何も知らずにわがままばかり言う自分を、貴方はどんな気持ちで一緒に居たんですか。何故教えてくれなかったのか、とは責めません。多分、ボクでも黙っていたと思うから……黙って、最後まで貴方の側に居たと思うから……)

 だって、貴方が好きだから。

 貴方が好きだから。


「ふざけるな…っ。ふざけるなぁっ! なんで死ぬんだ? 何で貴方がいなくなるだっ! なんで貴方を失わなきゃならないんだっ! 人生まだ折り返し地点じゃないかっ。これからじゃないかっ。これからもっと…もっと……」


 耐えられない。

 あの男を失う事に耐えられない。

 両親をいきなり失った、あの足元が崩れる感覚を思い出してぞっとする。最後に触った彼等は、冷たく、まるでゴムのような感触の肌に慌てて手を離した。

 悲しみよりも恐怖が先に立ったのを覚えている。

 ―――これは、人間じゃない。

 そう思った。

 ふらふらと歩き出す。
(また、独りになる。また――残される)

 

〈ブ―――ッ!〉

「…っ!」

 突如なったクラクションに、慌てて身を退いて尻餅をついてしまった。

 積もった雪を避けて歩くうちに、道路へ出てしまっていたらしい。すれすれに車が横を通る。観月は驚いて、黒いBMWを見送った。

 途端、カッと頬が熱くなる。

 ―――今何を考えていたっ。どこまで自己中心なら気が済むんだ! 一番辛いのは誰かなんて明白なのに…っ。赤澤は恐怖を押し隠してずっと僕の側に居た。だったら、自分は何ができるかを考えなきゃいけないのに……っ!

 何ができるか。何がしたいか。

 起き上がる。汚れた衣服を気に止めずに歩き出す。

 

 ―――泣くのはあとだ。ずっと―――あとです。

 

 その日。雪は夜半まで続き。

 町を白一色に染め上げた。

 









 

 

 

「こんにちは!」
「――――っ」
 勢いよく入ってきた男に、部屋に居た全ての人間の目が集まる。
 赤澤は読んでいた本を取り落とした。

「観月……」
「昨日ぶりですね、赤澤。貴方に花になんて似合わないし勿体ないとは思いましたけど、一応持ってきてあげました」
 そうバカにしたような笑顔を浮べた観月の手には、抱えるほどの白百合がある。

 男にしておくには惜しい容姿をした観月だ。百合の花束を抱えると似合いすぎていて、これが二十八歳の男かと思うと恐ろしい。
 唖然と、一同が見守る中。ドア際のベッドに居た初老の男がそろそろとだが話かけてきた。
「赤澤君のお友達かい? キレイな子だねえ」
「え…は…い?」
「初めまして。赤澤がお世話になっております。これからも同室のよしみで仲良くして下さい」
 これでもか、と営業スマイルを振りまく観月に、赤澤はもはや言葉もでない。愛想よく、礼儀正しい観月に、年配の同室者達はあっさりと誑されていく。

(か…変わってねえよな。こいつのこーいう所)

 自分の容姿を存分に使って相手に好印象を与える。そして自分に優位な人間関係を作ることに、観月は長けていた。ただ、そこで勘違いして、自分に好意を持っているのか、と慣れ慣れしくも近寄ると途端手痛いしっぺ返しを食らうことになるのだが。
 彼の愛想のよさは、一種の人見知りである。
「来てやりましたよ、赤澤。確かこの百合は好きでしたよね? 昨日この花瓶の花がそろそろ萎れていたのに気づいて、新しいのを持ってきました」
 本当に慣れ親しんだ人間には、こんな風に挑発的に笑うのだ。基本的に天邪鬼なのだと思う。好きな相手や興味ある相手にはとことん憎まれ口を叩くことしかしない。
 赤澤は顔を顰めて、機嫌よく笑みを絶やさない観月を睨んだ。

「――来るなって、言ったじゃねえか」
「僕はまた来ます、と言いました」
「別れたろう、オレ達」

 さすがに周りをはばかり小声だが、きっぱりと口にする。観月は黒目がちの瞳を猫のように細めて、カーテンをひいた。
「あいにくと、僕は承諾しておりませんから」
「観月!」
「前にも言ったでしょう。忘れたんですか? 僕のものになりなさい、って言いましたよね。そして貴方は戻ってきた。貴方に僕を捨てる権利なんてこれーっぽっちもありません」
「権利って…なんじゃそら」
「オバカさんですねえ。貴方は僕のものだって言ってるんです」

 蠱惑的で誘うかのような表情を浮べられて、赤澤は情けなくも見惚れてしまった。

「それに知ってるんですよ」

 ベッドに乗られて、顔がゆっくりと近づいてくる。息が頬にかかった。

「貴方、ボクが大好きでしょう?」

 唇が降ってくる。
 まずは額に、鼻先に、頬に。
 そして最終的に唇を塞がれた。
 赤澤は観念して口を開く。熱い舌が入ってきて、口腔を丹念になぞると出て行った。

 完敗だ。
 大体こいつに過去勝てた試しがあるだろうか?

 ―――いや、無い。

「すみません。大好きです」

 久し振りに、満面の笑みを二人は交わしあった。

 

 

 







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