ビューティフルデイズ 2話



 

 端から聞いていると壊しかねない勢いの音で、パソコンのキーを観月が叩く。周りには専門的な英辞典、資料集、英語の原文原稿が散乱しており、時々乱暴にそれらを物色しては、またパソコンと格闘。そのいらいらとした後ろ姿を、コーヒーを飲みながら木更津がげんなりと見ていた。
 リビングに置いてあるパソコンのデスクトップを、食い入るように睨んでいる観月の横顔を盗み見ては溜め息が出る。
 鬼気迫るとはまさにこのことかも知れない。木更津は他人事のように思った。

(――――でも他人事じゃないんだよね。その仕事終らせて貰わないと……)

 そしてまた、嘆息。

(まあ、どんなに機嫌悪くても原稿くれりゃそれでいいけど……)

「―――木更津」
「終ったの?」
 地を這う声音で名を呼ばれても、のほほんと答える。こんな扱いを受けて身が縮むほど、付き合いは短くない。そもそも木更津はどこか緊張感というものが最初から欠落している男だ。大学を出て、希望していた大手出版社に入社して四年。文芸書籍に身を置き、誰にも物怖じをしないその性格を買われて、何かといえば気難しい先生の担当にされていた。
 そして気難しい先生は、仏頂面で長年の友を殺しかねない勢いで睨んでくる。
「締め切りは明日でしょうが…何で一々担当者がウチに来るんです。鬱陶しい」
「何言ってんの。いつもならとっくにできてるでしょう? 明日の締め切りって言ったって伸ばしてギリギリなんだよ?」
「いいじゃないですか。たまにはそんな時もあります」
「開き直ったね…。まあ、いつも優秀だしその辺は心配してないんだけど―――、そんな締め切り厳守の観月センセイが今回に限り『伸ばして欲しい』って言ってきたから心配になって様子見に来ただけだよ」
 『センセイ』と付けられて、あからさまに嫌な顔で返す。
「何度も言いますが――、その敬称はやめて下さい。ボクは翻訳家であって作家では無いんですから」
「なーに言ってるかな、売れっ子の翻訳家センセイがさー」
「……S英社はよっぽど暇なんですね。社員がこんな所で油売ってても給料が貰えるんですから」
 今度は観月の方がわざとらしく長嘆をして、ついでにと伸びをした。昨夜からずっとパソコンに向かっていたので、いささか背骨が痛い。
「前から思ってたけど、ノートに変えたら? いっつも同じ姿勢で同じ場所って厭きないかな〜」
「これが性分なんです。ノートも持ってますけど…こっちの方がヤル気になるんです」
「ふーん。そんなものか……」
 のんびりとした口調で返された挙句に、絶妙なタイミングで淹れたてのコーヒーを手渡された。
 先ほどまで背後に居るこの男が苛立たしくて仕方がなかったのに、上手い具合に気を削がれてしまった自分がいる。
 不思議な男だ、といつも思う。無神経で他人の事には興味がなさそうなのに、とても自然に相手の領域に入って接してくる。
 たまに全て計算づくで行動をしているのだろうか、と思わなくもないのだが、やはり長い付き合いでそうでは無い事は知っていた。
 観月は椅子を回転させて木更津に向き合うと、観念してコーヒーを啜る。一息入れてくれる気になったのを確認して、木更津は胸を撫で下ろした。

 二日前、いきなり『締め切りを少しだけ伸ばしてくれないか』と電話があった。この仕事を始めてから今まで、そんな事は一度たりとも頼んできた事のない観月なだけに少なからず驚いたものだ。
 理由を問えば『ちょっと…始めるまでに時間がかかってしまって……』と、嫌に歯切れ悪く返ってくるではないか。
 他にも担当作家を抱えている身である。決して暇なわけでは無いのだが、そんならしくもない友が気がかりで木更津はこうして訪れたのだった。

 しかし最初は居留守まで使われて、なかなか中に入れて貰えずに困った。仕事の用件で、と押し切ったからこそやっと入室を許可されたのだ。
 入れば入ったで一言も喋らずに、喧嘩でもしているかのようにキーボードを叩きっぱなし。
 恐ろしく不機嫌な友に、木更津は舌を巻いた。こうなった観月は中学の時から手強い。
 自分も早々己の事をペラペラと喋るほうではないのだが、観月はそれに輪をかけて意固地だ。宥めてもすかしても、己が喋っても良い、と思わない限り死ぬまでその事柄については黙秘を貫くだろう。
 そんな性格を知っているからこそ、木更津はいつも何があったのか、とは聞かない。―――が、今回はどうにも引っかかる事が多くて、思わず直球を投げてみた。

「―――で、赤澤と何があったの?」

 ガチャン。

 中身が零れる勢いで、カップがソーサーに置かれる。
「やっぱり赤澤絡みか…厭きないね、君等も」
「ウルサイ」

 顔を背けられて、表情がわからない。だが、カップをテーブルに置いた手元が小刻みに震えているのを見て、木更津は眉を潜めた。
「……今回のケンカ…ちょっと大きい?」
「ケンカじゃ…ないですよ」
 そっぽを向いていた顔を下に落とす。力無く呟かれた言葉と、物憂げに伏せられた瞳に驚いた。
「ど…どうしたの? なんかすっごい久し振りにそこまでへこんでる観月見たよ?」
「―――落ち込みもします。まさか自分からじゃなくて相手から別れを宣言されるなんて……」
「はあっ?」
 素っ頓狂な声を上げて木更津は飛びあがった。
「わ…別れって…。え? 赤澤がそう言ったの!」
「――――思い出してもムカツクのであまり大声で言わないで下さい。殴りますよ?」
「ちょっと…俯きながら物騒なこと言わないでよ。つーか殴るなら赤澤にして。……マジで別れるって?」
「そう言って出てって、もう一ヶ月ですから…。そうなんじゃないですか?」
「待ってよ、観月。本当に一体何があったわけ? そりゃ人間だもん。別れるって事は当たり前にあるとは思うよ? でも――お前等は違うじゃん。一度大学で別れてるけど、再会して、また付き合い始めて――お互いが大切なんだって、もう二度と別れないって…そう言ってたじゃん」
「懐かしい話を……」

 舌打ちをされて、木更津はやっと椅子に座りなおした。

 懐かしい話――そうか、もうそれぐらいにはなっていたか、と考える。

 観月と同じ、テニス部強化を測る補強組として聖ルドルフ学院に転入してきた木更津だ。
 観月と赤澤の関係は、それこそ初対面から知っている。中、高と寮生でもあったのだから、二人とはとても長く親密に友人付き合いをしてきた。他にも中等部から高等部まで一緒だった、テニス部の仲間達とは切っても切れない縁が続いている。特にレギュラー陣は個性の激しい者達ばかりだったのだが、そこがまた奇妙に馬が合った

 皆が別れたのは大学に入ってからだ。高校二年と三年の夏に全国までなんとか行った面子だったが、プロのテニスプレイヤーになるのはそんな簡単な事ではない。それでも辞められなくて、テニスの強い大学に進んだ者も居た。

 赤澤もその一人である。しかも腕を買われて推薦を受け、R海大学へと進学していった。木更津は元から出版関係に進みたかったのでK大へ。ダブルスのパートナーだった柳沢は、聖ルドルフ付属の大学へと進み、観月は文学を学びたいとW大へ進んだ。それこそ皆がバラバラに散っていった。

 そこで一度、観月と赤澤は別れたのだ。

 切り出したのは観月の方からだと、木更津は赤澤に聞いていた。その時えらく落ち込んでいた図体のでかい男を、慰めながら心底驚いたものである。
 別れた理由は簡単で、そしてどうしようもないものだった。

 木更津はその時の泣きそうな顔でぽつりぽつりと語った男の声を思い出した。

 

 ――――観月な、離れる事が我慢できないって言うんだ。
 わがままもここまで来ると泣けてくるぜ。くだらない理由だって、オレ思うし。オレは観月が好きで、大切だから…いくら大学が違って、遠く離れた場所で暮らす事になってもさ。オレはあいつひと筋だって言える自信があるんだ。―――でも…聞く耳持ってくれねえの。
 恐いんだって…アイツ小さい声で言って、ああこれは何を言ってもダメだって感じた。オレ達は今まで、やっぱり小さな世界で生きてきたわけじゃん。それが同じ『学生』でも、やはり世界は一気に広がるわけだし…オレにはオレの、観月には観月の知らない人間関係や世界が出来上がっていくわけでさ。そこには男子校だったココと違って、女との出会いだって増えるだろう。観月はそんな事をぐだぐだ言ってきてさ。もうてんでオレを信じてくれねえの。そこまで言われちゃ、終わりかなあって……

 ――――納得しちゃったの? 赤澤。多分観月って意地っ張りだから、強引にでも『別れない』って言って欲しかったんじゃないの? 

 ――――違うな。アイツは『待つ』事に耐えられないんだよ。だからダメだ。連絡の取れない時間が、どこで何をしているのかわからないのが耐えられないんだ。『今』のアイツはさ。
 だからと言って自分から連絡を取ってくる性格じゃない。アイツと付き合えるかどうかは、いつもオレ次第になってくる。オレが連絡を取る。オレがアイツの機嫌を取る。オレが『お前がいないと』って言い続ける。今まではそれでも良かったけど…これからはそれじゃあダメだ。観月ってさ、可愛そうなくらい自分に自信を持ってないんだよな。だから自分を好きだと言う相手をいつも疑ってかかる。

 ―――赤澤が観月を好きなのは誰の目から見ても明らかなのに?

 ―――オレの『心変わり』だ。最初はオレも信用されてないなって悩んだ時期もあったけど。アイツは信じられないほど臆病で、自信がなくて、いつオレが離れてもおかしくないって思ってる。しかもプライドがエベレストだからな。離れたら離れたでそれでいいって思ってるんだ。

 ―――だから、別れるの? 捨てられる前に。

 ―――アイツはちょっと複雑な環境で育ってきたから、それも仕方ないと思うけど…、それだけじゃダメだ。アイツが変わらない、変われないなら、オレじゃ…ダメだ。オレが近くに居たら、アイツはきっともっと自分を追い詰める。
 別れるよ。お互いもっと―――成長しなきゃ、潰しあう関係にしかなれない。遠く離れたアイツに信頼される力が今のオレには無いから……。

 

 そして卒業を迎え、赤澤は神奈川の奥地へと引っ越していった。

 観月はというと―――入ったばかりの大学を夏頃、突如休学するとイギリスに留学してしまったものだから、友人一同呆然としたものだ。赤澤だけが『あいつらしい』と、苦笑を漏らしていた。そこで完全に自分は振られたと実感したらしい。

 木更津はやや気まずい思いで観月を見送ったものだ。なんせ、余計なお世話と知りつつ、赤澤の語った心情をそのまま伝えてあったからである。観月は黙ってそれを最後まで聞き、終ったあとで随分考え込んでいたようだった。そして留学話である。彼の中でどのような決断がなされたかは知らぬが、少なくともその話がきっかけとなったことには違いない。

 一年半、観月は日本の地を踏むことはなかった。木更津や柳沢、部の後輩だった裕太とはメールの遣り取りをしていたが、赤澤とは一切の音信を断っていた。

 それが帰ってきたその足で、観月は赤澤の下に行くと――

『久し振りですね。彼女はできましたか? 悪いんですけど、もし居たら別れてくれませんか。貴方を手放すのが惜しくなりました。僕のものに戻ってください』

 

「ああ、凄いことまで思い出してしまった。観月、あそこまでして、何がどう今更別れ話になるの?」
「………だから思い出すなと言ってるでしょうが」
 もう七年も前の出来事だ。観月は少しだけ頬を赤く染めた。
「観月のその大胆さにも度肝抜かれたけどさ、当時彼女らしき者がいた赤澤があっさりそっち振ってより戻したのにも、もうオレ爆笑しちゃったよ。数日腹が痛かったもん」
「……どーして貴方にはそこまで筒抜けなんですか」
「そりゃ、赤澤が幸せ一杯の笑顔でオレに惚気てくれたからだよ」
「本当にロクなことしませんね。あの男は」
 苦々しく吐き捨てる観月には黙っているが、その時の赤澤にしてみれば晴天の霹靂もいい所だろう。突然昔自分を振った恋人が現れて、もう一度付き合えと命令してきたのだから。相談係みたいになっていた木更津と柳沢も、聞いた時には目が点になったものである。その後、散々二人で赤澤を笑い者にした。
「赤澤は言ってたよ。いきなり目の前に別れた時と同じ顔の観月が立っててさ。ああ、オレやっぱりこいつが好きだって」
「――――………」

「別れたって、いつものケンカでしょう? もし観月が悪いんなら自分から謝らなきゃ。つーか今回はどんな理由なわけ?」
「……赤澤、仕事の関係で今女子テニスの最年少プロ、南静香につきっきりだったんです」
「はあ……。えっと十九歳だったけ? 女性版越前リョーマとか言われてて可愛い子だったよね。確か」
「―――十人並みでしょう。その女がですね、なにやら壁にぶち当たっていたらしくて、テニス辞めるとか抜かしはじめましてね」
 普段から毒の強い観月だが、あからさまに嫌悪している様子に木更津は「ただの嫉妬か」と察する。
「契約を取り付けたのは赤澤でして。しかも、彼女の将来に色々と期待をしていましてね。あの男は、それはそれは我儘なお嬢さんのために、仕事抜きで付き合っていたんですよ」
「観月…放っておかれちゃったんだね」
「どうして貴方はそうムカツク言い方しかできないんですか。それは…まあいいんですけど…若い女の子に、とりあえず見てくれはいい男が親身に付き合ってたらどんな状況になるか…わかりますでしょう?」
 ああ、と木更津は想像のつきやすい展開に呆れた。

「惚れられてしまったわけね。優しい男だしねえ」

 同性にはバカ丸出しな所に共感され、異性にはルックスでもてる。そんな男だ、赤澤は。

「たまに休みにウチに来ると決まって携帯にかかってくるんですよ。わかりやすい小娘です」
「そしてキレちゃったわけね。…でもさーきっと観月もその小娘の居る時間帯狙って携帯かけてたんでしょう? 『今日は早く来て下さいね』とか『今夜はこっちで御飯食べるのでしょう?』とか…」
「見てきたように言わないで下さい」
 ぴしゃり、と撥ねつけられたが、おしいかな紅潮しているで図星だったのは丸わかりだ。
「それにしても、赤澤の固執ぶりが凄くて…彼女を世界に出したいんだってその一点張り。そんなにムキになって急がなくったっていいのに」

 ぶちぶちと文句を垂れる観月に、木更津は言いづらそうに「もしかして、仕事と僕どっちが大切なんですか――とか聞いちゃったの?」と尋ねた。相手がぐっと詰まったのを感じて、乾いた笑みしか出てこない。

「―――この間…観月が締め切りまで間もない仕事を請け負っちゃった時。尋ねてきた赤澤を蹴りだしたの誰?」
「う…っ」
「しかも、その日赤澤の誕生日だったんでしょう?」
「ううっ。な、なんで知ってるんですか」
「数日寝てなかった君は忘れてるのかも知れないけど、居たからその場にオレ」
「――――………」
「暑い時に来るな、鬱陶しい。お前は地元の海で干物にでもなってろ。って、散々言ってたよね」
「――――……………」
「泣いてたよ、赤澤……」
「後日ちゃんと謝りました!」
「それで今回観月にそんな事言われちゃ、赤澤が不憫でならないよね」
「木更津! お前は一体どっちの味方だ!」
「いくら出す?」

 その切り替えしには、さすがに絶句した。

「もう言いです。貴方に相談した僕が間違いでした」
「だから、ちゃんと今回も謝りなさいって」
「……謝りましたよ。その点は赤澤も許してくれました。なのに…僕には、何がなんだかわからない。なんで…いきなり別れ話が出たのかも…。最後の、あの人…まるで知らない男のようでした。合い鍵も…返されました」
 脳裏に薄暗い部屋での、最後の場面がフラッシュバックする。

 昔、確かに別れを切り出したのは自分だった。それは若さゆえに衝動的なものだと、今なら言える。あっさりと、あの時は捨てられると思えたのだ。

 だが――今は違う。簡単に失うには、二人は時を重ねすぎた。

 その築き上げたものを、赤澤は捨てると言ったのだ。

「あの男が…別れを口に出すなら…本気なんですよ。冗談や一時の感情の高まりで吐いた言葉でもなかったことは、聞いた自分が一番わかってます。彼は―――本気でした」
 淡々と言ってのけたつもりだったが、震えてしまった声が全てを裏切る。
 観月は両手で顔を覆った。
 口に出して説明をすればするほど、現実味を帯びて襲い掛かってくる重さに耐えられない。一ヶ月も経って、やっと別れたことを話せるようになったと思ったのに、結局仕事に逃げていただけで深く考えることを拒絶していただけだったのを思い知った。

 木更津は傷ましげに震える背中を摩ってやった。

「でもさ…観月納得してないんでしょう? だったら、聞いてみなよ。ちゃんと、理由を教えて貰いなよ。どうにもならないことかも知れないし、どうにかなることかも知れない。悪いけど今の話、オレは信じられないよ? 赤澤は絶対観月ひと筋だもの。そう言うには言うなりの理由が―――あったんだよ」
 無責任な発言かもしれないな、と木更津は背を摩りながら唇を噛んだ。それでも、赤澤はそんな簡単に観月を切り捨てられる男でないと、信じたい。
 彼等の間にあった何気ない遣り取りひとつひとつに、いつも羨望していた。二人でいることがとても自然な一対だったはずだ。
 恋人同士になった時にはさすがに驚いたが、それも何となく納得できたほどお似合いで、今となっては二人が他の誰かと付き合うのなんて想像できない。
「僕等は…来年で二十九です。同級生や後輩もどんどん結婚していきます。僕は…家族との縁が薄いですから、どうにでもなりますが、赤澤の両親が気にしていたのは……知ってました」
「だからって、いきなり赤澤が女と結婚するために別れたとでも思ってるの? それは…失礼だよ」
「でも――あの男は両親を裏切るには優しすぎます」
「そうかな。二度目に観月を取った時、赤澤は女と付き合ってたんだよ? あそこでもう一度、観月と付き合っていこうと決めた時には覚悟決めてたよ。そんな男だからこそ、観月だって今まで付き合ってきたわけだろう?」
 自分らしくなく熱くなってるな、と感じつつ少しだけ時間を気にする。そろそろ社に一度戻らなければならない時刻だった。しかし、ここで放り出せるわけがない。こんな時は翻訳家と担当編集という立場は助かるものである。言い訳にはこと欠かない。
「そう…ですかね」

 多少は浮上できたのか、目を合わせてくれた。木更津はしっかりと頷き返す。
「そうだよ。大体最後ってどんな風だったわけ? いきなり来て別れ話されたわけじゃないでしょう。いつもと様子違ってたでしょう?」
「―――え…まあ…その…やる事はやってましたけど……」

 親身になって話をされているうちに、ポロリと普段なら決して言わないことを観月が漏らした。
「……あ…そう」

 何となく気まずい沈黙が落ちる。

「じゃあさ、尚更じゃん。未練たらたらじゃん、赤澤」
「――――……」
「赤くならないでよ……本当に今更だから……」
「……ん〜。なんか、考えてたら段々腹立ってきましたね。フツーやるだけやって別れ話して帰りますか!」
「きっちり話しつけて殴るなり縋るなりしなよ。そっちの方が『らしい』よ。結論でたところで、明日以降にでも赤澤にちゃんと連絡取りなね」
「…明日以降?」
「もちろん。原稿終ってから」
 にっこりと笑いながらも、はっきりと釘を刺されて観月は退いた。
「観月が翻訳家になりたいんだと知って、まずは下役のバイトから紹介したのは誰?」
「―――木更津様です」
「この本を翻訳したいと相談された時にも、上に掛け合って、なおかつ本にしてベストセラーにまでなったのは誰のおかげ?」
「……明日にまで上げて送って差し上げます。首短くして待ってなさい」
「そこで『自分の実力です』って言わないんだ。向こうで有名でもこっちではそうでもない作家を探して翻訳して売るなんて、翻訳家のセンスと力量だろうに」
「翻訳家だけの力で売れるほど世の中簡単でないでしょうが。おだてには乗りませんよ。この世界、一度は大当たりする作家に巡り合うって言いますからね。僕の場合それがたまたま早かっただけです。…近頃それなりに認められて仕事がコンスタントに来るのは嬉しいんですけど、いささか疲れました」
「はい?」
「ちょっとこの頃ハイペースに仕事入れすぎましたから…。せめて年に四冊を来年は目指します」
「ふーん。まあ、いいんでない。躰壊す人多いしねえ、この世界。大体気晴らしのヘタな男は酒に走るか、女に走るか、スピード狂になるからしいし」
「笑い事でないですね。確かに内向的な人は向かないでしょう。一週間誰とも口をきかないで過ごすなんてザラな仕事だし。僕だって最初の頃はノイローゼになりかけました」
「昔はテニスで太陽の下を駆けずり回っていたのが嘘みたいだよね」
 ふっと、木更津が眩しそうに目を眇めた。
「やめてください。年寄り臭いこと抜かすの」
「ごめんごめん。じゃあ、オレ行くわ。これから一度社に戻って柴田先生の所に行って原稿急かさなきゃ。映画封切り前に発売しなきゃならないのに、この間校閲で真っ赤になってさー。著者校正して、また校閲いったら、もっと真っ赤になってさー」
「恐い話ですね」
「オレが先生殺すか、先生がオレ殺すかだな。とりあえず戦ってくるわー」
 空っぽになったカップを台所に行って洗うと、椅子にかけていた上着を取って羽織る。

「――いつも、ごめん。木更津」

「本になったら酒飲もうね」

 優しい顔でそう言い残すと、慌ててドアを開けて出て行った。本当に時間が無かったのだとわかって、観月は申し訳ない気持ちで一杯になる。考えてみればもう十二月も半ばなのだから、出版業界はてんてこ舞いだろうに。

 気持ちに応えるべく、パソコンの前に座り直した。


 





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