「つーわけで、よろしく」

「嫌です」

 

 差し出された手を睥睨しながら、思わず口に出してしまった言葉は本音で。
 そんな本音を思いっきり出してしまったことに驚いた。

 意外と目敏い相手は、些細な戸惑いにも勘付いたのか、怒るどころか苦笑を漏らしている。

 益々癇に障って、そっぽを向いた。我ながら幼稚な反応だとは思う。それでも――嘘でも本音でも。この男には何も見せたくなかった。何も知られたくなかった。

 この男は危険だ。

 ただのバカだと気を抜くと、途端懐に入ってくる。そんな男なのだ。それはこの半年で嫌というほど思い知らされた。

 この男は危険だ。

 警鐘が鳴り響く。あまりのことに頭痛までしてくる。

 無言でずっと別方向を見ていた。いい加減諦めて、向こうに行ってくれないかと願うのだが。

 ふいに、ぐいっと凄い力で腕を引っ張られる。

「―――…っ」

「よろしく、な」

 握手を強要される。それは自分の頼りない細い指よりも、一回り以上ある大きい手のひら。

 

 あまりのことに―――頭痛まで止まってしまった。








 
あなたは知らない。









 掃除機を一通りかけた所で、裕太は汗を拭きながら背すじを伸ばした。掃除機をかけている最中は窓を締め切ってはいけないと、散々観月に言われていたので、真面目な裕太はきちんと言いつけを守っている。
 だが、七月も半ばともなると、これが中々暑い。寮に置いてある掃除機はドイツ製だかなんだか知らないが、吸引力はあるが重い上に扱いずらいのだ。

「うおーい。終ったら早く回せよ〜」

 隣の部屋の寮生が、開いているドアからひょっこり顔を出す。

「もう終ったから、持ってっていいぜ」

 コンセントを抜いて、廊下まで出した。同学年の少年は、それを急いで持っていく。まだあとがつっかえているのだ。三年の部屋から順に回ってくるために、二年が使えるのは午後になってからとなる。そしてこの後一年が待っているのだから、急がなければ今日中に掃除のできない部屋が出てしまう。そうなると寮長―――よりも怒る人間がいるので、皆は戦々恐々と掃除機を急いでかけるのだった。

 普段ならば好きな時に、迷惑にならない時間にかければ済むので、生徒用と寮母用の二つの掃除機で事足りる。だが今日だけは違った。ここ、聖ルドルフ学院の寮では、年に一度、七月に害虫駆除をするのだ。二時から一斉に害虫駆除の業者が入るので、それまでに全員の掃除を終らせなければ悲惨なことになる。

 まずは布団を部屋の隅に積み上げて、服なども集めてビニールをかける。食物類も全て片付ける。部屋は整理整頓し、掃除をして、害虫駆除が終了したあとには、一斉に水拭き掃除を始める。

 面倒だが、都内で、しかもキレイ好きばかりが集まっているわけでもない寮生活。たった一人でもズボラな人間がいれば、ゴキブリなどはあっさりと繁殖して他の部屋にまで移るのだ。
 ちなみに始まる前の部屋掃除を怠ると、雑誌や脱ぎ散らかした服の間にゴキブリが死んでいたなんてことがあるのだと、先輩達に脅されている。

 入寮当時と同じくらいにキレイになった部屋を見て、朝から頑張っていた裕太は満足気に息をついた。こうして見ると、けっこう広かったんだな、などと情けない感慨まで出てしまう。二人部屋なのだから、それなりに広いのは当たり前だ。
 出たゴミは、同室の人間が外に設置していあるゴミ置き場まで出しに行っているので、もうする事はない。
 あとは業者が来る二時から五時までの間、外で時間を潰すだけだ。

 期末試験も終り、夏期休暇を待つだけの日曜日。開け放たれた窓からは、初夏の匂いがする。空は眩しいほどに晴れ渡り、真っ白な雲は目が痛くなるほどだ。

 建物のあちこちで、ドタバタと掃除をしているだろう音が聞こえてくるのもなんだか楽しい。大勢で生活をしている場というのは、兄弟が多く母が専業主婦でいつも自宅に居た裕太にとって安らげる場でもあった。いつも誰かしらの音がするのが好きだ。
 恥ずかしいので、誰かに漏らしたことは無いが、多分一人っきりだなんて堪えられそうにない。大人になれば、そうでもないのかも知れないが。

「ゴミ出してきたぜ。あとはどうするよ?」

 今度は同室者が戻ってきて、戸口に立った。同じ学年でサッカー部の少年は、気兼ねなく一緒に生活できる闊達な性格の持ち主である。裕太は時計を見た。

「一時ちょっと過ぎかあ。五時までなにしてようかな。お前はどうするの?」

「オレ? オレは先輩達と学校行ってサッカーしてくるぜ。裕太も来るか?」

「うーん。せっかくだけどそれならオレ、テニスしたいなあ」

「そりゃそうだろうけど、テニスコートは今日整備入ってんだろ?」

「ストリートテニス場って手もあるし。やっぱオレ、テニスするわ。先輩誘ってみるから、お前先行ってていいぜ」

「見回りに来る先輩への報告任せていいのか?」

「おう。だって、テニス部の先輩だし」

「あ、そうか。じゃあ、先に行ってんな」

 白い歯を見せて笑うと、同室者はタオルを持っただけで出て行ってしまった。それだけでいいのか? とは思ったが。考えてみれば遊びでサッカーをしに行ったのだから充分なのだろう。テニスと違ってサッカーならば、ボールとシューズさえあれば事足りる。

 同室者がいなくなった所で、誰を誘おうかと頭の中で先輩達の顔を思い浮かべた。一番誘いに乗ってくれそうなのは、やはりいつも遊んでくれる柳沢だろうか。まあ、誰も捕まらなくても、ストリートテニス場ならば誰かしら相手がいるだろうと高を括る。

 前回行ったら青学と不動峰の選手が勢揃いしていて、危うく乱闘になるところだった。未だに裕太は、何故あれほどまでに他校の生徒同士の仲が悪いのかわかりかねたが。その筆頭が自分の兄と、尊敬している先輩だから手に負えない。

「あ、赤澤部長誘ってみるのもいいかもな。そしたらきっと金田も来るだろうし」

 それはとても良い考えのように思えた。大概赤澤に連れ出される時は、美味しいカレー屋ができたから、と食べ物関係に尽き、テニスを一緒にしに行ったことは無い。

 赤澤の部屋は二階の角部屋だ。同室者が同室者なだけに、とっくに掃除も終っているだろう。

 早速誘いに行こうと部屋を出たところで、見回りをしている上級生とばったり出くわした。

「君のところまでは終ってるの?」

 くすくすと笑む上級生はテニス部の先輩――木更津で、裕太は「はい!」と、思わず元気よく応えてしまった。

「じゃあちょっと部屋見せてね。……よし、あとは出かける時は必ず窓は閉めること」

「あ、はい」

 慌てて部屋に戻ると、窓を閉める。

「OK。あとは門限さえ守れば何処になりとも行って時間潰しなね。裕太は家に帰るの?」

 チェック表に〇をつけながら聞くと、裕太は「とんでもない!」と、首を横に振る。そんな必死で否定する後輩を、おかしそうに木更津は目元を緩めた。 

「そんな一々家になんか帰らないっすよ!」

「まあ、下手に近いとそうかもね。オレなんか実家に帰るのに二時間はかかるからなあ。別の意味で早々帰れないや」

「あの、オレこのあとストリートテニス場に行こうかと思ってたんですけど、一緒にどうですか? 他にも先輩達誘おうと思ってたんすけど」

「ストリート? うーん。裕太とかあ、それも面白そうだね。もれなく不二周助もついてきそうで」

「なんすか…もれなくって…。付いてこないですよ。それに、今日は確か関東大会二回戦ですよ」

「ああ、全国行き決まったのかな? 本当なら応援したかったでしょう」

「それを言うなら、木更津先輩だって……」

「オレ? 別に。だってオレが戦うわけじゃないし」

 冷めた口調で否定されて、根が純粋な裕太は肩透かしを食らった気分になった。

「そ…そういうもんすか? 双子なのに……」

「裕太、双子神話信じてるんだ…。オレが怪我したら、きっと同じ場所を片割れが痛がるんだとか…思ってる?」

「え? 違うんっすか?」

 真面目な顔で肯定されて、木更津はたまらず壁に手をついて震えながら笑いを噛み殺す。

「や…、いい。いいよ、裕太。いつまでもそのままでいてね」

「なんなんっすか!」

「いやいや、双子だからね。オレが『あーお腹空いたなあ』って思ったら、片割れもお腹空いてるんだよ。オレが『あー眠いなあ』って思ったらあっちも眠い証拠なんだ。見ているテレビも、買ってくる漫画も同じだしね」

「はあ。双子ってやっぱ神秘的なんすね」

「ぶふうっ!」

 目をキラキラと輝かせて感心する裕太に、木更津は負けて床に膝をついた。

(一緒に暮らしてれば、生活習慣が同じなんだから、当たり前だろうに…っ)

 それに気づかず、裕太はまだ感心している。よほど身近に双子がいなかったのかもしれない。今度片割れとも会わせて、一緒に揶揄おうと心に決めると、木更津は笑いをなんとか引っ込めた。

「あと一年の部屋見たら終りだから、ちょっと待ってて」

「はい。その間に他の先輩達誘ってきますね」

「言い忘れた。いないよ、誰も」

 既に背を向けて歩き出していた裕太の背を、木更津がのほほんとした調子で止める。

「へ?」

「野村はさっさと秋葉原行っちゃったし」

「またっすか? いや、野村先輩はいいんすけど…赤澤部長ももういないんですか? 観月さんと同室なのに」

「そうそう。大体、なんでオレが見回りなんかしてると思う? いつもなら寮長の慎也か、口やかましい観月がやってるでしょ」  

 そう言われれば、と改めて木更津を見た。寮内を取り仕切っているのは何故だかテニス部員で、その筆頭が観月なのだが、寮長選びの時に面倒だからと、肩書きを柳沢に押し付けたのである。その割には寮長の権限全てを握っているのが観月なのだが。

「皆でどこ行っちゃったんですか?」

「学校」

「え? だってテニスコートは……」

「うん。だから、テニスじゃなくてね。屋上」

「屋上〜?」

 益々意味がわからなくて、裕太は怪訝そうに眉を顰めた。が、すぐに察して「あ!」と声を上げる。

「もしかして……」

「そうそう。ウチの部長さんは、掃除の途中で慎也と三年の寮生何人かと逃亡。怒った観月が、箒を持って追っかけて行ったの。今ごろ、沈んでるんじゃない?」

「ほ…箒っすか?」

「ご丁寧に庭掃除用の竹箒でね。さて、時間だ。ちょっと待ってて、裕太」

 腕時計に視線を落とした木更津は、淡々とした様子で隣の部屋へと見回りを再開した。

 残された裕太は、箒を持って近所にあるとはいえ、学校までの道のりを鬼のような形相で駆けていく観月を想像して、身を震わすのであった。

 

 

 

 

































































































二話→

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