性相近し 習い相遠し 三話






 

 ライトアップされコート内に黄色い球がテンテンと転がる。その中で膝をついて、真田は息を整えるのに必死だ。

「今日はこれまでにしようか」

 反対側のコートからは涼やかな声。汗で滲む視界の中央には、小憎らしいほど平然とラケットを片手に幸村がいる。

 いや、よくみれば彼も汗だくなのだが、部活内は球拾いに専念している自分と違い、きっちりとした練習を積んでいる上でなのだから化け物と呼ぶには充分なタフさだろう。

 真田は立ち上がると、ドンリクを取りにベンチへと向かった。空を見上げれば、眩いばかりのライトのため星ひとつ見えない。

 立派な施設の整っているこのコートは、学校のものではなかった。幸村が通っているというテニスクラブのものを無理言って使わせて貰っているのだ。

 会員でない真田も使わせて貰っているのだから、よほど強力なコネでもあるのかもしれない。その内会員になろうとは考えているが、そのために両親を説得しなければならないことを思うと多少なりとも気が重かった。

 多分――一族全員が剣道部に入っていると思っている。

「中々良かったよ、真田。ボールに早く追いつきすぎて、どうやって打とうか迷うのがなくなれば尚いい」

 タオルで汗を拭きながら、幸村もベンチに座り込む。

「さすがに疲れた」

 苦笑を漏らした。

「籠いっぱい分サーブしてればな…悪い」
「謝るのはおかしい。オレが強要しているんだから」
「強要だなんて思っていない。オレが好きでやっていることだ」
「ならオレも好きでやっていることだよ」

 顔を顰める。このように返され、煙に巻かれるのを真田はもっとも嫌う。

「何を考えているんだ?」
「君のこと」
「幸村!」
「怒らないでよ。仕方ないじゃないか。君の上達を見ていると凄い楽しいんだから」

 またもや気勢をそがれた形に、真田はなんと言っていいのかわからなくなる。果たして自分が穿り過ぎるのか、相手が一枚も二枚も上手なのか。

 深呼吸を繰り返して、気持ちを落ち着ける。

「上達…しているのか?」
「しているよ。まだオレとしか打ったことがないから気づけないかもしれなけど、驚異的な速さだ。よくもまあ、鎌田先輩の動きをそこまでトレースできるものだな。さっきも言ったが、お前のほうが目が利くし動きも速いから、速く追いつくとどうしていいのかわからないんだろう?」
「そうだ……な。だが、オレがあの先輩と同じ動きができるとするのなら、それはお前が今日先輩が受けていた球と同じ急速、同じコースで打ってくれるからだ。凄いな…いつの間に見ていた?」
「見てたよ。じっくりとね。凄い顔で先輩を凝視している真田も見ていた」
「……うっ」

 嫌な顔をした真田に、思わず吹き出すと珍しくそのまま声を上げて笑った。

「ねえ、真田」
「なんだ」
「真田はなんでオレの我儘に付き合ってくれるわけ?」
「それは……」

 ここで一番に浮かんだ理由が『幸村の本気を見たいから』だったが、素直にそれを口にするのはなんだか癪に障った。そこはやはり十二歳の少年だ。

 どうせなら気の利いた冗談のひとつでも返して、その取り澄ました顔を崩してやりたい。

「惚れた弱みってヤツだろう」

 言ってみてから、ん? もしかしたら自分の首を締めたか? とは気づいたが後の祭りで、途端背中に流れる汗が冷たくなった。

「いや、というか…っ! もともとオレの勘違いで…っ。幸村?」

 取り繕うと必死になってみたが、隣の幸村からはウンともスンとも返ってこない。不安になって、横目で盗み見て愕然とした。

「ゆ…幸村?」

 隣では体を折り曲げて、腹を抱え。反対の方向にベンチ上で倒れている幸村がいた。その背はひくひくと痙攣を繰り返している。

「さ…さいこー…っ! ひーひー!」

 そんな笑い方をするキャラだったのか……。

 別の意味で度肝を抜かれた真田だった。

「さ…真田…っ。君はやはり凄い…っ」
「わかった…わかったから。そんなに爆笑するな…」

 可憐な容姿でそんなに激しく抱腹絶倒をされると、なにやら幻想めいたものが崩れていくのが惜しかった。

 肩を揺すると、動きがピタリと止まる。そのまま電池が切れたかのような唐突さでぐったりと弛緩した。

「おい、幸村?」
「―――今ので、なけなしの体力も潰えた……」
「待て待て、こんな所で寝るな! もうコートを出なきゃならない時間だぞ」
「うん…置いて帰っていいよ。コーチの誰かしらが拾ってくれるさ」
「莫迦を言うな! ったく」

 仕方ない、と真田はうつ伏せている幸村の背中と、膝裏に手を回すとそのまま抱き上げた。

「え? ちょ…っ!」

 これにはさすがに驚く。静止の声を上げる前に、幸村の体は宙に浮いていて、がくりと頭が下がった。

「…っ?」

 要は抱き上げられたのではなく、担がれているのだと知る。真田の肩で、体が折り曲がっている状態だ。

「軽いな。何食って生きてるんだ、お前は」
「さ…真田―っ! ちょっと信じられない! 下ろせ!」
「喧しい、怒鳴る体力はあるのか。とりあえずロッカーまでは担いでやる」
「随分な嫌がらせじゃないか」
「親切心と言って貰おう」

 片手に幸村。片手に二人分の荷物と器用にも持つと、真田は悠然と歩き出す。

「知らないよ、真田」

「なにがだ」

 慌てふためく幸村に気をよくして、自然笑みが零れた。背を向けているのだから、相手の表情を互いに見れないことがこの場合良かった。

 真田は満足そうに笑っているし、幸村は―――真っ赤だったからだ。

 

 だが、やはり真田の浅慮は己の首を締めるのみであった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の部活時間。

 雁首そろえた二.三年の主力選手に囲まれて、真田は窮することになる。

 総勢で十二名。中には副部長の鎌田まで鬼のような形相で、真田を睥睨していた。

 それらを遠巻きにして残りの部員が居る。柳生、丸井、仁王、ジャッカルも、助けに入ったほうがいいのかわからずにただ見守るしかできないでいた。

「真田…お前は試合もしたことが無いというじゃないか」
「はい」

 三年の一人が威圧的な物言いをしてくるが、おいそれと怯えるほど可愛い性格はしていない。真田は泰然と受け流す。

「それでよくもまあ、テニス部に入ったよな。何故だ? 剣道部部長が未だにお前を戻せと泣きついてくるんだぜ?」
「――何が仰りたいのかわからないのですが」
「う。なんだ、その態度はっ」
「何が仰りたいのですか?」

 先輩風を吹かし、尚且つ人数でも勝っているのに、決して怯む素振りを見せない後輩に迫力負けする。

「―――お前! 一番テニスで弱っちいクセになんでんなに態度がデカイんだよっ! ここはなあ、名門テニス部なんだぞ? 常勝と名高い立海大附属だ! そこにド素人が混じってるのが許せねーんだよっ」

 一人がいきり立てば「そうだ! そうだ!」と他も賛同し始めた。真田はこれまで何も言われずに来たのに、今になってそのようなことをがなり立てる先輩達の心境の変化にこそ戸惑いを隠せない。

 はっきり言って腕力には自身がある。この人数だったら楽勝だろう。だが、それだけは避けねばならないのが面倒だと感じた。

 話し合いで済むのならばそれに越したことはないのだが、どう考えを廻らせても無理そうだ。

 嘆息を漏らせば、目敏く先輩達が「生意気なんだよ!」といちゃもんをつけてくる。

 成り行きを見守っていた柳生が、他一年を見た。

「どうしますか? 何でいきなり先輩達は今更なことを言っていると思います?」
「どうするも何も…やはり助けたほうが良くない? 部長は部長会でいないから頼れないし、顧問はまだ来ないし……」
「まあ、待ちんしゃい丸井。――柳、幸村の意見は? 元々ド素人を連れてきたのはお前等じゃろ」
「オレじゃない。幸村だ。――仁王よ。お前は真田に辞めて欲しいのか?」
「全然。オレ、あいつのこと気に入っとるしのう」
 皆の視線が、自然と幸村に集まる。

 幸村は優艶と微笑んでみせた。

「あんな上玉。逃がすわけがないだろう?」

 スタスタと真田のもとへと歩んでいく。

「――――…………」

「――――………」

「――――………」

「今…のって…空耳…かなあ?」

 声も無いのは桑原、柳生、仁王。かろうじて、耳をかっぽじるのが丸井。
 柳だけはなんとなくことの成り行きが見えていた。

「先輩達。いきなりどうしたのですか? 真田が何かしました?」
「幸村っ! お前、お前!」


 凄みを利かせていた先輩達が、一人の少年の登場によって一気に情けない顔になって縋りつかんばかりの勢いで詰め寄っていく。

「お前―っ! こんなオヤジ面したヤツの何がいいって言うんだーっ!」
「そうだぞっ? お前は男子テニス部に咲いた一輪の花なのにっ」
「摘み取るヤツは言語道断だ! 排除だ! なんのための協定だっ!」

一年総勢十三名が後ろでコケた。

 真田はハッとする。昨夜のアレを見られたのだと気づいたのだ。

 そう言えばあのテニスクラブは立海大付属の生徒が多く在籍しているのだと説明を受けていなかったか。

「あはははー。嫌ですねえ。ここは共学じゃないですか」

 動じず返す幸村の神経はきっとピアノ線でできているに違いない。

「オレと居残り練習しようと誘ったら断るのに、いっつもお前はこのクソ生意気な剣道一年と一緒に居たとはどういうことだっ?」

 最後のトリは副部長だった。鎌田の真剣さは、捕まれた肩にこめられた力でわかる。

(アンタの誘いにのったらそれこそ何されるかわからないからだ)

 心中毒づくも、さてどうしようか、と頭を捻った。その時、肩を捕まれていた手が外される。

「――先輩。不躾はいけませんよ」
「く…このっ」

 外されたのではなく、外して貰ったのだと知る。真田が鎌田の手首を握り緊めていた。凄まじい握力なのは、苦痛に歪んだ鎌田の表情が物語っている。

 幸村は慌てた。ここで真田に問題を起こさせるわけににはいかない。

「真田、離せ」
「しかし…」
「離せ」


 渋々と鎌田の手を解放する。

「このヤロウ…先輩に向かって…っ」
「鎌田先輩。オレが真田を買っているには訳があります」

 すかさず間に入った。

「彼は天才です。立海大附属の名に恥じない、それどころか中学界で近いうちに日本一になれる男です」
「―――随分、大言を吐くじゃないか……」
「オレが言うんだから、確かです」

 きっぱりと言い切った。

 真田は唖然。一年は呆然。

 取り囲んでいた二.三年達は――爆笑した。

「それは何の冗談だ? 幸村」
「――試合。してみましょう、先輩」
「なに?」
「だから真田の実力がわかれば文句は無いんですよね? 試合、しましょう」
「――恥をかきたいのか?」
「真田が負けたのなら、先輩の言うとおり部活後でもお付き合いしますよ」
「幸村っ?」

 この申し出に鎌田の目の色が変わった。崩していた顔を、覚めたように元に戻す。

「よし。真田、いっちょお前の実力とやらを見てやろう」
「……おい、鎌田。勝手に試合したらヤバクねえか?」
 三年の一人が困ったようにその腕を引いた。それを力任せに振りほどく。

「なあに、ちょっと一年の練習をみてやるだけだ。なあ、真田」
「よろしくお願いします」
「コートに入れ。おい、誰でもいいから審判役しろ。あとラインズマン」
「何ゲームですか?」
「1ゲームで充分だ。サーブ権もつけてやる」

 わらわらと二年がコートの端に散り、忠告をした三年が苦い顔で審判を買って出た。

 緊張が走る。

 真田は大きく深呼吸をすると、壁にかけていた自分のラケットを手にした。

 竹刀を振り回していた時とは違う場所にできたタコ。ぎゅっと握りこめば、大分慣れたはずの感触が嫌に頼りないものに思われた。

 振り向けば、そこにはコートと対戦相手がいる。

 ドクン。

 ドクン。

 血がはやった。躰の隅々にまで緊張が走り、感覚が研ぎ澄まされる。

 この感覚は身に覚えのあるものだ。

 そうだ――試合前はいつもこんな感じだったじゃないか。暫くぶりで随分忘れていた。

 真田はこの感覚が好きだった。

 興奮する。滾る。気迫が漲る。

 ―――負けるわけにはいかんのだ。

 声に出さなくても、約束なんかしていなくても。

 確かに、真田は幸村の自分に対する信頼を感じた。

 どこに幸村がいて、この試合を見ているかなんて探さなくたってわかる。

 剣道がなんだ。テニスがなんだ。

 勝負事で負けるのが、一番オレは嫌いだ。

 

「ザ・ベスト・オブ・1ゲームマッチ。真田サーブプレー」

 

 ベースライン前に立つ。何度も幸村に打たされたサーブだ。

 受け取れ――!

 綺麗なフォーム。高いジャンプ。叩き込むように打たれた球。

「―――っ!」

 相手コートに弾丸のごとく突き刺さる。

 鎌田は身動きもできずに横を抜かれた。

 しん…と、静まり返る。

「フィ…フィフティーン・ラブ」

 審判が告げた。周囲に驚きの声が波紋のように広がる。

「いきなり…鎌田先輩相手にサービスエース?」
「すんげービッグサーバ……」

 誰もが信じられないと呟く中、幸村と柳だけが平然と試合を眺めていた。

「―――当たり前だ。誰がつきっきりで教えていると思っている」
「お前だけは敵に回したくないよ」

 一番信じられないのは大口を叩いた鎌田だ。

(ゆ…油断してたぜっ! 本気締めてかからにゃ)

 腰を落として、サーブに入る真田を睨みつけた。

(打つ瞬間をよく見ろ。球を捉えるんだ!)

 真田がボールを上げる。打つ。

 ――バシッ!

「―――っ!」

 またもや横を抜かれた。

「サーティン・ラブ!」

 ざわめきが大きくなる。
 鎌田はただ、球を見送ることしかできなかった。

 気づけば40−0。

 見当をつけて走りこんでもラケットに掠りもしない。

「ゲーム! 真田! ワン・ゼロ」

 ―――うおおおぉぉお……。

 誰ともなく感嘆の声が出た。初めてたった数ヶ月の素人が、副部長相手にラブゲームでブレイクしたのだ。

「ちっくしょう…っ! どうせサーブだけだろっ? オレのサービスゲームだ! ぎゃふんと言え――っ!」
「か…鎌田。ぎゃふんって」
「うっせえっ! お前はジャッジしてろっつーの!」
「はいはい。鎌田サーブプレイ!」

 吼えるような気合の声とともに、ボールを叩き込む。

 瞬間。

 いやに不敵な笑みを浮かべた真田と目が合ってしまった。

 理屈じゃない。打たれる。そう感じたと同時に、やはり球は自分側のコートで転がっていることになる。

「―――え…。ストレートのリターンエース?」

 ぞくりと、背筋が震えた。

 対峙していれば、これだけ距離が離れているのにも関わらず、気迫に押し負けていることがわかる。

 ―――団体戦とはいえ全国大会優勝してんだぜ、オレ。

 心中を悟られたわけでもないだろうに、真田は居住まいを正してじっと鎌田を凝視した。

「―――本気出して下さい。先輩」

「――――っ」

 

 

 

 

 






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