性相近し 習い相遠し 四話
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暗くなり、殆どの部活が終る中。テニス部だけは遅くまで残っていた。 練習メニューを無視して、勝手に試合をしていた為だ。当事者は勿論、全員が連帯責任だと校庭を五十周させられた結果である。 岐路につく頃には皆くたくたで、誰の口も重かった。 とんでもないものに立ち会ってしまった。 それは次期レギュラーと名高い一年部員、四名も同じだ。 黙々と前を歩く真田の後ろから数歩下がって固まっているのがいい証拠だった。 「―――あのなあっ。言いたいことがあるならハッキリ言え! 黙ってついてくるなっ。柳生、丸井、仁王、ジャッカル!」 「ですが…水臭いじゃないですか。いつのまにかあんなに強くなっているなんて」 真面目に褒め称えられて、失礼にも真田は不気味そうに退く。 「そうだな。それに副部長と言っても実力はレギュラーでは下の方だしな」 落として誉める。柳のある意味必殺技に、真田は素直に気を良くした。顔には出ないが、雰囲気でなんとなく察した幸村は、その前に回りこむ。 「真田。勝負しようか」 「―――え」 日が沈めば、梅雨前独特の湿った風が吹く。心なし冷たいそれが、幸村のうねるような黒髪を揺らした。 「今から試合をしよう。いつもの場所でいいよね?」 「面白い」 背筋が泡立つ。本気を感じたのだ。 「えー? 幸村と真田の試合かよ! 見ってーっ。行っていい? 行っていい? ジャッジマンするぜ!」 勝手に興奮してはしゃぐ丸井に、幸村はにべもなく断りを入れた。 「……野暮ってもんじゃろ、丸井」 「オレ見たいー! 見ったーい!」 駄々をこねる丸井の腕を掴むと、柳生は引き摺るようにしてそのあとに続いた。 ポカン、とその騒動を思わず見守ってしまった真田は、我に返れば幸村と二人きりという状況にたじろぐ。 いや、二人きりというのなら別に初めてのことではない。だが、内面を曝け出そうとしている幸村と二人っきりとなると、なんとなく心細く感じてしまうのは何故だろうか。 「さて、行こうか真田。――君につまらない思いをさせてしまったのなら、同情はいならいよ。剣道部に行き日本一になってくれ」 暗闇の中。仄かな常夜灯に浮かび上がる少年は、容姿が人形のように整っている分恐い。 試合とは気を呑まれたほうが負ける。 そんな簡単なことも、真田は忘れていた。 ジュワア〜と、美味そうな音を立てて具が流される。モンジャマスター柳が、綺麗に土手を作っていった. 「いつまで不貞腐れているんですか、丸井君。ほら、こっちの餅入りキムチモンジャも差し上げますから、そろそろ機嫌を直したまえ」 つまらないことのように、仁王が口を挟む。「え?」と丸井が呆気に取られた。仁王はウーロン茶を飲みつつ、やはり気持ち悪いものでも見るような目つきで鉄板の上を見遣っている。 「丸井よ。お前だって別に真田が勝つとはおもっちょらんじゃろ」 桑原が台に肘をついた。そこをすかさず「食卓に肘をつけるな!」と柳に払われる。 ちょっとだけへこんだジャッカルだった。 「ちぇー。オレの天才的妙技の前でも、あいつの前では霞むんだもんなあ」 柳の見えているのかどうかも妖しい瞳が光る。 「あ…そうだよな。来るよな…真田……」 きっと幸村に負けた真田はガムシャラになって上を目指すだろう。好敵手こそが、かっこうの上達の材料だ。 「いや――たんにもう焦げるぞ、との話だ」 「うあっ! つかもう皆食ってるしー!」 あまりの餓えた少年達の手の速さに、負けじと丸井も参戦した。
―――やはり星が見えんなあ。眩しい……。 強烈なライトを直接視界に入れてしまい、慌てて瞑るも焼きついて薄れない。閉じた暗闇の中にも鮮明に光りが残る。 ―――幸村の姿そのままだ。 ラケットは遠く向こうに飛ばされたままで、拾いに行く気力もなかった。 1セットゲーム。 1ゲームも取ることができずに、6−0で終了。 これにはさすがに堪えた。上級生に勝ったばかりということもあり、少しだけあった己への力への過信が脆くも崩れ去る。 荒い呼吸もそのままに、真田は右手をコートに叩きつけた。 「完敗だ……」 側で座り込む気配を感じる。わざわざ確認しなくても相手が誰だかなんてわかりきったことだ。 「でもオレも…久し振りだよ。こんなに追い詰められたの」 投げやりな口調で、真田はゴロンと幸村に背を向けた。 「ああ……こんなに負けて悔しいのは……いつ以来だろう。驕り昂ぶる己に対していい戒めだ」 「ガタイじゃないな。テニスは」 一息に告白をすると、胃から咽にかけてすっとした気分になった。 これまで愚痴をもらしたことも、己の心情を語ったこともない。不言実行。多くは語るなかれ、と信じていたからだ。 しかし、幸村には晒け出すことができる。何故なら彼もまたきっと同じ人種で、そして自分に進んで曝け出してくれたからだ。 「真田。君はなんでオレの我儘に付き合ってくれるんだい?」 同じ場所。同じ台詞。同じ人間。 違うのは――真田の中身だけ。 「テニスって面白いな。――越えたい……超えたいぞ」 瞼を開く。手を掲げるとそれで拳を作った。 わくわくする。走り回る感触。ボールを打ち込む快感。 「ねえ、真田。運命って信じるか?」 興奮冷め遣らぬ調子で、すっかりハイになっている真田の顔にタオルがかけられた。 「オレも、信じてみる気になったよ」 隠された顔半分。幸村のイタズラに苦笑しつつ、タオルを取ろうと手を伸ばしたら、それを捕まれて―――唇に柔らかいものが一瞬だけ触れた。 「――――………」 ぴたり、と全ての動きを止める。 「さて、遅くなったし帰るか。明日も学校だ」 傍らの気配が立ち上がる。そして歩き出した。 コートを出て行ったのを感じてから、バネ仕掛けの人形のような勢いで跳ね起きる。 反動でタオルが膝に落ちた。 「―――な…なんだ?」 くらりと脳味噌が揺れるのは、いきなり起き上がったせいか、それともなにやらよくわからない今の状況のせいか。 「なんなんだ!」 「ほらー真田。先帰るぞ?」 仰天して声のするほうを向けば、日頃とまったくもって変わらない様子の幸村。 真田は口をフナのようにパクパクとさせたのちに――― 面倒になって立ち上がった。 まだ始まったばかりなのだ。 そう、何もかもが始まったばかり……。 コートを出れば暗闇で、慣れるまでの間瞳をしばたかせる。 空を見れば煌々と月が輝いており、やはり星は見えなかった。 |
終り→