性相近し 習い相遠し 四話





 

 暗くなり、殆どの部活が終る中。テニス部だけは遅くまで残っていた。

 練習メニューを無視して、勝手に試合をしていた為だ。当事者は勿論、全員が連帯責任だと校庭を五十周させられた結果である。

 岐路につく頃には皆くたくたで、誰の口も重かった。
 疲れのせいでだけではないのは、皆が自覚していることだ。

 とんでもないものに立ち会ってしまった。

 それは次期レギュラーと名高い一年部員、四名も同じだ。

 黙々と前を歩く真田の後ろから数歩下がって固まっているのがいい証拠だった。

「―――あのなあっ。言いたいことがあるならハッキリ言え! 黙ってついてくるなっ。柳生、丸井、仁王、ジャッカル!」

「ですが…水臭いじゃないですか。いつのまにかあんなに強くなっているなんて」
「ホントホント! まさか先輩相手にストレート勝ちするとは思わなかったぜ!」
「本気で驚いたわい」
「うん。真田って計り知れない……」
「別に…向こうも侮ってかかったんだろう。なんて言ったってド素人だからな」

 真面目に褒め称えられて、失礼にも真田は不気味そうに退く。

「そうだな。それに副部長と言っても実力はレギュラーでは下の方だしな」
「そう…なのか。蓮二」
「うむ。だが、全国の常連だ。お前は凄いよ」

 落として誉める。柳のある意味必殺技に、真田は素直に気を良くした。顔には出ないが、雰囲気でなんとなく察した幸村は、その前に回りこむ。

「真田。勝負しようか」

「―――え」

 日が沈めば、梅雨前独特の湿った風が吹く。心なし冷たいそれが、幸村のうねるような黒髪を揺らした。

「今から試合をしよう。いつもの場所でいいよね?」
「試合? お前とか……」
「ああ。それこそさっきの台詞じゃないが、真剣勝負で」

 ふっと切れるような鋭さで射抜かれる。黒真珠のごとき双眸が楽しそうに真田に向を映していた。

「面白い」

 背筋が泡立つ。本気を感じたのだ。
 やっと、幸村を捕まえた気がした。
 建前や外面でなく、本物のこの少年を見る機会に、知らず鼓動が跳ね上がる。

「えー? 幸村と真田の試合かよ! 見ってーっ。行っていい? 行っていい? ジャッジマンするぜ!」
「ダメ」
「なんでっ!」

 勝手に興奮してはしゃぐ丸井に、幸村はにべもなく断りを入れた。

「……野暮ってもんじゃろ、丸井」
「そうですよ、ここは若い二人に任せて」
「え? なに? 見合い? これは見合いなの?」
「ジャッカル、お前モンジャて食ったことあるか?」
「ないけど…いきなり何だ、柳」
「じゃあ、今日は皆でモンジャに行くか」
「あれは…食べ物か?」

 苦い顔で仁王が呟くが、柳は決まったとばかりに桑原の腕を取った。

「オレ見たいー! 見ったーい!」
「はいはい。明太子モンジャ奢ってあげますから」

 駄々をこねる丸井の腕を掴むと、柳生は引き摺るようにしてそのあとに続いた。

 ポカン、とその騒動を思わず見守ってしまった真田は、我に返れば幸村と二人きりという状況にたじろぐ。

 いや、二人きりというのなら別に初めてのことではない。だが、内面を曝け出そうとしている幸村と二人っきりとなると、なんとなく心細く感じてしまうのは何故だろうか。

「さて、行こうか真田。――君につまらない思いをさせてしまったのなら、同情はいならいよ。剣道部に行き日本一になってくれ」
「幸村」
「あれ程度で満足されると、些かこちらに無理矢理引っ張ってきたオレも気分が悪い。本気、出そうな」
「ゆ…幸村?」

 暗闇の中。仄かな常夜灯に浮かび上がる少年は、容姿が人形のように整っている分恐い。

 試合とは気を呑まれたほうが負ける。

 そんな簡単なことも、真田は忘れていた。

 

 

 


 ジュワア〜と、美味そうな音を立てて具が流される。モンジャマスター柳が、綺麗に土手を作っていった.
 学校から一駅だけ離れた商店街に連なる、小さな店の座敷で五人の少年がぎゅうぎゅうに座っている。

 小さいヘラを珍しそうに眺めるジャッカルの隣では、心底嫌そうな仁王が、曇るメガネを気にする柳生の隣には仏頂面の丸井がそれぞれ座っていた。

「いつまで不貞腐れているんですか、丸井君。ほら、こっちの餅入りキムチモンジャも差し上げますから、そろそろ機嫌を直したまえ」
「だってよう〜柳生〜。やっぱ気になるじゃんか! ああー今頃試合してんのかなあ」
「終わってるじゃろ」

 つまらないことのように、仁王が口を挟む。「え?」と丸井が呆気に取られた。仁王はウーロン茶を飲みつつ、やはり気持ち悪いものでも見るような目つきで鉄板の上を見遣っている。

「丸井よ。お前だって別に真田が勝つとはおもっちょらんじゃろ」
「それは…そうだけどさー。でもいい試合にはなるんじゃね?」
「ならない。99パーセント、ストレート負けしている。たかだか数ヶ月で幸村に勝てるわけがない。それに――あいつは試合となると劇的に豹変するヤツだからな」
「柳君の言うとおりだと思いますよ。何度か公式試合見ましたけど…あれはもう鬼神光臨の部類です」
「芸術だと思ったよ。オレは。ああ、持久力だけでなく、あれだけの技術力も欲しいぜ」

 桑原が台に肘をついた。そこをすかさず「食卓に肘をつけるな!」と柳に払われる。

 ちょっとだけへこんだジャッカルだった。

「ちぇー。オレの天才的妙技の前でも、あいつの前では霞むんだもんなあ」
「君の場合は天才的は天才的でもサーカスの部類ですよね」
「ていっ!」
「痛! ちょっと、デコピンは止めて下さいよ!」
「あー。今頃真田…幸村にコテンパなのかあ。それはそれで見たい気がするけどさー」
「丸井…悠長に構えている暇は無いぞ」

 柳の見えているのかどうかも妖しい瞳が光る。

「あ…そうだよな。来るよな…真田……」

 きっと幸村に負けた真田はガムシャラになって上を目指すだろう。好敵手こそが、かっこうの上達の材料だ。

「いや――たんにもう焦げるぞ、との話だ」

「うあっ! つかもう皆食ってるしー!」

 あまりの餓えた少年達の手の速さに、負けじと丸井も参戦した。

 

 

 





 

 ―――やはり星が見えんなあ。眩しい……。

 強烈なライトを直接視界に入れてしまい、慌てて瞑るも焼きついて薄れない。閉じた暗闇の中にも鮮明に光りが残る。

 ―――幸村の姿そのままだ。

 ラケットは遠く向こうに飛ばされたままで、拾いに行く気力もなかった。

 1セットゲーム。

 1ゲームも取ることができずに、6−0で終了。

 これにはさすがに堪えた。上級生に勝ったばかりということもあり、少しだけあった己への力への過信が脆くも崩れ去る。

 まさしく滅多打ち。

 荒い呼吸もそのままに、真田は右手をコートに叩きつけた。

「完敗だ……」
「ふふ…」

 側で座り込む気配を感じる。わざわざ確認しなくても相手が誰だかなんてわかりきったことだ。

「でもオレも…久し振りだよ。こんなに追い詰められたの」
「ど…どこが…だ。だったら…1ゲームぐらい寄越せ…」
「欲しかったのか?」
「―――くれるもんなら貰ってやる」

 投げやりな口調で、真田はゴロンと幸村に背を向けた。

「ああ……こんなに負けて悔しいのは……いつ以来だろう。驕り昂ぶる己に対していい戒めだ」
「オレみたいな優男に負けたのがよほど悔しいか」
「悔しいさ。何が悔しいって、ちょっとでもお前を見くびったオレの見る目の無さが悔しい」
「男だね」

 気持ちのよい冷気が空から降りてくる。胸にいっぱいに吸い込めば、少しだけつんとした痛みを感じた。

「ガタイじゃないな。テニスは」
「ガタイだけじゃない、ってことだ。テニスは」
「剣道にはな、こんな教えがある。『何もなすことなき常の心にて、よろづをするとき、よろづの事、難なくするとゆくなり』と説きさらに『此の平常心をもって一切の事をなす人是れを名人と云うなり』言う。平常心は名人の極地だ。――オレも常に冷静であり、堂々であれと戒めていた。が、結局そんなもんオレの驕りをごまかしていただけだと思い知った。試合に冷静? オレの性格でそんなものあるか。興奮する、熱くなる。まずはそこからだ。老成する年じゃない」

 一息に告白をすると、胃から咽にかけてすっとした気分になった。

 これまで愚痴をもらしたことも、己の心情を語ったこともない。不言実行。多くは語るなかれ、と信じていたからだ。

 しかし、幸村には晒け出すことができる。何故なら彼もまたきっと同じ人種で、そして自分に進んで曝け出してくれたからだ。

「真田。君はなんでオレの我儘に付き合ってくれるんだい?」

 同じ場所。同じ台詞。同じ人間。

 違うのは――真田の中身だけ。

「テニスって面白いな。――越えたい……超えたいぞ」

 瞼を開く。手を掲げるとそれで拳を作った。

 わくわくする。走り回る感触。ボールを打ち込む快感。
 全てが真田にとって血を滾らせる要因となる。そして――最高の目標がそこにいた。

「ねえ、真田。運命って信じるか?」
「ははは…まあ、かなり運命的な出会いをしたな」

 興奮冷め遣らぬ調子で、すっかりハイになっている真田の顔にタオルがかけられた。

「オレも、信じてみる気になったよ」

 隠された顔半分。幸村のイタズラに苦笑しつつ、タオルを取ろうと手を伸ばしたら、それを捕まれて―――唇に柔らかいものが一瞬だけ触れた。

「――――………」

 ぴたり、と全ての動きを止める。

「さて、遅くなったし帰るか。明日も学校だ」

 傍らの気配が立ち上がる。そして歩き出した。

 コートを出て行ったのを感じてから、バネ仕掛けの人形のような勢いで跳ね起きる。

 反動でタオルが膝に落ちた。

「―――な…なんだ?」

 くらりと脳味噌が揺れるのは、いきなり起き上がったせいか、それともなにやらよくわからない今の状況のせいか。

「なんなんだ!」

「ほらー真田。先帰るぞ?」

 仰天して声のするほうを向けば、日頃とまったくもって変わらない様子の幸村。

 真田は口をフナのようにパクパクとさせたのちに―――

 面倒になって立ち上がった。

 まだ始まったばかりなのだ。

 そう、何もかもが始まったばかり……。

 

 コートを出れば暗闇で、慣れるまでの間瞳をしばたかせる。

 空を見れば煌々と月が輝いており、やはり星は見えなかった。

 

 

 

 



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