性相近し 習い相遠し 二話
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「さーなだ! やーなぎ! 一緒に部活行こうぜー」 ガラリと教室の戸をあけるやいなや、元気溌剌と声をかけられて、真田は教科書を取り落としそうになる。胡乱な顔でそちらを見れば、待ちきれない様子の丸井ブン太が自分の教室でもないのに、ずかずかと入ってきていた。隣のクラスのこの少年は、自分のクラスにもテニス部員がいるにも関わらず、何が気に入ったのかこうして真田と柳をいつも誘いに来る。 「ん? なんだよ、まだ教科書出して」 小さい体を精一杯ふんぞり返して威張る丸井に、真田は首を傾げた。どうにもこの少年と喋っていると未知なる生き物と遭遇している気分になるのは何故だろうか。 「二物…なんだかカタカナでいわれた気がするが、そこはまあいい。与えなかったら意味ないんじゃ?」 端で見ていたクラスメイトは思わず心の中で『固まっている。アノ真田が固まっている』と、珍奇な組み合わせの二人を注目せずにはいられなかった。 「…そうか。しかし、勉強はしておいて損はないと思うぞ」 キョロキョロと教室中を捜す丸井に、クラスメイトはまたもや『話を聞いてねえっ!』と一斉に突っ込んだ。 ハラハラドキドキな展開に、息を詰めながらも真田の動向を窺う。真田は無視されたことに遅まきながら気づいたのか、怪訝な表情をしたが、まったくもって空気の読めていない丸井に「柳はあ?」繰り返し聞かれたので律儀にも答えていた。 「日直だから、今は職員室だ。先に部活に行ってその旨を伝えておいて欲しいとのことだ」 二人が教室からいなくなると、途端ほっとした雰囲気が流れる。 皆、いつ真田が切れるのかと気が気ではなかったのだ。これで柳が居たのなら、まだ中に入って会話が成立できているようなのだが、二人っきりだと思わず間に入って通訳をしてやりたくなってしまう。 ―――ただし、恐いから誰もしないのであった。 クラスメイト達に、部室までの道のりを心配されているとは露知らず。真田と丸井はジャージ姿の生徒で溢れる廊下を並んで歩いていた。何分身長差があるので、真田はゆっくりと調節して歩いている。最初に並んで歩いていた時に「早い! オレに合わせろっつーの」と、丸井が文句を垂れたからだ。 「なあなあ、真田ってさー。剣道強いんだって?」 とりあえず、真面目に誠意を持って会話に望むしかできないでいた。 「少年剣道大会で何度か優勝した」 「って、優勝? つえーじゃん!」 突如後ろから頭を殴られて、丸井はつんのめった。 「な…なんだよー! ヒロシー!」 振り返ればやはり一年テニス部員の柳生比呂士が、背筋もまっすぐに立っていた。 「どうして初対面から君は気安く比呂士と呼ぶんですか! しかも絶対漢字表記で呼んでませんね?」 いきなり怒涛の会話が始まったと思いきや、傍観していた所を振られて真田は多いに焦った。大体センブンとかキャプテンとか言われてもなんのことだかサッパリわからない。 しかし真摯に答えを待ち受けているらしい丸井に対して、何か言わなければ失礼にあたる。真田の性格は意外と律儀だった。 「うむ…趣味を持つのはいいことではないだろうか」 (に…苦手だ。この調子は……) 調子と書いてテンポと読む。大人に囲まれて育ったために、喧しく捲くし立てる同年代の少年との会話についていけない。 これがまだ蓮二や幸村なら、落ち着いて会話が成立するのだが。 「真田ってさー」 「食えるが」 見た目はまともだと思うのだが、丸井の突拍子も無い言動に真面目に付いていける柳生も計り知れないと真田は思った。 「ワサビ食えるのにー。コート外たあ、泣けるのう」 ダン! と、丸井は柳生の足を踏んだ。 「…っ!」 「丸井…っ?」 さすがに痛かったのだろう。柳生は片足を抱えて座り込んだ。 ここは怒るべきか、いやしかしどっちもどっちだ。などと逡巡していたら、丸井は泣き真似をして走り去っていった。 「うえーん! 幸村〜! 柳生と真田が虐めるよう〜っ」 捨て台詞に驚いていると、丸井が数メートル先で同級生に泣きついているのがわかった。 莫迦みたいな会話をしながらも、部室の前にまで来ていたらしい。その先には、既にジャージに着替えていた幸村が婉然と一同を迎えていた。 「おや、丸井を泣かせるとは酷いね」 痛みが治まったのか、すくっと立ち上がる柳生は、ともすれば女子部の部員にしか見えない二人に火花を散らして向き合う。 それを隣で眺めていながら、真田はやはりどうしていいのかわからなくなるのだった。 テニスをあまりに知らなさ過ぎる。それが原因であるのはわかりきっていた。 体を動かすのは好きだし、スポーツと名のつくものなら全てにおいて興味がある。しかし、実際は剣道ひと筋で来たものだから、今一どう取り組むべきかがわからないでいた。見ている分には楽しいとは思うのだが、やってみるのとなればやはり違うもので。ラケットの持ち方から教えて貰わねばならなかった真田にしてみれば、勝ち負け以前に試合になるかどうかも妖しい。 今まで勝って当たり前の世界にいたのが、試合さえおぼつかない土俵に入ったのだ。 矜持も負けず嫌いも人一倍あるほうだと思う。その為の努力も嫌いではない。 だが――やはり、防具をつけて竹刀を振るような緊張感や胸が熱くなる感覚を、ラケットに置き換えて持つのは難しかった。 経験が無い。 それが見事にネックになっている。 幸村に引っ張られって退くに退けず入部をしてしまったものの、今考えれば引け目になっていた。 しかも入部してみれば名門校と呼ばれるだけって、全員がテニス経験者ともくれば、ド素人の真田の出る幕はまったくない。 強くなりたいという願望を持ち、どこまでも努力をれすればいいのだろうが―――。 丸井も柳生も今ひとつわからならい生き物だが、一番掴めないのが幸村だ。 じっと、見つめていると、やはりよくわからない曖昧な笑みで返される。彼は「君なら強くなるよ」と言ったきり、何かを真田に期待する素振りを見せなかった。 ―――全てはこの顔のせいだ。 自業自得なのだから仕方ないとは諦めているが、やはり何故すぐに女性ではないと教えてくれなかったのか。 ―――いや、やはり男なのに女性徒と間違われてしまえばいい気はしないだろう。し…しかも…。 告白までしてしまっているのだから。 それを思い返せばいつでも羞恥の為に首を吊りたい衝動に駆られてしまうのだった。 「なんだい、真田。そんなに見つめられると照れるじゃないか」 意識が思考の中に沈んでいた真田は、我に返ると慌てて首を横に振って視界から外した。 「変なやつぅ」 余計なことをまたもや丸井は言う。 「変じゃないよ。ねえ、真田。ラケットは買ったの?」 抱きついていた丸井が、恐る恐る離れた。柳生はメガネを掛け直しながら「そう言えば」と話題の転換を計る。 「お二人はクラスも出身校も違うのに仲がよいですよね。幸村君が真田君の練習に付き合っているというのも驚きです」 答えになっているようで答えになっていない。柳生だけが躱されたことに気づいたが、もう一度尋ねるべきか迷っていると、校舎の方角から鐘が鳴り響いた。それを合図にして、部室からぞくぞくと部員が出てくる。 そこにはやはり同じ一年部員の仁王雅治とジャッカル桑原がいて、こちらに気づいた。 「あれ? なんじゃお前等。こんな所にまだおって」 「あ、鳴り終ったね。頑張って走っておいで。部長にはオレから言っておくから」 「ゆ…幸村君?」 「蓮二は日直だから遅いのだ! それも伝えておいてくれ!」 危うく忘れる所だったと、真田は胸を撫で下ろす。 「ふう、よかった」 地団太を踏む丸井と、肩を竦める柳生に真田はずっと疑問に感じていたことを尋ねる。 「幸村はそんなにテニスが上手いのか?」 些かむっとしながら、驚く丸井と困惑している様子の柳生が答えるのを待つ。教えてくれたのは柳生のほうだった。 「幸村君は日本テニス界注目のジュニアランカーですよ。タイヨーカップ・オープンジュニアの部十四歳以下でこの間優勝してたじゃないですか」 「―――……悪い。それは凄いのか?」 「…………」 「…………」 「行きますか、丸井君」 「そうだなー。あまり遅いと走る周増えそうだしな」 真田を置いたまま、二人は部室へと入っていった。 とにかく生半可ではなく強いらしい、というのは理解できた。 柔軟をしてから外周三十周を終えた真田は、他一年と同じく球拾いに加わる。 特例が許されている丸井と幸村だけがコート内でラケットを振っていた。今はベースラインからのラリー練習らしい。 「お、戻ってきたな柳生、真田」 仁王と柳生も球拾いの中に居る。この二人も強面の真田を恐がらずに接してくれる数少ない同級生だ。全員が全員、一年とは思えないほどの容貌と体格なので、似たもの同士という意識があるのかもしれない。 「真田君のペースに、引っ張られました…」 息を切らせながら柳生が疲れたように腰を下ろした。 「真田って体力あるよな。もしかして走りこみとか毎日してるほうか?」 仁王が真田の足元にあったボールに手を伸ばす。 「毎朝五キロ走っているが、それは元からだ。体力作りは基本だからな」 「四時間?」 仁王が口端を上げた。そんな遣り取りを聞いていて、真田はただ感心するしかない。 「お前達も経験者なんだよな。テニス、強いのか?」 単純に疑問を口に出しただけなのだが、なんとも言えない顔で、三人は互いと目を見合わせた。 「真田よ、お前はホンッキで何も知らないで良く入ったな」 呆れを通り越してむしろ天晴だ、と続ける仁王に柳生も賛同する。 「まさしく。――いいですか? ここは全国の常連強豪常勝の立海大なんですよ? 一年部員皆、クラブに入っていたり試合経験がある者ばかりです。不思議に思いませんでしたか、これだけの施設の整った部なのに、一年部員は十五名しかいない」 「じゃあ、なんでオレが入れたんだ!」 真田は目を眇めて一番遠くのコートでラリー練習をしている小柄な少年を見た。相手は丸井で、小気味よい打ち合いが続いている。 「ボールコントロールは流石ですね、あの二人は」 ―――オレにそれがどれぐらい難しいのかもわからん。 幸村は微笑さえ浮かべて、楽々と打っているから尚更計りかねた。 ラケットを振る幸村はこの短期間で、それこそ目に焼きつくほど見ている。肢体を存分に使い、綺麗にラケットを振りぬく。その度に風切り音が聞こえてくるようだった。足腰のバネもあるし、コートの端から端へと駆け抜ける様は軽やかで、まるで重力を感じさせない。 ひとつひとつの形が、お手本のように決まっていた。 基礎がしっかりできているのだろうということは、素人の真田にだってわかる。だが、それはあくまで練習中のプレイだ。 技術、体力、気迫。 そのどれが欠けても勝負ごとは語れない。だが、どうにも普段の幸村から勝利に対しての執着と気迫を想像するのが難しい。 確かに幸村は上手い。しかし、強さを感じたことは、真田にはなかった。 ―――あいつの本気を見てみたい。 柔らかい物腰。丁寧な言葉使いで、しなやかに人と接する少年。残念ながら、真田にはそれが本当の幸村精市だと言い切るには、多少なりとも煮え湯を呑まされている。 優しいだけではない。きっと強靭な何かが彼の中にはある。ただし、それを簡単に表に出すほど甘い人間ではないだけだ。 出会って間もないが、真田には何故だかそれがよくわかっていた。この少年は強い。テニスとかそういうのを抜きにして、人として強く厳しい。 普通に出会っていたのなら、望んで友になりたいぐらいそんな気性を好ましく思っている。 「ダラダラ喋っていると先輩達に目をつけられるぞ」 影が固まっていた一年達にさした。見上げれば柳が腕を組んで嘆息を漏らしている。 「随分長引いたな」 真田の労いに、心底嫌だったのだろう、珍しく怒気も顕わに柳が返した。 「それより、一年は半分に分かれて球拾いとボレー練習だそうだ。言付かってきた」 それぞれが動きだす中、真田も立ち上がるが、襟首をいきなり捕まれてのけぞる。 「真田」 背の低い幸村に引っ張られているために、中腰にならざるえない。苦しかったが、無理矢理その指をはずすことは躊躇われた。 「君はそれに参加しなくていい。今は球拾いをしていて」 幸村は真田の目を覗き込む。そこでああ、と察した。 「スタイルの問題だよ。君がオレの真似をしたって、合わない。鎌田先輩はベースライン上から打ち込むのが得意なベースラインプレイヤーだ。振られながらも戻りが早いし、粘り強い守りをする。だけどそれだけじゃない。ダッシュ力があるから、前後のフリにも強い。カウンターパンチャーだ」 背を軽く叩くと、幸村は2.3年の輪に戻っていった。 「愛されているな、弦一郎」 「うわ! な、なんだ一体!」 横に並んだのは柳で、真田は飛びのいてから己の過剰な反応に恥ずかしくなる。 「驚かすな、蓮二」 ざくり、と胸を抉られる。確かに、軽い気持でこのテニス部でテニスをしているとすれば、それは大いなる侮辱だろう。 急激に疎外感を感じた。しかし男真田弦一郎、本気を疑われておめおめと引き下がるほど軟弱な精神は持ち合わせていない。 「椅子がひとつ減ったな。すまないことだ」 頬を羞恥に染めて、真田は素晴らしいダッシュ力で三年コートへと走っていく。 「―――本当に面白い男だな」 幸村が揶揄する訳がよくわかった柳だった。 |