性相近し 習い相遠し 二話






 

「さーなだ! やーなぎ! 一緒に部活行こうぜー」

 ガラリと教室の戸をあけるやいなや、元気溌剌と声をかけられて、真田は教科書を取り落としそうになる。胡乱な顔でそちらを見れば、待ちきれない様子の丸井ブン太が自分の教室でもないのに、ずかずかと入ってきていた。隣のクラスのこの少年は、自分のクラスにもテニス部員がいるにも関わらず、何が気に入ったのかこうして真田と柳をいつも誘いに来る。

「ん? なんだよ、まだ教科書出して」
「――試験の範囲について先生に聞きに行ってたんだ」
「試験〜?」
「……中間試験がそろそろだろう。小学校の時にはなかったからな……」
「げげっ! 真面目だな…真田」
「お前、そんなんで大丈夫なのか?」
「ふふーん。オレ様は天才なのだ。天はオレにニブツを与えず!」

 小さい体を精一杯ふんぞり返して威張る丸井に、真田は首を傾げた。どうにもこの少年と喋っていると未知なる生き物と遭遇している気分になるのは何故だろうか。

「二物…なんだかカタカナでいわれた気がするが、そこはまあいい。与えなかったら意味ないんじゃ?」
「ちっちっちっ! テニスで名を馳せるオレ様に、勉強まで誰も期待なんかしてねーのさ!」
「―――…………」

 端で見ていたクラスメイトは思わず心の中で『固まっている。アノ真田が固まっている』と、珍奇な組み合わせの二人を注目せずにはいられなかった。

「…そうか。しかし、勉強はしておいて損はないと思うぞ」
「あれ? そういや柳は?」

 キョロキョロと教室中を捜す丸井に、クラスメイトはまたもや『話を聞いてねえっ!』と一斉に突っ込んだ。

 ハラハラドキドキな展開に、息を詰めながらも真田の動向を窺う。真田は無視されたことに遅まきながら気づいたのか、怪訝な表情をしたが、まったくもって空気の読めていない丸井に「柳はあ?」繰り返し聞かれたので律儀にも答えていた。

「日直だから、今は職員室だ。先に部活に行ってその旨を伝えておいて欲しいとのことだ」
「ムネ? ムネを伝える? どきゅーんって感じ?」
「………は?」
「ま、いいや。んじゃ楽しい部活へれっつらごー」

 スポーツバッグを抱えなおして、さっさと教室を出て行く丸井に、真田は溜め息をつきながらもついていった。

 二人が教室からいなくなると、途端ほっとした雰囲気が流れる。

 皆、いつ真田が切れるのかと気が気ではなかったのだ。これで柳が居たのなら、まだ中に入って会話が成立できているようなのだが、二人っきりだと思わず間に入って通訳をしてやりたくなってしまう。

 ―――ただし、恐いから誰もしないのであった。

 クラスメイト達に、部室までの道のりを心配されているとは露知らず。真田と丸井はジャージ姿の生徒で溢れる廊下を並んで歩いていた。何分身長差があるので、真田はゆっくりと調節して歩いている。最初に並んで歩いていた時に「早い! オレに合わせろっつーの」と、丸井が文句を垂れたからだ。

「なあなあ、真田ってさー。剣道強いんだって?」
「む…。そうだな」
「へー。どんぐらい強いの?」
 物怖じしないブン太の性格を、真田は皆が想像しているほど嫌ってはいない。一年の中では恐がられて中々話かけても貰えないい真田だ。だが、やはりこれまで付き合ってきた人間とは、沖縄と北海道並に距離も離れ気候も違うかのようなタイプとは付き合い方がわからない。

 とりあえず、真面目に誠意を持って会話に望むしかできないでいた。

「少年剣道大会で何度か優勝した」
「ええーっ! しょ…少年っ! ぶふーっ。少年ってツラじゃねえっ!」
「――――………」

 どうやって反応すればいいのか、まったくもってわからない。

「って、優勝? つえーじゃん!」
「そ…そうだな」
「それがなんでいきなしテニスな訳? まあテニスは楽しいけどさー。真田が他一年と混じって球拾いや素振りって結構不気味だぜ? 剣道やってりゃヒーローなのになん…でっ!」
「君という人は〜! 本当にデリカシーとか気遣いとがまったくもってできない人ですねっ!」

 突如後ろから頭を殴られて、丸井はつんのめった。

「な…なんだよー! ヒロシー!」

 振り返ればやはり一年テニス部員の柳生比呂士が、背筋もまっすぐに立っていた。

「どうして初対面から君は気安く比呂士と呼ぶんですか! しかも絶対漢字表記で呼んでませんね?」
「どうだっていいじゃん! んだよーセブンて呼んだほうがいいのか?」
「申し訳無いのですが、僕が心惹かれるのはキャプテンウルトラです」
「なにそれ? 聞いたことないぞ」
「幻の作品なのですよ! ウルトラマンとウルトラセブンの間に放映されていたのですっ! いつか…っいつかこの目で見たいっ」
「オ…た?」
「失礼な! マニアと呼んでください!」
「どう違うの、真田」
「えっ?」

 いきなり怒涛の会話が始まったと思いきや、傍観していた所を振られて真田は多いに焦った。大体センブンとかキャプテンとか言われてもなんのことだかサッパリわからない。

 しかし真摯に答えを待ち受けているらしい丸井に対して、何か言わなければ失礼にあたる。真田の性格は意外と律儀だった。

「うむ…趣味を持つのはいいことではないだろうか」
「真田君。君とはやっていけそうな気がします」
「何をだよ!」
「えーい、君は黙ってらっしゃい! 大体校内でクチャクチャガム噛んでいるんじゃありません! 人と喋っている時は止めなさい」

「むっかー! なんでそうやって上から物を言うかな!」

 どうしても一人でおいてけぼりを食う真田だった。

(に…苦手だ。この調子は……)

 調子と書いてテンポと読む。大人に囲まれて育ったために、喧しく捲くし立てる同年代の少年との会話についていけない。

 これがまだ蓮二や幸村なら、落ち着いて会話が成立するのだが。

「真田ってさー」
「うお! な…なんだ?」
「ワサビって食える?」

 果たしてどこでどう会話が繋がったのだろうか。考えこむも、やはり丸井の思考回路はわからない。

「食えるが」
「やっぱりー! 食えそうだよな!」
「丸井君。失礼ですが、僕だって食べれますよ」

 見た目はまともだと思うのだが、丸井の突拍子も無い言動に真面目に付いていける柳生も計り知れないと真田は思った。

「ワサビ食えるのにー。コート外たあ、泣けるのう」
「……くっ。そういう君はワサビ抜きなのですね? お子様ですねえ。回転寿司に行ってもわざわざ頼まなければならいのですから同情しますよ。寿司屋に」
「きーっ! チビって言うなあっ!」
「誰も豆粒なんて言ってません」

 ダン!

 と、丸井は柳生の足を踏んだ。

「…っ!」

「丸井…っ?」

 さすがに痛かったのだろう。柳生は片足を抱えて座り込んだ。

 ここは怒るべきか、いやしかしどっちもどっちだ。などと逡巡していたら、丸井は泣き真似をして走り去っていった。

「うえーん! 幸村〜! 柳生と真田が虐めるよう〜っ」
「オレもか!」

 捨て台詞に驚いていると、丸井が数メートル先で同級生に泣きついているのがわかった。

 莫迦みたいな会話をしながらも、部室の前にまで来ていたらしい。その先には、既にジャージに着替えていた幸村が婉然と一同を迎えていた。

「おや、丸井を泣かせるとは酷いね」
「酷いよう。二人揃ってまだ球拾いの分際でさ!」
「一言余計なんですよ! 丸井君! 秋までには見てなさい。新人戦からレギュラー候補になりますから!」
「ふふ、いい意気込みだね。柳生」
「当たり前です。幸村君と丸井君が一年でもうレギュラー候補の中にいるのを見ていれば、おのずと煽られますよ」

 痛みが治まったのか、すくっと立ち上がる柳生は、ともすれば女子部の部員にしか見えない二人に火花を散らして向き合う。

 それを隣で眺めていながら、真田はやはりどうしていいのかわからなくなるのだった。

 テニスをあまりに知らなさ過ぎる。それが原因であるのはわかりきっていた。

 体を動かすのは好きだし、スポーツと名のつくものなら全てにおいて興味がある。しかし、実際は剣道ひと筋で来たものだから、今一どう取り組むべきかがわからないでいた。見ている分には楽しいとは思うのだが、やってみるのとなればやはり違うもので。ラケットの持ち方から教えて貰わねばならなかった真田にしてみれば、勝ち負け以前に試合になるかどうかも妖しい。

 今まで勝って当たり前の世界にいたのが、試合さえおぼつかない土俵に入ったのだ。

 矜持も負けず嫌いも人一倍あるほうだと思う。その為の努力も嫌いではない。

 だが――やはり、防具をつけて竹刀を振るような緊張感や胸が熱くなる感覚を、ラケットに置き換えて持つのは難しかった。

 経験が無い。

 それが見事にネックになっている。

 幸村に引っ張られって退くに退けず入部をしてしまったものの、今考えれば引け目になっていた。

 しかも入部してみれば名門校と呼ばれるだけって、全員がテニス経験者ともくれば、ド素人の真田の出る幕はまったくない。

 強くなりたいという願望を持ち、どこまでも努力をれすればいいのだろうが―――。

 丸井も柳生も今ひとつわからならい生き物だが、一番掴めないのが幸村だ。

 じっと、見つめていると、やはりよくわからない曖昧な笑みで返される。彼は「君なら強くなるよ」と言ったきり、何かを真田に期待する素振りを見せなかった。

 ―――全てはこの顔のせいだ。

 自業自得なのだから仕方ないとは諦めているが、やはり何故すぐに女性ではないと教えてくれなかったのか。

 ―――いや、やはり男なのに女性徒と間違われてしまえばいい気はしないだろう。し…しかも…。

 告白までしてしまっているのだから。

 それを思い返せばいつでも羞恥の為に首を吊りたい衝動に駆られてしまうのだった。

「なんだい、真田。そんなに見つめられると照れるじゃないか」
「う…す、すまない」

 意識が思考の中に沈んでいた真田は、我に返ると慌てて首を横に振って視界から外した。

「変なやつぅ」

 余計なことをまたもや丸井は言う。

「変じゃないよ。ねえ、真田。ラケットは買ったの?」
「む。うむ、いつまでも部にあるのを借りてはおれんからな。昨日蓮二に選んで貰った。一体どうやって買うのかわからないから、困った」
「だから柳に付き合って貰ったんでしょう? 彼なら君に一番合ったラケットを選んでくれたはずだよ」
「ああ、詳しく教えてくれもしたから助かった」
「本当ならオレも一緒に行きたかったんだけど、都合がつかなくてね。残念だ」
「いや、お前にはいつも部活後も練習に付き合って貰っているしな」
「本当に残念だ。一緒に行っていたらオレも名前で呼んで貰えるほどの仲になれたかもしれないのにね」
「は?」
「蓮二」
「そ…それはだな。ウチのクラスの女子に真田がいるから、紛らわしいと名前で男のオレのほうが呼ばれているのだ。蓮二はだから自分も名で呼べと…そんな話になってだな」
「そう……本当に残念だな」
「……ゆ…幸村〜? なんか変だぜ?」

 抱きついていた丸井が、恐る恐る離れた。柳生はメガネを掛け直しながら「そう言えば」と話題の転換を計る。

「お二人はクラスも出身校も違うのに仲がよいですよね。幸村君が真田君の練習に付き合っているというのも驚きです」
「オレも一緒に幸村と練習したいー! やっぱ本気になる相手としなきゃだよな」
「うん。まあ、真田をテニス部に勧誘したのはオレだからね。残っての練習といっても基礎をやっているから、丸井には物足りないと思うよ、まだ」
「うに?」

 答えになっているようで答えになっていない。柳生だけが躱されたことに気づいたが、もう一度尋ねるべきか迷っていると、校舎の方角から鐘が鳴り響いた。それを合図にして、部室からぞくぞくと部員が出てくる。

 そこにはやはり同じ一年部員の仁王雅治とジャッカル桑原がいて、こちらに気づいた。

「あれ? なんじゃお前等。こんな所にまだおって」
「制服姿じゃないか。鐘が鳴り終わる前までに着替えていないと、外周三十周だって聞いたぜ」
「―――へ?」

 丸井、柳生、真田が思わず固まった。

「あ、鳴り終ったね。頑張って走っておいで。部長にはオレから言っておくから」

 にっこり、と幸村が皆から離れる。

「ゆ…幸村君?」
「幸村ぁー! なに? 知ってて足止めしてたのかよ!」

 青くなる柳生と丸井の悲痛な叫びも何処吹く風で、幸村は楽しそうに手を振った。呆然とする二人を他所に、真田はこれだけは伝えておかねばと思い出す。

「蓮二は日直だから遅いのだ! それも伝えておいてくれ!」

 それには仁王が手を振って答えた。

 危うく忘れる所だったと、真田は胸を撫で下ろす。

「ふう、よかった」
「よくねーだろっ! なんだよー! 幸村のやつぅ!」
「まさかこのような反撃に合うとは思いませんでした。中々普段も見た目どおりの人物ではないようですね。侮れません」
「侮れないのはテニスだけでいいっつーのに。可愛い顔してイケズだぜっ」

 地団太を踏む丸井と、肩を竦める柳生に真田はずっと疑問に感じていたことを尋ねる。

「幸村はそんなにテニスが上手いのか?」
「はあっ? え、なにそんなのも知らないで練習相手させてるわけっ?」
「仕方なかろう。テニスというものを詳しく知ったのはここに入ってからなんだから」
「それでよくこの強豪テニス部に入る気になりましたね。先ほど幸村君が言ってましたけど、誘われたからにはそれなりに光るものがおありなのでしょうが」
「そんなことはあいつに聞いてくれ。それで、どうなんだ?」

 些かむっとしながら、驚く丸井と困惑している様子の柳生が答えるのを待つ。教えてくれたのは柳生のほうだった。

「幸村君は日本テニス界注目のジュニアランカーですよ。タイヨーカップ・オープンジュニアの部十四歳以下でこの間優勝してたじゃないですか」

「―――……悪い。それは凄いのか?」

「…………」

「…………」

「行きますか、丸井君」

「そうだなー。あまり遅いと走る周増えそうだしな」

 真田を置いたまま、二人は部室へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく生半可ではなく強いらしい、というのは理解できた。

 柔軟をしてから外周三十周を終えた真田は、他一年と同じく球拾いに加わる。

 特例が許されている丸井と幸村だけがコート内でラケットを振っていた。今はベースラインからのラリー練習らしい。

「お、戻ってきたな柳生、真田」
「意外と早かったな」

 仁王と柳生も球拾いの中に居る。この二人も強面の真田を恐がらずに接してくれる数少ない同級生だ。全員が全員、一年とは思えないほどの容貌と体格なので、似たもの同士という意識があるのかもしれない。

「真田君のペースに、引っ張られました…」

 息を切らせながら柳生が疲れたように腰を下ろした。

「真田って体力あるよな。もしかして走りこみとか毎日してるほうか?」

 仁王が真田の足元にあったボールに手を伸ばす。

「毎朝五キロ走っているが、それは元からだ。体力作りは基本だからな」
「ふーん。真面目やのう。そうか、お前なら二時間でも試合軽く試合できそうじゃ」
「む。テニスの試合とはそのような長丁場になるものなのか?」
「な…長丁場?」
「なりますよ。中学生ではそのようなことは滅多にないでしょうけど。大きな大会になると男子は5セットマッチですから、二時間…時には四時間にも及びます」

 細かく説明をしてくれた柳生に、真田は驚きに目を丸くする。

「四時間?」
「夏なんか地獄ですね。最後は己との気力勝負となるでしょう。真田君の持久力はそれだけで武器です。僕ももっと精進せねば。桑原君なんかも凄そうですよね」
「まあな。守備に回ったらオレを抜けるヤツなんて滅多に居ないと思うぜ」
「言うねえ」

 仁王が口端を上げた。そんな遣り取りを聞いていて、真田はただ感心するしかない。

「お前達も経験者なんだよな。テニス、強いのか?」

 単純に疑問を口に出しただけなのだが、なんとも言えない顔で、三人は互いと目を見合わせた。

「真田よ、お前はホンッキで何も知らないで良く入ったな」

 呆れを通り越してむしろ天晴だ、と続ける仁王に柳生も賛同する。

「まさしく。――いいですか? ここは全国の常連強豪常勝の立海大なんですよ? 一年部員皆、クラブに入っていたり試合経験がある者ばかりです。不思議に思いませんでしたか、これだけの施設の整った部なのに、一年部員は十五名しかいない」
「少なくはないと思うが……」
「氷帝なんか三百人も部員がいますよ。あそこは来る者拒まずですから。ここは違います。入部するにはまず審査があって、それを満たす者以外はいくら入部したくてもできません」
「なに?」
「狭き門だよな」

 しみじみと桑原が頷く。真田は思わずあたりを見回してしまった。

「じゃあ、なんでオレが入れたんだ!」
「僕が聞きたいですよ」
「でも真田ってスポーツテストで中等部始まって以来の新記録を叩きだしまくったんだよな。持久走ではオレと僅差だった」
「おお、そうじゃな。ジャッカルと真田、あの時陸上部にかーなり目つけられとったし」
「肩も足腰も強い。反射神経も凄い。テニス部が未経験者でも欲しがる理由はそこじゃないかな」
「あとは幸村の推薦じゃなあ。顧問も部長も幸村可愛がってるし。年上受けいいヤツじゃき」

 ―――幸村……。

 真田は目を眇めて一番遠くのコートでラリー練習をしている小柄な少年を見た。相手は丸井で、小気味よい打ち合いが続いている。

「ボールコントロールは流石ですね、あの二人は」
「打ち合っているだけのように見えるが……」
「よく見て下さい。ネットすれすれでお互い打ち合ってますでしょう。ボールがネットに近づくほど攻撃性が強まるんですよ。ネットに引っ掛けて落とすなんてことも技のひとつですから。そしてそれを二人はノーミスでラリー百回です。まあ、やれと言われれば僕もできますが」
「そうじゃのう」
「う…オレは一回ぐらいミスるかも」

 ―――オレにそれがどれぐらい難しいのかもわからん。

 幸村は微笑さえ浮かべて、楽々と打っているから尚更計りかねた。

 ラケットを振る幸村はこの短期間で、それこそ目に焼きつくほど見ている。肢体を存分に使い、綺麗にラケットを振りぬく。その度に風切り音が聞こえてくるようだった。足腰のバネもあるし、コートの端から端へと駆け抜ける様は軽やかで、まるで重力を感じさせない。

 ひとつひとつの形が、お手本のように決まっていた。

 基礎がしっかりできているのだろうということは、素人の真田にだってわかる。だが、それはあくまで練習中のプレイだ。

 技術、体力、気迫。

 そのどれが欠けても勝負ごとは語れない。だが、どうにも普段の幸村から勝利に対しての執着と気迫を想像するのが難しい。

 確かに幸村は上手い。しかし、強さを感じたことは、真田にはなかった。

 ―――あいつの本気を見てみたい。

 柔らかい物腰。丁寧な言葉使いで、しなやかに人と接する少年。残念ながら、真田にはそれが本当の幸村精市だと言い切るには、多少なりとも煮え湯を呑まされている。

 優しいだけではない。きっと強靭な何かが彼の中にはある。ただし、それを簡単に表に出すほど甘い人間ではないだけだ。

 出会って間もないが、真田には何故だかそれがよくわかっていた。この少年は強い。テニスとかそういうのを抜きにして、人として強く厳しい。

 普通に出会っていたのなら、望んで友になりたいぐらいそんな気性を好ましく思っている。

「ダラダラ喋っていると先輩達に目をつけられるぞ」

 影が固まっていた一年達にさした。見上げれば柳が腕を組んで嘆息を漏らしている。

「随分長引いたな」
「ああ、コピーの手伝いをさせれていた。まったく、人使いの荒い」

 真田の労いに、心底嫌だったのだろう、珍しく怒気も顕わに柳が返した。

「それより、一年は半分に分かれて球拾いとボレー練習だそうだ。言付かってきた」
「ジャンケンかいな」
「そうだな仁王。面倒だからグーパーでいくか」
「一年集合」

 それぞれが動きだす中、真田も立ち上がるが、襟首をいきなり捕まれてのけぞる。

「真田」
「幸村? 練習してたんじゃ」
「終ったよ、それより」

 背の低い幸村に引っ張られているために、中腰にならざるえない。苦しかったが、無理矢理その指をはずすことは躊躇われた。

「君はそれに参加しなくていい。今は球拾いをしていて」
「………」
「怒らないでくれ。なにも莫迦にしているわけじゃない。ほら、あそこに鎌田先輩がいるよね。あの人のプレイをじっくり見ておくんだ。打球の打ち方、回り込みの仕方、ネットへの出方。とにかく全てのプレイを観察して叩き込んで」
「上手いのか?」
「副部長だもの…」
「お前より?」
「え?」

 幸村は真田の目を覗き込む。そこでああ、と察した。

「スタイルの問題だよ。君がオレの真似をしたって、合わない。鎌田先輩はベースライン上から打ち込むのが得意なベースラインプレイヤーだ。振られながらも戻りが早いし、粘り強い守りをする。だけどそれだけじゃない。ダッシュ力があるから、前後のフリにも強い。カウンターパンチャーだ」
「カウンターパンチャー?」
「練習していて思ったけど、真田は動体視力が凄くいいよね。初めてでライジングを打てる人間なんて初めて見た。武道で鍛えていただけあって、筋肉も柔軟だ。きっと君はオールラウンダーになれる。でも、今はベースラインを完璧に会得しとこう。――以前言ってただろう? 真剣を扱う演舞は形が緻密に決まっていると」
「ああ、そうでなければ真剣などでやりあえん。怪我どころじゃなくなるからな」
「だったらまず、基本を頭と体に叩き込め。筋肉と反射神経の制御ができる君なら上達も早いさ」

 背を軽く叩くと、幸村は2.3年の輪に戻っていった。

「愛されているな、弦一郎」

「うわ! な、なんだ一体!」

 横に並んだのは柳で、真田は飛びのいてから己の過剰な反応に恥ずかしくなる。

「驚かすな、蓮二」
「驚かしたつもりはないんだが……。話は聞いていた。お前は三年コートの球拾いだな」
「わかった」
「幸村は本気だな」
「な? なにがだ!」
「だから何故驚く。お前に本気でレギュラーを狙わす気なんだな、と思っただけだ」
「レギュラー?」
「そこで変な顔をするな。怒るぞ」
「何故だ」
「レギュラーを狙わない人間がこのテニス部にいるとしたら邪魔なだけだ」

 ざくり、と胸を抉られる。確かに、軽い気持でこのテニス部でテニスをしているとすれば、それは大いなる侮辱だろう。

 急激に疎外感を感じた。しかし男真田弦一郎、本気を疑われておめおめと引き下がるほど軟弱な精神は持ち合わせていない。

「椅子がひとつ減ったな。すまないことだ」
「ふ、面白い男だ。そんなに幸村が気に入ったのか」
「ち…っ! 違う! それとこれとは違うだろ! 違うからなあーっ!」

 頬を羞恥に染めて、真田は素晴らしいダッシュ力で三年コートへと走っていく。

「―――本当に面白い男だな」

 幸村が揶揄する訳がよくわかった柳だった。

 

 

 







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