幸福家族計画
一話





 そんなに長くもない人生の中で、目の前が真っ暗になり息が止まるほどの驚愕に晒されたことが二回ある。
 多いのか少ないのかはわかりかねたが、それでも当事者にしてみれば「勘弁してくれ」と何処に居るとも知れぬ神に縋りつきたくなるほどにはやるせない。
 そしてそれが三回目ともなれば、何も無かった事にして眠りについた挙句、永遠に目覚めたくないと願ってしまうのも当たり前だろう。

 いや、当たり前と言って欲しい。

 そして、誰でもいいから「これはとてもとても悪い夢なんだよ。気にしないで目覚めなさい」と、『現実』に連れ戻して欲しい。
 そこまでつらつら考えて―――まさしく現実逃避だ。ナルトは情けない笑みを漏らした。
 お気に入りの椅子に深く腰掛け、テーブルに身を突っ伏す。
 途端、サラリと顔を覆うように流れた金色の髪を見て溜め息。

 ―――鬱陶しいってばよ。

 そうは思えど掻き上げる元気も無い。

 そもそもこの髪自体、無視してしまいたい事柄の一つだった。
 第三者が見たならば、誰もが感嘆の声を漏らすだろうくらい見事な金糸の髪は、まっすぐ伸びて上物の絹のような滑らかさだ。
 しかしいくら見事と言っても『普段なら』短く切ってあるナルトにとっては邪魔なものでしかない。

 『普段なら』

 なれば、現在のこの状況はどうなのだろうか。
 億劫そうに、目にかかる髪を一掴みすると――いっそのこと、普段と同じくらいに切ってしまおうか……。と本気で思案し始めた。

 その時。

 ―――ピンポーン。

 静まり返っていた室内で大きく響いた呼び鈴の音に、ナルトは肩を揺らしてびくついた。
 無意識に身体を強張らせ、息を詰める。

 ―――ピンポーン。

 空耳だと思いたかったナルトは、再度鳴らされた呼び鈴を絶望の淵で聞いた。
 ゴクリと、咽が鳴る。

(どうしよう…アイツだったら…。どう、誤魔化す…?)

 鼓動が大きな音を立てて、まるで急きたてているようだ。
 今まで沢山の死地を巡ってきた。二十歳という若さでは異例とも言えるほど、Sランクにあたる任務も数多くこなした。
 度胸も、それで支える冷静さも自分は持ち合わせている。
 にも関わらず、こんな程度で軽い恐慌を起こしているとは何たるザマであろう。

 ―――ピンポーン。

 焦れたように、また響いた。
 舌打ちをすると、腹を括って重い腰を上げる。

「ナルト――! いないの〜?」

「……!」

 中々出てこない住人に痺れを切らして、呼びかけてきたのは女の声。

「サクラちゃん!」

 聞き知った旧知の友の登場に、ナルトは慌てて玄関に行き、その扉を豪快に開けた。
 開けた先には仰天したサクラが、何事かと目を丸くしている。
 サクラ曰く。その時のナルトはまさしく「藁にも縋るかのような形相だった」らしい。
 現に縋られた。と、いうよりも抱きつかれた。

「ちょ…、ちょっとナルトどうしたのっ?」

 ナルトとサクラ。お互い二十歳を過ぎた若者である。
 男性が女性に抱きつくとしたら、それはもう恋人としての抱擁かセクハラであろう。
 後者だとしたならば、色々と強かに成長したサクラは容赦が無い。そのまま腰に手を回され、バックドロップをかまされても文句を言えないだろう。

「サクラちゃん…、オレ…オレどうしよう……」

 だが、今にも消え入りそうなか細い声で縋るナルトは『男性』ではなかった。よって、サクラもバックドロップを見送って、その細い肩に手を置き、とりあえず身体を離そうと試みる。
 密着された胸には、自分のものではない柔らかい感触が圧迫してくるのだ。

「だから、どうしたのよ? 落ちついてちょうだい…」
「サクラちゃん…」

 ようやっと自分を見たナルトの瞳は、けぶるような睫に涙が溜まり、蒼い湖畔を連想させた。ふっくらとした唇は、噛み締めたためか紅をさしたように紅い。憂いを帯びた表情で、頼りなげに至近距離から見つめられれば、サクラでさえクラリとくるような色香だ。
 
 至近距離。

 そうである。本来ならば見上げねばならないほどの、身長差がある二人だ。だが、今は多少ナルトが高い程度であった。

「私が女だからいいようなものの、そんな綺麗な女性の姿で縋らないでちょうだいよ…ナルト…」

 痛む頭を押さえるようにして、サクラは『女性のナルト』を家の中へと促した。

 

 

 

 

 この日、サクラがナルトの家を訪れたのにはさした意味は無い。
 昨日降った初雪に染まった公園を、非番である友人を誘って見に行こうと思っただけであった。
 同じスリーマンセルの仲間だったといえど、実力主義のこの世界。力にみあった昇進を繰り返すナルトとサクラの道は早々に分かれてしまっている。
 上忍への道を突っ走り、見事にその座を勝ち取ったナルトは隠密性の高い任務ばかりを受け持つ為に、滅多に会えない存在となっていた。

 一方サクラは、中忍試験に合格したのちに、己の才能を一番活かせる場所を模索し、今では医療部隊へと配属を希望し部隊長を務めるまでになっている。
 内容がまったく異なる部署の二人のため、非番がかち合うなど殆ど無く。勿論サクラがナルトに会うのも久し振りだ。

「―――それで泣かれたんじゃたまったもんじゃないわよ。ほら、落ち着いた?」

 恐慌状態のナルトをなんとか部屋に連れ込み、椅子に座らせると、勝手に台所を漁って温かいコーヒーを入れた。
 こうばしい豆の香り漂うマグカップを項垂れる男(現在の姿は女性)の前に置いてやる。
 ナルトはこくん、と頷くとマグカップを両手で包み、その温もりをじっと確かめるように見つめた。

「で、いったい何があったの?」

 呆れた様子を隠しもせずに問い掛ければ、なおも俯かれてしまった。イライラしながらも、大きく息を吐くと「力になれるようなら、なるわよ。骨惜しみしないわ」と優しく言い直す。
 それでもたっぷりと、コーヒーが冷めるくらいまでには沈黙が続いたであろうか。
 いい加減新しいのに入れ直そうと立ち上がった時、やっとナルトの口がボソリと動いた。

「え? なに」

 立ち上がるさいの椅子の音に掻き消えてしまって、サクラは再度問い返す。

「オレ…女のまんまなんだってば……」
「―――見ればわかるけど…」
「だから…っ」
「生理なんじゃないの?」

 ズバリ、とあけすけに言われ、ナルトは言葉に詰まった。

 苦手なのだ、その手の会話は。

 産まれながらの女で、医師でもあるサクラにとってはなんのことはない単語であろう。
 しかし若い男であるナルトにとって、その単語は口に出すのも憚られる禁句中の禁句であった。
 ただの男であるならば、未知の世界だ。ここまで極端に忌避することもないだろうが、ナルトは違った。

 且つこのあとに説明しなければならない事柄、それにまつわる単語を思い浮かべては身を捩らんばかりの葛藤が襲ってくる。
 ナルトの中では怒涛のごとく押し寄せる羞恥心で一杯であった。
 それを根性のかぎりで押さえ込み、ようやっと声を絞りだす。

「――――ないんだってば……」
「はい?」
「生理が来ないんだってば…。にも関わらず、身体が元に戻らない」

 顎が外れるかと思った。

 それくらいの勢いで、サクラはまぬけにも大口を開けて固まってしまう。
 友人の驚愕を目の前にして、ナルトは益々居た堪れなくなってしまい小さく身体を丸めた。

「ちょ……ちょっと待ってよ…っ?」

 歪む視界に待ったをかけながら、サクラはなんとか錯乱した精神を平静に戻そうとする。
 深呼吸もしてみた。ゆっくりと数字も数えたし、難解な公式もズラズラと思い返してみた。
 意を決して口を開く。

「えーと…どれぐらい遅れてるの? アンタ排卵日にも身体が戻らないわよね?」
「そうだけど…そん時は一日だけだし…。もう一週間も来ないのに躰が戻ってないんだってばよ」
「私にはわからないんだけど。普段なら、簡単に男から女へ女から男へと変化できるわけ?」
「うん。わりと簡単だけど…。もちろん強制的に転換させられてる時は別だってばよ」
「わかってるわ。アンタが十五で初潮を迎えた時に助けたのは私じゃない」
「ぎゃ――っ! それは蒸し返さないでくれってばっ!」
「だから待って…。考えてるんだから」

 サクラはおもむろにまた深呼吸。

 ひたり、と真正面からナルトを凝視した。

「―――サスケ君と…一週間前にその姿で…寝たの…?」

 ゴン!

 ナルトがテーブルに頭をぶちつけた音である。

「―――サクラちゃん…長い間ありがとう…オレは旅立つってばよ……」
「逃避すんなっ! 私だって長年の親友の床事情なんざ知りたくもないわよっ! だけど聞かなきゃしょうがないじゃないっ!」

 こっちだって恥かしいのだ、とサクラは突っ伏した相手の耳を掴んで顔を上げさせる。渋々とナルトは上体を起こした。

「痛いってばっ!」
「喧しい! さっさと答えろっ!」
「痛い痛い痛い――っ! うわ〜ん! そうだってば! その通りですっ!」
「―――避妊は?」

 ドス。

 ゴロゴロゴロ。

 容赦なく直球を投げられて、今度こそナルトは沈没した。椅子から転げ落ちて床に倒れたのだ。

「……涙で前が曇って見えない」
「んで! 避妊はっ?」
「し……してませんでした……」

 小さい蚊の鳴くような台詞に、あからさまにサクラは嘆息を漏らした。

「アンタ…女の自覚無さすぎだわ」
「だってオレ男だもんっ!」
「半分は! でしょう? 生理があるっていうことは、妊娠できるってことなの! んなこたあ五年前にも散々言われた事でしょう!」
「うわーんっ! あん時はまさかこんな時がくるなんて思いもしなかったんだってばよ――っ!」
「そうね。私もまさかサスケ君とナルトが“男同士”でくっつくとは夢にも思ってなかったわよ」

 吐き捨てるサクラの声音はきつい。

 そしてそこを突かれてしまうと、サクラの初恋を踏み躙ってしまった身としてはただ沈黙を通すしかなかった。

「ねえ、でも待ってよ。アンタいつサスケ君に女であることを打ち明けたの? 絶対に教えないって言ってなかった?」
「女じゃないってば!」
「はいはい。女でもある…ね。んで?」
「―――サスケは何も知りません」
「……はあ?」
「オレが半分女だって…アイツには言ってないもん」
「呆れてモノが言えない…って言っていい?」

 言ってるじゃん。 とは、口が避けても言い返せない。言ったが最後。暫くは立ち直れないほどにバカにされるに決まっているのだ。
 床と仲良くしている、見た目は文句なしの美人を苦い表情で見つめたサクラは、女らしさの微塵もない仕草で髪をかきあげた。

「―――とにかく…一週間じゃまだわからないわ。検査薬でも反応が出ないもの。せめて三週間は欲しいわね」
「―――検査……」

 どこか遠くを見ているナルトに、容赦なく女は言い放つ。

「妊娠検査薬よ」

 次いで、はあ〜とそれは盛大な溜め息をつかれた。

「ニシン?」

「妊娠」

「ミシン?」

「妊娠」

「三し…」

「妊娠っ! 男女の性交の結果、女性が孕むこと。身篭ること。子供ができることっ!」

 うじうじと逃避を繰り返すナルトに向かって、一気に捲くし立てる。
 ナルトは床に頭をつけたまま、身動きひとつしない。

「―――オレ男だってばよ?」
「生理があるヤツを男とは呼びません」

 きっぱり、とサクラは切って捨てた。捨てられたナルトは、やはり床を涙で濡らしながら、絶命したのであった。

 

 




 


 

 うずまきナルトは木ノ葉の里に生まれた忍である。

 誕生が少々特殊で、産まれ落ちたその時に化け物を腹に封印されるという中々悲惨な生い立ちであった。
 しかもそれを知らされずに、十二歳まで育つことになる。
 腹に封印された化け物は九尾の狐といい、当時――ナルトの産まれた日だ―――木ノ葉の里を襲撃。死傷者は数知れず。当時の木ノ葉の長、四代目火影までもその爪に屠られた。
 だが、火影はただ命を落としたのではなく、最後の力を振り絞りその化け物を封じることに成功したのだ。

 狐を封じるために用いられた器が、産まれたばかりの赤子――ナルトであった。

 この事件で生き残った者の中で、一番の功労者はナルトであろう。自覚はなくとも、我が身を犠牲にしてまで化け物を封じたのだから。

 それは四代目火影が「この子は里を救った英雄だ」と言い残したことにも現れている。

 しかし悲しいかな。
 残された遺族にとっては、憎き敵を宿した者として、怨みの対象にしかならなかった。
 逸早くその憎悪に気づいた、当時引退していた三代目火影は早々に役職に復帰をすると、開口一番に九尾に関しての緘口令をしいた。

 曰く、この少年に対し九尾のことを話したり、復讐の対象にすることを禁ずる――と。

 その甲斐もあり、少年は己の暗い運命を知ることもなく育たったのである。
 しかし、だからといって遺族が少年に対し憎悪を消し去ることはできず。少年は幼少の頃から、里人達の理解できない冷たい視線に晒されていた。
 理不尽な仕打ちを理解したのは、アカデミーを卒業した年だ。
 少年を陥れようとした、当時のアカデミーの教師に暴露されたのである。もっとも最悪な方法で。

 それが、彼が目の前に真っ暗になった一回目の出来事である。
 どん底に突き落とされた少年を救ったのは、やはり当時のアカデミーの教師であった。

 現在、無事に二十歳を迎えたナルトにとっては命の恩人と言っても決して過言ではない。

 アカデミーの教師、イルカはこの世で最初に、自分に触れてくれた――魂の部分まで――人間なのだから。
 ナルトは己に架せられた運命を受け止めると、以前よりも強くなって立ち上がった。
 九尾に関しては色々と複雑に思うところはあれど、その後は良い仲間達にも恵まれ。ナルトはしなやかに成長をしていった。

 だから――まだ背負わされたものがあるなどと思いもしなかったのだ。

 話が前後するが、ナルトは天涯孤独の身であった。
 親は物心ついた時から…と、いうよりも産まれた時からいなかったらしい。

 理由は知らない。

 誰も教えてくれないからだ。

 赤子の記憶など持っているはずもなく。ナルト自身も不思議なほど興味なく過ごしてしまった。
 それがものの見事に、現実という色彩にいろどられて目の前に突きつけられたのが十五の時である。
 正確に言うならば十五になる前だったが、当時同年代の少年達がほとんど十五となっていたので、自分も十五と認知されてしまっていた頃だ。

 木ノ葉の里には『宵闇祭』なる行事があった。
 その年、木ノ葉の取り決めにより十五で成人を迎えた少年達が全員参加する。
 簡潔に説明すれば、社に座する巫女を大社まで送る、という行事なのだが。それができるのは、たった一人だけ。
 その座をかけて、巫女を巡り壮絶なバトルを繰り返しつつ、無事に送り届けるというのが宵闇際のメインであった。
 必然的にその年で一番の実力者が、巫女を擁することができる。
 お陰で少年達の力比べのような一面も多々あった。
 さて、ナルト達の年。結末から言えば、巫女を抱きかかえ大社まで乗り込んだのは、その年代ではトップの実力者うちはサスケであった。
 力ならばナルトも負けはしないであろうが、残念ながらそのバトルには参加していなかったのだ。

 なぜならば――巫女役を割り当てられていたからである。

 皆から血眼になられて奪取の的となっていたのが、巫女に扮したナルトだったのだから笑うしかない。

 勿論、誰も巫女が少年の変化した姿だということは知らなかったが。
 夜目に一瞬だけ目があったサスケにだけは、長い付き合いゆえかバレてしまった。
 それまでヤル気の欠片も見せなかった少年は、その瞬間に他の出場者を蹴散らすと、一気に木ノ葉大社まで駆け上った。
 ライバルを自称するナルトにとって、彼のヒーローのような活躍ぶりは業腹以外のなにものでもないが、一番は一番だ。

 しかし実は宵闇祭には、もうひとつおまけがあり。

 大社の鳥居を一番にくぐった若者には、巫女から感謝とこれからの無事を願い、祈りを込めて接吻が送られるのだ。
 ムリヤリ巫女役を押し付けられたナルトは勿論知っていた。打ち合わせの段階で、カカシに念入りに叩き込まれたからだ。
 元来変化の上手いナルトは、女性体になってしまえば誰も自分とは気づかないことを知っており、だからこそ渋々引き受けもしたが、それが間違いだったのだ。行事が行事である。しかも宵闇祭を見にきている里人の手前もあり、放棄することは困難な状況だったのだ。
 第一ここで、慣習を破ってしまっては、巫女に祝福されなかった唯一の男として、不名誉を賜るサスケが少々哀れにも思われた。

 仕方ない――と、腹を括ったナルトはサスケの頭をムリヤリ掴むと唇を合わせた。
 自分が不名誉だ、と思わなくもない。彼とは二回目のキスでもあったからだ。
 一回目は事故なので、感触など覚えている暇などなかったが(と、言うか忘れてしまいたい事柄だ)二回目は必然である。
 柔らかいけれど、少々かさついた唇がとても生々しくて、ナルトは悪寒(そう思いたい)に背筋をぞくりと震わした。
 しかもカカシ曰く「舌をいれなきゃダメなんだよー」との事で、とっくに自棄になっていたナルトは素直にもそれを実行してしまった。

 まあ、入れたのはナルトだが、その先散々嬲ってくれたのはサスケである。

 そんなこんなで、ライバルと認める少年と熱烈なキスを交わしてしまったナルトは顔を真っ赤にすると逃げ出した。

 ―――そこまではいい。

 次にくる、気が狂わんばかりの衝撃で全てが払拭されてしまったのである。
 次の日。早朝。

 前夜のこともあり、恥かしさあいまってフテ寝を決め込んでいたナルトは、目を明けるや己の体の異変に戸惑った。
 妙に熱っぽく、気だるい感触に(風邪でもひいたのだろうか?)と最初は思った。
 窓からは、刺すような朝日が乱暴なまでの目を攻撃してくる。
 数度、それに慣れるように瞬きを繰り返したあとに、頬にかかる髪の感触に違和感を覚えた。
 頬どころか、それを通り越して顎の下にまである感触。
 自分の髪はこんなに長くない。
 やっと視線が定まると、そこには白いシーツ一杯に広がる金色の髪。

「―――え」

 がばり、と起き上がった。とたん、肩から髪が束になって流れる。
 それはゆうに己の腰まではある長さだ。

「オレ…変化解かないで寝ちゃったってば?」

 ふとパジャマの胸元を見れば、そこには柔らかい膨らみが見えて狼狽する。
 変化中はいつも見ているのに、自覚も無い時に拝むと妙にドキドキしてしまった。そこはナルトだって年頃の男の子なのだ。
 胸元のパジャマを慌てて掻き寄せると、そこでまた体の異変に眉を顰める。

 ―――下腹が痛い。

「賞味期限切れたもの食ったけ?」

 最初に考えたのはそのことである。
 日頃の食生活を思えば、あながち見当違いでもない。
 しかし下腹の痛みなど、今まで経験などなかったナルトはその気持ち悪いとしかいいようのない感覚に唇を噛む。

「胃…じゃないってばよね。腸か…?」

 とりあえずトイレに行こうと、ナルトはよろよろと立ち上がった。どうにも体がいつもと勝手が違うような気がする。
 それが、『気』でなかったのは数秒後。トイレからこの世のものとは思えない絶叫で明かされた。

 その後。

 どこをどうしてサクラに頼り、サクラの母親、ついには上忍くノ一紅まで巻き込んだ挙句に火影邸で二度目の、目の前真っ暗な状態になったのかは―――覚えていない。
 記憶に留めるのを脳が拒否したためであろう。
 それほどナルトにとっては過大なる負荷であった。恥なんて一言では現せないほどの事柄が、水牛の群れよろしく押し寄せてナルトを踏みつけていき。のちにはミンチしか残らなかったのだ。
 そのミンチも大地に溶け込み、その大地からまた自我という芽を出すまでに一週間はかかった。
 その時、ナルトの身に起きた出来事を、のちにサクラが根気よく教えた名を『初潮』という。

 当時、十四歳であったサクラとて仲間である少年の身に起きた変化を目の当たりにした時には、晴天の霹靂なんて生易しいものでなく、衝撃だとて並大抵でなかった。
 しかし「女」という性別の強みか、なんとかテンカウント前に立ち上がったサクラはしぶとくファイティングポーズをとることに成功したのだ。(ボクシングは立ち上がってもファイティングポーズを取らなければダウンと取られてしまう)
 ナルトが女性にしかない『生理』という現象を理解するのに三ヶ月。納得するまでに半年。やっと諦め、付き合う決心をしたのが二年。
 その間も根気よく、サクラはナルトに対して『女性』という立場で支え続けた。

 

 

 


「―――あれから五年……。あれほど性教育してやったのに…私の羞恥心を返して欲しいわ」
「ううう…サクラちゃんが容赦ないってばよう…」
「いい加減床から起き上がりなさい。体冷やしちゃダメよ」

 疲れたように言うと、新しくコーヒーを入れようとして止めた。

「あー…お茶のほうがいいわね。焙じ茶か玄米茶ある?」

 立ち上がるとサクラはまたもや台所を勝手に漁り始める。ナルトは観念してのろのろと起き上がった。

「あった…。――ねえ、あんたの周期って二ヶ月よね? 計算は確かなのよね?」

 普段男の状態でいるナルトは、二ヶ月に二回だけ強制的に体が女性体へと変化する。一回は排卵。一回は生理だ。
 生理の期間は短く、四日で終ってしまう。ナルトにとって唯一の救いがそれだろう。
 だが短期間で終るということは、体にくる負荷も半端ではない。最初の二日間はまず起き上がれないのだ。
 そのため仕事に支障をきたすのを避けるべく、いやいやながらも周期だけははっきり把握することを余儀なくされていた。

「確かだってばよ。予定日から五日間休暇取ってたし。…けど、もう一週間も休んでる…つか仕事どうしよう……」
「そんなもん。火影様に全部話すしかないでしょう」
「――――うう…うううう……」

 頭を抱えてまた泣き始めた美女に、幾分か同情の眼差しを送った。

「暫くは事務仕事ね。奥に篭ってなさい。今のアンタが世間に出たら、それこそ面倒なことになるわよ」

 これほど目立つ配色に、誰もが目を奪われるキレイな容姿。表に出た途端、背後からずらずらとバカな男共がついて来るのは想像に易い。

「それに…火影様にはなにがあろうとも報告しなくちゃ…。覚えているでしょう? あの時説明されたアンタの『血』の話を」

 誰も聞いているはずはないとはいえ、サクラの声は我知らず低くなる。それほど重要なことなのだ。
あの時からサクラは同朋でもある少年の業の深さ、柵や宿命を一緒に知ることになり。

 泣きながら、絶対にこの子を守ってやろう…力になってやろうと誓ったのだから。

 だからこそ、ナルトがもう一人の同朋を意識しはじめた時は、己の心までも押さえ込んで、その成就に陰ながら一役も二役もかってやった。
 相手がその少年ならば、少なくともナルトは救われるのではないかと、幼いながらでも考えた結果だった。

「その結果がこれかい…。いや…いいんだけどね。早すぎない? 少なくともサスケ君はまだ火影になれないでしょう。この間やっと生徒が中忍試験に合格したばっかりだし……」
「は? 火影? 誰が?」
「――――アンタの旦那様が、よ」
「だだだだ…! 旦那ってなんだってばよっ!」

 妊娠疑惑まで起こしておいてなにを今更…。そう思わずにはいられないほど、ナルトは少女のごとく可憐に頬を染めた。

「じゃなくて! なんでサスケが火影になるってばよ」

 気を取り直して、もう一度聞き返す。

 今度はサクラがテーブルに突っ伏す番であった。

(なに? なんだと? 今なんて言いやがった…っ)

「大丈夫だってば? サクラちゃん……」
「あ…アンタ…。えーと、アンタがなんで半分女になのかは、わかっているのよね?」
「うん。オレの母ちゃんの血筋だってば? なんだっけ五大国一の古い血継限界で、火の国の巫女さんだったんだよな」
「そこ! そこ過去形にしない! アンタが今現役の火の巫女でしょーが!」

 十五で印が現れてから、ナルトは火の国の首都部にある本大社へと請われ、一年に一回奉納舞をしに行っている。
 女の恰好をして、大臣達の前で舞うのは騙しているようであまり気乗りではないのだが、火影命令でもあるので逆らえなかった。

「でも、オレは木ノ葉の忍だってばよ」

 それこそが誇りなのだと言わんばかりに憮然と返す。

「わかってるわよ。でも血筋で残っているのがナルトしかいないんだからしょうがないじゃない。……で、肝心な部分よ。アンタが次期火影を選ばなきゃいけないっていうのも覚えているでしょう?」
「そうなんだよなー。オレがなるっつーてるのに、あのジジイどもがごぞって『お前がお前選んでどうする』って怒ってさあ〜」
「当たり前じゃない。アンタ、一人では子供が作れないんだから。できたら蝸牛よね」

 そこでまたナルトは首を傾げた。

「そこでなんで子供の話が出るってばよ」
「アンタが子供を産んでもいい。もしくは産ませたい相手が次期火影になるからじゃない」

 段々と会話に疲れてきて、サクラは改めて淹れた焙じ茶を飲んだ。しばし間が空く。

「―――――――ぅえ?」
「そればっかじゃないっ! このオバカ! アンタの頭は飾りかっ? それでよく上忍やってるわねっ!」
「痛い! 髪ひっぱんないでってば! ってか、なんでオレの…ええっ? 選ぶってそうゆう意味だったのかっ!」
「いや――っ! あんた、あの大事な場面で寝てたのっ? 寝てたのかああ―――っ!」

 体の中から女性化してしまったナルトのことを、詳しく教えてくれたのは自来也であった。ナルトの母親、そうして父親である四代目とも深い面識があったかららしい。
 ただその男の性格上、すんなりとした説明ではなかったため、一緒に聞いていたサクラは「さっさと先に進んでください!」と何度も促して聞いたものだ。

「オレあん時のこと本当に何にも覚えてないんだってばっ!」
「そのあとイルカ先生にも赤飯炊いてもらったんでしょう?」
「ぎゃ! 思い出させないでくれってば!」
「話がすすまな――い! だから、アンタがサスケ君好きだって言った時に」
「言ってないってばよ!」
「宣言してたも同然の態度とりくさってたクセになに抜かすっ! 他の男の子供をナルトが産むくらいなら…っと思って私は身を退いたのよ!」
「えっ? そうだったんだってば」

 サクラは目の前の細い肩を掴むと揺さぶる。ナルトも半ば放心状態なので素直にグラグラと揺られた。

「飲・み・込・め・ましたか?」

「な…なんとか…」

「情けないけど、アンタはこの国の護り神を唯一奉れる巫女なのよ。この大地の平定はアンタにかかっているの。その巫女を守るために発生したのが忍の里で、そこで巫女に一番と力を見初められた男が長になっているのよ」

 噛んで含むように説く。今更すぎるとは思うが、この巫女様は自覚が足りなさ過ぎる。

「一応…わかってはいるけど。改めて言われると凄いかも」
「そうよ、凄いことなのよ。表には決して出ない裏の歴史よ。五大国全てがそうらしいわ。そして、強い力を次代に望むべく、巫女は長との間に子を設けるの。その子がまた強い力を取り込んでゆく。あなたの血継限界はそうやって継がれてきたの」
「あああ…ああ…あの…。四代目が親父だってのは知らされてるけど…もしや…」

 サクラは頭を抱えた。そんなことも知らずに、どうして今までサスケと付き合っていたのだろうか。

「アンタの中には歴代火影の血がまんべんなく入ってるってことよ」
「だって! 三代目のじっちゃんには他に子供が…」
「これは私が調べたんだけど…巫女の中でこの里に留まり、結婚したのはナルトの両親が初めてだったみたい」

 それとなく歴代の家系を調べてある。その中には巫女らしい女性の影はなにひとつ無かった。特に初代と二代目は実の兄弟だ。その時の巫女が果たして二人のうちのどちらを選んだかまでは知らないが、産まれた子が三代目との間でナルトの母親を作ったのは確からしい。
 だがそこに愛と呼べるものがあったのかは、当人同士にしかわからないだろう。
 戦乱の時代だった。どのような物語が彼等の間であったのかは、推し量るすべなど今はない。

「サスケが…火影…」

 震えるように呟いたナルトの顔は白い。声にこそならなかったが「オレのせいで…」と微かに唇が動いたのをサクラは見過ごさなかった。

 ―――辛いわね、ナルト。誰かの人生を巻き込まなきゃいけないんだものね。

 それが最愛の者ならば、尚更だろう。

「まずは火影様に事情を話して、そして…きちんと検査しましょう? 全てはそれからよ」

 ゆっくりと、金糸の髪が揺れて、頷いた。













二話

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