帝王院高等学校

捌章-去り際の鎮魂歌-

イエス!ワラショクコーポレーション!

人を殴った事など数える程しかない腕でも、火事場の馬鹿力は発揮されるらしい。
などと、後ろから殴られてたった今崩れ落ちたオフホワイトの作業着を肩で息をしつつ見つめた男は、ズレた眼鏡を震える手で押し上げると、やはり震えながら、簀巻きにされて転がっている夫へ近寄ったのだ。
腰が抜けたのか、四つん這いのまま。

「ほう、これはまた扇情的なポーズだ事で」

ぐるぐる巻きにされているワラショク専務は、哀れなほど表情を失っている常務に息を呑んだ。ずりずりとみのむしの如くうねりながら床を這い、腰が抜けてまともに近寄ってこれないらしい男へと近づいていく。
可哀想に、社員らが鬼か般若かと恐れている一ノ瀬常務は、その面影は欠片もない。社会的な肩書きを忘れた、ただの小林薫に戻っている。

「も、もり、守、守義さ…!」
「はいはい、恐かったですね。上手な手刀でしたよ薫、まぁ、うなじを叩くと気絶すると言うのは都市伝説ですが…」
「俺っ、ひ、人殺しを…!」
「死んでない死んでない。大丈夫なので、私を助けて下さい奥さん」
「うっうっ、何で捕まったりしたんだよぉ、馬鹿ぁ。ぐすっ、俺の守義さんに酷い事しやがって小林守矢、うぐ、絶対許さない…!」
「本当にすみません、50過ぎのジジイに負ける訳がないと油断しました」
「うっ、ひっ、何で油断すんの馬鹿ぁ…。第一、叶は皇の出来損ないの寄せ集めじゃなかったのかよぉ」
「時代は変わるんです。灰皇院の血は混ざっているでしょう?落ちこぼれから落ちこぼれが出来る訳ではありませんからねぇ、ほらほら、老眼鏡が溺れますよ」

震える手では上手く解けないらしく、ぼたぼたと男泣きしている常務は上手く解けない事に再び泣いた。

「俺、俺の所為で榛原も陛下も居なくなったのに、ま、また俺、俺の所為で今度は守義さんが…!ひっ、ひっく」
「ほらほら、お前の所為ではないから泣かない。皆に笑われますよ?」

殴られた衝撃で倒れていたものの、どう見ても二人の内、人相の悪い一ノ瀬が号泣している事に驚いて固まっていた平田洋二は、恐る恐る起き上がった瞬間、再び硬直してしまう。
平田の目の前で、大の大人が壮絶なキスシーンを演じていたからだ。

「亭主の前で他の男の名前を出すとは何事ですか。皇子は妻子がある身、いつまでも想っているだけ無駄だと言っているのに」
「ひっ、阿呆か!い、いつの話をしてんだよ、馬鹿ぁ!俺が好きなのは…!」
「言葉では幾らでも言えますからねぇ?ふぅ、無駄打ちをせずに25歳になるまで貞淑を守り抜いた僕とは違い、お前と言うアバズレはあっちでもこっちでもお尻をフリフリしてましたからねぇ」
「秀皇が居なくなった時からやってない!そ、それに、卒業してからの事は知ってるじゃないか!」

何なんだ、どうして二人は自分の前で痴話喧嘩をしているのだ。
起きるに起き上がれない平田の事にはとっくに気づいている筈の小林専務は、然し何となく解けてきた縄を最終的には自力で引きちぎり、しゅばっと体を起こして優雅に眼鏡を拭いている。それもネクタイで。案外大雑把らしい。

「真面目を絵に書いたA型の僕には理解出来ませんが、どうでも良い他人にホイホイ股を開くなんて…」
「僕だってA型だ!いつまで根に持つんだよ!」
「本来ならお姉様ご夫婦と共に家業を営んでいても可笑しくはないお前を引き抜いた負い目がありましたから、家事は出来ない鼾は煩い、そんなお前に入社当時から同居を持ち掛けたのは確かに僕の方でしたよ、ええ」

平田は息を潜めたまま、いつの間にか大人達が「僕」呼びに変わっている事に瞬いた。笑えるほどに僕が似合わない二人だが、笑っていられる状況ではないだろう。

「その所為で勘違いしたのではないかと思って。そうでなければあれほど毛嫌いしていた僕に、付き合ってくれだの抱いてくれだの迫る筈がない」
「なっ。だからまともに聞いてくれなかったのか!冗談じゃない、嫌いな相手と同居なんかするか…!俺を馬鹿にしてるのかっ」
「熱烈な告白ですね。確かに初めはそうでしたが、知っているでしょう?」

こっそり顔を上げた平田は、微笑みながら常務の唇を撫でている専務を見たのだ。見てはいけないものを見た様な感慨を抱いたが、余りにも愛しげな表情で恋人を撫でている男に目を奪われ、目を逸らせない。

「明神には、人の声音で感情を察する能力がある。その人間を知れば知るほどにそれは確固としたものとなり、…半年も共に暮らせば、嫌でも理解します」
「っ」
「とは言え、たった半年で落とされるのは癪なので、お前には暫く我慢させる事にしました」
「………は?もしかして、付き合ってくれるまで3年も懸かったのは、それが理由…?」
「ええ。万一途中で心変わりし他の男に股を開けば、当然すぐに判ります。お前は嘘が吐けない性分ですからね。ああ、余程のサイコパスでない限り私を騙せる人間は居ませんから、落ち込まなくても良いですよ」
「…」
「それにしても、時々欲求不満そうな顔でじっと見つめてくる表情が大変美味しかったです。無駄打ちはしない主義だった私も、何度か暴発したものです。夜のおかずを提供して下さって、その節は有難う」

名シーンが一瞬で台無しだ。
平田がそう感じたくらいだから、言われた本人は堪ったものではないだろう。ピタッと動きを止めた一ノ瀬常務が、振り上げた手で華麗に平手打ちを決めるのを見た平田は、思わず目を覆った。

「知ってたけど最悪。変態。馬鹿。眼鏡」
「眼鏡はお互い様でしょう?」
「何でこんな男を好きになったんだろうか!これなら秀皇の方が若干マシだったんじゃ?!」
「大空坊っちゃんが仰ってましたよ、お前は典型的なダメンズ好きだそうです」
「な」
「因みにダメンズとは、心底人間として駄目なメンズの略だそうです。ふぅ、坊っちゃんに誉められた時は震え上がりましたよ」
「馬鹿、全然褒められてないだろ!」
「空蝉にとって『人成らざる』は誉め言葉ですよ」

同じ血液型の割りには正反対の二人は、定番のラブソングをフルリピートしていそうな雰囲気と、遠くから聞こえてくるガションガションと言う音をBGMに、肩と肩をひっつけている。

「空蝉とは蝉の脱け殻の如く虚ろである事。空の如く自由である事。代々、雲隠は雲の如く掴めない虚ろな名で繋いできました。冬月は空を駆ける翼、明神は曾祖父の代まで数の単位を名乗っていたそうです」
「そして、榛原は空…」
「その通りです。引き換えに、叶には名前がある人間の方が少なかったと言われています。灰皇院の特性を何ら発揮する気配がない者、身体的に弱い者、怪我を負って日常生活が困難な者など、空蝉の成れの果てでした」

何だか難しい話をしている様だが、平田には一つも理解出来なかったので聞いてはいない。そんな事より、痴話喧嘩していた筈の二人が寄り添っている姿が問題なのだ。

「彼らに比べれば恵まれていた私のご先祖様のお陰で、私には明神の力があります。坊っちゃんには榛原の力があります。けれどそれは同時に、その力を持つ者としての責任がつきまとうと言う事」
「判ってる。貴方も榛原も、自分の力が人に悪影響を与える事がない様に、気を配ってるじゃないか」
「過ぎた力です。遥か昔、命を助けて下さった帝王院への忠誠を選んだ我々は、主人の為の刃となる事を望んだ。その結果がそれぞれの力でしたが、時と共に、人としての知恵をつけすぎた為、冬月の様な家を出してしまった」
「でも、灰皇院からの離脱を選んだのは冬月だけだったんだろう?」

ホモは見慣れているが大人のそれには慣れていない平田は、哀れ全身を掻き毟りたい気持ちを必死で噛み殺した。少女漫画かと叫び出したいが、耐えるしかない。

「皆、本心では畏れていたんですよ。冬月が犯した罪は、決して他人事ではなかった。いずれ、自分達も同じ過ちを犯してしまうかも知れない。何故ならば皇は、宿命で繋がっている」
「宿命?」
「血ですよ。それぞれの家名を名乗ってはいますが、我々に違いなどないに等しい。それこそ各々の特性で名字が変わるだけで、例えば私の能力が声で、明治時代だったら、私は今頃、榛原守義を名乗った筈です。極論ですがね」
「そうか。冬月が出来るなら他の誰もが出来るかも知れないって、疑心暗鬼になったんだな…」

これは平田の秘密の友達である李上香に、しっかりがっつり報告せねばなるまい。初等部の頃、短い間だったがルームメートだった事のある全身黒ずくめの自称忍者は、少女漫画が三度の飯より好きだったのだ。
然し当時日本語の日常会話が下手だった為、すぐに祭美月と同室に替わった。祭美月のルームメートはたった二週間で美月との生活から逃げ出したので、以降、初等部の間はずっと李は美月と同室にされたのだ。

「だからこそ、皇は人である我が身を畏れた。人とは欲深く愚かしい生き物です。私達は空蝉であり、何からも囚われない虚ろな存在でなければならない。私達を捕らえられるのは『天』ばかり、天神の名は、帝王院」

漫画なら何でも読んだ平田兄弟は、ほんの二週間で李上香と仲良くなったつもりだった為に、ちょくちょく少女漫画を借りた。
中等部へ上がる頃には学年次席の成績だった癖に、昇校生である高坂日向と叶二葉が祭美月と並んで首席に名を連ねた事を悔やみ、馬鹿な俺はFクラスが似合いだと、自ら理事会に申し出てFクラスへ編入している。

「坊っちゃんは仰いました。天体を帝王院とするなら、我々は宇宙に点在する星なのです。雲隠が火星で榛原が月なら、冬月はきっと太陽だったのではないかと。天神の在らせられる場所を照らしたいと望む余り、己を焼き尽くしてしまった」
「…」
「そして、明神は金星。叶は地球。明けの明星と言うでしょう?朝でも構わず輝こうとする自己啓示欲の高さが、私なのです」

自慢げに自虐的な事を宣う男の声に、平田は訳が判らないながらも納得してしまった。確かに小林親子は自己啓示欲が強い。父親はレジストの初代で、息子はABSOLUTELYの初代副総帥と言うのだから、サラブレッドと言おうか。

「だからお前の中に最も強く残る為、手段を絞りました。皇子が駄目だから乗り換えたと言われたら、僕が可哀想でしょう?」
「…言わないよ、そんな事。アンタだって最上学部だったのにわざわざ中途編入して、二部大学に皆で通っただろ。器用な榛原は仕事の合間に通信大学受けて、さらっと卒業してさ…」
「坊っちゃんは器用じゃありませんよ。どちらかと言えば不器用な人間です。両親を捨てられた癖に、妻子を捨てられないかも知れない事に怯えていました」
「は?あの榛原、が?」
「ええ。自分に万一の事があった時。陽子さんと太陽坊っちゃん、夕陽坊っちゃんとの関係を切る必要が出た時。それを出来る気がしないと、社を設立した頃、度々ぼやいていました。だから馬鹿の一つ覚えの如く浮気を繰り返し、陽子さんが自分の唯一にならないよう、足掻いてらしたんですよ」

ひろあき。
聞き覚えがある名前だと平田は首を傾げ、ワラショクと言う単語で眉を潜めた。
万一二人の会話がワラショク社長に関係あるとすれば、太陽坊っちゃんと夕陽坊っちゃんと言うのは、昨夜の西園寺学園歓迎パーティーで話題に上った、西園寺学園生徒会役員の山田夕陽と、左席委員会副会長でありエルドラドを支配下に置いている山田太陽の事ではないか?

二人は双子だが、二卵性なのか見た目は全く似ていない。
女王様気質でファンも多いが敵も多いと言う山田夕陽は、見た目は美少年だが相当腕が立つ様で、西園寺学園でも襲われそうになったり喧嘩になったり争いが絶えないらしいが、今のところ無傷で済んでいる様だ。
引き換えに、元々あの叶二葉が『苛めている』生徒として知る人ぞ知っていた山田太陽と言えば、目立つ容姿でもなければSクラスだが降格圏内と噂されており、庶民愛好会などと言う意味の判らない愛好会を中等部二年で発足。教師陣の中で最も有名だが、見た目がアレ過ぎて表立って騒がれていない東雲村崎を顧問兼部員として、日がな一日まったりゲームしているそうだ。
特に毎週日曜、東雲と太陽が並んでポータブルゲームに勤しんでいる姿は有名だった。就任当初から進学科の専門カリキュラムで教鞭を奮っていた東雲が、授業が終わるなり猛ダッシュで駆けつけてくると言うおまけつきである。
そんな良い意味でも悪い意味でも名前だけは知れていた太陽は、然し空気に溶け込む抜群の平凡具合だったので、顔はそれほど知られていない。少なくとも、左席委員会副会長に名乗りを挙げるまでは。

見た目が気色悪すぎる外部生帝君の遠野俊が現れただけでも騒ぎだったが、その外部生帝君が左席委員会会長に任命され、全校生徒は震え上がった。その俊の女房役に自ら名乗り出た太陽は、そこで『あの山田太陽?!』と生徒らに認識されたのだ。

然しながら、外部生で帝君で左席会長にも関わらず、奇抜すぎる言動で悪目立ちし過ぎ、良い意味でも悪い意味でも遠巻きにされていた俊が表立って制裁を受ける事はなかった。
一部ではつまらない悪戯や悪口はあった様だが、山田太陽の在る所に叶二葉在りと言う噂は根も葉も繁っており、二葉の目を盗んで行動に出られた人間は然程居ないだろう。
何をとち狂ったのか、狐に襲われたらしいエルドラドが庇ってくれた太陽を主人として崇めただの、ストーカーと化して連日尾行しているだの、とうとうFクラスを味方につけてた太陽は、本人こそ無害そうだが周囲がアレなだけに、一躍時の人となった。時の君だけに。

「だから私は自己啓示欲が強い、獣の様な男で正しいのです。人としての理性があったなら、男を妻に迎えたりしませんよ」
「う…」
「坊っちゃんはお前の恋心を随分前から知っていた様ですが、見るに見かねたんでしょう。『そろそろ身を固めないと見合いさせる』と言われ、流石に慌てました。幾ら坊っちゃんの命令でも、伴侶は自分で決めます」
「ちょっと待った、だから俺と付き合ってくれたとか言わないよな?!榛原に脅されて仕方なくなんて、冗談じゃない…!」
「そう言われましても、自慰で満足するピッカピカの童貞だった私に、坊っちゃんが『一ノ瀬はプロだからきっと凄いよ、凄技を味わわないでお爺ちゃんになるつもりかい?』と仰らなかったら、『確かに勃起率が高い内に済ませておきたい』とは思い至りませんでしたし」

平田は感電した。
お前の童貞卒業はそこ強面奥さんかよと叫び出したかったが、その人相で尻軽だったと言う一ノ瀬にも多大な疑問が残る。

「確かに凄かったです。あの素晴らしい経験は死ぬまで忘れません」
「なっ、な、何を言って…!」
「勿論、私は過去の男に嫉妬する様な狭量な男ではありません。なのでお前の過去はどうでも良いですが、今は駄目ですよ。坊っちゃんの様に軽薄な浮気をしてみなさい、相手を心神喪失に追いやった挙げ句、お前の手足を切り落としますからね?」

にっこり。
かつてこんなに恐ろしい笑みがあっただろうか。ずるっと眼鏡がズレた一ノ瀬はカチンコチンに固まっており、平田もまた固まった。
これは疑うべくもなく、二葉の身内だ。小林と言う名の叶一族だ。間違いない、レジスト初代総長が叶と言う名前だったと言う伝説は、紛れもなく真実だろう。

「そして手足がなくなったお前を、人前で死ぬ寸前まで犯します。くれぐれも気をつけなさい、拗らせた童貞は面倒臭いそうですよ。これも坊っちゃんから言われました」
「ゴホッ。…榛原の台詞は尤もだけど、俺よりアンタの事を判ってる感じが嫌だ…」
「嫉妬ですか」
「っ、そうだよ!」

平田が物思いに老けている間、いちゃいちゃがクライマックスが達したらしいおっさん二匹は、じっと見つめあった。

「馬鹿ですね、私が抱くのは後にも先にもお前だけ」
「でも、先の事は判らない…」
「判りますよ、万一私が死んだらお前は生きていけないでしょうし、お前が死んだら私はポクッと呆けます」
「死ぬって言っとけよ、そこは!」
「嘘はいけません、夫婦に隠し事があっては円満な生活が成り立たなくなります」
「クソ、最低夫め…」
「精々長生きして、毎朝私のおにぎりを握って下さい」
「たまにはパンで良いだろ、何かと忙しいんだって朝は…」
「鏡でキスマークを数えてはニヤニヤするだけでしょうが」
「っ、見てたのか!変態!」
「嫌だなぁ、そんなに褒めないで下さい。出来る男は眼鏡とエロスを兼ね備えるものです」
「全然褒めてない…」
「嫌いになりましたか?」
「……………馬鹿、なんないよ…」

今にも18禁に突入しそうな気配に震えた平田は、怒鳴られようが殴られようが逃げようと起き上がろうとした瞬間、窓辺に人の顔を見つけて悲鳴を飲み込んだ。
が、ガタッと飛び起きた平田に飛び上がった常務は、尻を揉んでくる変態旦那の手を叩き落とし、涙目の平田が指差す先を見たのだ。

「おっ、おおお…」
「おや?何を喘いでいるんですか、まだ挿入してないのに」
「馬鹿ぁ!あそこを見ろ、変態!」
「あそこ?お尻の穴ですか?」

常務の平手打ちが決まる前に、専務の眼鏡にピンヒールが飛んできた。
ぽとりと落ちた靴を拾った専務は、飛んできた方向へ裸眼を向けたがぼやけて良く見えなかった為、鋭く舌打ちを放つ。

「…夫婦の営みに水を差したのは何処の馬鹿ですか、心神喪失に追いやりますよ」
「ば、馬鹿っ、守義さん、あの人は…!」
「はん、やれるもんならやってみろっつーんだわ、糞ホモが」

冷ややかな声が響いた。
ぶるんと凄まじい質感の胸を揺らしながら、壊れたドアを裸足で蹴り開けた女は、冷ややかな眼差しで青ざめた常務へ目を向けると、眼鏡を拾って掛け直した専務を見下す。

「その声は、奥様?」
「この声は奥様だけど?アンタら、余所の学校で何やらかそうとしてたか判ってんの?」
「も、申し訳…!」
「何と言われましても、清く正しい子作りですよ。夫婦の共同作業に決まっているでしょう?」
「一ノ瀬常務、この変態に蹴り入れても?」
「お願いします」

魔女の蹴りが、専務の股間にヒットした。
声もなく崩れ落ちた専務に涙を拭った常務が寄り添い、「私が死んだら…」「判ってる、俺も後を追うから…」などと茶番劇を繰り広げた。
突っ込みはない。

「母さん、男の急所を軽々しく狙うのはやめなって言ったよね」
「ちょっと休もうと思ったら目の前に変態が飛び込んできたんだわ、姿が見えないから何処に行ったかと思えば、仕事放ってイチャイチャイチャイチャ………羨ましい…」
「本音が漏れてるよ」

哀れ、魔女の蹴りが男の急所を狙う為に振り上げられた際、うっかり魔女の下着を見てしまった平田洋二は呼吸を止めた。
男遊びが派手すぎる平田太一の弟でありながら、工業科の勉強とプログラミングで遊ぶ暇もない洋二は、人生初の彼女と別れて早一年、誰にも言っていないがキスしかしていないチェリーだったので、暫く動かなかった。

「ん?この爽やかイケメンはいつから居たの?つーか誰?」
「僕が知る訳ないだろ、明らかに帝王院の生徒じゃん」
「作業着ってやつ?いいわねー、鳶職っぽい感じ!私がもう十歳若かったら、頂いてるんだわー」

肉食過ぎる平凡顔の魔女が艶然と唇を舐める様を凍りついたまま見上げた作業着は、怯える処女の様な表情でさっと自分の体を抱き締める。
しれっと眼鏡を押し上げたワラショク専務は、目を細めて幾つか頷くなり、

「ほう。君は童貞でしたか、三年Dクラス平田洋二」
「「「は?」」」

情け容赦なく吐き捨てたのだ。
山田母子と常務の声が揃い、哀れレジスト副総長は顔を真っ赤に染め、ぼろっと大粒の涙を零したのである。

「あら、かっわいー。泣いちゃったんだわ。ちょっとコバ、こんなイケメンが童貞ってほんと?」
「私の見立てに間違いはありません。この小林、既に一時間ほど平田洋二を記憶して参りました。確定的です」

ああ。
魔王と魔女だ。間違いない、しれっと眼鏡を押し上げ「工業科の癖に」と呟いた魔王の隣、とんでもなくスケベな乳を揺らしながら、とんでもなくスケベな目で見つめてくる魔女は、餌を見つけた獣の様な表情だ。

「はー、おいしそ」
「お…おおお奥様!何を仰るんですか、浮気は絶対駄目です!相手は高校生ですよ?!この事を社長が知ったら…!」
「は?堅い事言うわねー、流石は真面目常務」

出会った頃から真面目堅物だった一ノ瀬の過去を知らない魔女の台詞に、当の一ノ瀬とその夫は沈黙した。過去に親衛隊を侍らせ、夜毎エロスパーティーに興じていた黒歴史は、墓場まで持っていかねばなるまい。
尊敬と初恋の違いが判らなかった幼い頃の初恋を除いて、本気の恋愛は成人してからだ。心が育つ前に体が育ち過ぎた若かりし日の一ノ瀬は、心の底から過去を悔いている。
そりゃそうだ、何かにつけて夫がネチネチ説教してくるので、今すぐタイムマシンで過去の過ちを取り消したいと思わぬ日はなかった。

「そ、そりゃ確かに、俺が言える立場じゃないのは判ってるけど…!社長は、榛原は本気で奥様の事を…っ」
「そんなに自分を責めるんじゃありません。寧ろお前までが童貞だったら、私達は今頃為す術なく妖精夫婦になっていましたよ?ああ、お前の場合はバージンと言った方が良かったでしょうか」
「守義さん…」
「結果オーライです」

人としての大切な何かが欠如している様だが、それでも夫から愛されている事を疑った事などない妻は胸をときめかせる。
人としての大切な何かが欠如している社長夫人は、魔女が裸足で逃げ出す様な鋭い舌打ちを零すと、冷めた目で「リア充滅べ」と宣ったのだ。

「ち!どいつもこいつも、男子校の雰囲気にヤられてんじゃないの?女を馬鹿にしやがって…全員犯してやろーかってんだわ」
「「奥様!ストップ!」」

ぷつん、と、何かが切れる音と共にシャツを脱ごうとしている女は、青ざめた専務と常務に押さえ込まれた。ワラショク最強のサイコパスは、間違いなく山田陽子だ。大空社長がいっそ可愛く見える。

「ちょっと、止めんじゃないっつーの。こうなったら、そこの童貞君も一ノ瀬常務も食ってやるんだわ。前々から目をつけてたのよー、常務ってば見た目はイケてるけどイマイチ童貞臭い感じで」
「ひぃ!守義さ…!」
「幾ら奥様でも妻をつまみ食いさせる訳には行きません。この小林のバージンを差し上げますから、薫は勘弁して下さい」
「は?アンタの処女なんか要らないんだわ、勃つもんもないし」
「…いい加減にしないとアキちゃんに言うからね、痴女ババア」

頭痛に悩まされていたらしい夕陽が吐き捨て、魔女は鼻を鳴らした。こんな話は太陽の前では絶対に出来ないだろう。

「夕陽坊っちゃん、奥様は痴女ではありません。単なる欲求不満です」
「守義さん?!アンタ、奥様になんて事…!」
「はん、変態眼鏡の癖に偉そうに。コバなんか良いのは顔だけじゃんよ、あとはそうね、嘘を言わなそうなとこ」
「当然です。小林は社長の様に軽薄な男ではないので、妻に嘘など申しません」
「体も、ま、脱いだら凄そうなんだわ…」

じゅるりと涎を拭いながら専務を視姦する女に、混乱を極めた常務はあどけない表情で頷いた。確かに人としてはアレな旦那だが、顔と鍛えられた体は立派である。秀皇の様に傲慢な程の色気ではなく、大空の様にわざとらしいほど好青年ぶった所もないが、楽しくない時に笑ったりしない失笑ものの愚直さを、心から愛しく思っていた。
魔女のエロ過ぎる台詞に、涙目だった平田は悲鳴を噛み殺し切れなかった。男子校生徒には威力が強すぎる。

「そ、そうです。一ノ瀬は守義さんを愛しています。だから奥様にだろうと、差し上げる事は出来ません。…諦めて下さい!」
「だから端から要らないっつってんだわ。大体、私が寂しい思いしてるっつーのに、何で素直に愛だの恋だの言える訳?馬鹿じゃないのアンタら、毛と言う毛を毟り取られてーのかボケカスホモ」
「お、奥様、一度ちゃんと榛原…社長と話し合われて下さい…!お二人の間には誤解があって、」
「浮気を問い質したら『セックスなんかサウナみたいなもんだよ、汗を掻く為のエクササイズ。君が気にする様な事は何もない』なんてほざいた大空と、何を話し合えって?」
「榛原ぁあああ!!!お前は何を考えてんだ、馬鹿かぁあああ!!!」

キレた常務は、最早立場など忘れてしゅばっと立ち上がる。
もうあの薄毛社長は禿げ散らかした挙げ句、場末のアパートで孤独死させるより他あるまい。

「夕陽さん!一ノ瀬は心を決めましたよ、榛原の阿呆は丸坊主にして不信任案を叩きつけます!」
「常務、一番まともな貴方まで母さんに乗せられていいの?僕は兄さんが無事なら、父さんがリコールされようが孤独死しようが構わないけどね」
「くっくっ、大空からは搾り取れるだけ搾り取るのよアンタら…!何なら私が許す!太陽の『声』って奴を使えばいいんだわ!」

くわっと目を見開いたミニスカが、がっと小屋の真ん中辺りにあるローテーブルに裸足の足を乗せた。派手に歩き回ったのか、ヒールで隠れる足底タイプのストッキングが一部だけ破れ、親指が飛び出している。

「金と毛根の切れ目が、縁の切れ目なんだわ」
「奥様…!この一ノ瀬、いえ、この小林薫っ、何処までも奥様について行きます!」

肩を落とした山田次男と小林専務の隣で、小林常務は盛大に拍手喝采した。
山田大空の未来はどす暗い。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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