帝王院高等学校

捌章-去り際の鎮魂歌-

されど願いは誰にも届きません

「なぁ、クモぉ」

随分情けない声を出しているなと、窓辺に張り付いている丸まった背中へ目を向けた。カリカリと走らせているペンシルはそのままに、無人の教室内に気づいたのだ。

「クモぉ、クモちゃん、クモ会長様、なぁ、返事してぇなぁ…」

器用なものだと半ば感心する。
この数年、人前では決して話し掛けて来なかった癖に、近頃では下半身の弛さから何度となく痴話喧嘩の修羅場を繰り広げておいて、だ。

「ヒガシクモパープルちゃん。…おい、ほんまそろそろ相手せぇへんかい我ェ、中央委員会はそんな偉いんか?おぉん?」
「…お前はヤクザか。背が伸びて髭まで生やしたと思ったら、中身はまだまだ子供だったとはな」
「そんなつれん事言いなやぁ。僕ぅら、友達やんか?」
「その面で僕はよせ、腹が捩れる」

中等部へ上がり、8つ年上の叶文仁から会長を引き継いでいた前会長が最上学部の卒業が決まった為に、東雲村崎が指名された。当初は断ろうとしたものだが、他の役員を指名して良いと言われて条件を飲んだのだ。
お陰でSクラス降格組の27番を指名したまでは良かったが、二番と三番が毎日煩くなったのには辟易する。

「スケベな顔で笑ってんとちゃうで陛下。見てみぃ、鈴木せんせが高等部の有象無象に苛められとる」
「鈴木先生は工業専修コースの教師だからだろう?高等部の人員が不足して、今年から異動したのは知ってるだろうに」
「何で高等部やねん!そこは中等部に来るべきやろ、俺が居てるのにっ!」
「何でお前が居ると鈴木先生が来るべきなのか、理解出来ないな」
「そ…そりゃ、お前、あれやん…」
「どれだ」
「愛し合う二人は、一緒におらなあかんやんか…!」

窓辺に置いた椅子の上に、背を丸めて座っていた男がキッと振り返った。真剣な眼差しに見据えられた東雲は暫し沈黙し、哀れみを込めて微笑んだのだ。

「片思いだろう?」
「その気の毒なもん見る目ぇ、やめい」
「せめて告白したらどうだ?」
「…あかん、鈴木せんせは33歳やど。13歳なんか相手して貰えるかいな」
「セフレが十人も居る癖に純情な事で」
「十人と違う、15人や」
「増えてるじゃないか。5の倍数か、あらゆる意味で極めすぎだ」
「仕方ないねん、溜まるもんは溜まる訳で…」
「救えない羽柴書記に、写経を勧めよう。精神が鎮まる事を願って」
「誰が字だけ上手過ぎる男やねん」
「それは言ってない」

何とも平和だった日の、古びた記憶だった。

















「肝心な部分が抜けてんじゃねェか、ジジイ」

呆れ果てた表情で眉間を押さえた遠野俊江は、苛立たしげにソファの上へ持ち上げた決して長くない足を、中国で最も権力を持つ男の虎柄のチャイナドレスの上に放り投げた。
苛立たしげに眉を跳ねた大河白燕は、然し彼女がクッション代わりにしている帝王院駿河の手前、怒りを納める。血など遥かに薄いとは言え、大河の実父である白雀と駿河は従兄弟の関係に当たるのだ。

フットチェア代わりにしやがって、と言う怒りを人知れず晴らそうと俊江の脹ら脛を掴んだ大河は、細い足の固さにビクッと肩を震わせた。こんなもの、鉄パイプだ。決して女性の細足ではない。
どんな立ち仕事をすればこうなるのか不明だが、この時、中国の支配者は主婦の闇の深さを思い知ったと言えるだろう。

余りにも固いので、可哀想になった中国マフィアのトップは俊江の足を揉んでやる事にした。ら、凄まじい表情の駿河にじっと見つめられている事に気づき、やっぱりマッサージしてやるのはやめた。
中国マフィアだろうと、変人奇人揃いのこの場ではチワワの様なものだ。

「儂に催眠を掛けた相手の事か。悪いが、それについては言うだけ無駄だ」
「無駄ってどう言う事だよ」
「誰も信じんからな」
「はァ?」
「…何と言われようが、儂が知っているだけの話は済んだ。これ以上、ステルシリーとは無関係な一介の主婦に聞かせられる話などない」
「だったらシューちゃんには話せんの?」
「秀皇だと?」
「そっちのイケメン理事長、みーちゃんだっけ?から、シューちゃんがステルシリーって会社の会長だったかも知れないって、言われてんだけど?」

唇を吊り上げた娘を前に、厳めしい表情を曇らせた男は、窓際のデスクに腰掛けている金髪を睨む。

「ハーヴィ、貴様これに何処まで聞かせた?」
「私はそなたと違って、嘘は吐かん。何一つ隠すつもりはない」
「勝手な事を…」
「私からも尋ねたい。そなたの記憶を封じたのがナイトではないとするなら、一体誰だ?」

いつか兄弟同然の様に育ってきた男の台詞に、鬼と呼ばれた男は暫くの逡巡の後、諦めた様に長い息を吐いた。



「…レヴィ陛下だ」

その声音の重さに、まさかとは、流石に実の弟ですら言う事は出来ない。




















大切なものとそうではないものの、明確な線引きはない。

「どうして立とうとしないんですか?」

あの時、あの瞬間に抱いた感情は決して良いものではなかった筈だ。賢すぎるのも難儀な話ではないかと、苛立ったのを覚えているか?
気づかなくて良い所は誰も彼も良く気づいてくれる、そう思った瞬間に全ては。

「血が止まってない。…足はともかく、右手は一時間以上経ってますよね」
「本当に面倒臭ぇな、テメーら」

あの時、あのまま口を滑らせていたとすれば、まずもって間違いなく。



「俺はお前らと違ぇんだよ、雑魚が」

凄まじい後悔が今頃、自分を喰らい尽くしていた筈なのだ。





(いつか)
(ふとした時に)
(幼い頃は良く歌った歌を口ずさんだ)
(タイトルも覚えていない古い歌だ)
(いつか天使と呼ばれていた時に)
(いつか世界を知らなかった時に)
(歌だけが全てだったあの日に)

(最後まで黙って聞いていた子供が尋ねてくる)
(それは何の曲ですか、と)
(あの時、自分は曖昧に濁した)
(覚えていないと素直に言えなかったのは何故だろう)

(疑う事なく素直に頷いた子供は)
(店のインテリア同然だったグランドピアノへ手を伸ばした)
(酷い調律のピアノを愛しげに撫でて)
(たった一度聞いただけの名もなき歌を弾いている)
(その背は楽しそうに見えたか?)
(自分よりずっと小さいその背があの時、何を考えていたか気づいたか?)

(大切なものとそうではないものの明確な相違はない)
(押し掛け同然で纏わりついてきただけの他人)
(いつしか人数が増えて)
(いつしか家族の様に思い込んでいる)


(それが示す意味を良く知りもせずに自分は)



「お前の血は長針、誰よりも早く巡っている。ただそれだけだ」

疑いもせずに、自分は

「失った子供を探し続けるのは母親の性。失くした秒針が何処で時を刻んでいるのか、魂で理解していただろう?」
「母親…秒針?」
「そして失った理由を知った魂は嘆き悲しんだ。哀れな。哀れな。憐れな。愛しい半身が子供達を奪っていった。アダムとイブ、光から生まれた人の始まり。光が抱いた闇に呑まれ、禁断の木の実を食べてしまった哀れな子羊」
「何を、言ってんの、か…」
「犬として転生したのは間違いだった。お前があの日失った子供が泣いている。冷たく固まった偽りの猫を抱いて、助けてくれと泣いている。この国の王として崇められた帝が、はらはらと」

血液が、ゆったりと沸騰していく音を聞いた。
それが現実の音なのか幻聴なのか、定かではない。

「輪廻は変わらない。それが俺の結論だ。けれど俺の中に微かに残った人の魂が叫んでいた。助けてくれと、助けてくれと、助けてくれと。毎夜その声を聞いている内に、俺は神の真似事をする事にしたんだ」
「…」
「お前達の子供を殺した償いに」
「何、を」
「Inspire darkness eyes.(目覚めろ、負の王)」

がたりと、背後から聞こえてきた音に振り返った嵯峨崎佑壱の網膜に、目を見開いた男の姿が映り込んだ。信じられないものを見る目であらぬ所を見ている男が、小刻みに震えている。

「…高坂?」
「光でありながら嫉妬に駆られた光なき星の残骸、神が初めて作った星。深刻に考える必要はない。命とは滅ぶ為に生まれてくるのだから」
「何の話、」
「罪を償い続けるだけの輪廻はない。罪が罪だと定めたのは、他ならぬ人だからだ」
「っ、おい高坂!しっかりしろ、何処見てんだテメー!高坂!」
「地獄は何よりも長く続くそうだ。俺は初めてこの目でこの子を見た時に思った。己の犯した罪に怒りを抱き続ける憐れな獣、狼の誇りなど最早存在しない。雌が居なければ食べていく事も出来ない猫、負の王。可哀想に」
「何が言いたいんだよアンタは…!俺の総長を何処にやりやがった!」
「お前の俺?そんなもの、何処に存在する?」

無垢なほどにあどけなく、首を傾げる男の黒目が、闇をも呑み込む瞬間。

「総長…」
「俺の全てはあの子の為にある。俺に初めて名をつけた、あの子の為にだけ。お前の為に存在する俺など、この世の何処にも居ない」
「総長!」
「俺の全てはあの子だけの為に。初めからそう決まっていた」
「それは、ルークの事かよ!」
「そうだ」

何故。
誰よりも何よりも鮮やかに笑う唇が、見えるのだろう。呆然と瞬きすら忘れた自分が呼吸をしている事が、余りにも不思議だった。

「…ナイト、本当の君が目覚めてしまったんだね。僕が最後の鍵だったんでしょう?」
「お帰り、花子。ジェネラルフライアとしての生活は楽しかったか」
「どうして僕を鍵にしたの?」
「あの子が助けたからだ」
「…え?」
「お前が死ぬ事を時限に定められた日、8月31日。帝王院学園のグランドゲートにその日、生後5ヶ月に満たない子供が父親に抱かれて帰ってきた」
「何、それ…」
「完全に日差しを遮断するベビーカーの中、俺と同じ様に初めから全てを知っていたあの子は、手始めのポーンを動かしたに過ぎない」
「どう言う事なの、ナイト。だったら僕は…」

ごめん、と。
何度も呟きながら天井から差し込む光を見上げている日向の胸ぐらを掴んだ佑壱は、青ざめていく女のか弱い声音に振り返り、

「主人公は俺とあの子だけ。お前達は一つ残らずただのエキストラだ、何故自分が主人公だと思い込んだのか俺には判らない」
「…僕は、マジェスティルークとナイトの、玩具だったって事?」
「否定はしない」
「っ、どうして!」
「それをあの子が望んだからだ」
「元老院がこのタイミングで動いたのも、全部って事?!」
「さァ」
「答えてナイト!」
「僕に言われても困るにょ」

きょとりと、表情一つ変えずに首を傾げた男が唇を尖らせている。誰もが奇妙なものを見る目で沈黙している様子を真っ直ぐ見据えたまま、

「僕は母ちゃんの腹の中から腐ってただけなんですもの。劇的なBLが見たかっただけなんですもの。それなのに僕の魂胆をさらっとシカトして僕を主役にしようだなんて、酷すぎると思いませんか?」
「何、言ってるの、ナイト…」
「カイちゃんの思い通りにはさせたくなかったのょ。だって、それじゃわざわざ逃げてきた意味がないでしょ?」
「逃げてき、た?」
「タイヨーが来た所為で僕が可笑しくなったと思ってるにょ。だから怒ってるにょ。僕が立てた計画を全部知ってたから、僕より先に人間として産まれたんだと思うにょ」
「待って、判んないよ。それって誰の事なの?」
「タイヨーが言ってたにょ。僕を正しい悪役にするって。騙されてたにょ。僕も皆も、時限すらまるっきり操られてるにょ」
「操られてる…?」
「帝王院が使える催眠術が僕や父ちゃんだけのものなんて、誰が言ったのかしら?帝王院が使えるなら、あの子にも使えたのょ。初めから全部、僕が産まれる前から敷かれたレールの上だったなり」

だから、と呟いた声が指を鳴らした瞬間、光が全て消えた。

「頭に来てカイちゃんの記憶を全部消そうとしたら、自滅しちゃったにょ。やっぱその場の勢いだけで行動したら駄目なんですねィ。
 っつー事で、僕を助ける為にもうちょっと頑張って欲しいにょ」

愉快な愉快な声音が、歌う様に。



「だって僕ってば、皆さんから助けて貰える主人公ですし!」

笑っている。


















「こ…この世に同じ人が3人居ると、死ぬんだっけ?」
「馬鹿シロ、それドッペルゲンガーだろ?同じ奴じゃなくて同じ顔じゃなかった?」
「おやおや、随分と気が抜ける話をしてらっしゃいますねぇ、加賀城君、川南君。どちらにせよ、私に死ねと言いたいんですか?」
「そうですねぇ。この世に私は一人で充分だと思いませんか、皆さん?」

誰もが見蕩れる様な美貌を、底冷えする様な笑みで染めた男を目にした瞬間、誰からともなく逃げろと叫んだ。

「おや?」
「逃げましたねぇ」
「本物の白百合も逃げなきゃ!どっちがどっちか判んないけど、頑張って逃げ切ってねっ」

しゅばばっと四方に分かれて走り始める事、数分。
ただでさえ足場が良いとは言えない森の中を全力疾走していたこの男は、とうとう食い縛っていた歯の力を抜いたのだ。

「ちょちょちょちょっとお、今のってどーゆー事お?!」

唾を撒き散らしながら叫んでいる所を見るに、一杯一杯なのは痛いほど理解出来る。何度も躓きそうになりながら走る事をやめない金髪は、叫ぶ度に呼吸が荒くなる事を知らないのだろうか。

「何か最近走ってばっかなんですけどおおお!!!いつからマラソンで金目指す事になったんだっけえ?!はあ、はあ、健全な高校生がンな走ってばっかなんて、有り得ないんですけどおおおっ」
「うひゃひゃひゃ、俺に聞くだけ無駄だべハヤト?だって俺、オメーに成績勝った事ねーもんよ(*´3`)」
「言ってる場合かよ、後ろ見えっか?やべーぜ、眼鏡してねー白百合に追いつかれるぜ?」
「な?!眼鏡のひとが眼鏡してないなんて、それ偽者の方じゃないっ?!」
「いやー、判んねーな(;´Д⊂) 白百合は白百合だもんよ、本物でも偽でもやべぇのは変わらんくね?(´・ω・`)」
「逃げるしかねーって事かよ。オレは良いけど、ハヤトは無理じゃね?」
「無理ってどーゆー事おおお?!不可能を可能にするのが隼人君だしい、無理とか隼人君の辞書には載ってないしいいい!!!ぜい、はあ」
「うひゃ、叶だけに?w」
「ケンゴ、テンション上がりすぎて笑いの沸点が低すぎるぜ」
「ふふふ、何処へ逃げるつもりですか?」
「げ」
「いやあああ、ユーヤが捕まったあああ!!!カナメちゃん、カナメちゃあああん!!!助けてえええ」

脇腹を押さえながら走る神崎隼人の傍ら、ポケットに両手を突っ込んだラフなスタイルでスキップ混じりに並走する高野健吾は、眠たげな表情でついてくる藤倉裕也がブレザーの襟を掴まれるのを見るなり、ピョンっと跳ねる様に宙を舞った。

「カナメに助け求めてどーすんだよ、居ねぇっつーの。…つーかオメーも簡単に掴まってんじゃねーべ、ヒロニャリ!(;´Д⊂) 危ねーからお前は俺の後ろに隠れとけ!」
「カッケー事ほざいてんじゃねーぜケンゴ、オメーこそオレの後ろを走れや。早過ぎんだよ足が、オレを殺す気かよ」
「おやおや、内輪揉めですか?」

にっこり。
笑いながら首の骨を鳴らしているイケメンを見つめたカルマは、喧嘩している場合ではないと走り始めた。立ち止まれない神崎隼人はとっくに離れた所を爆走していたが、カルマで最も足の早い健吾と体力だけはある裕也は、労せず隼人に追いつく。

「よ、ハヤト。流石は100メートル15秒、頑張ってっか?因みに俺のパーソナルベストは、10秒フラットな(//∀//)」
「オレは100メートル2分46秒だぜ?スタートラインで待ってる間に寝ちまったからよ、やっぱクラウチングスタイルは駄目だな、下向いてると眠くなるだろ」
「隼人君のベストは14秒53だっつーの、馬鹿ー!馬鹿馬鹿っ、猿とユーヤがついてくるから狙われちゃったじゃんかあ、馬鹿ー!てめーら死ぬ気で隼人君を守りなさいっ!」
「はぁ?やだよ、ハヤトのケツってばたったのCカップぞぇ?(//∀//) 総長の柔尻には当然勝ててねぇし、カナメの腰の括れにも勝ててねぇし、ユーヤの美尻に勝つのは一生無理だし(´・3・`)」
「まーな、オレのケツが一番だろ」
「ケツ?!おめーらさっきから訳判んない事ばっかほざいてないで、助けてえ!!!」

半泣きの隼人が殴られそうになりながら辛うじて避けつつ、悲壮な声を出す。カルマで最もスタミナがない疑惑の持ち主は、息も絶え絶えに叶二葉と対峙していた。

「も、いい加減にしてえ!隼人君に何の恨みがあんのさー!」
「おや、何の恨みもありませんよ?逃げられたら追いたくなるのは、本能でしょう?」
「おやおや、それは一理ありますねぇ」

仕方なく隼人を手助けしようと健吾と裕也が駆け寄った先、笑顔の二葉の真上、木々の隙間から葉を散らしながら降りてきたもう一人の二葉が、眼鏡を押し上げる。
彼の真っ白な革靴の下に、眼鏡を掛けていない裸眼の二葉が踏み潰されていた。

「いやあっ、眼鏡のひとが増えたあああ!神様あ!カナメ様あああ、助けてえええ!」
「良く頑張りましたねぇ、神崎隼人君。弱いながらこの私相手に逃げ回れるとは、とても思いませんでしたよ?然し100メートル15秒とは、ハニーより遅いではありませんか。ハニーは13秒46ですよ。あれで中々に足が早いんです彼は」
「…退きなさい」
「おや、自分で立てないんですか?私と同じ様な顔をしている癖に、情けない」
「同じ様なっつーか、瓜二つだべ?(;´Д⊂)」
「クローンかよ」

にこにこ笑顔弾ける二葉は、シャツの隙間からはみ出ているドピンクな布切れをそのままに、笑顔でげしげしと自分の顔を踏んでいる。その踏み方には一切の手加減が見られなかった。

「ふふふ、私に何の断りもなく現れて、随分好き勝手ほざいてくれましたねぇ、偽物の分際で」
「ヒィイイイ、見ろやあの楽しそうな顔ッ!(;´Д⊂)」
「性格の悪さが滲み出てるぜ」
「サブボスはこんな魔王相手にハニートラップ仕掛けたんだねえ…。心の底から尊敬するかもお…」

晴れやかな笑顔で自分を痛めつけていた二葉は、ピクリとも動かなくなった自分そっくりな男に満足し足を下ろした瞬間、どさりと倒れた。
動かなくなったと思っていた自分そっくりな手に、足首を掴まれて引き落とされたのだ。

「きゃー!眼鏡のひとが転んだあああ!神様あ!仏様あ!カナメ様あ!ユウ様あああ、うわーん、ボスー!」
「狼狽えんなしハヤト!総長ーっ、助けて総長ーっ!(;´Д⊂)」
「ハヤト、ケンゴ、叫んでも総長は来ねーだろ?」
「はァい、お呼びですか?」

誰がどう見ても抱き合って泣いている隼人と健吾に呆れた裕也が呟いた瞬間、気が抜ける様な声が聞こえてくる。
ぴたりと動きを止めたカルマの前に、どろりとヘドロの様なものが落ちてくると、二葉に押し倒されていた二葉の眼鏡の上にもまた、ぺちょっとヘドロの塊が落ちてきたのだ。

「「「…」」」
「おや、えんがちょ」

言葉を失ったカルマ三匹と、顔がヘドロで埋まった二葉は声もない。
気の毒なものを見る目でそっと二葉の上から退いた二葉は、鼻を摘まみながらそろそろと離れていく。

「何ですか、その虹色の泥は…」
「あは。何と言われても…ねえ?」
「虹色っつーか、玉虫色っつーか…(;´艸`)」
「おい、あのヘドロ、微妙に動いてねーか?」

うぞうぞ。
確かに二葉の顔にべったりと貼り付いたそれが、動いている。倒れたまま動かない、腹からドピンクの布切れをはみ出させた二葉と思わしき体が、左腕を持ち上げた。
そのまま顔に貼り付いた派手な色の塊に手を伸ばす光景を、カルマ三匹は息を飲みつつ見守る。裸眼の二葉もまた、ごきゅっと息を飲んでいた。

「はァん!…二葉先生、そこはオタクの大事な所なので鷲掴むのはおやめ下さいまし!」
「…」
「あっあっあっ、そんなに握り締められると…っ!お口から内臓がホームシックで帰ってきちゃうにょ!」

何処にだよ。
乾いた表情で一体何人が突っ込んだのかは定かではないが、わしっと掴んだレインボーなヘドロをばきゅんと放り投げた叶二葉は、腹からしゅっと引き抜いたドピンクなシーツでごしごし顔を拭うと、凄まじい笑みを浮かべた美貌に数えきれない青筋を立てて、ゆったり立ち上がる。
ひしっと抱き合ったカルマは、遠心分離機に掛けられたかの如く無言で震えた。チビっていても可笑しくはない表情だ。

「…さて、少々邪魔が入った様な気もしますが、気を取り直して殺し合いましょうドッペルゲンガー」
「申し訳ありません、あれに触った人に触りたくはないので…」

たった今の今まで美貌の殺人者宜しく追い掛けてきた癖に、頭上に『叶二葉12歳』と書かれた裸眼の二葉は、頭上に『魔王Lv99』と書かれた二葉から、つつっと離れていく。誰の目で見ても明らかに、嫌悪感を露に顔を背けている様だ。気の毒げにちらっと二葉を見遣っては、そっと顔を背けている。

「おや、あれとは?あれとは何ですか叶二葉12歳、正確な名詞で答えてご覧なさい」
「あれはあれです。他に言いようがない」
「ふ、随分と童貞臭い事を仰る。所詮、剥けたばかりの子供ですか」
「何を馬鹿な事を…。自分の事だろうが、童貞なんざ9歳で捨てた」
「「「9歳?!」」」

はっや、と。
目を見開いた隼人と健吾の言葉が重なり、裕也は信じられないものを見る目だ。

「オレ、12歳まで精通してなかったぜ。遅いのかよ」
「んー…10歳で女体に興味を持ってた俺が言うのも何だけど、オメーは遅くね?(//∀//)」
「あは。どうでもよいけど、これって確実に黒歴史だよねえ?自慢げにほざいてたけど、サブボスにチクったらゴミを見る目で『うっわ、9歳はないわー』とか言いそう」
「一年Sクラス神崎隼人君。下手な事をハニーに告げ口すると、君の告別式の日程が早まりますよ?」
「「「こっわ」」」

がしっと抱き合ったカルマは、笑顔で眼鏡を外している二葉から目を逸らした。
きゅっきゅっとピンクの無駄に大きなシーツで眼鏡を磨いた二葉は、今にも人を殺しそうな表情で辺りを見回している。笑顔のない裸眼の二葉が二人も並ぶと、いっそ壮観だ。

髪が短く揃っている方が17歳の二葉で、ざんばらに伸びている方が12歳の様だ。身長も並ぶと幾らか違う気がする。

「…先程の声は遠野君のものでしたねぇ。居るなら出てきなさい」
「あにょ、お足元にご注意下さい。オタクが蕩けています」
「足元?」
「あっ、…二葉先生、オタクの大事な部分を踏んでらっしゃいますにょ」

確かに俊と同じ声が聞こえてくると、犬共はつられて二葉の足元を見やった。
いつもの笑顔をなくした二葉の目付きは高坂日向そっくりで、ヤクザでもやっていけそうな俺様感が漂っていたが、それに気づく者はない。

全員が目を落とした先、二葉の白い革靴が玉虫色の塊を踏んでいた。ヘドロかスライムか、巨大なゼリー状のそれはうぞうぞと蠢いている。

「「「「きめぇ」」」」

全員の声が揃った。
その瞬間、遥かに離れた所から、加賀城獅楼のものと思われる絶叫が聞こえてきたのだ。同じ様に、キモいと言う絶叫が。

「…今の、シロじゃんねえ?」
「うっわ、何か行かなくても判るくね?(;´Д⊂)」
「総長の声で喋るヘドロが出たってか?まさか、ンな事が二度も起きる訳ねーだろ」
「だったら、『総長っ、カナメさんを食べないでー!』っつーのは何だっつーんだ、藤倉裕也」

顔にヘドロが乗った後遺症か、やさぐれている二葉は外面を取り繕う事を放棄したらしい。
ぺっと唾を吐きながら眼鏡を掛け直した男は、足の下でもぞりと蠢いた塊を無表情で踏み潰したまま、ヘドロを拭ったドピンクのシーツを自分そっくりな二葉に投げつける。

ぺしょっと顔面でシーツを受け取った二葉12歳は、そのままばたりと倒れて煙の様に消えた。若い二葉の心では、抱えきれないトラウマになったらしい。
そっと二葉の手を取った健吾は、チャンピオンを讃える如く二葉の右手を持ち上げる。静かに眼鏡を押し上げた二葉はやはり真顔のままだが、幾らか気が晴れた様だ。刺々しさが若干消えている。

「アンタが大将だべ、白百合(*´`*)」
「見事な戦いだったぜ。つーか、あのピンクの風呂敷、どっから持ってたんだ?」
「ん、サブボスにチクったりしないから初体験の相手教えてくれる?」
「…大学院の敷地内にある仮眠室で、相手は一回り年上の院生」
「大学院?(´・ω・`)」
「あー、この人は8歳でハーバードの博士号取得したんだったぜ?」
「はあ?大学院出てるのにまた中学からやり直してんのお?」
「…あ?何か文句あるのかテメェら」

舌打ちと共に後輩を睨んだ二葉は、足元からぶちっと言う音が響いても聞こえない振りをした。足元の惨劇を見たくないカルマ三匹は絶えず聞こえてくる獅楼の悲鳴に、仕方なく足を動かし始めたが、

「そんな無駄なフルスペック備わってんのに、タイヨウ君を毎日追っ掛けてた訳っしょ?(´・ω・`)」
「マジかあ。世知辛すぎー」
「まだまだ餓鬼だなハヤト、山田には山田の良い所があんだろよ。オレにゃ全く判んねー良い所が」
「ああっ、居たー!ハヤトさん、ケンゴさん、ユーヤさぁん!カナメさんとホークさんが、二人が大変なんだよーっ」

訳知り顔の藤倉裕也が頷きながら二葉の肩を叩くと、泣きながら走ってくる獅楼の悲鳴まじりの声が聞こえてくる。

然し、涙に濡れた獅楼の目に映ったのは、

「そうなんですよ!ハニーは、ハニーは私のハートを掻っ攫っていった小悪魔なんです!それでも私は、私は…!例えハニーの涙と鼻水が染み込んだ記念のシーツを失ってしまおうとも、この情熱は失っていないのです…!」
「タイヨウ君の?」
「涙と…鼻水って、どーゆー事?」
「きったねーもん持ち運んでんじゃねーよ」
「ハニー!心の底からアイラブユー!」

樹海の中心で愛を叫ぶ、余りにも痛々しい叶二葉17歳だったのだ。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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