詳しく知りたいかたは

デンマークの教育事情

 
 
グルントヴィのすべてがわかる; (デンマークで生まれた学校)


付録1

神戸市在住の、デンマークが大好きな23歳のMASAさんのHPからの抜粋。

デンマーク・ヘルシンゴーの学校で、デンマーク語を勉強した時のレポートをはじめ、たくさんの情報が写真と共に掲載されています。

デンマーク好きの23歳、神戸市在住。
今までに行った国は、フィリピン、韓国、カナダ、デンマーク(4回)、スウェーデン、ドイツ、ハワイ
行ってみたい国は、イタリア、イギリス、タイ、挙げればキリがないけど。
デンマーク以外でおすすめなものは、Avril Lavigne、レピシエという紅茶専門店のミニュイとカシュカシュという紅茶を炭酸で割って飲む、指輪物語、神戸のとあるカフェなど。
最近改めて日本文化って素敵!と思っているところです。
特に興味があるのは布で、織物とかその色使いとか綺麗だなぁと感心します。



私がデンマークを好きになったきっかけは、大学でデンマークの教育(特に義務教育期間)について卒論を書くことになったのが始まりです。
たまたま、授業でデンマークのエフタースコーレ(全寮制のフリースクールのようなもの)で暮らす生徒の様子をビデオで見たのですが、目がキラキラして「ここでは自分が自分らしく暮らせる」と語る生徒の姿に惹きつけられました。
そんな教育を行うデンマークってどんな国なんだろう、そこで暮らす人はどんな人なんだろうと。


それ以来、幾度かデンマークへ行きましたが、デンマークがどんな国でデンマーク人がどんな人かは未だ分かっていません。
文化を一言で言い表すのはできないけれど、私にとって居心地がいい場所、「自分が自分らしくいれる」場所のような気がします。
町の小さなパン屋さん、キャンドルの灯りでのんびりした食事、そんなに特別なことじゃないけどのんびりしてて、せかせかしない...そういう空気がデンマークにはあります。
そんなちょっとしたことをここで伝えていけたらいいなと思います。


ニルス・フェデリック・.グルントヴィ(1783〜1872)

聖職者、詩人、政治家といくつもの顔を持つグルントヴィはアンデルセンやキルケゴールと比べると海外での知名度は劣るかもしれませんが、彼がデンマークの文化に与えた影響は計り知れません。
それまで知識人はラテン語やドイツ語などを使用していましたがグルントヴィはデンマーク語こそ民衆の言葉、美しい言葉であると考えました。
彼は生活から出発する実践科学、人間の偉大な経験が蓄積された歴史科学、民族科学の必要性を強調しています。
今を生きる自分、そして祖先の生きた土地・歴史を愛し、その言葉を愛し、民族を愛するべきなのです。

彼はフォルケホイスコーレでの教育は死んだ書籍学習ではなく、活語による生きた人格と人格のふれあいを前提とし、教師には豊富な生活内容をもって、生き生きと話すことを要求しました。
教師と生徒、生徒同士など自由に語り合うことで、互いに影響を与えながら自分の「生」の意味に気づくことができます。
グルントヴィはこれまでの詰め込み学習では何も学ぶことはできない、一人一人が「人」として確立ことを最も重要としました。

このグルントヴィによるフォルケホイスコーレの思想は、今日のデンマークの教育に深く根付いています。
試験のみで人の能力を判断することはできないし、借り物の知識を暗記しているかどうか確認しているに過ぎないと考えた彼は試験制度を排撃しました。
今もデンマークでは7年生まで試験による評価は行われません。

出世のために学ぶのは本当の意味での学びではありません。学ぶことによって「自分とはどういう人間か」を知ることができるのです。


付録2

神戸で学校を作った炭谷俊樹さんのコメント


OECDのレポート
http://www.oecd.org/dsti/sti/s_t/scs/prod/s_tpub.pdf
をもう少し読み込むと面白いことが見えてきます。
昨今「学力低下論」が話題ですが、私の実感からはクビをかしげるものがあります。
その論旨を簡単にいえば、大学生に分数の計テストを行い、その点数が低下していることを指摘し、その原因は小中時代のゆとり教育にある、いまこそ詰め込み教育を復活すべきである。 とのことですが、ほんとにそうでしょうか?
ここにひとつの反証があります。
OECDレポートによると、科学技術に関する知識は、子どもの頃(8才のとき)は日本は世界の先進国でもトップクラス(チェコとトップを争う)で、デンマークは低い。
ところが大人になったときにはOECDの14カ国中、デンマークがトップで日本は下から2番目のブービー賞となる。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか?
ゆとり教育が問題であるならば、こどもの頃がトップクラスであるというのはどう説明されるのでしょうか?
他の計算力等の調査で見ても、日本の小学生はほぼ世界のトップクラスに位置づけられています。
問題は大学生あるいは大人になったときに、その学力が落ちてしまうことにあります。
なぜでしょうか?
そのヒントがこのOECDのレポートに隠されています。
その違いは科学技術に対する関心の違いにあると思われます。
14カ国で、科学技術に対して関心のある人の比率が、デンマークやフランス、オランダ、イタリア、カナダ、イギリス、アメリカ、ギリシャでは5割近くあるのに対し、日本では2割を切っていて14カ国中最下位なのです。

私がデンマークと日本の両方に住んで感じたことは、デンマークでは科学技術は「自分の生活を豊かにするためにある」のに対し、日本では「受験勉強のための手段」あるいは、「国または企業が経済的に豊かになるための手段」としてとらえられているように思います。
従って、日本では官庁や企業の技術者や研究者の科学知識は低くないと思いますが、一般の人の関心は低い。
これに対し、デンマークでは一般の人でも環境問題等に関心が高く、大人の科学知識が高くなっていると思われます。

学校の勉強や受験のために一生懸命覚えたり、詰め込んだりするだけだから、大人になると関心を失い、知識を失う。
自分の生活とは無関係で、受験や経済のためだけに必要な学問知識を私はデンマークのグルントヴィに習って「死んだ知識」と呼んでいます。
それに対し、生活に身近に役立つ知識ならば誰でも興味を持ち、一生素直な興味でもって学び続けるはずです。
これが「生きた知識」です。
今の日本の学校教育で与えられている知識の多くが「死んだ知識」になってしまいがちです。
子ども達は自分たちの生活と何の関係もない知識を毎日毎日詰め込まれて行くうちに学習意欲を失っていき、極端にいえば受験勉強や就職のため以外の勉強をしなくなってしまいます。
私は受験勉強もなく試験もなくのびのびと育っているデンマーク人の科学知識レベルが世界トップであることに驚きはありません。
彼らは死んだ知識を詰め込まれるという経験をしていないので、社会に対して素直な興味があるからです。
自分の健康や環境、社会に関して問題意識を持ち、問題を解決し、より豊かな生活を実現するためには人はどうすればいいのか、またその中で科学技術をどう位置づけるべきかといった課題は全ての人にとって身近な課題であり、学者だけでなく、政治家や一般の人でも当然の興味の対象であるのです。

こういったことを実感として体験していますから、過去の詰め込み教育の弊害の反省の感じられない学力低下論者の議論をいくら聞いても、まさに「死んだ知識」としてしか聞こえてこないのです。
みなさんはどう思われますか?

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