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昼休み、定食のトレイを持って学食内をウロウロしていた。事情を知らない
他のクラスや違う学年の生徒がチラチラと俺を見ている。しまった。パンでも
買って屋上で食えばよかった。
「辰実〜、こっちやこっち〜」
学食の出口近くの机で和久が手を振っていた。ノリと桜子も一緒か。
「お前等さっさと先に行っちゃうんだから結構薄情だよな」
俺は授業が終った直後にクラスのヤツ等に捕まって質問責めに合っていた。
「せやかて急がんと席無くなってまうからなあ。昼休みは戦場やで。学食は」
「そうよー。せっかく辰実ちゃんの席も取っておいてあげたんだから感謝しなさい」
「なぁ、その『辰実ちゃん』って言うのやめてくれないか」
「あら。ダメよ。こんなに可愛い子呼び捨てになんてできないわ」
「てめぇ」
桜子はケラケラと笑っている。この野郎楽しんでやがるな。
「まぁまぁ、それよりも飯が冷めちまうからさっさと食おうぜ」
ノリは待ちきれないとばかりに自分の親子丼に箸を着けた。
「いただきます」
俺は桜子を言い負かすのを諦めて定食のトンカツを口に運ぶ。
「せや、辰実今日ヒマか?」
「すまん、今日はダメだ」
「え〜?折角4人でどっか行こうかと思ってたのに。なんでよ、辰実」
「今日は古条先生と買い物に行かなきゃいけないんだよ」
「買い物ぉ?」
和久がカレーのスプーンを咥えながら首を傾げる。
「下着とか服とか色々買わないといけないんだと。あぁ、行きたくねぇ」
「なんだ。それじゃしょうがないわね」
「お?なんだヤケに聞き分けがいいんだな」
ノリが意外そうな顔で桜子を見ながら丼を掻き込む。
「女の子は色々と大変なのよ。辰実ちゃん、色々可愛い洋服買ってくるのよ?」
くっ、折角さっき『ちゃん』が外れてたと思ったのに。これでセーラー服ま
で買わなきゃいけないなんて言ったらどうなる事やら・・・。
「今日は3人で遊びに行きましょう。辰実ちゃん、明日楽しみにしてるわよぉ」
あぁ、このニヤニヤ笑いの奥が恐い・・・。
「あら?辰実、あなたそんな腕輪前からしてたっけ?」
「あぁ、これか」
左腕に収まったブレスレットを触りながら一昨日の事を話し始めた。
「ふーん、そんな事があったんだ」
「ああ。これは取れなくなるは女になっちまうはで俺はもう泣きたいよ」
「一度はめたらなんか取れなくなる仕掛けがあるんじゃね?」
「俺が先に通った時はそんな露店はなかったけどなぁ?」
和久は記憶を探るように首を傾げた。
「じゃあそのブレスレットを着けたのは一昨日の夜なのね?」
「ん、そうだけど」
「ふーん・・・」
そのまま桜子もなにやら考え込んでしまった。
「それにしてもその可愛い顔で男言葉喋られるのも妙な感じだな」
ノリが空になった丼を置いて茶を啜りながらこちらを見る。
「一回だけ女の子っぽく喋ってみてよ」
「ふざけろ」
タクアンをポリポリと噛みながら即拒否する。何を考えとるんだこいつは。
「んだよけちー」
「誰がケチか」
「さ、グズグズしてたらお昼休み終っちゃうからそろそろ行きましょう」
ずっと何かを考えていた桜子が不意に顔を上げてウドンの丼をもって席を立つ。
「せやな」
「う〜い」
和久とノリも食器を手に席を立つ。
「ちょ、ちょっと待てって」
俺の定食はまだ3分の1ほど残っている。どうも前より胃が小さくなってる
ようだ。腹も膨れてきている。
「しょうがない。勿体無いけど腹も一杯だしいいか」
これは大きな決断だった。男だったときなら定食を平らげたくらいじゃ腹八分
程度にしかならなかったのに・・・。勿体無ぇ。
先に歩いて行ってしまった3人に追い付くと桜子はまだ何か考えているようだった。
「さっ、まずは何は無くとも下着ね」
「うあぁ・・・」
駅前のランジェリーショップ。ぐずっている俺を古条先生は半ば強引にここ
へ連れてきた。
「往生際が悪いぞ。女の子になってる間だけだと思って覚悟を決めなさい」
「うぅ」
そうは言うけど元に戻る方法が解からないんだから救いがない。もしかした
ら俺はずっとこのまま・・・
いやいやいや、そんなのはまっぴらだ。絶対元に戻る方法を見つけてやる。
「佐伯君。どうしたの?」
「あ、いや。なんでもないっす」
どうやら無意識に頭を振っていたらしい。しょうがない、先生の言う通り覚
悟を決めるか。
「いらっしゃいませ」
色とりどりの下着。なんと言うか非常に居心地が悪い。
「あ、すみませーん。この子初めてなんですけど寸法お願いできますか?」
「はい、かしこまりました」
先生に呼ばれて店員さんが近づいてくる。・・・ん?寸法?
「せ、先生。もしかして寸法って服脱がなきゃダメだったりします?」
恐る恐る尋ねてみる。
「う〜ん。佐伯君の場合初めてだからヌード寸法をしっかり測っておかないと
後々不便ね」
・・・やばい。非常にやばい。俺胸にバンソウコウ貼ってる。これを人前に
晒すのはかなり危険な気がする。
「さ、先にトイレに行ってきますね」
「あ、ちょっと佐伯君」
店内にあるトイレまで走り個室に入る。
「あ、危ねぇ。気付いてよかった」
ホっと胸を撫で下ろす。あんまり遅くなるのも変だから急ごう。シャツのボ
タンを外してインナーをめくり上げる。人には見せられない絵だ。
「よっと。ん・・・」
バンソウコウを剥す。剥す時の感覚に少し身体が反応してしまう。いかんいかん。
よし、これでOK・・・じゃない。バンソウコウが付いてた部分が赤くなっ
て痕が残っている。
「嘘だろ?」
これはまいった。ここまでは考えてなかった。どうしよう。痕が消えるまで
トイレに篭もってるわけにもいかないし・・・。
俺は別の意味で覚悟を決めた。
「佐伯君大丈夫?」
「・・・・・・」
「まさかバンソウコウをニプレス代りに使ってるなんて思わなくて」
あれから覚悟を決めて寸法を測った。もしかしたら気付かれないかもしれな
いなんて希望は脆くも打ち砕かれ、店員さんにバッチリばれてしまった。あれ、
苦笑いだったよな・・・。あの時の非常に気まずい雰囲気はかなり堪えた。
「あまり気にしない方がいいわよ」
「すいません。もう大丈夫です」
いつまでも気にしてても仕方がない。とりあえず第一関門無事(?)突破と
言う事で残りもさっさと終わらせよう。
「さ、次は制服ね。ちょっと時間がかかるかもしれないから急ぎましょう」
「はい」
その時、俺の視界の片隅に奇妙な物が映った。渦巻模様。・・・渦巻模様?
間違いない。50メートルほど先。あの風呂敷包みは謎のお姉さん!
「先生ゴメン!先にお店に行ってて」
それだけ言うと俺は駆け出していた。
「ちょっと佐伯君!?」
走る。謎のお姉さんはどんどん歩いて行く。こちらには気付いていない。お
かしい。こっちは全力で走ってるのに全然追いつけない。
駅の外れの横道に入り、狭い路地へと進んで行く。
「ちょ、ちょっと待って!」
謎のお姉さんが右の路地へ入って行く。やった、追い付けそうだ。
「・・・あ、あれ?」
行き止まり。謎のお姉さんの姿はどこにもない。
「そんな・・・」
ありえない。見間違える以前に人一人がここに来たはずなんだ。
俺はしばらくの間その場に立ち尽くしていた。
「つ、疲れた」
あの後古条先生と制服と普段着を買い揃えた。一番辛かったのは整理用品だ
ったが。やはり男としてああいった物を買うのは抵抗がある。
服は・・・なるべく露出度の低いボーイッシュな物を選んだのだが古条先生
が『ダメよ、そんなデザインの服ばっかりじゃ。もっと女の子のお洒落を楽し
める服も買わなくっちゃ』とか何とかで半分ほど古条先生の趣味で選ばれてしまった。
お金は親の仕送りだが少し蓄えがあったし島崎先生と古条先生の二人も少し出
してくれたので問題は無かった。
「・・・・・・う〜ん」
結局謎のお姉さんを見付ける事はできなかった。このブレスレットだけでも
返せると思ったのに。
「8時か」
枕元の壁掛け時計を見る。・・・しょうがない。明日着て行かなきゃいけな
いんだし制服を着けてみるか。
シャツとズボンを脱ぐ。改めて下着を着けた身体を見てみる。
「うぅ、なんか変な感じだ」
ブラジャーのおかげで胸の重さが少し楽になったしショーツもボクサーパン
ツより履き心地は良い。
しかし俺が女物の下着を着ける事になろうとは・・・はぁ。
「え〜っと」
スカートを着けてみる。これは想像以上に風通しが良いな。お、落ち付かな
い。それに丈が短い気がする。上も着てみる・・・おいおい。ヘソが見えるぞ。
実際着てみると非常に気になる部分が多いし何か心細い気がする。
全て着用して姿鏡の前に立ってみる。
「・・・可愛いじゃないか」
って何を言っているんだ俺は。見た目は違えどこれは『オレ』なんだぞ。
『ぴんぼーん』
チャイムの音。誰だろうこんな時間に。
「は〜い」
玄関のドア手をかけ押し開けながらふと気付く。
しまった、俺今セーラー服着てるよ。
「やっほ〜辰実・・・っておんやぁ〜?」
「げっ」
目の前に桜子が立っている。俺を見た途端顔に凄まじい笑顔が広がって行く。
一番見られたくないヤツに真っ先に見られてしまった。
「ちょっと何よ辰実ちゃん、女の子になって不満たらたらな態度してたくせに
セーラー服なんてフル装備しちゃって〜」
「ま、待て。落ち付け。誤解だ。これは明日着ていかなきゃ行けないから仕方
なくにだな・・・」
「別に良いのよ〜。私に言い訳なんてしなくても全部わかってるから」
何をわかってるんだ何を。くそ、こりゃ何言っても聞く耳持ちそうにないな。
まいった、明日学校でなんて言いふらされるやら。
「んで、お前は何しに来たんだ?しかも珍しく一人で」
「そうそう。ちょっと話があるのよ。上がってもいい}
「別にかまわないけど話ってなんだ?」
「とりあえずお邪魔するわよ」
そう言ってずかずかと上がり込んでくる。まぁ桜子が俺の家に来るのなんて
10や20なんてもんじゃないから別にいいんだけどさ・・・。
「で、話って何だ?」
冷えた麦茶を桜子の前に置くとベットに腰掛ける。
「うん、ちょっと腕貸して」
桜子が俺の左腕を手にとる。チャラチャラと音をさせながらブレスレットを
調べているようだ。
「ふ〜ん」
「なあって、一体全体何を調べてるんだ?」
「あのね辰実、多分だけどあんたが女の子になっちゃったのはこのブレスレッ
トのせいよ」
「はぁ?」
「だってそうでしょ?一昨日の夜にブレスレットを付けて外れなくなって次の
日の朝起きたら女の子になってた」
「聞いた事もない病気って言われるよりこのブレスレットが原因って考える方
が自然な気がしない?」
「そう言われてもなぁ・・・」
イマイチ信じられない。
「そう言われてもも何もそのブレスレット明らかに普通のブレスレットじゃな
いじゃない。銀で出来てるはずなのに傷一つ付かないし。そんなちっちゃな留
め金なのにビクともしないし」
「じゃあ何なんだよこれ」
「そんな事私が知るわけないじゃない。でも・・・そうね」
「例えば・・・新種の医療器具とか」
「医療器具ぅ?これが?」
「例えばの話よ?そのブレスレットを着けてると女性ホルモンが通常の何倍に
も分泌されて着けた人は女の子になっちゃうとか。よくオカマの人とかがホル
モン注射で体つきを女の子に近づけるとかしてるじゃない」
「う〜ん、そう言われると何となく説得力がある気がする」
「それでもホルモン注射で本物の女の子になっちゃうなんて話は聞いた事無いわねえ」
「何だよ。結局違うんじゃないか」
「あら、それでも『これは病気です』って言われるよりは当たりっぽいでしょ?」
「ん〜」
これは謎のお姉さんを意地でも探し出して話を聞く必要がありそうだな。