ボクたちの選択 23


その日の昼休み、圭介は天気が良い時はいつもそうするように、「教室棟II」横のベンチで健司と由香と、3人で一緒に昼食を取っていた。
目の前には濃い緑色のフェンスがあり、その向こうには2面のテニスコートが見える。
そのコートでは、早々と昼食を済ませた女生徒が数人、制服のまま軟球を使ってテニスの真似事をして遊んでいた。
「ねー!圭ちゃんもやらないー?」
フェンスの向こうから、女生徒の1人が声をかけてくる。
髪を頭の左右で結んだ…いわゆるツイン・テールにしたその女子は、圭介には見覚えの無い顔だった。
けれど、ここ数日ですっかり……たぶん校内一有名になってしまった圭介を知らない者はいないため、
別に声をかけられても驚きはしない。
圭介はそんな時「山中くん」と呼ばれる事が多いが、時にはこうして見知らぬ相手からでも
「圭くん」とか「圭ちゃん」とか、親しみを込めて呼ばれる事もあるのだ。
もちろん中には、からかいや嘲笑など、嫌な感情を込めた声もあったけれど。
「今、メシ食ってるから今度なー」
最後に残しておいた、弁当箱の中の卵焼きを飲み込んで、適当に返事しておく。
卵焼きは、母が出掛ける前に作っておいてくれた甘くないヤツで、圭介の好物だった。
「えー圭ちゃんカンジわっるぅーい」
「うるせー」
圭介の面倒臭そうな声に、女の子はキャハハと笑ってスカートを翻(ひるがえ)し、再びボールを追って駆けていった。
ミニスカートで走りまわるのはいろんな意味で果てしなく危険なのだけれど、彼女達は蝶の様に蜂のように、
コートの中でころころと笑いながらボールを追いかけている。
『女の子…だなぁ…』
なんだか、しみじみとそう思う。
『産まれた時から女の子で、つまり、女の子のプロなんだよなぁ…』
“プロフェッショナル”という言葉の意味についてちょっと誤解があるようだけれど、
つまり圭介は彼女達の自然な仕草に、改めて感心してしまっていたのだった。
周りに男子がいる時の、彼らの視線に対して無意識にとってしまう『女の子の仕草』は、まさにカンペキだ。
可愛らしい…と、圭介が見てもそう思う。
そんな事を思いながら圭介がぼんやりとテニスコートを眺めていると、
「けーちゃん人気者だね」
健司が、厚揚げ豆腐に箸を突き刺しながらにこにこと笑った。
豆腐はもちろん彼の実家『谷口豆腐』製で、ついでに言うならば甘辛く煮付けたその厚揚げ豆腐は、彼自身のお手製だろう。
「……珍しいからからかってるだけだろ。すぐに飽きるよ」
ペットボトルの緑茶をぐびりと飲み、圭介は彼の言葉にぼそぼそと答える。
いつもはなぜか、圭介を真ん中にして座る事が多いのだけれど、今日は由香を間に挟んで2人は離れて座っていた。
圭介はなんとなく、健司の顔が見られないのだ。
朝、あんなことをしてしまったからだろうか。
午前中は、あの強烈な快感が体に染み込んだかのように、どこか腰が重く、
ちょっとした拍子で“じわじわ”とお尻の谷間の帰結点から背筋に沿い、甘い甘い“痺れ”が這い上がってきてしまう。
そのたびに“きゅっ”と唇を噛んで、その“嵐”をやり過ごすのだけれど、
どこかで一度ちゃんと“終わらせて”しまわないと納まりがつかないような気がしていた。
そして、その“嵐”は何故か健司の顔を見ると俄然(がぜん)勢力を取り戻し、圭介の体の中で猛威を奮うのだ。

切なさが、満ちる。

健司を“ぎゅっ”としたい。
そんな、押さえ切れなくなるくらいどうしようもない“欲求”が、圭介の理性を薙ぎ払おうと暴れまわるのだ。
なんだか、危険な気がする。
すごくすごく、危険な気がする。


「そうかな?……まあ、けーちゃんって可愛いから、からかい甲斐があるのかもね」

ほら。

健司の『可愛い』って言葉に、もう“反応”してる。
『ばかやろー…もと男に……ンなコト、言うなよなぁ…』
わかってる。
これは自分が招いた結果だ。
母の言うままに『女性仮性半陰陽』ってコトにして、“遺伝的にはもともと女だったのだから、
これからはずっと女として生きていかなければならない”と健司と由香を始め、みんなにそう思わせたのは自分なのだ。
優しい健司は、圭介が早く『女であること』に馴れるように、『女だったことを嫌だと思わないように』なれるように、
一生懸命、なにかにつけて『可愛い』とかスカート姿を『似合うよ』とか、言う。
それが彼の優しさからきているものだから、圭介も怒る事が出来ず、彼がそう言う事を止められないのだ。
あいにくこちらは女の体はしていても、心は男のままなのだ。
少なくとも圭介はそう思っていたし、半分は本当だった。
だから、男子生徒にそう言われても素直に「わぁうれしい」とか「そお?」なんて言えるはずも無いし、言いたくもなかった。
少なくとも健司以外には。
『…ったく……さぁ…』
他の男子に『可愛い』なんて言われると背中の産毛まで“ぞぞぞぞぞ”と逆立つくらい気持ち悪いのに、
健司が言うと、どうしてこうも耳に心地良いのだろう。
だからこそ体の中の“嵐”はすぐに勢力を取り戻し、主導権をよこせと主張してしまうというのに。
『コイツのこの顔なんだよな……この顔。人畜無害でのほほんとして……』
馬とか牛とかゾウとか、とにかく大きな草食動物を見ると誰もが感じる、ある種の安心感というか、
空気……きっとオーラみたいなものを、たぶん健司はいつもいつも大量に周囲に放っているのだ。
そしてそのオーラは自分みたいな情緒不安定な人間の心と体を惑わすのだ。
きっとそうに違いない。
ぜったいそうだ。
そうに決めた。

「けーちゃん、にやにやしてる。ヘンだよ?」
由香が、とても女の子らしくないでっかい弁当箱を抱えたまま、圭介を見た。
「……オマエ、まだ食ってたのか」
「由香ちゃん、さっきのパンはもう食べたの?」
圭介と健司が、ほぼ同時に声を上げる。
片方は呆れた口調で。もう片方はただの確認のため。
「うん」
2人の質問を一言でまとめて答え、由香はミートボールを一つ口に入れた。
由香はよく食う。
それはもう、「そんなちっこい体のどこにそれだけ入るんだ?」というくらい食う。
「それ全部ちゃんと消化してんのか?」とか「腹ん中に蟲でも飼ってねーか?」というくらい、よく食う。
しかも、なんでもかんでも実に美味しそうに食べるものだから、見ているこっちが幸せで胸がいっぱいになって食欲を無くしてしまうくらいだ。
決して胸焼けがして食欲を無くすとかそんなんじゃなくて。
圭介はポケットからハンカチを出して、由香の唇の左端についた、ミートボールの赤いソースを拭ってやる。
最近はなんとなく、こうするのが圭介の役目になっていた。
人のことを『女の子チェック』で厳しく指導するくせに、由香は時々てんで子供っぽい。
男子の目があるところでこんなデカイ弁当をパクつくのは、女の子としてどうかと、圭介でさえ思う。
そういえば母も、結構食べる方だ…と彼は思った。
母の場合は、食べた分がそのままあのでっかいおっぱいの維持にまわってる気がしないでもないけれど。
けど由香は……。
「けーちゃん、えっち」
由香の、校舎の壁面並みにまっ平な胸を見下ろしていた圭介は、由香のいたずらっぽい笑いを含んだ言葉に、慌てて目を逸らした。

「…ンなぺった胸なんて見たって…べつに面白くもなんともねーや」
「ひっどぉい。けーちゃんにそんな事言われたくないなぁ」
「なんだよ」
「けーちゃんこそ、つるっつるのぺったぺたじゃない」
なんだそりゃ。
圭介は思わずムカムカして“ぺしっ”と由香の頭をはたいた。
「いたっ……女の子をぶったぁ…」
「うっせー。男が女をぶつのは問題だけど、女が女をぶつのはいいんだ」
「めちゃくちゃな理屈だよソレ…」
「健司は黙ってろよ」
まだ何か言いかける健司を、“ぎろっ”と心臓の弱い御老人なら思わず心臓麻痺でも起こしそうなくらいコワい目で睨みつけ、
圭介は由香のほっぺたを両方から“きゅっ”と引っ張った。
「いひゃっ」
「オレの胸がなんだって?ンなのはいいんだよ。オレはもともと男だったんだから」
「いひゃぃ…へーひゃん、いひゃいよほぉ」
「胸なんてなぁ、ほっときゃ勝手に膨らんでくるもんだろうが」
「ひょれ、ひゅり」
「はぁ?」
「『それ、無理』だって」
「なんだよそれ」
「いや、通訳がいりそうだったから」
「ほー……ほーほーほー…そうかそうか」
なんだかわからない。
なぜか腹が立った。
圭介はむにっむにっむにっ…と、由香のぷにぷにとしたほっぺたをさらに引っ張った。
「ふぉりひゃうひょー」
「『のびちゃうよー』………じゃなくって、けーちゃん、もうやめなよ」
「うるせ」
「ふぁ、ふぉりゃへんへー」
「『あ、ソラ先生』…?」
「ウソつくならもっとマシな」
そこまで言ったところで横に誰かが立つ気配を感じ、圭介は由香のほっぺたを引っ張ったままその影を見上げた。
「コラ山中、落ちついたら一度保健室に来いってあれほど言っただろーが」
プラスチック製の書類ファイルで圭介の頭を“ぱこん”と叩いたのは、ソラ先生こと、保健教諭の空山美智子だった。
「う…やだなぁ、体育の前とか、いつも着替える時に行ってるじゃないですか」
「私は“お前一人で来い”って言ったハズだぞ?それを毎回毎回聞き流しやがって。いいかげん……あ、コラ!」
弁当箱を抱えたまま脱兎の如く走り出した圭介の襟首を、寸前のところで美智子の手が捉え損なって空を切った。
見事な逃げっぷりだ。
「……ったく、人の顔見りゃ逃げやがって。話くらい聞けつーの」
美智子は右手に持ったファイルで肩をとんとんと叩きながら、左手で短く切った頭をガリガリと掻いた。
ベリィショートの髪の前髪は、一房だけ金色に脱色してあり、白衣を着ていなかったらとても保険のセンセイには見えない。
「お前もタイヘンだな」
彼女は、ベンチに残されたまま最後のソーセージをパクついたちびっこい少女を見下ろす。
彼女はもぐもぐもぐと口を動かし、ペットボトルのノンシュガー紅茶で飲み下すと、
「もう慣れましたよぅ」
と、にっこり笑いながら弁当の蓋を閉める。
「そか」
目を細め、ふう…と息を吐き、美智子は肩の力を抜いた。
『まあ、警戒されても仕方ない…か』
彼は、自分の体が異常なんだと、誰よりもわかっている。
『私が、学術的興味から調べたいと思ってる……なーんてことを考えてんだろうなぁ…』
隣の、子犬みたいな少女を見た。
わけもわからず、由香は“にこっ”と笑った。

『やっぱ、失敗だよなぁ…』
美智子は深く嘆息して、晴れ上がった空を見上げる。
空は、憎々しいほどに青く澄み渡り、もうすぐ雨の季節になるなんて思えないほどだった。


「しつけーなーもうっソラ先生てばさー」
カッチャカッチャカッチャと弁当箱に付いている箸箱が音を立てる。
圭介の弁当箱は、クラスの女子が持ってくるような可愛らしくファンシーな、ちっちゃいものではなく、
男だった頃から使っている銀色のアルミの弁当箱だった。
正直、他の女子のように見栄を張るつもりはないし、足りない栄養を補給するように休み時間や食後に
バリバリボリボリとスナック菓子を貪るつもりもない。
栄養は3度の飯でしっかり取る。
間食はなるべくしない……が、山中家の原則だった。
「待ってよけーちゃん!」
気がつけば、後から健司が追いかけてくる。
そのまま一緒になって走った。
「なんでオマエまで逃げてんだよ?」
「なんとなく。けーちゃんこそ、なんでソラ先生から逃げてるの?」
「ありゃゼッタイ、オレの体に興味あんだぜ?」
「興味?」
「珍しい症例とかでいろいろ弄りまわされるのだけはカンベンだ」
「なるほど」
「教室棟I」まで全力疾走すると、それだけでもう息が上がってしまう。
女の体というのは筋力でも肺活量でも、それなりに鍛えている男子には叶わない。
息一つ上がっていない健司を見ると、圭介はそれを痛感して少し悔しくなった。
「はい、掴まって」
「え?」
「ほら」
不意に、健司に手を掴まれ引っ張られる。
「けーちゃん、運動不足?もう息が上がってるよ?」
「う…うるせー」
それだけ言うのが精一杯だった。
胸がドキドキして、苦しくて、なのに健司の触れた所からじんわりと体中にあったかいものが広がっていく気がする。
そして彼は、自分の表情がひどく苦しげだったのが、いつの間にか頬がゆるみ咲き誇る花のような笑顔になっている事に、
自分の事ながらまったく気づいてはいなかった。




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