ボクたちの選択 17


「ちょっと待っててね?今呼んでくるから」
バストよりウエストの方が豊かで、洋画とかでよく見る酒樽みたいな体型の健司の母は、息子から話を聞いているとかで
「大変ねぇ」とか「もう大丈夫?」とか「困ったことがあったらいつでも言ってね?」とか「なんでも力になるからね」とか、
気が良くてちょっとおせっかい焼きな気質そのままの笑顔に、わずかな困惑を貼り付け、圭介を迎えてくれた。
小学校の頃からよく訪れていた健司の家は、玄関がそのまま豆腐作りの作業場と繋がっていて、
むあっとした湿気と蒸した大豆、それに豆乳やおからなどの良いにおいがいっぱい立ち込めている。
少しして、背の高い牧歌的雰囲気の青年が手に菜箸(さいばし)を持ったまま工場(こうば)に顔を出し、
彼はそこに可愛らしい少女が立っているのを見てぎょっとした顔をした。
「…………けーちゃん!…どうしたの?」
一拍、間があった。
「…いきなり『どうしたの?』はねーだろ?」
「ごめん。でも、なんか顔色悪いよ?」
「ま、ちょっと、な」
曖昧に笑い、圭介は鼻の頭を掻いた。
「なんだよその箸…」
「あ、これ?今、油揚げ作ってたんだ。食べる?」
「いいよ。オマエんとこの豆腐が美味いのは知ってるけど、まだキツネになるつもりはねーよ」
健司と話していると、なんだかあたたかいものが心に流れ込んでくる。
それはとてもとてもあたたかくて、心地よくて、きもちよくて、胸の奥がじわわわ…と熱くなる。
強張った体が、ほわほわとほぐれていくようだった。
「今日は部活じゃないのか?」
「ああ、今日は午前中に記録会があってね、隣の高校の水泳部が遠征に来てたんだよ」
「勝ったのか?」
「やだなぁ…別に試合したわけじゃないよ」
「速いか遅いかで、速けりゃ勝ちだろ?」
「大雑把だなぁけーちゃんは」

圭介の視界の端には、こちらをちらちらと見ている健司の母の姿が映っている。
『女性仮性半陰陽』なんていう珍しい病気(?)で、いきなり男から女になった息子の幼友達が、
やはりどうにも珍しく好奇心を刺激されるらしい。
きっと明日には、近所のおばさま連中の話題は圭介の話でもちきりだろう。
「そうだ、上がってよ。ここじゃなんだから」
「あ、いい。すぐ帰るから…さ。なんとなくオマエの顔が見たくなっただけだから」
圭介はぱたぱたと両手を振ると、そばにあった椅子を引き寄せて勝手に座った。
足を開いてどすんと座り、けれど、健司の視線がその開いた足にとまった事に気付くと、
慌てて足を閉じて、なんとなく『女の子っぽく』座り直した。
「……女の子っぽくしろって、おじさんかおばさんに言われたの?」
「いや、…まあ…その…これからは女…なんだし…」
微妙な表情で真面目に問い掛けてくる幼馴染みへ、なんと言ったらいいかわからず、圭介はごにょごにょと言葉を濁す。
「いや、けど、まあ…まだ…その、スカートとか…さ、履けなくてさ……覚悟っつーか、度胸…無いよな、オレ」
「そんなこと…ないよ」
健司の、どう見ても苦笑いにしか見えない顔を見て、圭介はおそるおそる上目遣いで幼馴染の青年を見た。
「……オレがスカート履いたら、ヘンだよな」
「えっ?…」
健司は、圭介の心細げな言葉に、思わず胸を突かれた気がして息を呑んだ。

そして、突然理解したような顔で圭介を見た。

一週間前まで男だった圭介が、それでも一生懸命『女』として生きようと覚悟を決めている。
自分の運命を受け入れ、その上であくまで前向きに生きようとしている。
今までの人生が全てひっくり返り、ともすると未来までも真っ暗になってしまったような思いだろうに。
なのに自分は、圭介を前の男だった頃の圭介とダブらせて、素直に見られなかった。
と思ったのだ。

そして、こうも思った。
『俺は最低だ』
…と。

今の圭介は、どこからどう見ても可憐な少女にしか見えない。
声も、鈴を鳴らしたように涼やかで可愛らしいものだ。
実は「圭介の妹です」と言われたら、そのまま信じてしまいそうだった。
「…そんなこと、ないよ。けーちゃん可愛いもん。きっと似合うと思う」
健司は健司なりに気を使っているのだ。
圭介が元々遺伝的には女で、本来こうあるのが当たり前で、あるべき姿に戻っただけだ…と思っている。
真実はどうあれ、そう信じている。
健司なりに、圭介が早く女としての自分に馴れて行くように気を使っているに違いない。
それにしても、男だった圭介を知っていて、それでも「可愛い」と言えるあたり、健司もかなり頑張っていた。
「そ……そうかな……似合うかな…」
そして圭介は、健司に「可愛い」と言われて赤くなり、そしてはっと気づいて、
『なんだオレ…ナニ健司に可愛いって言われて、そんで赤くなってんだ!?
 な、なんかこれじゃ、まるでオレが喜んでるみたいじゃねーか!?うわっ…ちょっと待てよオレ、大丈夫か?』
そして、自分の頭をぽかぽかと叩いて小さくうめく。
「どうしたの?けーちゃん」
「…いや…あのな…その、ええと…そうだ、オレ、明日から学校行くよ」
「あぁそう…なんだ」
「ああ。だから、また…前みたいに一緒に学校行ってくれるか?」
立ち上がり、健司を少し赤い頬のまままっすぐ見て、圭介は言った。
“キッ”と、真面目な顔で睨みつけるように見つめているが、まるで子犬がいしょうけんめい大型犬に挑みかかろうとしているようだ。
本人は大真面目なのだろうが、端から見ると微笑ましくも可愛らしい情景にしか見えなかった。
健司もそう思ったのか、なんだか口元がむにむにと動いている。

「う、うん」
「…なんだよ」
「……べつに?」
「………笑うな」
「笑ってないよぉ」
「ど、どうせオレはっ」
「あ、ねえ、それ、由香ちゃんにも言ってあげた?」
ふてくされかけた圭介に、健司が思い出したように不意に言った。
「いや、まだ」
「言ってあげなよ。由香ちゃん、すごくショック受けて、ずっと沈んでるから」
健司の顔は、本気で心配して本気で心を痛めている。
圭介は思わず胸が熱くなり、
「オマエ、ホントにイイヤツだな。オレが女なら惚…」


…口篭もった。


「えっと…」
かああああ…と、圭介の顔がみるみる赤くなる。
「けーちゃん?」
「ばかってめっ見るなっ」
「え?」
「あっちいけ」
くるっと背中を向ける圭介に、健司は不思議そうな視線を向ける。
なんだか2人とも黙り込んで、空気が重くなったのを感じた。
「じゃ…じゃあ…その……オレ…帰るよ」
「あ、けーちゃん」
「なんだ?」
玄関から足を踏み出した格好で振り返り、圭介は自分よりずっと背の高い親友を見上げた。
その顔には、戸惑いとも、苦しみとも違う表情が浮かんでいる。

「その………俺達…友達だよね?」
「…そ………何言ってんだよ、ばか。当たり前だろ?」
圭介は、どんっと、その細くて白い手で幼馴染みの厚い胸板を叩いた。
健司の胸は、熱くて、そして岩みたいに硬かった。
それがなぜか、圭介の胸を切なく締め付ける。
「そうだよね」
「…そうに決まってんだろ?」
「…うん」
「………じゃあ、オレ…行くわ」
「うん」
圭介は、振り返らなかった。
振り返ったら、なんだか自分は男としてはしていけない事をしてしまいそうだったから。
ぎゅっと、したかったのだ。
大きくて頼もしそうで、そして農場の牛みたいなのん気な顔の健司を、両手でぎゅって、したかったのだ。
「あ〜もうっキモチワリィ!」
駆け出しながらそう呟く圭介の顔は、言葉とは裏腹ににやにやとして、なんだか幸せそうだった。
健司の笑顔を見ていると、胸の奥がぽかぽかとあったかくなった。
心に、“キモチイイ”が満ちる。
そして同時に、苦しくなる。
締め付けられる。
わからなくもないけどわかりたくない、たぶんこれが、女の、キモチ。
ああいう、すごくすごくイイヤツに対する、女の、キモチ。

………のような気がした。




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