Suicide Mind
「私が真美に出会うのと、真美が新聞部に入部したのと、どちらが先だったかしら」
ふと思い立って、そんなことを真美に聞いてみた。実は、憶えている。
「そんな大切なことをお忘れになったんですか? 後者です」
微笑して、真美は言った。その笑いとオーバーラップするように、下校時刻を示すチャイムが鳴
る。
真美を見る。笑ったまま。でもその笑いの意味が違う。もう違ってしまっている。
フェードアウト。
『真美さま』は言う。「もう時間ね」と。
私を抱きしめ、爪を首筋に当て立てる。痛い。いたい。……い、た、イ。
新聞部の部室には鍵がかかっている。爪はより強く私の皮膚に当てられている。殺せる。真美さ
まは私を殺せる。
私は眼を閉じた。また始まる、真美さまと過ごす時間の甘美な予感に震えながら。
*
その七三分けの女の子に対する私の第一印象は決して良いものではなかった。新聞部に入部希望
するということで部室にやってきた彼女に私はあまり良い対応をしなかったように思う。
けれどいつの間にか、ロザリオを彼女にあげていた。それは結局、行動についてきたものだった
のだろう。いつも一緒に行動していたから、姉妹といつも誤解されて辟易していた。それならば、
ということで姉妹の契りを結んだのだ。
どこにでもあるような姉妹だった。決していちゃいちゃするようなことはなかったけれど、お互
いに会話を交わし、表面上はともかく、内面では通じ合っていたと思うし、何かと暴走しがちな私
を諌めてくれることも多かった。
なのに、いつのまにか。
私と真美、そして真美さまと私、という二重の関係のなかに二人があるようになるきっかけはあ
の夕方にあった。
あの時、私が原稿書きをもっと早く終わらせていれば、こんなことにはならなかったのかもしれ
ない。
私がその時原稿書きを遅らせていた原因はなんということはなく、ただ単に疲れていたからだっ
た。ミスタッチと誤植の嵐。気づけば下校時間も近くなっていた。それでも締切という恐ろしい概
念は存在するわけで、満身創痍の状態で私は原稿を書き終えた。そこに真美が入ってきたのだった。
「お姉さま……」
真美はどうやら、もうすでに私が原稿を書き終えていると思っていたようだ。
「真美」
「まだ原稿を書いていたのですか」
「もう書き終わったわ」
「じゃあ、一緒に帰りましょうか」
「ええ――今、準備をするから」
私は椅子から立ち上がった。と、その瞬間、電源コードに躓く。
「きゃ」
躓いた結果、私は真美の胸に飛び込む格好になった。柔らかい感触――意外に豊かなようだ、な
どと言っている場合ではない。私は「ごめん」と軽くつぶやいて再び立ち上がろうとする。しかし
私は異変に気づいた。
「真美?」
様子がおかしかった。顔が紅潮している。息が荒い。手は首筋に置かれている。冷たい。数瞬の
間。我に返ったような表情になった。
「え、あ――お姉さま……あ、もう、また……」
「これで何度目かしらね」
自分でもわからない。――それにして真美の様子は変だった。
「真美」
「え?」
「顔が赤いわ。大丈夫?」
「……ええ。大丈夫です」
どこかよそよそしさを繕うように、冷たく真美は答えた。
*
それからずっと、真美の異変は続いていた。
ふと眼を遣ると、私のほうをじっと見ていることが多くなったのだ。決まって頬はわずかに上気
しているようだった。時々わからなくなるが、私は真美の姉だ。姉妹制度のもとでは、姉が妹を指
導するものである。妹の様子がおかしいとなれば、姉はその原因を知らなくてはならない。
ある放課後、私は真美と二人きりで向かい合った。
「真美――最近のあなた、何処か変よ。悩みでもあるのだったら、姉である私に何かできることは
――」
真美は口を一文字に結んでうつむいていたが、二、三度首を振って上目遣いに私を見た。夕陽が
彼女の頬を照らしていた。
「私――お姉さまとの縁を切られても仕方がないですわ」
言葉を吐き出すように紡ぐ。私はどうしてと訊いた。
「最近、なんだかおかしいんです」
と真美は言った。
真美の方が先だった。
今考えると、それまでの態度も狙って行っていたものだったかもしれないが、私にとってはどう
でもいいことともいえる。
「なんだか……この間、お姉さまがそのコードに躓いた時から、というか、胸でお姉さまを受け止
めた時から、時々瞼の裏にお姉さまの姿が現れるのです……それが、その……」
「どうしたというの」
「その姿が……」
言葉を絶つ。私を見る。魅力的な所作だった。
「私、何時の間にか」
首を振った、何かを振り落とすように、例えば、これまでの日常を、
「お姉さまをよからぬ眼で見るように……」
そこまで言って、真美はうつむいた。今にも逃げ出しそうだった。
思考が止まった。
私は衝撃を受けながら、しかしなんとか冷静に動く頭脳で対処法を考えた。
いや、冷静でなかったのかもしれない。何故なら、数秒後に次のようなことを口走っていたのだ
から。
「そうしても……収められない?」
「……はい」
「……一回で済むのかしら」
「え?」
「どうしても邪な考えが消えないのだったら、一度だけそれを体験すれば満足するのではないかし
ら」
「どういう――ことですか」
「部屋の鍵、閉まってる……今――ここで、一度だけなら、私を好きにしていいよ」
私の声は震えていた。何かで。
正気の沙汰では、無論ない。私はそのとき何を考えていたのだろう。今思い返しても霧がかかっ
たようにはっきりとしない。だからなんとなくになるのだが、私には真美の劣情が心地よく思えた
のではないか。恍惚とした感情を覚えたのではないか。甘い想像をしていたのではないだろうか。
あるいは一種の支配欲。
馬鹿だった。
「良いんですか」
「ええ」
「お姉さまを、好きにしても」
真美に状況の異常さを指摘できるほどの判断力はもう無かった。声も私と同じように震えていた。
あと一歩で私に飛び掛ってきそうな状態だった。
「――、一度だけなら」
繰り返した。そんな規定、意味を持つわけが無いのに。
真美は頷いた。
「あの……」
真美が近づいてきた。真美との距離、一線との距離が縮まり、やがてゼロになる。
そして口付け。
触れた瞬間に、これまでこのリリアンのなかで口付けを交わした姉妹はどれくらいになるのだろ
うと思った。もしかしたら私たちが初めてなのかもしれない。その考えに行き当たると、私自身が
どうしようもなく興奮し始めた。ましてや、これからすることなど……。しかし好きなようにさせ
るという約束だったので、私からは何もできない。
真美は夢中になって私を脱がす。すぐに下着だけに、やがて全裸になった。見てる、真美が、何
も付けていない、私を。身体の中心が熱を帯びる。
真美は私をその辺りにあった椅子に座らせた。横たわることができるものが何一つ無いので、仕
方が無い、と私は思っていた。まったくの馬鹿だった。甘い時間が始まると、その時点でまだ信じ
ていた。
「さて」
真美は呟いた。表情が変質しているような気がした。欲情に溺れる少女の表情から、冷静に状況
を捉え、自分の欲望を満たすために行動している獣のそれに。
彼女は新聞部の備品の紐を取り出した。
「え――」
それ、何に使うの、と私は訊きかけた。その前に真美は紐で私を椅子にくくりつけはじめていた。
「ちょっと! 真美、何を……」
あら、と真美は言って唇だけで笑った。好きにしていいっておっしゃったではないですか。
「けど、けど――」
と私が狼狽している間に、両手両足の拘束は完了していた。
真美は私を舐める様に眺めた。触れて骨の線をなぞった。あからさまな場所には一切触れずに、
ただ私の外郭をなぞった。それだけなのに、私は燃えるような羞恥を味わった。全身を犯しつくさ
れたようだった。
暖房が効いているはずなのに、寒い。ひどく……寒い。
「こんな、ことが、したかったの……」
言葉には出さずに真美は頷く。私は何かに対する悔しさで胸が張り裂けそうだった。こうなって
も、まだ、真美を憎むことなんてできなかった。
「これで終わりだと思っていませんよね……」
ひどく冷たい声で呟くと真美は、机の上にあった物を手に取った。
――定規。
恐怖が私を襲った。その定規で何をするか、瞬間のうちにわかった。何故か。
「そろそろ感じ始めてきたんじゃないですか……」
「そんな訳――」
「私にはわかります――私とお姉さまはパズルのピース……誰よりもうまく繋がれるパズルのピー
スで、誰よりも上手に組み合さる……から――きっと……」
それだけ呟くと、真美は椅子の背もたれが無い部分から、露出している私の臀部を、定規で叩い
た。
新聞部室に、一瞬心配になるほどの音が響く。全身を痛みが走る。熱が拡散していく。身体が、
燃えるように熱い。
「あ――!」
声が途切れる前に、第二波。眼を開けていられない。黒で塗りつぶされる視界。ただ音と痛み。
聴覚と、触覚が、世界の、すべて。
*
どれくらい時間がたっただろう。わからない。
*
いつから私は感じ始めたのだろう。わからない。
*
とても、気持ちよかった。それは、わかる。
*
悲鳴が、嬌声に変わっていた。
一撃ごとに、身体の中心に集まった熱が下半身に流れ出るのがわかった。最初にそれを確認した
真美はやっぱりと呟いてペースを速めた。ウレシカッタ。
――わからない。響く音をバック・グラウンド・ノイズに途切れ途切れの思考。
自分は本当にこんなことで感じてしまう人間だったのだろうか。自分は異端なんだろうか。でも
真美も異端で、欠けたピースは、ぴったりと合致。あ、それで、いいのか。
不意に、止んだ。
眼を開ける。真美がいた。私を見下ろしている。妖艶に微笑んでいる。自然と、口を衝いて出た。
「真美さま」
真美さまは私の喉元に唇を寄せた。舌で舐めまわす。右手の指はすっかり潤った場所に。快感が
火照った体を駆け巡った。もうどうにかなってしまうようにああもうなってたっけ。
「私が、今、歯で皮膚を噛み切ればあなたは死んでしまう」
真美さまが言った。
「今、三奈子、あなたの生命は私の掌にあるのよ」
「はい……」
嬉しかった、どうしようもなく。抱きしめたかった、どうしようもなく。
でもできない。ただ真美さまは私を。一方通行で後ろめたい。その後ろめたさが気持ちいい。
私は堕ちていた。そう認識した次の瞬間に私の意識も堕ちていた。
幸福といっしょに。
*
「真美さま」
私は呟いた。私の首には首輪が巻きついている。
私にはこの首輪がとてもいとおしい。自分を証明してくれるリング。
「どうしたの」
真美さまは私の眼の前にいる。私の身体に幾つもの傷を作り心に幾つもの痣をつくりそのかわり
私を地の底に貶めてくださった真美さまが目の前にいる。愛してる。愛しています。誰よりも何よ
りも私はあなたを愛しています。
真美さまの問いを無視して私はもう一度名前を呼んだ。
「質問に答えなさい」
そういって私の臀部を平手打ちした。快感で私は鳴く。でも私はそれを求めるようにひたすらに
真美さまの名前を呼んだ。
何故だか目の前に真美さまがいなくなってしまうような気がしたから。私自身の決断で。そんな
こと、未来永劫無いような気もしたけれど。
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