中心

「で――何の用、ロサ……まいいか……、蓉子?」
 ビスケット扉を開けて、水野蓉子がいる薔薇の館に入った佐藤聖はまずそう言った。
 日はすでに傾き、蜜柑色を薔薇の館に注ぎ込んでいた。蜜柑色の薔薇ってあるのかしら、
と思いながら蓉子は聖の顔を見た。ヴァレンタインからも一週間ほどが経過しており、三
年生が学校を訪れる頻度は極端に少なくなっている。これを逃したらしばらくチャンスは
無いかもしれない。蓉子が偶然見かけた聖に放課後――誰もいなくなってから、という条
件付きで薔薇の館に呼び出したのは、そう思ったからだった。
「ええ、まあ、ちょっとした用が」
「だから、それは何」
 すこし聖の視線がきつくなる。だが蓉子は動じずに先ほどまで座っていた椅子から立っ
た。いつだってそうしてきた、私は。そう自分に言い聞かせる。内心の動揺を、悟られて
はいけない。
 何か重大な決心を秘めたような蓉子とまともに眼が合い、少したじろぐように一歩だけ
後退した聖は、しかし、直ぐに態勢を立て直す。そうよね。蓉子は口の中で呟く。そうで
なければ、やりがいがない。
 蓉子は前進し聖の眼の前に立ち、

 そして口づけた。

「ん……ん!!」
 聖は激しく抵抗するが、頭の後ろに蓉子の腕が絡んでいてまともに身動きがとれない。
数秒間、その口づけは続いた。
「何するの! 蓉……」
 強く反発したのを確認して、蓉子は再び口づけた。
 しかし、先ほどまでと違った点がある。
 蓉子は舌を聖の口腔のなかに侵入させ、右手で胸を愛撫する。それをしつこく続けた。
 舌を差し入れた瞬間、聖の身体が震えるのがわかった。その舌を踊らせて、唾液を舐め
取る。胸に触れた右手は容赦なく、粘土細工を作るようにいやらしく動かす。
 やがて、唇を離した後の聖は、先ほどまでの聖ではなかった。気力が全身から失せ、眼
から光が無くなり、抱きとめた蓉子の胸の中で呟きを漏らす。
「ぅぁ――なんで、なんで……」
「やっぱり、そうだったのね」
 蓉子は言った。
「前々から、おかしいと思ってた。祐巳ちゃんに悪戯しても頬へのキス止まり。抱き締め
るくらいだったら、軽く胸揉むくらいしてもよさそうなものなのにね。ロサ・カニーナに
も――あ、これは祐巳ちゃんから聞いた、もとい聞き出したんだけどね――やはり頬への
キス止まり。餞別だったら唇にしてあげれば良かったんじゃないの?
 そうして考えていって、私は思いついた。
 聖、あなたにとって、唇でのキスって、特別な意味を持ってたんじゃないの?
【それ以上のことを】、【絶対に】、【しない】ようにしてきたんじゃないの!?
 唇のキスはまだ耐え切れた、けれど、舌を入れられたのが判ったところで何かが焼き切
れてしまったのよ、あなたのなかで」

 そこまで言って、蓉子は聖の手が強く、――蓉子の制服を掴んでいるのに気付いた。
「ようこ――、蓉子! ……」
 名前を二度呼び、しかし沈黙してしまう聖。
「栞なのね――栞?」
 蓉子は訊いた。固有名詞だけで。
 聖は脱力したように、二度、ニュートンの林檎が引力に従ったときのように、ただ重さ
を持つ頭が下に向おうとするのに抵抗しないだけであるように、ゆっくりと頭を縦に振っ
た。
「キス……栞と一回だけ……した」
 ゆっくりと続ける。
「それ以上のことも――栞に……してもらい……たかったのに。
 栞以外の誰にも――したくなかったのに。してもらいたく……なかったのに。
 私――私、どうしたら、これ……から……!」
 いつか、いつになるかわからないけど、いつか、彼女にしてもらう。してあげる。
 それまで、誰にもそれ以上のことを。
 しないし、させない。
 それが、全てを一旦喪いかけながら。
 また復活したかのように見えた少女を。
 最後の最後で、繋ぎとめていた糸。矜持。
 それを今、蓉子は奪い去ったのだ。断ち切ったのだった。

 そんな涙声が、聴きたかったわけじゃないのに!
 じゃあ、なぜ、そんなのことをしたのだろう?

 蓉子は無理矢理床に聖を押し倒すと制服を乱暴に脱がした。
「どうしてわからないの」
 聖は反応しない。
「私――ずっと聖のことが好きだったんだよ」
 聖は反応しない。
「あの、クリスマスの夜にそれに気付いたのに」
 聖は反応しない。
「あのときからずっと、好きだったんだよ!」
 聖は反応しない。
「ずっとずっとずっと、聖だけを見てたんだよ!」
 聖は反応しない!
 もう、言葉じゃ無理なんだね、蓉子は呟いた。
 身体に、教えてあげる。

 あなたの中心が見えなかった。
 皮を剥いで素直な部分が見たかった。
 でもそれは、暗闇だった。

 中心は、暗闇だった。
 否、蓉子がそうさせたのだった。
 栞への想い、光で満ちた空間を、闇に堕落させたのは、蓉子。

 下着を外す。聖は全裸になる。均整のとれた白い身体。
 虚で満ちた情況を漠然と把握しながらもやはりその姿に蓉子は興奮した。下半身に熱が
集まり、潤みを帯びていくのを自覚する。
 乳房に舌を這わす。少し身体が震える。蓉子はそれに満足した。
 なんだ――やっぱり、身体は正直なんだ。
 そのまま乳首を舐めながら手を下半身に運んだ。
「――んっ……」
 聖が喘ぎ声を上げる。
 嬉しくなる。私のものなんだ。今。今だけでも。蓉子は三度目の口づけをした。
 ――その部分は濡れていた。
 軽く触れた人差し指に粘性のある液体が絡みつく。
 そのままその部分の外側を撫でた。
「……や、うん、ああっ」
 喘ぎ声が高くなる。
 躊躇無く、中に入れた。包まれた指が締め付けられる。
「――いやあっ!」
 出し入れする。水の撥ねる音が部屋に響いた。
「あうっ、あああ! ううっ! ん! ああん! いやあ! だめっ!! だめえええ
っ!」
 聖の顔は快楽に歪む。
 涎が唇の端から漏れるのを舌で舐め取った。
 やがて、聖の唇はわなわなと震える。絶頂が近いのが蓉子にもわかった。
 さあ。私の名を叫んで。
 私しか見えないって、教えて。
 お願い。
 聖は喘ぎを迸らせる。その眼は蓉子を見ていない。空間ではなく時間の向こうを聖は見
ていた。
「――栞! しおりぃっっ!!!」
 そして果てた。

 彼女の世界には、ただ一人しかいなかった。
 聖が果ててからも、蓉子は暫く出し入れを続けた。それはたとえば、車に乗っていると
きにブレーキをかけても、急には止まれない現象とよく似ていた。
 なんで私、犯しながら泣いているんだろう。
 ふと見ると聖も泣いていた。
 けれど逆だ。蓉子は思った。
 私は悔しさのあまり泣いている。聖は歓喜のあまり泣いている。
 私を栞と認識することで。
 ようやく指を抜くと、蓉子は紅薔薇としての姿を片鱗も表出させずにただ一人の惨めな
少女として泣いた。

 時間が経った。
 聖が起き上がる。
 彼女は言った。
「栞――今度は私が栞にしてあげるよ……嫌?」
 蓉子――否、“栞”は少しだけ考えて、そして言った。

「ううん……いいよ、聖。私を、抱いて」

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