TOP > 文学散歩 > 林子平 銅像
  
  
経世論者(※)  ⇒文学では有りませんが、このジャンルで取り上げます。
  
※江戸時代の後半、様々な政治思想が生まれた。儒学者の中には、封建社会を維持する立場を取った上で、どのようにして世の中を治めて、
庶民を救うかという経世論(けいせいろん)を展開する者がいた。大胆な政治改革論もあるが、封建制を否定するところまでは至らなかった。
 林子平(1738〜1793)は旗本の次男として江戸で生まれたが、姉が当時の伊達藩主宗村の
側室となったことや兄が仙台藩に仕えた関係で仙台に移り住んだ。
  
 ロシヤが南下策(植民地化)を進めようとしている情報から日本の国防の必要性を説き「海国
兵談(『江戸の日本橋より唐・阿蘭陀(オランダ)まで境なしの水路也』の記事が有名)」や、
「三国通覧図説」を著した。「三国…」は、朝鮮・琉球・蝦夷・小笠原諸島などの地図で1832年に
仏訳本が発行され、後年『小笠原諸島は日本に帰属』の有力証拠書類となった。
   
 しかし、この著書は、当時鎖国政策を取る幕府の忌諱に触れ、1792年版木を没収されると共
に、仙台で蟄居を命じられた。
 このわずか4ヶ月後にロシア使節ラックスマンが漂流民「大黒屋幸太夫」を連れて根室に着く
など日本開国の動きが始まるのである。
  
 彼は、「親も無し 妻無し 子無し 版木無し 金も無ければ 死にたくも無し」と詠んで、
六無斉と称し、失意の内に病死した。
仙台市市街地北部に「青葉区・子平町」という地名があり、同じく龍雲院に墓がある。
林子平の銅像

場所:仙台市青葉区本町3
    宮城県庁西側・公園  Map
アクセス:仙台市地下鉄 勾当台公園(こうとう
      だいこうえん)駅、直ぐ
      バス:「るーぷる仙台」定禅寺市役所前
      停留所から400m 徒歩3分

林子平のレリーフ ⇒

場所:仙台市青葉区川内
    仙台市博物館の庭・裏手  Map
アクセス:JR仙台駅から2.5km 徒歩25分
      バス:「るーぷる仙台」が便利
          仙台市博物館前下車

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