水をください 




「なあ、三蔵」
 信じられないことにひとりでずっと三蔵のいい付けを守ってその森の切り株のところで待っていた悟空が三蔵に向かって訪ねた。
「俺、あの手紙、あのひげのじーさんに渡しちゃまずかったのか?」
 そういって切り株に座り、足をぶらぶらさせながら悟空は視線を落とし、うつむき加減で言った。
 悟浄と八戒のところにいく、というのに自分はこうやって森で待っているようにと強く三蔵に言われたことがかなりショックだったということは隠せないようだ。
「済んでしまったことをくどくど言うようなアホどもと俺をいっしょにするな」
「…じゃあ、何で、何でだよ!」
 何でいっしょにつれていってくれなかったのか、と声にならない声で悟空は尋ねた。その大きな金色の瞳に一瞬だけ紫の瞳を合わせると、三蔵は袂からマルボロをとりだして、かちりとライターを回し、それに火をつけてふう、と大きく煙を吐き出した。

「……俺は、俺以外の何者も信じない」

 マルボロから立ち上る紫の煙が森の中をわたる微かな風にゆれていた。悟空は大きく目を見開いて、三蔵の言葉を聞き漏らすまい、と食い入るようにその三蔵の横顔を見つめていた。

「それを忘れていたことを貴様に知られたくなかっただけだ」

 ふい、とそこでそっぽを向いて、足を組み、三蔵はそれをいったきり沈黙を続けた。悟空はその三蔵の言葉を一生懸命噛み砕き、解釈しようとし、どうしてもそれはかなり難しそうなことだということに気づくと同時に、「自分に知られたくなかった」という言葉がなぜだか自分のことを特別扱いしてくれているような気分にほんの少しだけなって、なんだか胸のもやもやがかなりすっきりしてきてしまった。

「三蔵、俺たち西に旅に出るんだろう?」

 三蔵がそっぽを向いた方向へ回り込んで、悟空がにこにこ笑いながらいう。

「そうだ」
「んで、悟浄と八戒もいっしょに行くんだろう?」
「……そうだ」
「そうだよな!ひげのじーさんたちが三蔵に命令して、三蔵は牛魔王とかいう妖怪の何とかいう城へたどり着いて禁断の何とかをどうにかしなきゃなんないんだよな?」
「そうだ」
 ますますわくわくする表情と声で、悟空は三蔵に畳み掛ける。三蔵は渋面を作りながらも律儀にその質問に答えてやる自分を大概だと思っていた。
「つーまーリー…俺たちでそこへ行って、実験止めさせたらイイんだろ?楽勝じゃん!」
 大きな笑顔を作って、悟空は三蔵に向かってきっぱりと言い切った。三蔵はくわえていたマルボロを踏みつけて消すと、かなり大げさにため息をつく。
「……お前なあ」
 いい性格しすぎだ、とつぶやいて、三蔵は目の前にいる自分が岩牢から助け出した、500年もの孤独に耐えてきた大地の子供を見やった。三蔵が引っかかりを覚えている事柄をいとも簡単にこえて見せるこの存在を、三仏神が選んだのは、間違いではない、と天地がひっくり返っても口に出せそうにはないことを三蔵は思った。

「――――――で、悟浄と八戒に確かめたいことって?」
「…!それは……」

 答えかけた三蔵が表情をこわばらせた。一瞬にして悟空が如意棒を使い、敵をなぎ倒す。三蔵は自らを狙った妖怪1匹を後ろから素手で叩きのめした後、周りの異変に気がついた。

「ま、まさか…こいつら、全部…!」
「牛魔王に寝返った妖怪どもだ」

 悟空と背中合わせに立ちながら、三蔵は舌を噛み切りたくなるような思いで周辺を見渡した。いつのまにか、数え切れないくらいの妖怪が二人を中心に同心円状に広がっている。
 
「…人間だ…!」
「人間だ…!!」
「食え、食ってしまえ…!」

 一目見て「狂ってしまった」とわかる妖怪が数え切れないほどよだれを流している。耳がとがり、妖怪特有の文様を痣として浮き上がらせた、爪の長い妖怪たちが。
 
「食…!」
「……!!?」

 最後まで言葉を言い終えることができず、ゴトリ、と音がして、妖怪の腕が転がった。三蔵と悟空は同時にそちらの方角を見やり、銀色の鎖が弧を描いて錫杖の元へと帰っていくところを見た。

「…やっと見えてきたぜ」

 ザン、という音とともに、妖怪を輪切りにした錫杖の先の鋭い刃がもといた位置にきちんと納まった。返り血をものともせず、紅い髪の持ち主はハイライトを銜えて三蔵と悟空を見下ろした。

「この世界にナニが起こってんのかも、何故、俺たちでなきゃダメなのかもな」
「……悟浄!八戒!!!」

 ぱああ、と顔を輝かせて悟空がその二人の名前を呼んだ。三蔵は表情を消して、自分たちを見下ろす、妖しの血の流れた存在を見上げた。

「よっ、生臭ボーズにバカ猿」
「お久しぶりです」

 普段とはあからさまに違う格好をして、ジープまで連れて現れた二人に、悟空はいつものごとく突っかかり、そして八戒はいつものごとく場をとりなした。

「…何故ここがわかった」
「……悪質な妖気を大量に感じたもので」

 不機嫌に問う三蔵に、八戒はきちんと三蔵の目を見て言葉を返した。

 三蔵が自分たちに対して確かめなければならなかったこと―――
 今までの任務とはけたはずれに違う、そのスケールに三蔵が気後れしたとは到底思えない。しかし、三蔵は常の三蔵ならば決して通らなかったであろう慎重という名の石橋をたたいて渡ろうとしていた、と八戒は理解することにした。おそらく、三蔵が大切にしたかった、あるいはしている、何かがこの任務に関係あるのではないだろうか、と八戒は思い、そしてその推論は、大筋であたっていることを旅の途中に彼は知ることになる。

 ……三蔵が、唯一父と仰いだ、彼の師、光明三蔵法師の手から奪われた「聖天経文」が、牛魔王の蘇生実験に使われている。
 守りたかった、守れると思っていた思い上がりのせいで失った、誰よりも大切な人のその形見が――――――





 三蔵が確かめたいと思ったことは確かめ終わったらしい。
 三蔵に値踏みされるだけではまったくもって埒があかない。心外だ。冗談ではない。
 三蔵が自分たちを確かめたいのであれば、自分たちだって確かめることがあるはずだ、ときれいな碧の同居人はそう言った。

 ……事態が、これほどまでに深刻でなければ、の話だが。

 寺の情報操作能力を悟浄は少々侮っていたようだ。目の前には、狂った妖怪どもが大挙して押し寄せ、「人間」の肉を食らうことをまるで呪文のように刷り込まれたかのように繰り返し口に出している。
 こんな狂ってしまった妖怪を見れば、町の連中は先ほどのような猿芝居にだまされてくれるわけもない。有無を言わさず八戒を引き裂き、殺してしまったに違いないのだ。
 
 ごく身近に迫った狂ってしまった妖怪たち。
 いつ何時、こいつらの仲間入りを自分はしてしまうのか、というおぞましい考えが悟浄の背骨を一気に駆け上がった。
 見境なく殺し、食らい、その狂気の果てにたどり着くところは―――

 しかし。

 例えば。

 悟浄は、知っている、と思った。
 
 例えば。万が一、何か間違いが起こって一番純粋な妖怪であるところの悟空がこの大量の妖気に飲み込まれ、自分に向かって斧を、いや如意棒を、振り下ろしてきたとしたら。


 そのまま素直に殺されてやる義理も理由もまったくないが、正直言って悟空は強い。妖力制御装置をつけてあれだけの強さだということは、狂って、妖力制御装置が外れた状態を想像すれば、かなり自分が不利であることぐらいは悟浄には簡単に予想がついた。
 そして、自分が殺されそうになったときには、間違いなく碧の同居人は、悟空を、手にかけるだろう、というくらいの自惚れが、悟浄にはあった。


 そうなってしまったときの、結果を、悟浄は、知っている、と思った。


 もう二度とあんな気持ちは――――――味わいたくはない。思い出したくもない。
 一度に一瞬にして失ったこの世で一番大切なものを、再び失うことなど――――――

 だから、自分は選ばれたのだろうか。
 自嘲気味に唇をゆがめて悟浄は思った。

 自らの目の前で、大切な存在を失ったからこそ、もう二度と同じ過ちを繰り返さない、と確認されたのだろうか。

 皮肉なものだ。そういうことがなければ自我すら保つことができない世の中になっている。
 おそらく目の前の妖怪のほとんどは、ごく最近まで普通に、平凡に人間たちと一緒に暮らしていたはずだ。
 何らかの事情で狂い、そして、「人間」だけを襲うように仕組まれた彼ら。

 だからこそ悟浄は、失ってしまった自我を取り戻したあとの彼らの茫然自失を、悲しみを、痛みを、見たくはなかった。それは、何よりも自らがそうなってしまったときの自分を見たくないからだった。他人様に同情するような趣味は持ち合わせていないが、それが、自分の立場に簡単に置き換えられるとするならば。

 皮肉でもなんでもとにかく悟浄は自我を保ちつづけることの重要性を知っていた。

 そして、自らがそうなってしまうより前に。
 それをどうにかすることができるのであるならば。





「どうやら今この桃源郷で、自我を保っている妖怪は、僕と悟浄と悟空だけのようですね…」

 …碧の瞳を持つ同居人の言葉が、悟浄を我に返らせた。




 

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