うつろはんかな君待ちがてに



 1日目に悟浄は起き上がって月明の手から水を飲んだ。
 2日目にはその辺を歩きまわりはじめた。
 そして、3日目には家に帰ると強く主張した。八戒の待つ、自分の家へと。

「…お前さん、あきれるくらいの回復力だなあ」

 その主張をあっさりはっきりきっぱり却下して、茲燕が半ば感心し、半ばあきれた表情で悟浄に言う。

「妖怪だってそんなにすぐには回復しないんじゃないかしら」

 月明が笑いながら言った。
 …勿論、悟浄に妖怪の血が流れているということを彼女も、茲燕も、街の人間も、誰一人知らないはずであった。

 たのまれもしないのに医者は毎日やってきて、無理矢理悟浄を診察しては高価な薬を処方して帰っていった。毎日最後には必ず「三蔵法師様によろしく」と付け加えて帰っていくところがいっそわかりやすすぎておかしかった。

「あー、こいつ、人間の姿してっけど、実は妖怪エロ河童なんだぜー」
「うるさいっ、この全身胃袋サルッッッ」
「あの――――――…」

 毎時間ごとにといっても過言ではないほど頻繁に繰り返される低レベル漫才も、すっかりネタがばれて茲燕と月明はそれを鑑賞する能力を増してきた様だった。最初は本気で喧嘩しているのかと戸惑っていたようだったが、今ではすっかりその様子を楽しんでいる。

「悟空さん、前から聞きたかったんだけどさ」

 腕組みをして壁にもたれかかって面白そうに二人のやり取りをながめていた茲燕が肩で壁を押して二人の方に歩いてきた。お互いの襟を掴みながら、悟空と悟浄は同時に茲燕を振り向く。

「あんた、お坊さん、ってワケじゃないよな」
「………こんな坊主がいるかよ。頭ん中欲しかね―ぜ。食欲バカ猿」
「悟浄に言われたくないっっっ」
 
 再びお互いの襟首を掴み喧嘩をはじめる二人の間に茲燕がわって入った。このままでは茲燕の常日頃からの疑問は全く解決しない。

「じゃあ、どうして悟空さんは三蔵法師様と一緒にいるんだ?付き人ってお坊さんじゃなくてもいいのか?」

 襟首を握る手から悟浄の身体の中に悟空の感情が一気に流れ込んできた気がした。
 悟浄は大きく目を見開いて僅かに息を呑み悟空の金色の瞳を見つめた。

「……俺、三蔵に助けてもらったんだ。だから、三蔵の傍にいることにする、って俺が決めた」

 そこで言葉を区切って悟空は悟浄の襟首を掴んでいた手を離し、茲燕に向き直って言った。

「坊主になってしまったらできないことってあるだろう。だから、俺は、坊主にならない」

 



 ……どうして三蔵がぶちきれないのか八戒には心底不思議だった。
 おそらく3分ともたずに三蔵はこの家からでていくと踏んでいたのに、苦虫を噛み潰したような表情ですでに悟浄の家滞在記録際長時間3日目を更新中だ。
 いつの間にやら寺から大量の書類を持ち込んで三蔵は次々と決済していく。
 三枚に二枚の割合で「ふざけるな」とか「死ね」とか律儀に書類に向かってつぶやく姿がなんだか八戒にはおかしかった。

 書類に没頭したころあいを見計らって八戒がベッドから抜け出そうとすると、三蔵は恐ろしく不機嫌な顔をして、その八戒の行動を睨みつけて威嚇した。そのたびに八戒はいちいち「トイレですよ」とか「お湯を持ってくるだけです」と言い訳しなくてはならなかった。 そして、三蔵の前ではへまはすまい、と八戒は細心の注意を払ってやかんを加えて湯を運び、自らの身体を自らでふいた。

 

「……監視の人はこないんですか」

 3日前、八戒は三蔵にそうきいた。無言でじろ、と八戒を睨み、フン、と鼻を鳴らして三蔵は手元の書類に目を落とした。その瞬間、八戒は、監視役が三蔵だということを悟った。

 これは、かなり大事だ。

 三蔵の寺の坊主などなら適当にちょろまかして、ベッドと家を抜け出し、茲燕の家へ駆け込むことも可能だったのに。
 このまま三蔵に居座られつづければ、茲燕の家はおろか、寝室からも一歩も出してもらえない状況が脳裏に鮮やかに描かれてしまう。それだけは勘弁、と八戒はかなり三蔵を怒らせる行動をとってみたのだが――例えば読み終えた本と新しい本を交換するために30分間ベッドを抜け出してみたり――常日頃の三蔵からはとても想像できないくらい我慢強く三蔵はそこに居座りつづけた。

 なんにもなくとも三蔵の寺の坊主たちは、八戒が身体的に自由であることのみならず監視すらつけていないその状況を、ことあるごとに蒸し返してくる。ましてや今は式神が暴れた直後――――――

 そこまで考えて、八戒は何かこころに引っ掛かりを覚えた。


 落ち着いて考えてみよう。

 三蔵の寺の坊主たちは常日頃から八戒に監視をつけろと煩く言っている。定期的に三蔵が八戒のところにやってきてはその意見を暴発させないように三蔵がコントロールしていることくらいは八戒にはとっくにわかっていた。
 
 周期から考えて、次に三蔵がくるのは三蔵の誕生日だとばかり八戒は思っていた。
 三蔵が八戒にそれなりに気を遣ってなにか口実をこじつけない限りここにやってこないことはかなり明らかで、悟浄にすらばれているくらいなのだから。


 三蔵は誕生日の直前にここにきた。

 しかも、まっすぐここにくるのではなく、バザールに立ち寄って。

 そのバザールで百足の式神が暴れ、悟浄は重症を負った。

 
 ……もちろんそれらには全て理由が考えられる。


 足をつぶした八戒が三蔵の誕生日に腕を振るおうとして余計に身体を悪化させ結局三蔵に迷惑をかけることを回避するために早めに誕生日の前に三蔵がきた。

 悟空があまりにおなかがすいたと騒ぐので仕方なくバザールに立ち寄ってみたら、そこに式神が暴れていた……

 …と考えても不自然さはない。


 しかし。


 それならなぜ、最高僧であるところの誰がどう考えてもクソ忙しい三蔵法師様がこんなところに張り付いて自分の監視などをしなければならないのだろうか?

 監視だけならいくらでも人材を投入できる寺院連中の方がはるかに適任だ。

 ……そしてあの言葉。

 バザールで暴れたのは百足の式神だった。
 百眼魔王も百足の妖怪。

 三蔵は、自分に、きいたのだ。確かに全員を殺したのかと………

 
 全員殺した。それは間違いない。あの城の中に既に生きているものの気配は全くなかったから。
 あそこに充満していたのは飽和した血の匂い。…死の匂い。
 最愛の人も、剣を下腹に突き立てて、大量の血を流し、それでも泣きながら微笑んで――――。


 何かある。


 自分の知らないところで、何かが。


 だから八戒は三蔵が悟浄をこの家から離しておいてくれたことを感謝した。
 百足がらみで何かが起こるのだとすれば、それはどう考えても自分に関係することだった。

 そんな自分の罪に悟浄を巻き込むわけにはいかない。
 強くて優しくて悲しい、きれいなきれいな魂を持った紅の同居人に、自分の薄汚い過去を押し付けるつもりは八戒には全くなかった。





「お猿ちゃん、やるじゃん」

 やむを得ず悟浄のベッドの下に布団を敷いて眠る悟空に悟浄は声をかけた。
 月の明かりが忍び込む深夜、唐突に悟浄はベッドに起き上がり、ハイライトを取り出すとジッポーで火をつけてうまそうにその煙を堪能した。

「……なにがだよ」

 悟浄に背中を向けたまま、ぶすっと膨れて悟空が言う。
 何に付いて言われたかなんてそんなことは確認しなくてもわかっている。いるが、悟空はそういわずにはいられなかった。

 坊主になりたいとは全く思わない。
 いっそお近づきにはなりたくない。――――――三蔵以外の坊主とは。

 妖怪には坊主になる権利がない、ということをあとから知った悟空は、坊主になりたいと思っていなくてよかったと心のそこから思った。

「まあ、あの善良なただの普通の人間であるところの夫婦がちょっとでも不穏な言葉耳にしちゃったら大変なことになるからなあ」

 悟浄はそう言って、目を細めてハイライトを再び深く吸い込んだ。「八戒」「百足」「妖怪」というキーワードが討論の結果並んでしまったら…
 高速でジグソーパズルが完成されていく画面を悟浄ははっきりと思い描くことができた。勿論、事態は雪崩を打って恐ろしいことになっていくところだろう。


 妖怪が肩身の狭い世の中になっている。だんだん。

 何かが、起ころうとしている。


 そこまで思考を進めた悟浄は、かぶりを振ると、窓の外をふっと見た。

 …………暗闇にまぎれた黒い何かがそこにいた。

 一瞬だけ悟浄の視線とかみ合った「何か」はまがまがしく口を開いて に、と笑うとそのまま暗闇にまぎれて気配すら消してどこかに消えていってしまった。
 まるで、闇に溶け込んでいったかのようだった。

「…こら待て、貴様!!」

 ベッドを抜け出すと少しふらふらする足元をしっかり踏みしめなおして悟浄は「何か」の後を追った。





 




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