届く声 中編


「ここだね」
不逞の輩が集まる建物――宿屋だった――を前に、山南は言う。
さすがにもう叫んだりはしない。
彼はただ、静かにそしてしなやかに獲物を見つめる目で、そこを見ていた。
そうしていると、普通にただの常識的な心戦組の有能な副長に見えるのだが。
……見えるだけだが。

「山南さん……」
山崎もそっとささやく。
「やっぱり山南さんは表で待っていてもらえませんか」
「嫌だよ……」
ふっと山南は笑った。それは獲物を前にした獣の笑みだった。
「君一人を突入させるなんて、そんなこと僕に出来るわけないじゃないか」
「……してください」
本心から山崎は言った。
「僕は一向に危険はないですから」
一心不乱に宿の戸を見つめる山南を見ながら。
「たかが十数人、敵ではありませんから」
その輝く瞳を美しいとは思いながら。
「むしろアンタが敵ですから」
思わず本音が転がり出た。

「ふっ……嫌だなぁ、山崎くん。僕が君の邪魔をするわけないじゃないか」
「しています。もうすでに」
相手は聞いてはいない。
「分かっているよ。山崎くんは二階から、僕は一階の表から。逃げてくる相手を討ち取ればいいんだろう」
「……はい、そうです」
もちろん、一人たりとも逃がすつもりはなかった。
山南さんのところには、一人たりとも行かせるつもりはなかった。
「楽しみだねえ」
「僕は、楽しくありませんが」
そういいながらも山崎は立ち上がる。このままだと本当に頭痛がしてきそうだ。
山崎ススムだって、頭痛を感じることくらいある。……そんなことは、この人相手だけだが。
――ただ、嫌でもないんですよ。なぜか。
そうも、感じながら。

「では」
それだけ言うと、もう影は消えていた。
音もなく、山崎は宿の二階に、そのひさしに着地する。
最後にちらりと、一階のぴったり閉められた雨戸を、
そしてそれをどうやって開けたものかと思案する、山南のことは確認していた。
……たぶん、あれを開けるのだけで20秒はかかる。

ひゅっ。
クナイが音もなく飛来して、相手の額を突き刺す。
訳も分からず絶命していく相手をなんとも思わず、もう片方の手を振ると、
それだけで四本のクナイが新たに飛び、新たに三人が倒れた。
後ろに気配を感じた瞬間、懐から抜き出した小刀で、相手の胸を刺す。
ほとんど音はしない。相手に声すら立てさせない。
とはいえ、さすがに倒れる相手の体の音までは消せず、異変を感じ取った気配が
ふすまの向こうから伝わってくる。

「なんだッ!?」
入ってきた剣士は、そこに倒れ伏した仲間を見て絶句した。
その上から、クナイがまっすぐに降ってくる。左の鎖骨をめがけて。そこからまっすぐ下に降りると、
人間の体には心臓という器官がある。そこを刺されたら……もう生きていられる人間はいない。
新たに二人が倒れた。

山崎はその横に音もなく着地する。顔にはなんの感情も浮かばず、心には何の動揺もなく、
視線はただ次の獲物を求めて、さらなる奥を見ていた。
そこからも、こちらを目がけて、今まさに駆けてこようとする大勢の気配がする。

ぶんっ。と左手を振るった。
彼の最大の武器、巨大な手裏剣が一直線に飛ぶ。
ふすまを切り裂き、そのままその向こうの相手をなぎ倒す。
倒しきれなかった相手は、その手裏剣の後ろをほとんどまっすぐに駆けた、山崎の小刀の餌食となる。
これで五人。……あと二人。

――どこだ?
山崎は考え、感覚を研ぎ澄ます。

右後ろに一人、刀を今まさに振るおうとする男。
ひゅっと振り向きざまに投げたクナイは、その刀にはじかれた。
少しはできる相手らしい。そのことは、普段ならば喜ばしかったが、今は苛立ちにしかならなかった。
「邪魔です」
「うおおおっ」
体の5ミリ横を通り過ぎていく刀をなんとも思わず、ただ無造作に相手の喉を切り裂く。
「死んでください」
――あ、もう死んでいましたね。
そう心の中で言い換えた。

どたどたと階段を駆け下りていく音がする。……あと一人。
だが遠い。この宿の作りとして、階段は山崎が突入した窓から、もっとも遠い場所にあった。
山崎は駆ける。音もない速さで。ただどうしても間に合わない。
心の中で舌打ちをする。
――山南さんはまだ入ってきていないだろうな。
それだけが気にかかる。

「金閣寺エクスプロージョン!!」

そんな山崎の思いに応えるように爆発音がした。階下から。
――クソッ。
普段の彼ならば絶対につかない悪態をつく。それは心の中だけではなく、実際に口に出してもいた。
まったく、普段の山崎ならば絶対にしないことだった。
しないというより、するはずのないことだった。

まったく――。あの人に関わると、いつもこうだ。

階段を駆け下りるのではなく、まっすぐに二階から一階へ飛び降りた山崎が見たものは、
粉々に破壊された宿の戸と――つまり、開けられなくて必殺技を使ったらしい――、
そこで見事に鉢合わせした二人の男だった。敵と……山南さん。

眉を寄せる。現実を睨みつける。最善の解決法を求めて。
クナイを投げるには、直線上に山南がいる。突発的に鉢合わせた二人がどう動くか分からない。
そのことが山崎の手を止めた。彼はただ、まっすぐに走っていくことしかできなかった。
その間、数秒。

「うおおおっ」
山南は振り上げたままの刀を、まっすぐに振り下ろしていた。
「ぎゃあっ」
肩を切り裂かれた敵が悲鳴をあげる。だが、致命傷ではない。
そして彼は、唯一山崎から逃げおおせただけあって、決して弱い相手ではなかった。
「くおっ」
叫びながらも刀を繰り出す。それが山南にあたらずに済んだのは、
接近した山崎が後ろから投げたクナイのおかげだった。
そうして敵は倒れた。山南が突き出した刀に向かって、自ら沈み込むように。ずぶずぶと。

「山南さんッ!」
山崎は叫ぶ。普段なら絶対にするはずのないことを。
「大丈夫ですかッ!?」
「……」
山南は応えなかった。彼はただ、絶命した敵の体に押されるように、力なくその場に尻餅をつく。
その上から、血まみれの体がのしかかっていた。
山崎はほとんど無我の状態で、その体を引き離す。

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