◆
「ここだね」
不逞の輩が集まる建物――宿屋だった――を前に、山南は言う。
さすがにもう叫んだりはしない。
彼はただ、静かにそしてしなやかに獲物を見つめる目で、そこを見ていた。
そうしていると、普通にただの常識的な心戦組の有能な副長に見えるのだが。
……見えるだけだが。
「山南さん……」
山崎もそっとささやく。
「やっぱり山南さんは表で待っていてもらえませんか」
「嫌だよ……」
ふっと山南は笑った。それは獲物を前にした獣の笑みだった。
「君一人を突入させるなんて、そんなこと僕に出来るわけないじゃないか」
「……してください」
本心から山崎は言った。
「僕は一向に危険はないですから」
一心不乱に宿の戸を見つめる山南を見ながら。
「たかが十数人、敵ではありませんから」
その輝く瞳を美しいとは思いながら。
「むしろアンタが敵ですから」
思わず本音が転がり出た。
「ふっ……嫌だなぁ、山崎くん。僕が君の邪魔をするわけないじゃないか」
「しています。もうすでに」
相手は聞いてはいない。
「分かっているよ。山崎くんは二階から、僕は一階の表から。逃げてくる相手を討ち取ればいいんだろう」
「……はい、そうです」
もちろん、一人たりとも逃がすつもりはなかった。
山南さんのところには、一人たりとも行かせるつもりはなかった。
「楽しみだねえ」
「僕は、楽しくありませんが」
そういいながらも山崎は立ち上がる。このままだと本当に頭痛がしてきそうだ。
山崎ススムだって、頭痛を感じることくらいある。……そんなことは、この人相手だけだが。
――ただ、嫌でもないんですよ。なぜか。
そうも、感じながら。
「では」
それだけ言うと、もう影は消えていた。
音もなく、山崎は宿の二階に、そのひさしに着地する。
最後にちらりと、一階のぴったり閉められた雨戸を、
そしてそれをどうやって開けたものかと思案する、山南のことは確認していた。
……たぶん、あれを開けるのだけで20秒はかかる。
◆
ひゅっ。
クナイが音もなく飛来して、相手の額を突き刺す。
訳も分からず絶命していく相手をなんとも思わず、もう片方の手を振ると、
それだけで四本のクナイが新たに飛び、新たに三人が倒れた。
後ろに気配を感じた瞬間、懐から抜き出した小刀で、相手の胸を刺す。
ほとんど音はしない。相手に声すら立てさせない。
とはいえ、さすがに倒れる相手の体の音までは消せず、異変を感じ取った気配が
ふすまの向こうから伝わってくる。
「なんだッ!?」
入ってきた剣士は、そこに倒れ伏した仲間を見て絶句した。
その上から、クナイがまっすぐに降ってくる。左の鎖骨をめがけて。そこからまっすぐ下に降りると、
人間の体には心臓という器官がある。そこを刺されたら……もう生きていられる人間はいない。
新たに二人が倒れた。
山崎はその横に音もなく着地する。顔にはなんの感情も浮かばず、心には何の動揺もなく、
視線はただ次の獲物を求めて、さらなる奥を見ていた。
そこからも、こちらを目がけて、今まさに駆けてこようとする大勢の気配がする。
ぶんっ。と左手を振るった。
彼の最大の武器、巨大な手裏剣が一直線に飛ぶ。
ふすまを切り裂き、そのままその向こうの相手をなぎ倒す。
倒しきれなかった相手は、その手裏剣の後ろをほとんどまっすぐに駆けた、山崎の小刀の餌食となる。
これで五人。……あと二人。
――どこだ?
山崎は考え、感覚を研ぎ澄ます。
右後ろに一人、刀を今まさに振るおうとする男。
ひゅっと振り向きざまに投げたクナイは、その刀にはじかれた。
少しはできる相手らしい。そのことは、普段ならば喜ばしかったが、今は苛立ちにしかならなかった。
「邪魔です」
「うおおおっ」
体の5ミリ横を通り過ぎていく刀をなんとも思わず、ただ無造作に相手の喉を切り裂く。
「死んでください」
――あ、もう死んでいましたね。
そう心の中で言い換えた。
◆
どたどたと階段を駆け下りていく音がする。……あと一人。
だが遠い。この宿の作りとして、階段は山崎が突入した窓から、もっとも遠い場所にあった。
山崎は駆ける。音もない速さで。ただどうしても間に合わない。
心の中で舌打ちをする。
――山南さんはまだ入ってきていないだろうな。
それだけが気にかかる。
「金閣寺エクスプロージョン!!」
そんな山崎の思いに応えるように爆発音がした。階下から。
――クソッ。
普段の彼ならば絶対につかない悪態をつく。それは心の中だけではなく、実際に口に出してもいた。
まったく、普段の山崎ならば絶対にしないことだった。
しないというより、するはずのないことだった。
まったく――。あの人に関わると、いつもこうだ。
階段を駆け下りるのではなく、まっすぐに二階から一階へ飛び降りた山崎が見たものは、
粉々に破壊された宿の戸と――つまり、開けられなくて必殺技を使ったらしい――、
そこで見事に鉢合わせした二人の男だった。敵と……山南さん。
眉を寄せる。現実を睨みつける。最善の解決法を求めて。
クナイを投げるには、直線上に山南がいる。突発的に鉢合わせた二人がどう動くか分からない。
そのことが山崎の手を止めた。彼はただ、まっすぐに走っていくことしかできなかった。
その間、数秒。
◆
「うおおおっ」
山南は振り上げたままの刀を、まっすぐに振り下ろしていた。
「ぎゃあっ」
肩を切り裂かれた敵が悲鳴をあげる。だが、致命傷ではない。
そして彼は、唯一山崎から逃げおおせただけあって、決して弱い相手ではなかった。
「くおっ」
叫びながらも刀を繰り出す。それが山南にあたらずに済んだのは、
接近した山崎が後ろから投げたクナイのおかげだった。
そうして敵は倒れた。山南が突き出した刀に向かって、自ら沈み込むように。ずぶずぶと。
「山南さんッ!」
山崎は叫ぶ。普段なら絶対にするはずのないことを。
「大丈夫ですかッ!?」
「……」
山南は応えなかった。彼はただ、絶命した敵の体に押されるように、力なくその場に尻餅をつく。
その上から、血まみれの体がのしかかっていた。
山崎はほとんど無我の状態で、その体を引き離す。
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