――あの時は、それが忠誠の証だと思ったのだ。
ふすま一枚を隔てた向こう側からは、二人の副長が言い争う声が響いている。
山崎はそれを、控えの間に座って聞いていた。
「だからテメーはやりすぎだって言ってんだよッ」
「やりすぎとは聞き捨てならないねえ……」
「いつもいつも、まったく少しは学習しやがれ」
「ハハハッ。鬼の土方ともあろうものが、敵に与えた損害の大きさを恐れるのかい?」
バンッと畳を叩く音がする。土方が拳を振り下ろした音だろうと、容易に想像がついた。
その前で山南が、変わらず口元に笑みを浮かべているであろうことも。
「本当にわからねえ奴だな。敵なんざいくら殺したってかまわねぇが、味方まで巻き込んで
無差別爆撃したのは、どう考えてもやりすぎだろうがッ!」
「弾道はちゃんと計算したよ。85パーセントの確率で、こちらに被害は出ない、とね」
「残りの15パーセントはなんだったんだ!? ああッ?」
「敵を一人も逃さない。そのために必要なリスクだよ」
激高する土方に対して、山南の声は一見冷静に聞こえる。
だが声音はいつもより高く、かすかに裏返ってさえいることに、山崎は気付いていた。
――山南さんも後悔している。
そのことに気付いてしまっただけにもどかしく、またいたたまれない気持ちにもなる。
しかし、部屋の中に入っていくことはできない。
彼は黙って座っていた。
言い争う声がようやく止んだのは、二十分も後のこと。
局長が二人をなだめる声が聞こえ、土方が最後にひときわ声を荒げて席を蹴る音がする。
乱暴にふすまが開かれて、部屋から出てきた鬼の副長は
疲れなど見せない厳しい目つきで山崎を睨んだ。
「どうしておまえがここにいるんだ、山崎?」
山崎もしっかりを土方の目を見返す。
「撃ったのは僕ですから」
――あの時は、それが忠誠の証だと思ったのだ。
◆
「今日もいい天気だねえ、山崎くん」
空駆ける黒船の指揮官席に座った山南は、上機嫌で山崎に声をかけてくる。
「そうですね」
山崎は各種の計器をチェックしながら答えた。数値にはどこにも異常はない。
当然だ。昨夜遅くまで、山南みずからが先頭に立って、最後の整備を行っていたのだから。
その成果を確認することは、秘やかな満足感があった。
努力の跡など微塵も感じさせず、呑気そのものの様子で鼻歌を歌っている人が、
影でどれだけこの船を愛し、また自信と誇りを持っているのか、自分は誰よりもよく知っている。
そう認識することは、山崎の心すら、どこか浮き足立たせるものがあった。
必ず戦果を挙げて帰ろうと決意する。他の誰でもなく、山南さんのために。
指はコンソールの上を走り、目的地までの座標を正確に入力していく。
空を飛ぶクジラは鮮やかな青の海を越え、目的の戦場へと一直線に泳いでいった。
今回の敵は海賊で、そのため本拠地は陸側からは孤立した深い湾の奥底にある。
その場所を攻撃するのに、普通の――つまりは海上しか走れない――船と、
接近戦用の武器を主戦力とする土方達は、大変な苦労をしているという話だった。
山南の機嫌がいいのは、そこにも理由があるのだろう。
「土方たちが手こずっているだなんて、愉快だよ」
指揮卓に両肘をつき顎を乗せた山南は、嬉しそうに目を細めた。
「あそこは天然の要害ですから」
山崎は密偵として自分が作成した報告書を思い出す。
「フン。この船の前では、敵じゃないね」
その報告書もすでに読んでいる山南は、鋭い瞳でニヤリと笑った。
口元にあるのは獲物を前にした酷薄な笑み。
普段の山南が持つ、子供のような無邪気さはどこにもない。
心戦組一の知恵者と呼ばれる副長の姿だけが、まさしくそこにあった。
山崎はその顔を確認して、また視線を手元に戻す。
刻々と変わっていく数値を確認しながら、ふと
自分がいつものようには落ち着いていないことに気がついた。
どのような場合でも緊張などする性格ではないのにと思いつつ、
まして今は山南さんの船に乗っているのだからと考えて、ああ、むしろだからかとうなずく。
安心の裏に不安が、恐れの裏に高揚がある。
眼下に広がる波のように揺れ動いて、一定の場所に落ち着くということがない。
それは不思議な感覚だった。
誰かのために行動しようとすることには、こんな副作用もあるのだなと、
山崎は頭の片隅でぼんやりと思いながら、さらに手元の入力を進めていく。
「それにしても馬鹿な海賊だよ。我が心戦組に喧嘩を売るとはね」
「海の上でなら、勝てると思ったのでしょう」
「甘いねえ」
「はい」
「本当に甘いよ」と、もう一度山南は嘆息するように呟いた。
山崎は作業の手を休めて振り返る。
戦場に着くまでには、もう少しの間がある時間帯だった。
「敵に同情しているのですか?」
「まさか」
山南は笑って眼鏡に手をやる。
「私が残念なのは、倒すべき敵が弱いということだよ。こんな相手では、力の半分も出せやしない」
「この船はまだ就航したばかりです。油断は出来ません」
「もちろんそうだけどね……」
相変わらず肘をついた姿勢のまま、山南は口だけで笑った。目は窓の外を睨んでいる。
「テストだからこそ、全力で戦ったデータが欲しいものなんだよ」
……かすかな違和感を覚えて、山崎は上司の顔を見つめた。
山南の言うことは間違いではない。だが、どこかが引っ掛かる。
順調な航海、意気込みに満ちた指揮官。何も問題はない。
むしろ頼もしさすら感じていいはずなのに、なぜか心は落ち着かなかった。
理由は自分の外にあるのか内にあるのか、判断しかねて山崎は視線をコンソールに戻す。
きちんと標準値内を示している計器の数々を眺めて、心を落ち着かせようとした。
「それにね……心戦組だって、いつまでも刀だけで戦うわけじゃないんだよ」
「はい」
「敵に合わせてこちらも戦力を増強する。私にはその柔軟さがある。私にはね」
後ろで話し続ける山南が、ここには居ない人物を強く意識しているのを感じ取り、山崎は尋ねた。
「土方さんが気になりますか?」
「気になんてしちゃいないさ……」
声が少し陰る。山崎は振り返りたい衝動を抑えた。
かわりに背中で強く相手の意志を感じ取ろうとする。何を話したいのか、何故、話したいのか。
「ただ、ここで我々が戦果をあげれば、彼も認めざるを得なくなるんだよ」
「そうですね」
目的地が近づくにつれ、山南の口数はますます増えていった。
「それにしても、局長も土方も頭が固いよねえ。彼らのやり方を続けていたら、
昨今心戦組は立ちゆかなくなる。そうは思わないかい? 山崎くん」
「……そうなのかもしれません」
背後で不満そうな吐息が聞こえて、山崎は少しだけ慌てて言い直した。
「いえ、僕はそれを判断する立場にありませんが、
山南さんがおっしゃるなら、そうなのだと思います」
「ふむ……」
ちらりと振り返ると、山南がじっとこちらを見つめている。視線をそらすわけにもいかなくなって、
山崎はどう次の言葉を発するべきか、悩んだ。
「山崎くん」
「はい」
「キミはもっと発言してもいいと思うよ。せっかく沢山のことを知っているのに、惜しいじゃないか」
山南は首をかしげていた。本当に不思議だと思っている風だった。
「僕は密偵ですから……。知っていても話さないのが仕事です」
「それにしてもだね。……勿体ないよ」
なんと返事をしていいのか迷う。
山南は視線をそらし、壁を見つめながら「勿体ないよ」と再度呟いた。
一瞬、その横顔はひどく無防備に見えて、はっとする。
そんな山崎の手元でアラームが鳴った。
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