忠誠の証 前編


――あの時は、それが忠誠の証だと思ったのだ。

ふすま一枚を隔てた向こう側からは、二人の副長が言い争う声が響いている。
山崎はそれを、控えの間に座って聞いていた。

「だからテメーはやりすぎだって言ってんだよッ」
「やりすぎとは聞き捨てならないねえ……」
「いつもいつも、まったく少しは学習しやがれ」
「ハハハッ。鬼の土方ともあろうものが、敵に与えた損害の大きさを恐れるのかい?」
バンッと畳を叩く音がする。土方が拳を振り下ろした音だろうと、容易に想像がついた。
その前で山南が、変わらず口元に笑みを浮かべているであろうことも。

「本当にわからねえ奴だな。敵なんざいくら殺したってかまわねぇが、味方まで巻き込んで
 無差別爆撃したのは、どう考えてもやりすぎだろうがッ!」
「弾道はちゃんと計算したよ。85パーセントの確率で、こちらに被害は出ない、とね」
「残りの15パーセントはなんだったんだ!? ああッ?」
「敵を一人も逃さない。そのために必要なリスクだよ」

激高する土方に対して、山南の声は一見冷静に聞こえる。
だが声音はいつもより高く、かすかに裏返ってさえいることに、山崎は気付いていた。
――山南さんも後悔している。
そのことに気付いてしまっただけにもどかしく、またいたたまれない気持ちにもなる。
しかし、部屋の中に入っていくことはできない。
彼は黙って座っていた。

言い争う声がようやく止んだのは、二十分も後のこと。
局長が二人をなだめる声が聞こえ、土方が最後にひときわ声を荒げて席を蹴る音がする。
乱暴にふすまが開かれて、部屋から出てきた鬼の副長は
疲れなど見せない厳しい目つきで山崎を睨んだ。
「どうしておまえがここにいるんだ、山崎?」
山崎もしっかりを土方の目を見返す。
「撃ったのは僕ですから」
――あの時は、それが忠誠の証だと思ったのだ。

「今日もいい天気だねえ、山崎くん」
空駆ける黒船の指揮官席に座った山南は、上機嫌で山崎に声をかけてくる。
「そうですね」
山崎は各種の計器をチェックしながら答えた。数値にはどこにも異常はない。
当然だ。昨夜遅くまで、山南みずからが先頭に立って、最後の整備を行っていたのだから。
その成果を確認することは、秘やかな満足感があった。
努力の跡など微塵も感じさせず、呑気そのものの様子で鼻歌を歌っている人が、
影でどれだけこの船を愛し、また自信と誇りを持っているのか、自分は誰よりもよく知っている。
そう認識することは、山崎の心すら、どこか浮き足立たせるものがあった。
必ず戦果を挙げて帰ろうと決意する。他の誰でもなく、山南さんのために。

指はコンソールの上を走り、目的地までの座標を正確に入力していく。
空を飛ぶクジラは鮮やかな青の海を越え、目的の戦場へと一直線に泳いでいった。
今回の敵は海賊で、そのため本拠地は陸側からは孤立した深い湾の奥底にある。
その場所を攻撃するのに、普通の――つまりは海上しか走れない――船と、
接近戦用の武器を主戦力とする土方達は、大変な苦労をしているという話だった。
山南の機嫌がいいのは、そこにも理由があるのだろう。

「土方たちが手こずっているだなんて、愉快だよ」
指揮卓に両肘をつき顎を乗せた山南は、嬉しそうに目を細めた。
「あそこは天然の要害ですから」
山崎は密偵として自分が作成した報告書を思い出す。
「フン。この船の前では、敵じゃないね」
その報告書もすでに読んでいる山南は、鋭い瞳でニヤリと笑った。
口元にあるのは獲物を前にした酷薄な笑み。
普段の山南が持つ、子供のような無邪気さはどこにもない。
心戦組一の知恵者と呼ばれる副長の姿だけが、まさしくそこにあった。

山崎はその顔を確認して、また視線を手元に戻す。
刻々と変わっていく数値を確認しながら、ふと
自分がいつものようには落ち着いていないことに気がついた。
どのような場合でも緊張などする性格ではないのにと思いつつ、
まして今は山南さんの船に乗っているのだからと考えて、ああ、むしろだからかとうなずく。
安心の裏に不安が、恐れの裏に高揚がある。
眼下に広がる波のように揺れ動いて、一定の場所に落ち着くということがない。
それは不思議な感覚だった。
誰かのために行動しようとすることには、こんな副作用もあるのだなと、
山崎は頭の片隅でぼんやりと思いながら、さらに手元の入力を進めていく。

「それにしても馬鹿な海賊だよ。我が心戦組に喧嘩を売るとはね」
「海の上でなら、勝てると思ったのでしょう」
「甘いねえ」
「はい」
「本当に甘いよ」と、もう一度山南は嘆息するように呟いた。
山崎は作業の手を休めて振り返る。
戦場に着くまでには、もう少しの間がある時間帯だった。

「敵に同情しているのですか?」
「まさか」
山南は笑って眼鏡に手をやる。
「私が残念なのは、倒すべき敵が弱いということだよ。こんな相手では、力の半分も出せやしない」
「この船はまだ就航したばかりです。油断は出来ません」
「もちろんそうだけどね……」
相変わらず肘をついた姿勢のまま、山南は口だけで笑った。目は窓の外を睨んでいる。
「テストだからこそ、全力で戦ったデータが欲しいものなんだよ」

……かすかな違和感を覚えて、山崎は上司の顔を見つめた。
山南の言うことは間違いではない。だが、どこかが引っ掛かる。
順調な航海、意気込みに満ちた指揮官。何も問題はない。
むしろ頼もしさすら感じていいはずなのに、なぜか心は落ち着かなかった。
理由は自分の外にあるのか内にあるのか、判断しかねて山崎は視線をコンソールに戻す。
きちんと標準値内を示している計器の数々を眺めて、心を落ち着かせようとした。

「それにね……心戦組だって、いつまでも刀だけで戦うわけじゃないんだよ」
「はい」
「敵に合わせてこちらも戦力を増強する。私にはその柔軟さがある。私にはね」
後ろで話し続ける山南が、ここには居ない人物を強く意識しているのを感じ取り、山崎は尋ねた。
「土方さんが気になりますか?」
「気になんてしちゃいないさ……」
声が少し陰る。山崎は振り返りたい衝動を抑えた。
かわりに背中で強く相手の意志を感じ取ろうとする。何を話したいのか、何故、話したいのか。
「ただ、ここで我々が戦果をあげれば、彼も認めざるを得なくなるんだよ」
「そうですね」

目的地が近づくにつれ、山南の口数はますます増えていった。
「それにしても、局長も土方も頭が固いよねえ。彼らのやり方を続けていたら、
 昨今心戦組は立ちゆかなくなる。そうは思わないかい? 山崎くん」
「……そうなのかもしれません」
背後で不満そうな吐息が聞こえて、山崎は少しだけ慌てて言い直した。
「いえ、僕はそれを判断する立場にありませんが、
 山南さんがおっしゃるなら、そうなのだと思います」
「ふむ……」
ちらりと振り返ると、山南がじっとこちらを見つめている。視線をそらすわけにもいかなくなって、
山崎はどう次の言葉を発するべきか、悩んだ。
「山崎くん」
「はい」
「キミはもっと発言してもいいと思うよ。せっかく沢山のことを知っているのに、惜しいじゃないか」
山南は首をかしげていた。本当に不思議だと思っている風だった。
「僕は密偵ですから……。知っていても話さないのが仕事です」
「それにしてもだね。……勿体ないよ」
なんと返事をしていいのか迷う。
山南は視線をそらし、壁を見つめながら「勿体ないよ」と再度呟いた。
一瞬、その横顔はひどく無防備に見えて、はっとする。
そんな山崎の手元でアラームが鳴った。

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