「ん、ああ、そうだね」
いつの間にか、神社の境内、本宮前にまで来ている。
山の中腹にそびえる本殿の前には、神に捧げる舞のための舞台があったりと、
いくつかの建物が建ち並んでいる。その間を多くの人が行き交っていた。
「そろそろでしょうか」
「え、何? 山崎くんも参拝したいのかい?」
あまりそういうことには興味がないのかと思っていた。
「いえ……鬼払いです」
「ああ、鬼退治がやりたいんだ!」
子供だなあ、山崎くんは……と、そう続けようとして、ふっと立ち止まる。
全身が総毛立つ。殺気だ。囲まれていると思った。
あちこちで悲鳴が上がる。自分たちの周りから、潮が引いていくように人々が退避する。
そして残ったのは、刀を持った幾人もの刺客。
「心戦組副長! 覚悟!」
「フッ」
横で山崎が笑う声がする。
――そうか、分かっていたんだ。
と思った。それはそうだろう。山崎は忍びだ。自分が気づくはるか前から、気づいていたに違いない。
いや……、そのもっと前から。
でも、そんな、と思う。祭りなのに。今日は祭りの日なのに。
ここは神社の境内だ。穢れなど、一番持ち込んではいけない場所なのに……。
目の前で血しぶきが上がる。山崎が手にした小刀で、正確に相手の喉を切り裂いたからだ。
彼はもちろんいつもと同じ。いつもと同じ服装で、いつもと同じ武器を持って……この場に、来ていた。
……山南は刀を置いて、新しい羽織で、やってきていたのに。
黒い影が素早く目の前を飛んでいく。そのたびに血が流される。
山南たちを包囲していた敵は、どんどん倒されていく。そのたびに血が流れる。
神社の境内が穢されていく……もっとも不浄なもの、人の血によって。
――山崎くん。
そう思った。やめてくれなど、もちろん言えるはずもない。
山南だって死にたくはない。ただ、なぜそれを言ってくれなかったのだろうかと、思うのだ。
心戦組副長が、丸腰で祭りに行ったら、当然狙われますよ、と。
――最初から、分かっていたんだろう?
準備があるっていうのは、そういうことなんだろうと。
いや……その準備の中には、
山南が祭りに行く話を、故意に敵に流すことまでが、含まれていたんじゃないかと。
――山崎くん。
頭から血の気が引いていく。目の前のことが、とても遠いことのようだった。
「おのれッ!」
後ろから声がする。殺気がせまってくる。その時、山崎は山南の前にいて、こちらを振り返った。
目が合う。……山崎は、すっと視線をそらした。
「がッ……あ……」
後ろの敵が倒れる。
振り返ると、山南に斬りかかろうとしていた敵は、別の人物の手によって倒されていた。
顔に見覚えがある。山崎の部下の一人だ。そう、この場にはさらに別の集団がいた。
山南たちを取り囲んだ敵、をさらに取り囲んでいた、心戦組の密偵たち。
――山崎くん。
君は本当に有能で優秀なんだね……。山南は、そのことが悲しかった。
◆
「お騒がせしました」
一人残らず敵を切り捨ててから、山崎は誰に言うともなく、そう言った。
いや彼としては神社の宮司や、他の参拝客や、山南にも、みなに対して言っているのだろう。
しかし――。
「お騒がせしましたじゃないよッ」
山南は怒る。
「君はなんてことをしてくれたんだッ」
髪を振り乱し、地団駄を踏んで怒る。
「山南さん……」
山崎は、なぜかひどく傷ついた顔をした。
「僕は敵を倒しただけです」
「『だけ』じゃないだろう!」
「……はい」
それで言いたいことは通じた。
さすがに声には出せなかった。故意に神社の境内で刃傷沙汰を起こしたなどとは。
しかしそれで通じるからこそ、悲しかった。
「本当に、まったく、君は、大馬鹿だよッ!」
怒りが止められない。分かっているのに、止められない。
本当に悪いのは自分だ。考えが足りなかったのは、自分だ。それは分かっているのだが。
――だって、だって、山崎くんが止めてくれるはずじゃないかッ。
そう思うことは、本当に情けない甘えだと分かっているのだが。
「クソッ」
吐き捨てる。怒りをあらわにして。
「ちゃんと片付けるんだよッ」
ばっと死体を指さす。その言葉に、慌てたように周りの人物、山崎の部下達が動く。
この手の後始末も、心戦組ならば得意とすることだった。
だがどんなに死体を運び出し、血の跡を水で流したとしても、消えないものは残る。
穢れだとか、人の心だとか……。
またこれで「壬生の狂犬」の悪名は高まっただろう。別にそれを気にしない人物だって多い。
土方もそうだろうし、山崎だってそうだろう。斎藤も、永倉も。……でも、山南は違う。
違うから、彼は怒らなくてはならない。人前でこうして、山崎を叱責してみせなければならない。
そうすることが、例えどんなに自分たちの間に亀裂を生み、お互いを傷つけるか分かっていても。
「この、馬鹿ッ!」
ほとんどヤケクソでそう吐き捨ててから、息を大きくつき、身をひるがえした。
――謝るべきだろうか。
と考えた。山崎にではなく、この神社の人々に対して。また祭りを楽しみに来た人に対しても。
しかしそれは出来ない。心戦組の副長として、それは出来ない。
叱ってみせることは出来ても、謝ることは出来ない。そこには確かに一線がある。
「壬生の狂犬」の悪名は、背負わなくてはならないものだ。
そうしなければ達成できない理想があるからこそ。
そしてまた、そうしなければ達成できないほどに、自分たちは弱いからこそ。
山南は自分の背に向けられる、人々の複雑な視線を感じながら、一歩一歩山門を下りていった。
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