山南は満開の夜桜の下を歩いていた。一人だ。
背後では遠く、騒がしい宴の音が聞こえる。心戦組の花見だった、今日は。
敵も多い剣客連中が、一堂に会して酒など飲んで大丈夫かという問いに対して、
むしろ今討ち入ってくる物好きなどいたら、見事に酒の肴として刀の露と消えるだろうと答えられる。
大体が彼らは、しらふでないときの方が、頭も腕も冴えるような者ばかりだ。
……もっとも、酒の入っていない時も、果たしてしらふと言えるのかについては、一考の余地がある。
山南には、言われたくないかもしれないが。
――ミサイルを撃ち込んだらどうだろう。
山南は考える。楽しみの最中にいる仲間を、いかにすれば殺戮できるかというシミュレーション、
彼はそれが平気で行える人間でもあった。そうでなければ、頭脳派副長の地位は務まらない。
――数人を殺す程度のミサイルなら、剣で斬れる。永倉くんや斎藤くんの得意技だ。
顎に手をやって、遠くを見た。
――それ以上の規模になると、設置もただ事では済まない。確実にこちらの網にかかる。
日にちも場所もかかるとなれば、有能な監察たちが見つけ出さずにはいないだろう。
――後は空からの奇襲か。
しかし制空権こそは完全に、黒船の主たる山南の掌握するところだった。
――つまり、何も問題はない。
そのことを確認する。そしてちょっと、つまらないなと思う。
「……」
そんな自分にため息をついた。
山南はこの神社の奥へと歩いていく。頭上を覆い尽くすかのような、大きく枝を広げた満開の桜、
そこから離れようと歩いていった先にも、桜があった。数多くの桜の種類を、集めた庭園。
「……」
またため息をつく。美しいと思わないわけではないが……。
ここはそもそも、そういう場所だった。名を平野神社という。
他国にあまり有名ではないが、地元の人間はよく知る桜の名所だった。
外はぐるりと土壁で囲まれ、また緑の背の高い木々が植わっている。
だから季節になっても、その内側に桜が咲いていることなど、ちょっと見では分からない。
しかし一歩足を踏み入れるとそこは見渡す限りの桜の園だ。
庭園を造るという可愛げのある段階ではなく、ただひたすらに桜が集められ、植えられている。
こうして見渡しても一面の桜。見渡す限りの、白い花弁。まるで大雪の降る夜のように。
それが夜の闇の中、行灯の明かりに照らされて浮き上がる様は……。
酒に酔わずとも、花だけで充分に酔えてしまう。
これが外からは見えないという部分がまた、いかにも壬生らしい厭らしさに満ちている。
知っている人だけが知ればいい。そのくせ、何故にこうも……集めたのだろう。
これを維持管理する手間だけでも相当なものだろうに。
しかも楽しめるのは、一年のほんのわずかな間だけだ。
「パラノイア、だね」
口に出した。そして笑った。それは自分がよく形容される言葉でもあった。
だからこそ桜は……。
ため息をつく。辺りを見回し、誰もいないことに孤独を感じる。
だからといって、宴の輪の中に戻るつもりもない。ああいう場は苦手だった、本来。
他の隊士達はそうではないのだろうが。永倉くんも斎藤くんも率先して楽しむタイプだし、
沖田くんもどうこういいつつ、ざるのように酒を飲み干して上機嫌でいるだろう。
近藤局長はもちろんこんな酒席が大好きだし、もう一人の副長土方も、
なんだかんだと口では言いつつこの場を楽しみ、そして頼まれれば芸の一つもしてみせるだろう。
だからこそ土方は鬼だのなんだの言われつつも、人を惹きつけずにはいられないのだ。
山南とてそのことを認めるのに、やぶさかではない。
というよりも、土方のそのようなカリスマを認めているからこそ、――嫌いなのだ。
それは自分にはないものだから。得ようと思っても得られないものであり、またそもそも得たいとは
どうしても思えないものだから。目障りなのだ、邪魔なのだ。そして――嫌いなのだ。
参謀の伊東くんも、意外と馴染んでいる気がする。相も変わらず大言壮語しているのだろうが、
酒の席だからこそ、皆は平気でそれを受け流す。むしろ面白がってどんどん呑ませるかもしれない。
その結果がどうなるかには少し興味があったが……まあ、いい。
それを確認したいがために、騒がしい席に入っていきたい程のことではなかった。
「……」
嫌なのだ。本当なら一人で部屋にこもって新しい兵器の研究をしていたい。
だがそんな自分は大人げないことも知っている。だから最初は付き合った。でもすぐに嫌になった。
彼らが嫌いな訳では決してないのだが……。この感情を理解してくれるのはたぶん、
山崎くんだけだろう。
山崎ススムは……いつかの宴会の席でも、一人だけぽつんと座っていた。
場から離れていたわけでも浮いていたわけでもない。ただ普通に酒杯をあけ、人に注ぎ、
また注がれれば受けていた。それでも彼は、決して楽しそうではなかった。
不快なわけでもないが、決して楽しいわけでもない。そんな顔だった。彼は一人、異質だった。
その所在なさげな様子こそが、山南の目を引いたのだ。それはまだ、彼が副長助勤になる前のこと。
そして、そんな山崎の様子を覚えていたからこそ、山南は彼を自分の助勤に抜擢したのだった。
――どうして僕なのですか。
呼ばれた彼は、無表情のまま首をかしげて聞いた。しかし、決して不快そうではなく。
――君だからだよ。
山南はそう答えた。答えになっていないかもしれないが、それ以外の言葉はなかった。
――そうですか。
山崎ススムはあっさりとうなずいた。……そして今に至る。
それだけのことかと、人には言われるかもしれない。
しかしあの出会いはそうあるものではないと、山南は思う。
「……」
そんな山崎くんに会いたいと、無性に思った。今、どこにいるのだろうと考える。
宴会の場に――いつかのように――溶け込んで、しかし異質なままにいるのかもしれない。
あるいは山南が抜け出したことに気がついて、どこかに忍んでいるのかもしれない。
呼んでみようかと思った。けれど、言葉は喉で引っかかった。
呼んで――どうするのだろうと思う。ただ、話し相手になって欲しいのだろうか。
それで、何を話すのだろう。いつものように他愛もないことをだろうか。
風が吹き、桜が舞う。散っても散っても、花弁は尽きることなく舞い落ちてくる。
頭上を見上げれば満開の桜。夜空に白い花弁が無数に、枝を伸ばし全てを覆い隠すかのように。
「山崎くん」
山南は呼んだ。あまり大きな声ではなく、ただ静かに。
「なんでしょうか」
彼は答えた。いつものように無表情に、ただ静かにそこに立って。
◆
「なんだ、やっぱり居たんだね」
山南は笑う。
「はい」
相手は至って真面目な顔でうなずいた。――当たり前です。と顔が物語っている。
その生真面目さが可笑しい。笑ってはいけないのだろうけれど、自然と顔はほころぶ。
「……」
さてどうしようかと、山南は考えた。別に用はない。しかし呼んでしまった。
ならば何かを話さなくてはならない。しかし、話すことはない。
「困ったなあ」
頭をかいた。そんな自分はまるで酔っているようだと思いながら。
「大丈夫ですか、山南さん」
それはよく言われる言葉だ。山崎くんにはしょっちゅう心配されている。
また変な発明をしていないかとか、変な作戦を考えていないかとか、予算を超過していないかとか。
そしてその懸念はおおむね正しい。……もっとも今は、そういう意味でもなさそうだった。
「僕は何か変かい?」
聞いてみる。山崎くんならきっと、正直に客観的な意見を言ってくれるだろうと思ったから。
「変ですね」
本当に正直な答えだった。しかしこれもよく言われる言葉だ。
ただやっぱり、普段とは何か違う意味に聞こえた。
「どう変かな?」
「上手く言えませんが……」
彼は珍しく言葉を濁した。顔にも迷いが見て取れる。
そのことを山南は人ごとのように観察しながら、一方で安堵もしていた。これでもう、大丈夫だと。
山崎ススムという存在には、そのような効能があるのだった。
「山南さんは、寂しそうです」
言葉が胸を刺す。彼の言葉は確かによく、人の胸を刺すし、時々――いやかなりの割合で、
言葉だけでなくクナイも飛んできたりするのだが、やっぱりいつもとは少し違う意味で。
「そうかい」
山南は眼鏡の縁に手をやった。口だけで笑いながら。
「確かに酒席は苦手なんだけどね」
「でも、山南さんと桜はよく似合っていますよ」
首をかしげながら彼の、山崎の姿を見た。微妙にかみ合わない会話。
これもまた珍しくないものだが、山崎の方からかみ合わない言葉を返してくることは、珍しい。
いつだって、かみ合わないのは山南の特権だったはずだが。
桜がはらはらと二人の間に散っていた。いつまでも、尽きることなく。
「ふふ……でも僕は、桜は嫌いだよ」
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