山南は笑う。それは本心だった。さっきからずっと、考えていたことだ。
桜は嫌いだった。酒席よりも、土方よりも、もっと嫌いだった。だからこそ……山崎を呼んだのだ。
「何故でしょうか」
「……気持ち悪いよ」
辺りを見回す。一面の桜。花、花、花。
「こんなに畸形の植物も、そうないとは思わないかい?」
ひたすらに花をつけ、一斉に散る。傷に弱く、根は浅い。同じ場所に植えられることも嫌う。
そのくせ武士の花とも呼ばれている。武士道の鑑だと。ひいては男子の。
「だからこそ、武士の花なのでしょう」
己は武士ではない山崎は、ごく自然に静かに、そう言った。
◆
「相変わらず君は容赦ないね」
決して不快ではない。彼の言葉はただ静かに、山南の胸をえぐる。
「僕は武士かな?」
「ええ」
迷いなくうなずく、その視線の鋭さと確かさに、山南は微笑んだ。
「そんなこと言うのは、山崎くんくらいのものだけどねえ」
一般に山南は、あまり武士らしいとは認められていない。
戦いは苦手だし、何よりも性格が……大いに問題がある。その程度のことは分かっている。
「近藤局長や土方は、武士になりたいって頑張っているけどね」
「人は自分にないものに、憧れるものです」
「ハハ……」
厳しいねえ、そう言って山南は笑った。
「例えば……」
山崎は言葉を継ぐ。何か考えながら、慎重に。それは彼にしては、珍しいことだった。
普段は、迷いながら何か言うくらいなら、ただ黙っていることを選ぶ人間なのだが。
「土方さんや近藤さんは、また来年もこの桜を見られることを疑ってはいません」
「どうかな」
「山南さんは……来年もこの桜が見られると思いますか」
「ふふ……」
笑う。可笑しかったから。そして確かに、山崎の言葉は正鵠を射ていたから。
「見られないかも、しれないね」
山南は言った。その言葉に応えるかのように、風が頭上の幹を揺らした。
花が舞い落ちる。その向こうで山崎は、切なげな瞳をした。彼の手がこちらに伸ばされようとして、
ただそう思っただけで止まった。山南にはそれが分かった。
分かったからといって、どうするものでもなかったが。
「近藤局長や土方はね、どこでだって生きていけるんだよ」
手を握り返さない代わりに、言葉を返した。
「彼らは商人にも農民にもなれる。普通の道場主でもいい。だけど、僕らは違うね」
山南派と呼ばれる人間に、個性豊かかつ不揃いの彼らに、何か特色があるとすればそれだった。
「僕らは剣でしか生きられない。人を殺すという歪な技術にしか、己を見いだせない」
頭上を見る。一面の桜。美しいと思った……今夜初めて。
「そんな人間は、いつか散るしかないんだよ」
――でも君は違う。
思いは言葉にならない。それを言うことは多分、彼を傷つけるから。
それだけではなく……何かを思うから。離れて欲しくないという、何かを。
「『桜の下にて、春死なん』とか『死体が埋まっている』とか、何かと物騒だね、桜は」
話をそらせようとした。自分らしくなく、不器用に。いや、不器用なのは普段からだが。
「山南さん」
山崎は一歩こちらに近づいた。だがそれをさえぎるかのように、桜が舞い散る。
彼は気にしたふうもなく、話を続けた。
「一つ約束をしませんか」
「なんだい?」
そんなことを持ちかけられるのは、珍しかった。山崎は、いつも山南の行動に――逸脱に、
目を光らせているが、その割に事前に止めようとすることはあまりない。
彼は上司を束縛しようとは、ほとんど考えない、珍しい種類の人間だ。
例えどんなにその方が、後で自分の仕事が減り楽になると分かっていても、
まず何よりも山南自身の意志を尊重する、そういう部下だった。
……下手な生き方だなと思うけれども、だからこそ、山南は山崎を選んだのだった。
「いつか死ぬとしても構いません。ただ……来年の桜は一緒に見ませんか」
「……ふふ」
それは素敵な提案だった。
死ぬことを受け入れ、なおかつささやかに生の約束を提案する。
美しい言葉であり、美しいあり方だと思った。いかにも山崎くんらしかった。
だが……山南は違う。自分は決して、美しくなどない。
「そんな約束はできないね」
笑った。美しくなどない、いやらしい微笑みで。
これで愛想を尽かされるとしても、一向に構わなかった。むしろ……それを願っていた。
「僕は君が死ぬことを許さない」
「いえ……」
山崎は首を振る。
「僕が、あなたを死なせることを、許さないのです」
半呼吸おいて、彼は続けた。
「例えそのために僕が死ぬとしても」
◆
「……」
山南は沈黙する。一本取られたなと思った。困ったことだ。
死など、そう軽々しく語るべきことではないのだが。この話をそもそも始めてしまったのは自分だ。
それならば、きちんと落とし前を付ける責任がある。その程度の責任感は、ある。
「『願わくは花の下にて春死なん』か……」
西行法師の歌を引用する。
「死ぬのは構わないけど、死に方は選びたい。それは何よりも我が儘だね」
もっとも武士とはそういうものなのだが。
「そんな都合のいい願いは叶えられない、普通はね。それでも願うのが武士だ。だから歪だ」
吐き捨てる。だから嫌いなのだ。――自分が。
死を嫌うくせに、死ばかりを見つめている。
誰も死なせたくないのに、皆が死ぬ方法ばかりを考えている。
死、死、死。この舞い落ちる花のように。だから嫌いなのだ。――桜は。
「君は武士じゃない」
言う、決定的な言葉を口にする。自分と相手を隔てる言葉を。
「だからこそ、僕はあなたに仕えるのです」
「……」
山南は黙った。頭の中では、先ほどの歌が渦巻いている。
『春死なん』、それを願うのなら、どうして毎年の桜を見ることが願えないのだろう。
そちらの方がずっと容易いはずなのに。……容易いがゆえに、願えないのだろうか。
「いいよ」
山南は笑った。
「来年の桜も、その先の桜も、一緒に見よう」
心にもないことを言った。平気で嘘をついた。
「はい」
ただまっすぐにうなずいてくれる彼がいるのなら、それは本当になるかもしれないという気がしたのだ。
彼が自分より先に山南が死ぬことを許さないというなら、
山南は自分より先に山崎が死ぬことを許さない。
そうすれば結局は二人とも、生き続けられる……かもしれない。
その愚かな可能性に賭けてみるのも、いいかもしれないと思った。
どうせ死ぬのなら。当たっても外れても、別に構わないのだし。
だから山南は山崎を選んだのだった。似ているが決定的に違う相手。欠けた部分にはまるピース。
そうして自分の嘘を、真にしてくれるかもしれない相手だからこそ。
「願わくは花の下にて……」
山南は吟ずる。
「来年も会おう、か」
あまり格好良くはないなと思った。でもまあ、いいかとも。
くるりときびすを返して歩き出す。皆が呑んで騒いでいる方へと。
その後ろを山崎がついてくることを、確認もせずに、しかし確信はして。
少し気分がよかった。酒を飲んで騒ぐのもいいかと思った。
羽目を外しすぎたら、きっと山崎くんが止めてくれるだろう。……止めないかもしれないが。
それならそれでいい。
辺り一面に桜が咲いている。花は満開で、花弁は次から次へと降り、まるで雪のようだ。
それでもなお、尽きることはない。けれども1週間もしたら、すべては消えてしまう。夢のように。
だけども、また来年には咲く。それを見られればいいなと思う。
願わくは花の下にて。
2007.4.7
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