願わくは花の下にて 後編


山南は笑う。それは本心だった。さっきからずっと、考えていたことだ。
桜は嫌いだった。酒席よりも、土方よりも、もっと嫌いだった。だからこそ……山崎を呼んだのだ。
「何故でしょうか」
「……気持ち悪いよ」
辺りを見回す。一面の桜。花、花、花。
「こんなに畸形の植物も、そうないとは思わないかい?」
ひたすらに花をつけ、一斉に散る。傷に弱く、根は浅い。同じ場所に植えられることも嫌う。
そのくせ武士の花とも呼ばれている。武士道の鑑だと。ひいては男子の。
「だからこそ、武士の花なのでしょう」
己は武士ではない山崎は、ごく自然に静かに、そう言った。

「相変わらず君は容赦ないね」
決して不快ではない。彼の言葉はただ静かに、山南の胸をえぐる。
「僕は武士かな?」
「ええ」
迷いなくうなずく、その視線の鋭さと確かさに、山南は微笑んだ。
「そんなこと言うのは、山崎くんくらいのものだけどねえ」
一般に山南は、あまり武士らしいとは認められていない。
戦いは苦手だし、何よりも性格が……大いに問題がある。その程度のことは分かっている。
「近藤局長や土方は、武士になりたいって頑張っているけどね」
「人は自分にないものに、憧れるものです」
「ハハ……」
厳しいねえ、そう言って山南は笑った。

「例えば……」
山崎は言葉を継ぐ。何か考えながら、慎重に。それは彼にしては、珍しいことだった。
普段は、迷いながら何か言うくらいなら、ただ黙っていることを選ぶ人間なのだが。
「土方さんや近藤さんは、また来年もこの桜を見られることを疑ってはいません」
「どうかな」
「山南さんは……来年もこの桜が見られると思いますか」
「ふふ……」
笑う。可笑しかったから。そして確かに、山崎の言葉は正鵠を射ていたから。
「見られないかも、しれないね」
山南は言った。その言葉に応えるかのように、風が頭上の幹を揺らした。
花が舞い落ちる。その向こうで山崎は、切なげな瞳をした。彼の手がこちらに伸ばされようとして、
ただそう思っただけで止まった。山南にはそれが分かった。
分かったからといって、どうするものでもなかったが。

「近藤局長や土方はね、どこでだって生きていけるんだよ」
手を握り返さない代わりに、言葉を返した。
「彼らは商人にも農民にもなれる。普通の道場主でもいい。だけど、僕らは違うね」
山南派と呼ばれる人間に、個性豊かかつ不揃いの彼らに、何か特色があるとすればそれだった。
「僕らは剣でしか生きられない。人を殺すという歪な技術にしか、己を見いだせない」
頭上を見る。一面の桜。美しいと思った……今夜初めて。
「そんな人間は、いつか散るしかないんだよ」
――でも君は違う。
思いは言葉にならない。それを言うことは多分、彼を傷つけるから。
それだけではなく……何かを思うから。離れて欲しくないという、何かを。

「『桜の下にて、春死なん』とか『死体が埋まっている』とか、何かと物騒だね、桜は」
話をそらせようとした。自分らしくなく、不器用に。いや、不器用なのは普段からだが。
「山南さん」
山崎は一歩こちらに近づいた。だがそれをさえぎるかのように、桜が舞い散る。
彼は気にしたふうもなく、話を続けた。
「一つ約束をしませんか」
「なんだい?」
そんなことを持ちかけられるのは、珍しかった。山崎は、いつも山南の行動に――逸脱に、
目を光らせているが、その割に事前に止めようとすることはあまりない。
彼は上司を束縛しようとは、ほとんど考えない、珍しい種類の人間だ。
例えどんなにその方が、後で自分の仕事が減り楽になると分かっていても、
まず何よりも山南自身の意志を尊重する、そういう部下だった。
……下手な生き方だなと思うけれども、だからこそ、山南は山崎を選んだのだった。

「いつか死ぬとしても構いません。ただ……来年の桜は一緒に見ませんか」
「……ふふ」
それは素敵な提案だった。
死ぬことを受け入れ、なおかつささやかに生の約束を提案する。
美しい言葉であり、美しいあり方だと思った。いかにも山崎くんらしかった。
だが……山南は違う。自分は決して、美しくなどない。
「そんな約束はできないね」
笑った。美しくなどない、いやらしい微笑みで。
これで愛想を尽かされるとしても、一向に構わなかった。むしろ……それを願っていた。
「僕は君が死ぬことを許さない」
「いえ……」
山崎は首を振る。
「僕が、あなたを死なせることを、許さないのです」
半呼吸おいて、彼は続けた。
「例えそのために僕が死ぬとしても」

「……」
山南は沈黙する。一本取られたなと思った。困ったことだ。
死など、そう軽々しく語るべきことではないのだが。この話をそもそも始めてしまったのは自分だ。
それならば、きちんと落とし前を付ける責任がある。その程度の責任感は、ある。
「『願わくは花の下にて春死なん』か……」
西行法師の歌を引用する。
「死ぬのは構わないけど、死に方は選びたい。それは何よりも我が儘だね」
もっとも武士とはそういうものなのだが。
「そんな都合のいい願いは叶えられない、普通はね。それでも願うのが武士だ。だから歪だ」
吐き捨てる。だから嫌いなのだ。――自分が。
死を嫌うくせに、死ばかりを見つめている。
誰も死なせたくないのに、皆が死ぬ方法ばかりを考えている。
死、死、死。この舞い落ちる花のように。だから嫌いなのだ。――桜は。

「君は武士じゃない」
言う、決定的な言葉を口にする。自分と相手を隔てる言葉を。
「だからこそ、僕はあなたに仕えるのです」
「……」
山南は黙った。頭の中では、先ほどの歌が渦巻いている。
『春死なん』、それを願うのなら、どうして毎年の桜を見ることが願えないのだろう。
そちらの方がずっと容易いはずなのに。……容易いがゆえに、願えないのだろうか。

「いいよ」
山南は笑った。
「来年の桜も、その先の桜も、一緒に見よう」
心にもないことを言った。平気で嘘をついた。
「はい」
ただまっすぐにうなずいてくれる彼がいるのなら、それは本当になるかもしれないという気がしたのだ。
彼が自分より先に山南が死ぬことを許さないというなら、
山南は自分より先に山崎が死ぬことを許さない。
そうすれば結局は二人とも、生き続けられる……かもしれない。
その愚かな可能性に賭けてみるのも、いいかもしれないと思った。
どうせ死ぬのなら。当たっても外れても、別に構わないのだし。

だから山南は山崎を選んだのだった。似ているが決定的に違う相手。欠けた部分にはまるピース。
そうして自分の嘘を、真にしてくれるかもしれない相手だからこそ。
「願わくは花の下にて……」
山南は吟ずる。
「来年も会おう、か」
あまり格好良くはないなと思った。でもまあ、いいかとも。

くるりときびすを返して歩き出す。皆が呑んで騒いでいる方へと。
その後ろを山崎がついてくることを、確認もせずに、しかし確信はして。
少し気分がよかった。酒を飲んで騒ぐのもいいかと思った。
羽目を外しすぎたら、きっと山崎くんが止めてくれるだろう。……止めないかもしれないが。
それならそれでいい。

辺り一面に桜が咲いている。花は満開で、花弁は次から次へと降り、まるで雪のようだ。
それでもなお、尽きることはない。けれども1週間もしたら、すべては消えてしまう。夢のように。
だけども、また来年には咲く。それを見られればいいなと思う。

願わくは花の下にて。


2007.4.7

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