「僕が分からないのは、山南さんの考えです」
山崎は言った。
「……な、なんのことかな?」
二人は廊下を歩いている。
「1日30分、書類に集中してくだされば、仕事は溜まらないのです」
「うん……そうだろうね」
「なぜそれを2週間も3週間もさぼるのですか」
「うん……なぜだろうね」
「現実逃避ですか?」
「……んぐッ」
山南は情けない声をあげた。まったく、心戦組の副長が……と山崎は思う。
別に溜めるのなら溜めるで構わないけれども、せめてもっと堂々としていて欲しい。
中途半端に逃げたり、こちらをそーっとうかがったり、そんなことをされるから……困る。
そのように相手を追い詰めているのは自分であるのだが、山崎にはあまりそういう自覚はない。
つまるところ、彼らはとても似合いのコンビなのであるが……本人達にその自覚はなかった。
山崎はドアを開ける。
中には真・心戦組と呼ばれる山南派の人間が集まっていた。
「では、会議を始めます」
目の端で山南が着席したことを確認してから、自分もいつもの席に座り、彼はそう宣言した。
◆
「……以上ですね」
真・心戦組の会議は手早く終わる。いつものことだ。
長引かせてもいいことは何もないし、長引かせると、眠る、無言で出て行く、ひたすら話を脱線させる、
そういう人間がここには集まっていた。……まあ、それはどこの世界でも同じなのかもしれないが。
山崎はそれが分かっているから、手早く会議を終わらせる。
コツは相手に発言させないことだ。
「あ、そうそう、ちょっとみんなに渡すものがあるのだよッ」
「なんですか、山南さん」
山崎は冷たくけん制を入れる。早く解散して遊びに行きたいという、皆の希望を感じ取りつつ。
「い、いや、先日地主神社に行ってきたんだけどさ」
「はい」
「そこでキレイなお守りが売っていたからね、みんなに買ってきたんだよ」
「山南さんにしてはマトモですね」
「……」
しばし沈黙が流れた。
――ススムちゃん、今日機嫌悪い?
――いや、いつものことだろ、あれは。
こそこそ声が聞こえる。
「わ、渡すよッ」
山南はそう声を張り上げて、皆に白い封筒を配り始めた。朱色の字で「御守り」と書いてある。
「わー、ありがとー」
「ケッ」
「……」
みなそれぞれの様子で受け取りながら、中を確かめる。
出てきたのは綺麗な赤地に「幸」という文字が書かれた、いたって普通のお守り。
「はい、山崎くんにもね」
山南はにっこり笑って、渡してきた。山崎はいつものごとく、無表情でそれを受け取る。
すっと封筒を傾けて、中のものを取り出す。出てきたのは、やはり皆と同じお守り。まったく、同じもの。
「あれ、ススムちゃんにも同じヤツなのー?」
永倉がそう言った。
「え、なんで?」
怪訝な顔で山南は聞き返す。
「えー、だってー」
――しまった。と永倉の顔には書いてある。……何が「しまった」なのだろうと、山崎は思った。
「地主神社ってあれだよな。縁結びの神社だよな」
斎藤が、意外な知識を披露する。……縁結び、なぜまたそんなところにと、山崎は考えた。
と、同時に、斎藤がこちらを見ながらニヤニヤ笑っているのを……見てしまった。
「……」
妙な沈黙の空気が流れる。
「そ、そうだよッ。僕はみんなに幸せになってもらいたいからだねえッ」
「……でも縁結びだろ」
「じ、実は知らなかったんだよッ。ただこの幸福って字がいいなあと思って」
「へー、知らなかったんだー」
妙な空気を感じる。永倉と斎藤が、ちらちらとこちらをうかがっていることを、山崎は感じていた。
手元に目をやる。「幸」という字が書かれた赤いお守り。
「……」
なぜか自分が不機嫌になっていることに気がついた。――なぜだろう。と思う。
別にお守りなどどうでもよかったし、しかし山南さんがくれるなら、それは有り難いことのはずだった。
でも、皆と同じもの。……だから、なんなんだろうと思う。
「……」
気まずい沈黙が流れる。山崎はそれをどこか遠いことのように感じていた。
それは間違いなく自分に関係していることのはずだが、何故か無性にそれがわずらわしかった。
もっとはっきり言えば、面倒だった。どうでもよかった。
山崎はくるりときびすを返す。黙って部屋を出て行った。
どうせもう、会議は終わっていたのだし。
――あちゃー。
――あーあ。ありゃ怒ってるな。
――え、え、どうしてッ!?
そんなやり取りが、残された人々の間で交わされたことは、彼は知らない。
◆
「それで、スネているの、ススムくん?」
沖田ソージはにこにこした顔で、そう話しかけてくる。
「スネているって、何が。ソージ」
相変わらず、どこかに視線をさまよわせながら、山崎はそう答えた。
「まったく山南さんにも困っちゃうよね。僕にまで渡すんだから」
そういって取り出すのは、赤いお守り。また、同じもの。
山崎はちらりとそれに視線を走らせる。顔には無表情。いつもの彼とは違って、本物の無表情。
「……怖いよ、ススムくん」
「なぜ?」
ふーと沖田は息を吐いた。ここは屯所の屋根の上。
ここに登ることが、彼らは好きだった。沖田も好きだったし、山崎も好きだった。
それはまったくの偶然だったのだが、その偶然が彼らの間に奇妙な友情を育んだ。
彼らはよくこうして屋根の上で、とりとめもない話をした。
「土方さんにも近藤さんにもあげたらしいよ」
「そうか」
それは心底どうでもよかった。
「土方さんなんて気持ち悪がっちゃってさー。近藤さんは近藤さんで、『おそろいだな、ソージ』とか
ニヤケてくるしさー。怖いから、思わず三段突きしちゃったよ」
「ふうん」
その情景はありありと想像できる。山崎は別に、土方や近藤のことも嫌いではなかったから。
「別に山南さんには他意はないんだと思うけどねー」
「他意って、何が」
「あはは」
困っちゃうなあと沖田は笑った。その笑いは軽やかで、心地いい。
山崎は沖田のそういう部分が好きだった。つまり、何ものにも捕らわれない、しなやかな強さ。
本当は彼にもいろいろな過去や傷があるのだろうが、それでも沖田ソージは自由だった。
自分の心に、自由だった。――山崎とは、違って。
ふとそう考える。自分の心は今、確かに何かに捕らわれている。それはなんだろうと。
山崎は忍びだ。忍びであることの一つには、自分の心を制御することも含まれる。
雑念を抱いたままでは、気配を消し去ることも、戦いの中に没入することも出来ない。
「……困ったな」
そう、声に出した。それはたぶん、沖田ソージの前だったからだろうと思う。
他の人間の前では、山崎はあまりこういうことは言わない。
「何が?」
沖田はいたって軽い調子で聞いてくる。
――僕はそんなことどうでもいいんだけど、話したいなら聞いてあげるよ、そんな調子で。
「……」
とはいえ、何を言えばいいのだろうかと思う。
考えを口に出そうとして……これは口に出すべきことではないような気がした。
それは言えない、話せないというのではなく、
言うべきことではない、話すべきことではない気がしたのだ。
「……」
無言のまま、山崎ススムは軽く笑った。自嘲するかのように、ちょっと、呆れたように。
「ソージ」
「なに、ススムくん」
「ありがとう」
「えー、別に何もしていないけど」
そう言う頭を、ぽんぽんと撫でる。彼が実はそうされることが好きなことを、知っていたから。
「お礼ならお金でして欲しいね」
沖田はツンとすましてそう言う。山崎は、そんな沖田のことが好きだった。
それはもちろん恋愛感情などではなかったが、確かに一人の人間として、好きだった。
「助かったよ、ソージ」
そう言う。普段の彼なら滅多に言わない言葉を。
無表情の中に、静かな真剣さをただよわせて。口元には軽く笑みを浮かべながら。
「あっそ」
沖田は手を挙げる。それに答えて、また軽く相手の頭を撫で、山崎は立ち上がった。
「じゃー、また遊ぼうね。ススムくん」
「ああ」
飛ぶような身軽さで屋根を駆け、飛び降りる。音もなく地面に着地する。
体のキレはいい。問題ない。そう自分のことをチェックした。
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