◆
そうして数年が過ぎた。
彼らは相変わらずトップ争いを続け、そうして変わらず友人であり続けた。
高松とジャンはサービスにずいぶんと俗っぽいこと――言い方を変えれば悪いこと――も教え、
サービスは代わりに彼らに、自分の知識と伝手を遠慮なく提供した。
といっても彼の世界は思っていたよりもずっと狭かったのだが、
何せ高松にとっては、相手が敬愛するルーザーの弟であることは大きかった。
とてもとても、大きかった。
サービスの手引きがなければ、高松はルーザーに直接目通り叶うこともなかっただろうし、
そのまま気まぐれのように――気まぐれだったのだろうが、研究室の片隅を与えられることもなかった。
そのことには、感謝をしていた。……そして同時に嫉妬も。
高松は直接見てしまったのだから。ルーザーがいかにサービスを溺愛しているかを。
その書く論文と同じように、まったくの理知的で機械のようにとりつく島もない相手が、
サービスの頼みであればいかに相好を崩して聞くかという場面を、見てしまったのだから。
優しい微笑み。
――仕方ないね、サービス。
その甘い口調。そうして兄は弟の頬にキスをした。ごく自然に。
高松は自分の顔が青ざめていることを知った。そしてそれを二人に悟られないことを祈った。
だがその一方で、彼らの視界には自分など入ってもいないことも気付いていた。
……悔しかった。悲しかった。苦しかった。そのような感情を抱く自分が、なんとも情けなかった。
まるで裏切られたかのように感じていた。何をか……友情をだ。
サービスと高松との間に存在した友情をだ。
そう……利用してやろうという気持ちはいつの間にか、紛れもない本物の友情に変わっていた。
高松はサービスのその優しさを、純粋さを愛していた。しょうがない弟のように、愛していた。
でもその彼には……本物の兄がいた。それも、完璧な兄が。
嫉妬の矛先が崇拝するルーザーに向けられるはずもなく、
従って高松の黒い感情はすべてサービスに向かった。久しぶりに思い出した黒い感情。
……そう、最初から利用してやろうと思っていたのだ。
◆
「どうしたんだい、高松」
図書室でサービスが覗き込んでくる。
「私は疲れているんですよ」
だからアンタの相手なんかしていられません、そんな拒絶はあっさりと受け流された。
「確かに顔色が良くないね。心配だ」
「そりゃそうでしょう、私はルーザー様の研究室の仕事もあるんですから」
誇るように言う。いやむしろそれこそが、今の高松にとっては唯一の心のよりどころ。
「手伝おうか?」
サービスは金の髪をきらきらとこぼしながら、そう問いかけた。
「……アンタには無理ですよ」
理工系の学問になどさっぱり興味がないくせに。……ルーザーはいかにそれを、
自分の弟が研究室の一員になってくれることを熱望していたかを、知っているくせに。
「うん。そうかもしれないけど」
相手の言葉を否定せず、彼は高松が置いていた論文の束を取り上げる。
そのあたりの生まれがもたらす無頓着さは、相変わらずだった。
「これを要約すればいいの?」
「ええ」
出来るものならやってみなさいと思った。数十枚ある専門の論文を、数枚のレポートに要約する作業。
それほど難しくはないけれど、決して門外漢が簡単にできることではないはずだった。
「うん。じゃあ、やってみるよ」
けれどサービスはあっさりと、そう言った。
そして次の日。
「はい」
と、サービスはレポートを渡してきた。
「……」
高松は無言でそれを手に取る。
場所は校舎の裏側。高松はそこでタバコを吸っていた。
もちろん校則違反だが、それくらいはしないとやりきれなかった。
サービスは、別に、止めない。
彼も付き合って吸ったりはしなかったが、かといって友人を止めたりもしなかった。
「……」
無言でページをめくる。こめかみが引きつっていくのを感じていた。
「何故です?」
そう尋ねる。
「え、おかしいかな」
「ええ、何箇所かは」
確かにいくつかは、初歩的な間違いがあった。
少しでも内容を分かっているものなら、絶対にしない間違い。……だがそれ以外は完璧だった。
問いも先行研究もそれに対する反証も反論も、見事にまとめ上げられていた。美しい言葉で。
「何故なんです!?」
思わずそう叫んでいた。自分ならこのレポートを一晩では書けない。
論文を読むだけで徹夜だ。そして文章を組み立てるのに、どれだけの苦労をするか。
「いや……私はこういうのは得意だからさ」
サービスは困ったように微笑む。優しげに、おっとりと。
「作文は私の唯一の得意分野なんだよ、知っているだろう、高松」
知っていた。サービスが本好きなことも、時々は自分で詩や小説を書いていることも。
……だからって、これはないだろうと思うのだ。
内容も理解せずに、ただ文章力だけで、こんな見事な要約をするなんて。
理不尽だった。才能という言葉が頭をよぎる。出来るだけ、考えないようにしていたこと。
努力では埋められない、生まれつきの差。そんなこと……ルーザーの側にいれば、嫌でも知らされる。
そしてこの弟も……そうなのかと思うと。やりきれなかった。
「……」
高松はうつむく。
疲れがどっと肩に落ちてくるのを感じていた。この1年、自分がどれだけ努力をしてきたか。
這いずる思いで頑張ってきたのか。でもその前を、悠々と飛び抜いていく人々がいる。その理不尽。
「高松……」
サービスの心配そうな声がする。
「疲れているんだよ、おまえは」
残酷な言葉。残酷な優しさ。傲慢な優しさ。
美しい優等生の黒い部分。それは……これだった。無邪気な残酷さ。
バシッと高松は、左手で壁を殴った。右手からは、はらはらとレポートの束がこぼれる。
唇からはもうかなり短くなっていたタバコが、その灰と共にこぼれ落ちた。
そうして彼はうつむいた。うつむいて肩を振るわせた。……泣きはしなかったが。
「高松……」
いつかのようにサービスが抱きしめてくる。優しい力で、髪からは花の香りをさせて。
美しい友情……でも、そんなもの、いらない。
高松は両手で友人の頬を掴んだ。顔を無理矢理こちらに向けさせる。
そしてその口に、口付けをした。
唇を押しつけて、舌で相手の口を割り、その中に吸っていた煙草の煙を流し込む。
無我夢中で、舌と舌をからませた。唾液を相手の中に流し込んだ。目を閉じたまま。
ただ全力で相手の顔をつかまえて、離すことなく、懸命に、すがりつくように。
「ごほっ、ごほっ」
サービスは咳き込む。口付けしていた時間はどれくらいか。1分にも満たないだろう。
それが限界だった。肺が酸素を求めて苦しむのと同時に、相手からも突き飛ばされた。
そして彼は、美しい友人は、目に涙を溜めたまま口元を抑えて咳き込んだ。
高松はそれを、呆然と眺めていた。なぜ自分がそんなことをしたのかも、分からない。
この数年積み上げてきたものを、自ら崩すようなことをしたのかは、分からない。
けれども、それは確かに、なんらかの快感をもたらすことで……
そして何より、自分はずっとこうしたかったのだと、彼の中の奥深い部分では認めていた。
この優等生を、汚してやりたいと。それも、自分の手で。
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