例えば愛だとか 前編


せっかくの久しぶりの対話。その接続は強制的かつ一方的に切られた。
まったく、いつだってそうだ。あの男はいつだって、こうして一方的に関係を切断する。

高松はブラックアウトしたスクリーンを見ながら、意地の悪い笑みを浮かべた。
その向こう、はるか宇宙の彼方では、今頃、頭を抑えて苦痛にのたうちまわっている相手が、
さっきまで通話していた相手がいることを、知っていたから。
マスターJ――今ではそう呼ばれている男。遙か昔には、ジャンという名前だった男。
今では自らの記憶を切断し、過去からも未来からも切断され、残された現在のみを生きる男。
永遠という名の妄執に取り憑かれた、狂った科学者。

――もっとも、自分の名前はまだ覚えているようですが。
高松は、考えた。
――あなた、"彼"の名前はまだ覚えていますか?
そう問うてやりたいが。……しない。してやらない。

かわりに、手元のコンソールからデータベースにアクセスする。
こんな時には……見ていたいフォルダがあるのだ。古い古いフォルダ。
"彼"が遺したもの。

――「ちょっとした謎かけをね、したんだ」
耳元には今でも懐かしい声がする。甘く優しくささやくような声音。
――「今度はどんないたずらを思いついたんです?」
呆れたように応じる自分。でも、それは決して嫌なことではなかった。……そんな時が、あったのだ。
――「うん。いざという時のパスコードをね、決めた」
――「いざという時?」
――「だからさ、私が何かの事故で死んだりしたときのパスコード」
あんまり軽やかに言うものだから、思わず心臓がはねた。その感触すら、今でも思い出すことが出来る。
なんだってあの一族は、ああも死に対して親しむのか。
自ら殺し、自ら死に、死に対して異常に嘆き悲しむくせに、またあっさりと死を口にする。
死……今では遠いもの。

――「嫌ですよ、そんなもの」
――「へえ、高松でも、私のいざって時を悲しんでくれるんだ」
いたずらっぽい口調。どこまでも冗談めかして。だけど本気で。
――「というか、それにまつわる雑事が嫌です。押しつけないでください、そんなもの」
あんたが死んだら、あのバカはどれだけ悲しむと思っているんですかと言ってやりたかった。
しかしまあ、そんなことはあまりに自分らしくないので、言わなかったのだが。……少しの後悔と共に。
――「残念ながら、その雑事をおまえに頼みたい」
あっさりと彼はそう言った。いつものように、一方的に、断定的に。
――「嫌ですよ」
――「こんな私でも一応、財産があるからね。そういったものの配分だとか……」
――「何、勝手に話進めてるんですか、アンタ」
――「まあ、よろしく頼むよ」
そう言ってまた笑う。……あの笑顔。
――「簡単な謎かけなんだけど。あいつは、もしかしたら……解いてくれないかもしれないから」
ぽつりと、彼は――サービスは言った。

……ああ、まったくあれは毒だった。あの綺麗な顔にふさわしい毒だった。
人の心を溶かす毒。容赦なく、振り向かせる一撃。

――「どういうパスなんです?」
愚かにも、聞いてしまった自分。……後悔は、していないけど。
――「うん。簡単な謎かけなんだけどね。人の名前にした」
――「ふうん」
それでと目で促す。それだけで、サービスはにっこりと微笑んだ。……まったくもって、どうしようもない。
――「私が一番愛している者の名前にしたんだよ」
あの笑顔は今でも思い出すことが出来る。美しい笑顔だった。幸せそうな笑顔だった。
そして、少し寂しそうな笑顔だった。……その理由は、今ではよく分かる。

――「なんですか、それは」
呆れ返って聞く。……懐かしい時間。
――「だから、パスコードだよ。何かあったときの」
――「それは分かっています。で、それのどこが謎なんですか」
サービスは変わらず笑っていた。いつもの彼のように。だから高松もそれ以上は何も言わなかった。
別に何も言う必要はなかったし――だいたいのところは分かったので。……そう、いつだって。
――「あんたらしいですよ」
いつまで経っても、バカバカしいことが大好きで。
言外にその意味を込めて言うと、サービスはちょっと不満そうな顔をした。
――「これでも精一杯考えたんだけどな」
――「はいはい」
いつものようにあしらう。いちいち付き合ってなどいられない。
――「高松」
その横顔に吐息がかかる。意地でも振り向いてやるものかと思った。……そんな時も、あったのだ。
――「まったくおまえはいつだって意地悪だ。でも私は、そんなおまえが大好きなんだよ」
サービスは耳元でそうささやく。いつになく静かに、つまりは真剣さを込めて。
――「だから、頼むよ」
少し寂しげに笑いながら。
――「彼のこともね」
図々しくさりげなく何を上乗せしているんですかと、言いたかったが、言えなかった。
何せ口で口をふさがれてしまっていたので。

……まったくバカバカしい記憶。
そう思いながらも、指は次々とコードを入力し、データベースの深層に沈められたフォルダにアクセスする。
彼が遺したフォルダ。サービスの個人的な記録データ。

彼の忠実なる個人用コンピューターは、主の"喪失"を感知して、コクーン(繭)・モードに入った。
もう決められたパスコードを入力しなければ、一切のアクセスを受け付けない。

もちろん高松は……、手出しをしなかった。
まず最初にアクセスするにふさわしい人間が、それに触ることを待っていた。
……それだけで何年かかったのやら。思い出しても頭が痛い。
サービスは確かにバカだが、あの男に勝るバカはそういない。あの男とは、つまり、ジャンだが。

――「パスコードは、私が一番愛している者の名前にしたんだよ」

同じ事を、サービスはジャンにも伝えていただろう。当然、高松よりも先に。
そのパスを入れるのに、ジャンは……まあ、あの男も苦しんだ。それは認めてやってもいい。
それにしても……。

――JAN

それがはねつけられた時の彼の顔は、想像するだに傑作だ。
今だからこそ笑える。そう、今だからこそ。……笑うしかない。

――「分からないんだ……」
呆然と彼は呟いた。彼がまだジャンであった頃。
――「あいつが一番に愛していたのは、俺じゃなかったのか……?」
高松は画面のこちら側で黙って煙草を吸っていた。
もちろん自分には自分の考えがあったのだが、教えてやるつもりはなかった。
謎は自力で解くべきだろう、それこそ、サービスを本当に愛していたなら。
――「どういうことなんだ!?」
画面の向こうでジャンは叫んだ。顔に怒りをにじませて。
それは嫉妬か、それとも狂気か。……それ以上見たくなかったので、高松は通信を切った。

そうだ、その時、もうすでに、彼はマスターJと呼ばれる存在になりかけていた。
サービスも、おそらくそれを知っていた。永遠への妄執。
だからこそ彼は謎をかけ、そしてその鍵のもう一つを高松に託した。
狂気の科学者、永遠を求めた科学者。……その前に知るべきことはたくさんあったのに。
永遠などより大切なものが、この世にはいくらでもあるのに。

……そう、例えば愛だとか。

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