光に寄り添う闇 前編


「ですから、この地対空ミサイルを導入することは、あなた方にとっても損ではないはずです」
彼はそう言って、ニッコリと微笑んだ。天使の微笑みとも称される、美しい笑みを。
「ええ、確かに……これは、すごい」
相手はカタログを見ながら、そのスペックに驚嘆している。
当たり前だ。これは彼自身が――ルーザーが設計した、最新鋭のミサイルなのだから。
まだガンマ団の外には一切公開されていない情報だし、内部ですら知るものはほんの一握り。
こんなカタログ表が相手に、ガンマ団にとって不利益な相手に――つまり敵に、
知られているとなったら、おそらく研究所の部下達は卒倒する。……別にいいじゃないかと思うのだが。

「しかし何故これを渡してくださるのです?」
「もちろん対価はもらいますよ」
「ええ、しかし……金の問題ではないでしょう、これは」
――安すぎたのだろうか。と、ルーザーは考える。
それなりに高く設定したつもりだったのだが、一般的見地から言えば安すぎたのかもしれない。
なにせ、彼にはそういう意味での物の価値は分からない。
ルーザーに分かるのは、自分がこれを設計するのに大して苦労はしなかった、という事実だけだった。
「……つまり、抑止力です」
一瞬考えてから、それを口にした。この相手にとって、もっとも魅力的な言葉を探して。
「我々としても全面的な戦争は避けたいと思っているのですよ」
――我々としても全面的な戦争は避けたいけれどね……。そう言ったのは、兄のマジックだった。
マジックが言うことだから、おそらく正しいことなのだろうと、ルーザーは思う。
彼自身にとっては……どうでもいいことだが。全面戦争とやらで流される血の量も、損害も。

「けれど、だからと言って、こちらにこのようなものを渡してくださるとは……」
幾度同じことを繰り返すつもりだろう。ちょっとイライラする。
彼はその自分の心のままに、問いかけた。いたって無垢な表情で。
「いけませんか?」
「いえ、こちらとしても、貴方が、つまり総帥の弟君である貴方が、
 この交渉の場に出られていることの意味というのは、把握しております」
――よく、分からないが。その価値観は。
ただルーザーという存在に、人々は何らかの価値を見いだすことは、よく知っていた。
多くは虚像だが、別に虚像でも構わない。それはそれなりに利用価値があるのだと、
ずっと前に、ある男が教えてくれた。
「そして貴方だからこそ、我々にこれを提供してくださるということも」
「ええ、そうですよ」
ニッコリと微笑む。ようやく話が通じたなと思ったから。

その微笑みを見て、相手は――初老の男だ――しばし呆然としたようだった。
歴戦の戦闘をくぐり抜けてきた大佐。
とある大国から派遣され、この小さな国の内戦に裏から手を貸している男。
しかし彼は――この戦争に飽きたのだという。いや、飽きたというのは正確ではない。
嫌になった、というべきだろう。それはまあ、至って正常な判断だ。
こんな泥沼の内戦、大して面白い戦場ではない。
それも、全面戦争も休戦も避けて、ひたすらに内乱を繰り返せとは。それが一番儲かるから、とは。
――人間は、愚かだな。ルーザーはそう思った。

「人間は愚かですね」
言葉にする。この場合、それが有効な気がしたから。
「ええ……まったく、そうです」
相手もうなずく。深い同意を込めて。軍人ではなく、一人の人間として。――脆さが顔を見せる。
――油断した。そう思った。
「では、さっさと取引を済ませましょう」
ルーザーは契約書を取り出す。武器引き渡しの期日、方法から、対価の支払い期限、口座まで
万事ぬかりなく揃えられた書類。完璧な仕事。それこそ、彼が愛するもの。
相手が万年筆を手に取る。
「その前に――」
ルーザーは口を開いた。
「確認しておきたいのですか」
「なんでしょうか?」
「今日、この取引について、秘密はきちんと守られていますか?」
「ええ、もちろんです。このことはすべて私の一存で話を進めていますから」
「それはよかった」
彼は再度微笑んだ。極上の天使の笑みで。

「では、さようなら」
秘石眼が輝く。

相手は吹き飛ばされ、壁にたたきつけられた。そのままずるずると下に崩れ落ちる。
顔も体も区別なく、異能の力によって切り刻まれた、血まみれの姿。
瞳は片方がつぶれ、もう片方はただ虚ろに、死んでしまった自分の体を見下ろしている。

「……」
ルーザーは子細にその姿を検分した。間違いなく死んでいることは確かだ。
少し血の量が多かったかなと評価した。傷を負わせすぎたかもしれない。
殺すだけなら頭を吹き飛ばせばいいし、彼にはそれも可能だった。
しかしこのような形で殺す――死体を切り刻むということもまた、何らかの意味を持つらしい。
そのこともまた、ずっと以前にある男が教えてくれたことだった。
けれどもそれはルーザーとしては、適切ではない行為――端的に言えば無駄――なので、
なかなかに加減が難しい。こればかりは何度やっても、最適に出来ない。
そもそも何が最適なのかよく分かっていないので、当然といえば当然なのだが。
――まあ、いいだろう。
彼は最終的にそのような評価を下した。これなら充分、見せしめに――抑止力になるだろう。
この内戦を終わらせようなどと考えた愚か者は、こうなるという、見せしめに。

――油断した。それがこの男の死因だった。
暗殺においてもっとも重要なこと。相手を油断させ、こちらは油断しない。
彼はルーザーの前に心を開いた。だからこそ、あんな不適切な一言を言ってしまった。
――「このことはすべて私の一存で」
それを確認するまでは殺せなかった。逆に言えば、それさえ口を割らなければ、彼は死ぬこともなく、
最新鋭のミサイルの契約書を手にここから帰れたかもしれないのに。
もっともそんなことを、ガンマ団研究所の長たるルーザーが許すはずもなかったが。

テーブルの上に広げられたままのカタログや契約書を手に取る。
ステンレスの灰皿の上で、ライターで火を点けて燃やし、灰も崩した。転がり落ちた彼の万年筆を使って。
それからその万年筆は、丁寧にハンカチで拭い、相手の胸ポケットに戻しておく。
流された血を踏まないように注意して。
安物のソファにかけていた、コートを手に取る。トレンチコートだ。普段はあまり、着ることはない。
それを言えば、彼が今身にまとっている服。ダークスーツのシングル3つボタンも、普段は絶対に着ない。
そもそもスーツ自体嫌いだが、着るとなればきちんとスリーピースを着用する。色はグレーが多い。
こんなどこかのマフィアみたいな服装……、サービスが見たらきっと屈託もなく、笑うだろう。

けれども、これが"らしい"のだった。
相手が見たい姿――、秘密裏の場に出てくるガンマ団総帥の弟としては、これがふさわしいのだった。
それもまた、ある男の教えだ。もっとも当時はルーザーは若すぎたので、そういう格好をするのは、
主にその男の役目だったけれども。
ミツヤ――。彼の名前を思い出しながら、ルーザーは胸ポケットから、サングラスを取り出してかける。
アタッシェケースを手に、建物から出て行く。どこかの商社のビジネスマンのように。
サービスが見たら、絶対に笑うだろう。しかしハーレムが見たら、彼は自分の目を疑い、
ついで白昼夢か何かだと思って忘れようとするだろう。それが、大切なのだった。
この場合、もっとも一般人に近いのはハーレムの反応だから。――いつもそうだが。

誰もルーザーがこんなことをするとは思わない。こんな格好をするとは考えない。
ガンマ団総帥の弟が。研究所の長が。天才科学者ルーザーが。……それが重要なことなのだった。

青の一族の次兄、ルーザーが暗殺者などであるということは。誰も知らない。
ただ一人を除いて。

マジック――。それが、兄の名前だった。ルーザーがもっとも敬愛する兄。
「困ったものだ」
彼は言った。
「平和主義にかぶれた軍人ほど、タチの悪いものはいない」
「そうですか」
よく分からなかったが、兄が言うのならきっとそうだろうとルーザーは思った。
「我々としても全面的な戦争は避けたいけれどね……」

彼はいつもこうやって、兄の愚痴をよく聞いた。ルーザーは兄の愚痴を聞くのが好きだった。
別に愚痴の内容などどうでもよかったし、そもそもルーザーには理解できない内容が多かったが、
別にマジックとしても心からの同意が欲しいわけではなく、
ただうなずいて聞いてくれる相手が欲しいだけだろうから。
それでも愚痴というのは誰にでも話せるものではない。特にガンマ団総帥ともなれば、なおさらだった。
またマジック個人の性質としても、愚痴など滅多にこぼす人ではなかった。
それはずっと昔から、兄が総帥になる前から、双子が生まれる前から、そうだったから。
ルーザーは知っている。彼だけは知っている。そのことが、重要なのだった。

双子が生まれ、世話をするべき相手が出来て、
さらにもっと時間が経ち幼くしてガンマ団の総帥などになって、
マジックはだんだんと愚痴をこぼすことが多くなった。
別にそれを弱さだとは、ルーザーは思わなかった。当たり前のことだ。
兄が背負っている労苦に比べれば、それはあまりにも当然のことだ。
けれどもマジックという人は、それを人に話すことが嫌いなのだった。人が嫌いなのではなく、
そんな自分の弱さが許せないのだった。でもルーザーにだけは……。マジックは愚痴をこぼす。
彼はその事実が、とても好きだった。言い換えれば、嬉しかった。

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