「内戦を終わらせようとしている人間がいるんだよ」
「終わってはいけないのですか」
「いや……別に構わないけれども。ただ、彼は中途半端な形で終わらせようとしている。
どちらかの勝利でもなく、大国が手を引くわけでもなく、ただ爆発寸前の状態で止めておこうと」
「はい」
「そんなこと……無理に決まっているのにね。ごくごく短期の休戦は実現したとしても、
いずれ必ず内戦は再開される。それがいつなのか、誰にも分からない。そんな状態が、一番悪い」
「なぜでしょうか」
「緊張状態が続くことによる兵士の消耗。そして突発事項が起こったときに、無駄に流される血」
マジックは淡々と続けた。
彼はまだ二十歳を越えたばかりだったが、すでに疲れた表情が似合う人だった。
ルーザーはそんな兄の姿が痛々しかった。けれども、その表情は、
兄が自分にしか見せないこともまた、知っていた。
「それくらいなら、ずっと戦い続けた方がいい。私なら、そう考えるよ」
「そうですか」
ルーザーには、よく分からない。
一時でも休戦が実現すれば、人々は銃弾に怯えなくてよくなると考える人もいるだろう。
けれどもそれは間違いだ。溢れた銃器は市場に流れ出す。人は些細な喧嘩で発砲するようになる。
人間とはそういうものだ。失業した兵士たちも、すぐに新しい職に就けるわけでもなく、
また平和という状態そのものに適応できるわけでもなく、道ばたで腐り果てていく。それが現実だ。
しかし平和は平和だ。何がいいのかなど、ルーザーにはよく分からない。
兄が戦争を続けたいのは結局のところ、それが一番ガンマ団にとって利益になるからだろうが、
そちらの方がよほど分かりやすいし納得もしやすかった。
「兄さんは正しいですよ」
だから彼は言う。心の底から。
「うん……。ありがとう、ルーザー」
そういってマジックは微笑んだ。弱々しい笑みを。
……本当は兄は、自分の正しさなど何も信じてはいないのだろう。
平和についても、ルーザーよりもずっと切実にその可能性を探っているのだろう。
だからこそ、マジックという人は摩滅していく。
疲れ果て悲しみのうちに、また戦場に立つ。それでも先頭に立って、胸を張って。
己は正しいのだと、自分のために死んでいく兵士達に示しながら。
――そうでなければ、可哀想だろう?
兄はいつの日にか、そう言っていた。優しい兄。
「……そいつが悪いんですね」
ルーザーはつぶやいた。
「ん、ああ」
マジックは半ば上の空でうなずく。真情を吐露した後の放心状態――それもまた、油断。
「分かりました」
それだけで話は終わった。
別に何も、マジックはルーザーに彼を暗殺しろと命じたわけでもない。
相手の名前すら、マジックは言わなかった。ルーザーが勝手に調べただけだ。
ガンマ団のデータベースで彼がアクセスできないものなどない。
それにマジックが愚痴をこぼさなかったとしても、ルーザーは士官学校に通っているサービスや、
ガンマ団の一兵卒として戦場にいるハーレムから、逐次情報は仕入れていた。
彼らの近況報告や土産話の中から、自分が暗殺すべき相手を探していた。
結果としては彼は、兄として弟たちを利用しているのだが、
ルーザーにはあまり……そういう善悪の判断基準は存在しなかった。
ただ彼は、兄マジックの負担を、少しでも減らしたいだけだった。
この痛々しい人の重荷を、自分も共に背負いたかった。それだけだった。
マジックも暗殺という手段の有効性は認めていたし、適宜それを利用することもしていたが、
ルーザーから見ると判断基準が甘い。例えばこのケースの男のような人間は、
マジックはあまり殺したがらなかった。愚かかもしれないが、それなりの正しさを持った人間。
そしてなによりも、自分の信念を命がけで実行しようとしている相手。
相手の正しさも、その心情も分かるからこそ。ただ立場が違うだけで、自分たちは同種だと思うからこそ。
そこまで相手を――敵を、理解することが出来る兄。優しい兄。
あとは多分、兄のトラウマも影響しているのだろう。
総帥になってからしばらく後、マジックは一族を見境なく多数暗殺した時期があった。
実行したのは、あの男――ミツヤと、ルーザー。
だがそれは、兄の心に多大な傷を残す結果となった……らしい。ルーザーには、よく分からないが。
ただ兄の優しさは分かる。痛々しいほどに。
でもルーザーには分からない。だから、ためらいなく殺す。自分が。兄ではなく。
殺すのは兄ではない――それが、重要なことなのだった。
◆
「彼が死んだよ」
マジックは言う。淡々と。
「そうですか」
ルーザーは答える。なんら表情を変えることなく。
「死因は謎だ。どうして彼が一人でその場に出向いたのかも謎だ。誰にも言わなかったらしい」
「ふうん」
もうあまり興味はなかった。それよりルーザーは、新しいプログラムの着想を形にすることが大切だった。
「聞いているのか? ルーザー」
「聞いていますよ。兄さん」
いつものように、軽く兄をあしらうように、ルーザーは答える。
「見事な手際だ」
「ええ」
ノート型のコンピューターに、次々とキーを打ち込む。それが処理できるギリギリの速度で。
「おまえだろう?」
兄は言った。キータッチの音がぴたりと止まる。
「……ええ」
ルーザーはうなずいた。そうしてまた、タイピングを再開する。
彼は兄に対しては、嘘がつけなかった。
一時は平気だったのだが……ミツヤが居た頃だ。その後は無理だった。
それもまた、ある種のトラウマなのかもしれない。あの事件はルーザーなりに反省すべきところがあった。
たぶん、兄とは違う種類の。
「そうか」
深いため息。そうしてまた兄は傷ついていく。
けれども彼が生きていても、兄は傷つき続けただろう。どちらがマシだったのか。
ルーザーにはよく分からない。だが客観的に判断して、やはり彼は死ぬべきだと思った。
生き続けている限り、彼は兄を傷つけ続けるのだろうから。
いや……本当は分からないが。何が正しいのかなど。
しかし手を汚したのは自分だ。それが大切なことなのだった。
「すみません。兄さん」
ルーザーは謝る。
「いや……」
「僕が勝手にしたことです」
言いながらもプログラムを書き続ける。頭の中ではそれよりさらに膨大な計算が渦巻いている。
指先で紡がれていくことなど、ごく一部だ。
「ああ……」
傷ついたマジックのため息。重苦しさとは一歩手前の空気。それを二人は共有していた。
二人だけは共有していた。ルーザーはそのことが、満足だった。
――自分はだんだんミツヤに似てきたな。
そんなことを考える。彼もきっとこんな形で兄のことを愛して……最後には兄の手で殺された。
クスクスとルーザーは笑う。
「何がおかしい?」
兄は尋ねる。静かに。
「いえちょっと、ここのプログラムが面白い動作を示していて」
別にそれは嘘ではなかった。ある言語で書かれたプログラムが、別の言語で意味を持つことがある。
ただの偶然だが、何百行、何千行も書いていれば、そういうこともある。
彼――今回の敵、あの男――ミツヤ、そしてルーザー。どこか似ている。どこか同じ。でも別の存在。
兄に愛され、ゆえに兄を苦しめ、兄によって殺される。
「そうか……」
「ねえ、兄さん」
ルーザーは言う。甘えるように。
「なんだ?」
「……なんでもありません」
言おうと思ったことは二つあった。
――僕は兄さんのことが好きですよ。と、
――兄さんが悩む必要なんて、何もないんですよ。と。
でもどちらも、言葉にならなかった。ルーザーという人間には、珍しいことだが。
好きだと言ったら、兄はまた傷つくだろう。ゆえに殺させてしまったのだと、自分を責めるだろう。
だから悩む必要はないと言おうと思ったけれど、言ってもやっぱり兄は悩み続けるだろう。
兄は――マジックとは、そういう人だ。
でもルーザーはそんな兄のことが好きだった。悩み続ける人、苦悩し続ける人。優しい人。甘い人。
それゆえにきっと……残酷な人。彼はそっと微笑む、天使のように。
いつか自分もミツヤのように殺されるとしても、それでも好きだった。愛していた。
けれどそれは言葉にならない。……言葉には、しない。
ただこの空気を共有し続ける。重く苦悩し続ける兄の存在を、ルーザーも分かち合う。
それが彼の愛。
◆
だから後年、ジャンを殺したときもルーザーは迷わなかったし、
その結果として自分が死ぬことになった時も、一人で黙って死んでいった。
少し……兄の前で涙は流したけれども。
兄を恨む気持ちなど、髪の毛一筋も、血の一滴たりともなかった。
ルーザーは一人、孤独に闇の中に沈んでいった。マジックという光が作り出す、闇の中に。
それが、彼の愛。光に寄り添う闇の愛情、歴史の闇に沈んだルーザーという暗殺者の、愛だった。
2007.3.11
|