「よし、異常はない」
「……もう、起き上がっていいですか」
彼はけだるげにそう言った。
長い金の髪を垂らして、検査のための寝台を何か上等なベッドかのように扱って。
炎雷剛刃紅の衆の四男、貴士・雷。
「いいぞ」
マスターJは微笑む。柔らかな笑みを浮かべて、自分が生み出した子供を見守る。
「フウ」
雷はゆったりとした動作で身を起こし、いくつも体に差し込まれたケーブルを、一つ一つ抜いていく。
それは彼が丁寧だとか律儀だとかいうことではなく、
抜くという動作に何か楽しみを見いだしているからだ。
指先でゆっくりとつまみ上げて、自分の体からそっと引き抜く。そしてぽいと放り投げる。
引き抜く、投げる。引き抜く、投げる。一見無造作でありながら、繊細に。
指先にまで細心の注意を払って。
その仕草は、どこか猫にも似ている……、それが雷という人間だった。正確には、人間ではないが。
人造戦士。マスターJが造った。
「退屈です」
最後に髪をかき上げながら、頭に差し込まれたケーブルを抜き、雷は言った。
「マスターは検査することがお好きなんですね」
「好きだね」
主はニコヤカに微笑んだ。
「お前達に異常がないことを確認すると、俺は安心するんだ」
「何故ですか」
「何故って、そりゃ、人間はそういうものだからだよ」
「……ふうん」
まったく納得していない様子で、雷は視線をどこか遠くにやったまま、うなずく。
これでは一見、どちらが主なのか分からないだろう。
マスターJの外見は若く、まだ二十代の若者にしか見えないからだ。もちろん実際はそんな歳ではない。
彼はもう……気が遠くなるほどの年月を生き、そしてまだこれからも生きていかなくてはならない。
ただ、その行く道筋には雷もいる。他の4人の兄弟達も。彼らもまた、人ではないゆえに、永遠を生きる。
マスターJと共に。
「……」
最後の一つの端子を指先でくるくるまわしながら、雷はまた何か物思いに沈む。
彼の考えることはよく分からない――と、誰しもが言う。研究者たちも、兄弟達も。
そのように造られたからだ。人間精神の複雑さ、あるいは繊細さを再現して、雷はデザインされた。
他の兄弟達もそれぞれに、人間の性質を違う形で受け継いで、造られた。
マスターJによって。彼が知った人間達の美しさを、それぞれ再現しようとして――造られた。
すうと切れ長の目だけが動いて、マスターJの上に止まった。
「私も、炎さんが困り果て、刃さんが冷静で、紅さんが怒鳴り、剛くんが無邪気だと、安心します」
「うん、それは至っておまえらしいな、雷」
上機嫌にうなずいて、マスターJはコンソールを操作する。
いくつもの検査プログラムを、その検査結果をきちんと保存した上で終了させていく。
「そして貴方がそのように笑っていると、嬉しいです。マスター」
「……そうか」
指先がぴくりと制止した。
「雷」
「なんでしょう」
「もう一度言ってくれないか」
マスターJの顔から表情が消えた。
「貴方がそのように笑っていると、私は嬉しく思いますよ。マスターJ」
先ほどとほぼ同じ言葉でありながら、無造作な本音はどこにもなく、
今度は皮肉というエッセンスを効かせて再現する。それが雷という男だった。
けれどもそんな雷を、マスターJは指先一本を動かすことでこちらへと招く。
雷は腰掛けたままの寝台から、ゆらりと立ち上がって彼の元へと歩いていった。
「なんでしょうか」
座ったままの相手の上にかがみ込み、顔を20センチの近さにまで近づけて聞く。
「キスしてくれないか」
「はい」
眉先一つ動かさずに雷は言って、その唇をマスターJの上に重ねた。
「もう一度」
「はい」
今度はもう少し長く。
「満足されましたか、マスター」
雷は首をかしげて尋ねる。なぜマスターがそんなことを要求したのかは、大して疑問に思わない。
彼自身の性質がそうであるからでもあり、このようなことは実際に珍しくないからでもあった。
マスターJは雷を愛している。ただ、愛し方にはいろいろある。子は親を選べない。
親が愛情だと言って与えるものを、子は愛情だと思って受け入れる。
マスターJは創造者であり、親であり、雷は被創造者であり、子であった。
それでも愛は愛だ。
――愛されている。その実感以上に大切なものが、子供にとってこの世にあるだろうか。
そして――親を愛さない子供がいるだろうか。例え、それが、どんな親であっても。
◆
「雷」
マスターJは呟きながら、彼の金の髪を触る。
戦士の髪としては長すぎるほどの長さだが、それでもそれは美しい。
雷にとっても、その髪はとても大切なものだった。自分の美しさを彼はよく知っていたし、
それを誇りにも思っていた。戦士としての誇りや自分の強さに対する誇りと同じように、
ごく自然に彼は自分の美貌を誇っていた。それが先天的に与えられたプログラムであるのか、
それとも後天的に獲得された性質であるのかは、分からないが。
雷は気にしない。マスターJが愛してくれるから。
「おまえは本当に綺麗だな」
そう言ってくれるから。真面目な顔で。どこか悲しげに。遠い目をして。
「はい、そのように造られましたから」
自分の顔に伸ばされたマスターJの手に、優しく手を添える。
「マスターがそのように造ってくださいましたから」
顔が再び近づいていく。10センチの距離で。吐息が顔にかかるほどの距離で、彼はささやく。
「大好きです、マスター」
「ああ……」
マスターJはもう笑わない。けれども彼は、それ以上に真剣なまなざしで、雷の顔を見つめる。
まるでそこに何かを探そうとするかのように。すでに失われた何かの欠片を求めようとするかのように。
「他に何をお望みですか」
「そうだな……」
「抱きしめましょうか。愛をささやきましょうか。キスしましょうか。それとも……」
ふっとマスターJは笑った。
「大人をからかうものじゃない、雷」
そう言って人差し指で軽く雷の額をこづく。他の人間がしたら、多分、戦士の怒りをかっただろうが、
雷は黙って大げさにのけぞってみせただけだった。
「どうしてばれたのでしょうか」
大真面目な顔で彼は言う。
「本気じゃないからさ」
マスターJは言う。笑いながら。
「おまえは俺を愛してはいない」
「そんなことは、ありませんが」
首をすくめてみせる。わざと嘘っぽい仕草で。……全く彼は、人間以上に人間らしい、戦士だった。
それをいうなら、他の兄弟たちもそうだが。人間以上に人間らしい。
……なぜなら、人間を目指して造られたから。そもそも人間ではないモノが、人間に憧れて造ったのが、
彼らだから。人間ではないモノ――マスターJ。今ではそれを知るものは、ほんのわずかだが。
雷ももちろん知らない。知らないが彼は、それよりもっと重大なことを知っていた。
「私はマスターJに奉仕するものです」
「……誰がそんなことを言っていた?」
恭しく身をかがめてみせた雷に対して、マスターJの瞳が光る。
「ドクターTです」
「またあいつか」
嘆息。Dr.高松――マスターJがそもそも人間ではなかったという事実を知る、たぶん今では唯一の男。
そして彼は何かというと、このように余計なことをする。
まるで物事にわざと不確定要素を持ち込むことが、真理に到達する近道とでも信じているかのように。
「あんなヤツの言うことなんて、真に受けるな、雷」
「ええ。でも面白いと思いましたよ」
「何が?」
「私は、コピーだと」
「!!」
ガッと雷の肩を掴んで、マスターJは立ち上がる。
瞳は血走り、こめかみには筋が浮く。
「コピー?」
「オリジナルは、なんなのでしょうね」
雷は平然と、なぞめいた微笑でそう問い返した。
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