光の子 前編


深夜、ガンマ団付属の病院の一室に入ってきた白衣の男は、
闇に沈んだ部屋の中を手探りで進み、カチッとデスクスタンドのスイッチを入れた。
蛍光灯の白い光に、デスクのすぐ脇に置かれたベッドの上に横たわる
まだ二歳前後の幼児の姿が浮かび上がる。
ふわふわの金の髪と、マシュマロのような白い肌、そしてピンクの頬。
だがその身体からはいくつものコードが伸び、
ベッドの周囲は24時間止まることのないモニターに囲まれている。

この子の名前はグンマ。父は彼が生まれた直後に戦死した、総帥の弟ルーザー。
すでに母もなく、頼るべき両親を持たない彼は、生来病弱であり
未だ病院の外の世界を知らない。
同時期に生まれ、総帥の愛情を一身に集める一族の嫡男シンタローの影に隠れるようにして、
この子供は病院の奥底でひっそりと生きていた。
生前のルーザーに取り立てられていた新進気鋭の若き医師、ドクター高松だけが
頻繁にこの薄幸の幼児のもとを訪れて、
細心の注意を払いながら各種メディカルケアを施している。

だが、今夜の彼は周りのモニターにも一瞬視線を走らせただけで、
デスクにそなえつけの椅子に腰を下ろし、カルテを取り出すこともなく、
肘掛けに乗せた腕にかたむけた頭を乗せ、ただじっとこの天使のような幼児の姿を眺めていた。
第三者がこの光景を見ることがあれば、彼の黒い瞳の底に宿る闇におののいたことだろう。
高松は元来陽性な人間だとは見られていない。
それにしても今の彼の目つきは、敬愛していた先達の忘れ形見である
この無力な幼児に向けるべきものとは思えなかった。

ほとんどが暗闇におおわれた部屋で、唯一蛍光灯の白い光の下で、
医師であり科学者であり、一人の人間でもある彼は考える。
この子はルーザー様の息子ではない。目の前に居るのはあのマジックの息子だ。
私が取り替えた。私達が取り替えた。マジック達に対する、ルーザー様の復讐のために。

憎い。憎いけれど、魅力的でもある。
あの両目とも秘石眼で生まれた一族史上最強の男の、息子。
どんな潜在能力をこの身に秘めているのだろう。
高松は今こうしてグンマが病弱なのは、
むしろその内なる力の強大さがもたらす副作用だと見抜いていた。
もう少し肉体が成長すれば、自然と解決する問題だろう。現在でも生命の危機は大してない。
その身に秘めた強大な力は、この子を苦しめることはあっても、決して死ぬことは許さないのだ。

さて、その後はどうしてやろうか。色んな事が出来る。
秘石眼の力を解明するモルモットとして、これ以上の存在はない。
素晴らしい素材が、今、高松の目の前に無防備に、柔らかな布にくるまれて置かれている。
まぶたの裏に隠されたその瞳は青く――秘石眼であることは間違いない、
でもその視線が高松に向く時、そこにあるのは無垢な信頼。こちらを一切疑ってはいない。
成長していく過程において、徐々にマジックへの復讐を吹き込むことだって簡単だろう。
そんな泥臭い方法は、本来彼の流儀として好きではないのだが。
もっともそんなことを言い始めれば、
そもそもこのドクター高松がこんな狂気に突き動かされていることだって異常なのだ。

そう、狂気。高松は今まで自分のことを狂気とは無縁の存在だと思っていた。
どんなに研究に熱中していても、学会で認められるために身命を削って競い合っていても、
彼の中には常に自分をどこか一歩引いてみているような視点があった。
それはきっと彼自身を保護するバリアであり、負ける事への恐れからくる逃げでもあったのだろう。

だからこそ高松は、自分はルーザー様のような天才にはなれないのだとも知っていた。
あの方は自分が負けるなど、失敗するなど考えたこともなかった。
自分の能力に対する絶対の自負。
ただ興味のおもむくままに、やりたいことだけをまっすぐに追求していく……。
その姿は高松にとって、まぶしかった。あの方は、光だった。

だがそのルーザーを失って、高松はたしかに狂気という言葉の意味を知った。
この闇に包まれた部屋で、罪無き幼子を相手に
暗い情念を燃やしている自分が狂気以外の何だというのか。
闇の中で思考は果てしなく拡散していく。
いつもならば煙草を手放さない高松も、さすがに病弱な幼児の前で吸うことはひかえていた。
だかこの場合はむしろヤニ切れの苛立ちが、かえって彼の思考を研ぎ澄ませる。

悲しみ、憎しみ、怒りは確かに心の中にある。
だか共犯者たるサービスとは違い、
高松はそういった、ただ無秩序に発散されていく感情に身を委ねることはできない。
何をするか、どうやってその感情を形にしてみせるか。自動的に考えてしまう。
やはり自分は純粋ではないと感じた。
サービスのあり方のほうが、むしろルーザー様には近いのかも知れない。
それはそうだろう。
彼らは血を分けた兄弟であり、サービスは幼い頃から特にルーザー様に可愛がられていた。

……やはり、どうしても嫉妬というものから、自分は無縁でいられないなと思う。
嫉妬を感じるのはつまり、自分が劣っていると自覚している部分があるからだ。

――ルーザー様。私は決してあなたには成れなかった。
高松は額に手を当てて、目を閉じる。
しばらくそうしていた。胸にあるのは、悔恨だった。

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