……どれだけの時間が経ったのだろうか。
「兄さん。帰りましょう」
マジックを我に返らせたのは、その言葉だった。
いつものように、ただ静かで落ち着いた弟、ルーザーの声。
この場には――瓦礫と死体の山が積み重なるこの場には、あまりにもふさわしくない静けさ。
「帰りましょう、兄さん。僕たちの家に」
だからこそ、その声には逆らえない何かがあった。
マジックはあまりに疲れていて……溜めもなく全力で秘石眼の力を使ったこともそうだし、
なによりも初めての親友を自らの手で殺したという事実が、そして弟のことも、ガンマ団員たちのことも、
あまりにも現実は重くて……その声には逆らえなかった。
「ああ……」
よろよろと立ち上がる。
その前をルーザーはすたすたと歩いていった。
その後ろ姿はとても静かで迷いがなく見え、まるで何事もなかったかのようで、
彼の――ミツヤの言葉がよみがえる。――殺人兵器。
何を言えばいいのだろう。弟に対して。
何か言うべきであるはずなのに、それを言葉にすることが出来ない。
マジックは無力感に打ちのめされながら、ただ弟の後を歩いていった。
演習場のふもとには車が止まっている。
ルーザーはためらうことなく、その後部座席のドアを開け、自らは運転席に乗り込んだ。
それはいつも――総帥になってからいつも、繰り返してきたことと同じで、だからマジックは
ふらりと自動的にその後部座席に乗り込んで、ドアを閉めて、
ぼんやりと、運転席に座ってキーを回しエンジンをかける弟の姿を見ていた。
――ああ、そうだろうな。
心にはまた無力感が忍び寄る。
――人を殺す訓練をしていたのなら、車を運転することくらい、訳ないだろうな。
自分が知らない間に。
両手で頭を抱え込む。車はなめらかに発進し、エンジン音を響かせながら走り出す。
遠ざかっていく、あの現場から。彼――ミツヤを殺したあの場所から。
……マジックはまだ、顔をあげられないでいた。そうして彼は、後部座席でうずくまっていた。
◆
しばらく走った頃、声がした。
「兄さんが気にすることはありませんよ」
その言葉に対してマジックは顔をあげる。そして前の運転席に座った弟を見る。
一瞬、ルーザーは笑っているのかと思った。あの団員達を殺したときのように。朗らかに。
しかしバックミラー越しに目があった弟は、笑ってはいなかった。
かといって悲しんでいた訳でも、神妙な顔をしていたわけでもない。
ただ彼は無表情という名の表情を顔に張り付かせて、兄の方を見つめていただけだ。
「兄さんが、あんなヤツのことを、気にすることはありませんよ」
前方に視線を戻しながら、ルーザーは再度言った。口調にも影はなく、ただひたすらに淡々と。
「……」
マジックは顔をおおう。涙はもう流れないが、瞳はまだ乾いてはいなかった。
何よりも鼻の奥が熱く、そして頭が鉛のように重かった。
なんと言えばいいのだろう、何を言えばいいのだろう、この弟に対して。
分からない、分からなくて、悲しかった。そんな自分が情けなかった。
父から受け継いだもの、長兄としての誇り、義務、そんなものがガラガラと音を立てて崩れていくようで。
それでも自分は総帥なのだと、背負っていくものが、背負うべきものがあるのだと、
言い聞かせなければ、もうこの場で消え去ってしまいそうで。
――善悪の区別がつかない。その無垢さゆえに。力を暴走させる……。
――ルーザー。
弟は、穏やかな人間だと思っていた。
実際のところ人見知りで、潔癖性で、サービスの面倒は見ても、ハーレムの面倒は嫌がる、
そんな我が儘な弟でも、彼はなぜか……ひどく綺麗な人間だと、ずっと思っていたのだ。
両眼に秘石眼を与えられた自分とは違い、片眼でも、それを気に病むこともなく、
その代わりに優れた頭脳を持ち、自分の部屋でずっと本を読んでいるような。
一歳違いの長兄であるマジックを当たり前に立て、その言うことには従い、
ただ自分の空間を守っていられれば、それで幸せだというような。
その手で人を殺すだなんて。手に犬猫の匂いが付くことすら嫌がったくせに。
マジックのためにずっと訓練をしていただなんて。休みの日には外出することすら煩わしい人間が。
自分が弟の中に見ていた穏やかさや綺麗さ、それは――ただの無垢だったのだろうか。
人の命を奪うことに抵抗がない、それをなんとも思わない、大量殺戮をしてニッコリ微笑むような、
そんな――善悪の区別が付かないだけの人間だったのだろうか。
微笑みながら、人を殺す――ミツヤも、ルーザーも……。
「ルーザー」
絞り出すように声を出した。何を言えばいいのか分からないままに。
「なんですか、兄さん」
弟はいつものように答える。ただ、静かに。
「すまない。僕は……」
「なにも謝ることなんかありませんよ」
ルーザーは兄の言葉をさえぎった。今まではそんなこと、決してしなかったのに。
「兄さんが謝る必要なんて、どこにもありません」
きっぱりと、そして淡々と。まるで数学の正解を答えるような口調で。
弟はただ前を向いて、的確なハンドルさばきで、いかにも慣れた手つきで車を運転しながら、そう答えた。
マジックは……もう、何も言えなかった。
◆
車は自宅の車止めにすべりこむ。
なめらかに停止した車のドアを開けて、ルーザーは外に出た。
後部座席のドアが開かれる。……ルーザーが開けてくれたのだ。
「さあ、兄さん」
うながす声。マジックはよろよろと車から降りた。
ルーザーが手をさしのべてくる。それに対しては黙って首を振った。
まだ自分はちゃんと自分の足で歩ける。それくらいのことは、証明したかった。
弟は分かったかのようにうなずいて、一歩後ろを付いてくる。……いつものように。
父が存命であった頃は、いつもそうして歩いていたように。
それはルーザーが兄を立てる仕草であると同時に、
この人見知りで世間に対してまるで免疫のない弟が、兄に頼る姿でもあった。
……子供の頃から。まだ双子が生まれる前から、二人はこの距離で歩いてきたのだ。
そうして玄関へと続く階段を上る。無意識のうちに、今まで何度も上ってきた階段を。
そしてドアをノックする。すぐに扉は開かれ、玄関をくぐると中から双子が走り出してきた。
「あ、お帰り、兄貴ぃ!」
「お帰りなさい、兄さん」
満面の笑みを浮かべた、ハーレムとサービス。
また、まぶたの裏が熱くなる。マジックはその場に膝を付いて、二人を抱き留めた。
昔から、何度もこうしてきたように。父の代わりに、留守中に不安がる弟たちを抱きしめてきたように。
そう、昔といっても、今からたかだか数年前の話だ……。
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