――彼はもう一人の僕だ。
ルーザーが感じたことはそれだった。
あつかましい笑顔で屋敷に入り込んできた遠い親戚。
それも自分も兄もいない間に、ハーレムとサービスのところに。
不愉快だった、叩きだそうかと思った、……殺してやろうかと思った。
それをしなかったのは、「僕はマジックくんの補佐官に就任した者なんだ」という自己紹介と、
「彼の信頼を得るために、ささやかながらパーティを企画したいと思ってね」と笑ったためだった。
そして、結局はマジックがそれを許したことだった。
兄さんのために役に立つなら……、当時のルーザーはそう考えた。
彼は士官学校に入ったばかりで忙しく、父がいなくなった屋敷は誰かが管理せねばならず、
重責とあまりに膨大な負担を背負わされた兄を助ける人間は、たしかに必要だった。
必要性と効率、この二つの概念にルーザーは弱い。わずらわしいことが大嫌いだからだろう。
ただし、これだけは言った。
「僕のためにもう一度パーティをする必要はない」
すると彼――ミツヤはあっさりと微笑んでそれを受け容れたのだった。
つまり彼にとってルーザーはどうでもいい存在なのだと、それで分かった。
……そのことはむしろ、心地よかった。ルーザーは何せ人間が嫌いだ。
自分のために何かしてやろうとする人間は、特に嫌いだった。
無能なくせに、愚かなくせに、何も分かってはいないくせに。そう苛立ちをかき立てられる。
そのルーザーの判断基準でいくと、ミツヤはとても「人間らしくない」人間だった。
そのことは、好ましかった。
しかしミツヤはその後、何かとルーザーを誘う仕草を見せた。
「一緒にお茶を飲まないかい?」「ドライブなんて、どうかな?」 そして――「チェスをしようか?」
最後のものを受け容れたのは、
チェスこそ相手の気持ちを読み取るのに最適であると、ルーザーは判断したからだった。
どんな駒を好むか、どんな戦略を好むか、勝ち負けに対してどのような態度を示すか。
彼はまだ、厚かましく屋敷に入り込んできたこの侵入者に対して、警戒を解いてはいなかった。
……今にして思えば、それはむしろ、興味の一つのあり方だったのかもしれない。
ルーザーという人間にとっては。
◆
そうして対峙してみると、ミツヤの手は単純だった。意外なほどに、彼はチェスが下手だった。
思っていた以上に頭は悪いらしい、とルーザーは判断した。
ただ、王(キング)と騎士(ナイト)の駒に執着するところは興味深かった。
彼は自分の王を危険に晒すことを極端に嫌う。それは弱さの現れだ。
そのくせ相手の王を取ることには執着を見せる。それは単純さの現われだ。
チェスの中で最もトリッキーな動きをする、ナイトの駒を使うことにもこだわった。
むしろそれは初心者がよく陥る失敗だった。
まったくもって退屈なチェスで、嫌になりかけたころに、ふと彼は――ミツヤは言ったのだった。
「君は賢いね」
……殺してやろうかと思った。何を当たり前のことを言っているのかと。
それを見て、ミツヤは笑ったのだった。
「あ、今、君は僕を殺そうと思っただろう?」
ルーザーはそこで初めて、彼に対して明確な興味を持った。
「秘石眼が光ったからさ。分かるんだよ。僕には」
……相変わらず、頭は悪いなとは思ったけれども。
「では殺されないために、何か言ってみてくれ」
ルーザーはチェスの駒を動かしながら、そう問いかけた。
ちなみにあと二十八手でチェックメイト。ルーザーの勝ちであることはもう確定していた。
「そうだなあ……。でもルーザーくんはまだ実際に人を殺したことはないだろうね」
「ないね。残念ながら」
確かに一度この手で人を殺してみたいという興味を抱いたことはある。
ルーザーには命の重さというものが、どうしてもよく分からなかったので。
自分で人を殺したら、それが分かるのかもしれないと思った……ことはあった。
実際にそれをしたら、兄さんに怒られるだろうなと思うくらいの理性はあったが。
「そこでどうだろう。僕と一緒に、人殺しをしてみないかい?」
ミツヤはナイトの駒を動かしながら、そう言った。
「ふうん」
ルーザーはそのナイトを取る。
予定にない行動だったが、ここは先手を打っておくべきであるように感じていた。
それもまた、ルーザーという人間には珍しいことだった。
……つまり彼は心を動かされたのだった。ミツヤの言葉に。
ミツヤは自分の騎士があっさり取られてしまったことに苦笑いしながら、先を続けた。
「今、マジックくんのまわりは敵だらけさ。特に叔父のラッコンがひどい。
これからいくらでも、君の兄さんを暗殺するために人が送り込まれてくるだろうね」
「……そう」
ミツヤは自分のキングをなでる。そういうことかとルーザーは理解した。
自分が動揺している理由も、ミツヤがルーザーに求めていることも。
兄マジックの命が危険に晒されている。現状を考えれば当然ではあるのだが、
それはルーザーをして動揺させるに十分な事実だった。
つまり数少ないルーザーの弱みをミツヤは的確に、ピンポイントで貫いた。そのことは評価に値した。
さらには自分が人を殺したいという欲求を持っていることも、ミツヤは見抜いていた。
それは最も評価すべきことだった。……どうして分かったのだろうかと、興味をかき立てられもしたが。
「それは困る。僕はマジックくんを、覇王にしたいんだよ」
ミツヤはキングを取り上げて、愛おしそうにそれを撫でながら笑った。
それはあまり……普通の人間がしない笑みの形だった。
ルーザーはしばしそれを眺めた。興味深く、観察した。
――狂っている。
端的に評するならばそれだろう。それが普通の人間が下す判断だ。
――愛している。
だが、それも分かってしまった。
――でも彼が一番愛しているのは、兄ではなく自分自身だ。
そうルーザーは見抜いた。ミツヤという人間の本質を。
なぜそれが分かったかというと、つまり。
――彼はもう一人の僕だ。
ということが、分かってしまったからだった。
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