白い手の庭 前編


ルーザーは昔から気まぐれな弟だった。
ある時ふとしたきっかけで何か一つのことに興味を持つと、
恐ろしい程の貪欲さで知識を吸収する。ありとあらゆる情報を集め、本を読み、実験を重ねて
何十年もその研究を続けてきた大人達にあっという間に並んでしまう。

そして、ふっと飽きてしまうのだ。
ある日を境に集めた本も論文もデータも何もかも全部捨てて、放り出してしまう。
「もう頭には入りましたから」
それだけを言って。

……天才、なのだろう。
それ以外に彼を形容する言葉を知らない。
マジックも昔から何をやっても同世代の人間に負けたことはなく、
挫折というものは一切知ることがなかったが、ルーザーにだけはある面において負けていると
認めざるを得なかった。

この事実は彼の心に小さなしこりを残した。
幼い時から。物心ついた時から。決して消えない小さなしこり。

だけど、それでもマジックはルーザーの兄だった。
いつだって、ずっと。

ハーレムとサービスがようやく寝てくれた。
マジックはほっとすると同時に、大きく伸びをした。

これはまだ父が存命だった頃。四兄弟は同じ屋敷で暮らし、毎日一緒だった。
下の二人は幼児で片時も目が離せず、昨夜も久しぶりに帰ってきた父の前で大騒ぎをした。
そうして父を見送った今日も朝早くから見送りに行くといってはぐずり、
別れに際しては泣きわめき、屋敷に帰ってきたらコロッと何もかも忘れたかのように遊び回って、
ようやく先ほど疲れて寝てくれた。

まったく毎日が戦争のようで、マジックは気の休まる暇がない。
けれどそうして幼児たち相手に大騒ぎしている時は、どこかで安心することも確かなのだった。

彼の気がかりはもう一つある。すぐ下の弟、わずか1歳違いのルーザーのことだ。
どうも最近、マジックとルーザーは上手くいっていない。
どこがどうとは上手く言えないのだが、近頃二人の関係は少しずつおかしくなり始めていた。
言葉が通じない、何かがすれ違ってしまう。
ほんのちょっとしたやり取りが、後になって物凄く引っ掛かる。イライラしてしまう。
それを修復しようとして話しかけては余計に傷口を広げる。最近はそんなことの繰り返しだった。

例えばルーザーがハーレムの面倒をまったく見ようとせず、サービスにばかりべったりなのも
マジックは気に掛かっていたが、なんとかしようとすればするほど、事態はもつれてしまう。
ちょっとしたきっかけにルーザーにハーレムの相手をさせようとしては、
すげなく、あるいは非常に強く拒絶されて、マジックもその場では笑って受け流すのだが
後で思い出しては凄く腹が立つ、そんなことばかり繰り返していた。

マジックは時間の許す限り家族の絆を深めようと頑張っていたが、
ルーザーは時間が取れる限り自分一人になりたがった。
マジックは人とスキンシップを取ることが大好きで、弟達と触れ合っていると安心するのだが、
ルーザーは成長するごとにどんどんそういったことが煩わしくなっていくようだった。
少し病的なまでに、彼は人とのふれ合いを嫌がった。
兄としては気になるのだが、かといってなんとかしようと近づくと
ますますルーザーには嫌な顔をされる。

幼い双子の弟たちにかまけすぎているのかもしれないし、
上の二人ともそろそろそういう年頃――つまり、家族べったりではなく
自分のプライベートを持つようになる年頃であるからかもしれなかった。
理屈では分かるし、現実問題として特段何かがあるわけでもない。
けれどどうしても気になっていた。それはマジックが兄だからだ。
この兄弟達を守り導くべき一番上の兄だからだ。――彼はそう考えていた。

父親に相談するという選択肢は、欠片も頭に浮かばなかった。
戦地から子供たちの笑顔だけを楽しみに帰ってくる父に、こんなちっぽけな悩み事など
相談できるはずがない。――子供はいつだって、一番的確な選択肢は選べない。

ともあれ、マジックは悩んでいた。

先ほども、久しぶりに双子から解放されたのをいいことに、
「一緒にお茶でも飲まないか?」と誘ってみたのだが、「僕は一人でやりたいことがあるので」と
きっぱり断られたばかりだった。
「一人で」などとわざわざ付けるところが気に障る。考えすぎだと分かっていても腹が立つ。

マジックは弟が気になるから一緒にいようと誘う。
ルーザーはそんな兄のおせっかいを分かっているから、先手を打つ。
絡まった糸はほどこうとすればするほどもつれていく。
まったく、腹が立つ。

「くそっ」
マジックは弟達の前では決してつかない悪態をついて、床を蹴り上げた。
しかしリビングに引き詰められた毛足の長い絨毯は、やすやすとその衝撃を吸収する。
上手くいかない時は、何をやっても上手くいかない。

ふと窓の方に引き寄せられたのは、解放を求めていたからだろうか。
――何からの? ――屋敷からの?
幼い彼の肩に背負わされたものはあまりに多く、いかにマジックが生まれながらの王であっても
時々は……疲れる。
そんな時、彼は窓の外を、そこに広がる緑と青い空を見ることを習慣にしていた。
自分が守るべきものと、自分にも手が届かないもの。つまりは、世界のかたち。

「ん?」
見慣れた緑の庭を白い影が横切る。――ルーザーだ。
とっさにそう思った。思わず窓枠をつかむ。
あいつがなんで?とも思った。一人になるというから、てっきり自室で
また最近興味を持ちだした気まぐれな趣味の勉強でもしているのかと、考えていたのだが。
「あいつ、どこに行くんだ?」
手に何か持っていたような気がする。まさかピクニック用のバスケットでもないだろう。
かといって本というわけではなかった気がする。
そもそも潔癖性のルーザーは、わざわざ庭で本を読むような男じゃない。
……じゃあ、何だ?

気になった。純粋に気になった。
心配したのとは違う。違う気がする。
「一人で」という言葉が先ほどまでとは違う意味を持って、マジックの心に迫ってきた。
自分を拒絶する言葉だと思って苛立っていたのだけど、
もしかしてあれは違う言葉だったのだろうか。
一人でルーザーは何をしたいのだろう。屋敷の庭の片隅で。

追いかけようか?、後を付けてみようか?、そんな魔が差した。
でも見つかったらきっとあいつは嫌がるだろうと、マジックは顔をしかめた。
「なにしにきたんです、兄さん」と物凄く不快そうな顔で、本人に自覚があるのかは知らないが、
すごく相手を見下した嫌な顔で、そう言われるかもしれない。
……ますます、嫌われてしまうかもしれない。

でも一方で、兄として気にかかる。別に何か悪いことはしていないのだろうけれど、
この屋敷の庭で、マジックや双子達も遊ぶ庭で、何をしているのか。
知っておくのは兄の義務ってものだろう。……という気もする。
そもそも自室なら立ち入るのは悪いが、庭ならルーザーだけの空間ってわけではないのだから。
ぐるぐると色々な考えが頭の中を回る。
天使と悪魔がささやくとはこういう状況を言うのだろう。

「うー」
マジック少年は、弟達には決して見せない年相応の子供の顔で、頭を抱えてしばし悩み、
そして彼らしい決断力できっぱりと決めた。
「行こう」
――あいつが「一人で」何をしているのか、暴いてやる。

それは責任感や義務感などというものではなく、
ルーザーに対するいじわるなどでもなく、
弟に対するおせっかいなどでもなく。
ただ純粋に……実は好奇心に負けた。

ルーザーが庭の片隅で一人で何かをやっている。
……何をやっているのか、すごく気になった。

それだけだった。

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