それだけが真実 前編


「タバコはやめろ」
ルーザーは視線に不機嫌さをにじませて、そう言った。
不機嫌は視線だけに限らない。寄せられた眉も、カッと砂利を蹴った足も、
忌々しげに引き上げられた唇の端も。
「あン?」
相対する相手は、何も気にしていない表情でタバコをくわえたまま、煙を吐き出す。
ルーザー相手にそんなことをする人間は、――よく知らないならともかく――彼以外にいなかった。
すぐ下の弟、ハーレム。すぐ下といっても5歳離れているし、彼らは双子なので末弟も同年齢だ。
それでもこの二人が四人兄弟の真ん中で、隣り合った兄弟であるという事実は――皮肉だった。

ルーザーとハーレム。これほど相性の悪い組み合わせもなければ、仲の悪い兄弟も珍しい。
別に仲の悪い兄弟は珍しくないだろうが、それでも彼らの関係は、独特だった。
「別にいいだろ」
「おまえはまだ16歳だ」
「だから何なんだよ?」
――俺はもう大人だぜ。
視線がそう言っている。まったくもって愚かだった。
16歳は大人とは認められない。それは肉体的にも社会的にも理由がある。
そして仮にハーレムが成年していたとしても、タバコを吸うことはやはりただの害でしかない。
その上に……。
「……」
ルーザーは不機嫌に息を吐いた。ため息というには、もう少し強い吐息で。

「ここをどこだと思っている」
「屋外」
また紫煙を吐き出す。
ハーレムが腰掛けているのは、噴水の縁。
直径4メートルはある真円のそれは、中央に水を噴き上げる彫像を持つ。
「ここは僕たちの屋敷の庭だ」
自明の理。なぜそれを説明しなければならないのか。
「だから問題ないだろ」
「だから問題がある」
「何が?」
「……」
面倒だった。説明しなければ分からないのかと思う。ハーレムは決して馬鹿ではないのに。
分かってやっている馬鹿な行為、それが一番タチが悪い。というよりもむしろ――醜悪だ。
不機嫌さはとどまるところを知らなかった。

ルーザーはポケットからハンカチを取り出す。綺麗にアイロンがあてられた、純白の布。
「なんだよ、これ?」
ハーレムはぽかんとした顔をする。そういう時は、年相応の幼さが顔を見せる。
……つまり、まだまだ子供ということだ。
「吸い殻はこれに包め」
「はあ?」
――アンタ、相変わらず意味不明だな。
顔が雄弁にそれを物語っている。ルーザーは自分の顔をしかめた。まったくもって、やりきれない。
「別におまえが自らの体を汚そうが、その髪や衣服に醜悪な臭いを付けて屋敷に持ち込もうが、
 僕には止められない。しかし、せめて庭園に吸い殻が捨てられることは阻止したい」
でないと、吸い殻ごと跡形もなく、この噴水を吹き飛ばしてしまいそうだった。秘石眼の力で。
というよりもむしろ、ハーレム自身を吹き飛ばすべきかもしれない。……それは魅力的な誘惑だった。
――このハンカチを受け取らなかったら、そうしよう。と、ルーザーは決めた。

「受け取れ」
「……ありがとよ」
ハンカチを受け取る。崩壊は未然に阻止された。喜ぶべきか、悲しむべきか。
それにしても、やはりこの男は――つまりハーレムだが、頭がいい。そうルーザーは評価した。
意識してのことかは分からないが、いつもこうやってギリギリの線を読む。
それははるか遠い昔、ルーザーが小鳥を握りつぶして以来のことだった。
彼はちゃんと学習している。しかし何か――、根本的なことは分かっていない。
ルーザーが分かっていないのか、ハーレムが分からないのか。
「……」
顎に手を充て、しばし考えてから――といっても一呼吸の間だが、彼にとっては充分長い――、
ルーザーはきびすを返し、噴水の縁に沿ってぴったり5歩歩き、そこに腰掛けた。
ハーレムが座っているところからは、ちょうど90度離れた角度だ。
つまり彼らは直角に背を向けて相対する。

「何してんだ、アンタ?」
「僕が自分の屋敷の庭にいて、なにか不都合があるのか?」
「うっせーんだよ」
――その存在が。
言いたいことはよく分かる。なにせルーザーも同感だ。
せっかく久しぶりに屋敷に帰ってきて、春の日差しの中、庭を散歩しようと思ったら、
どうしてこの相手に出会わなければならないのか。それとも散歩などという無駄をしようと思ったことが、
間違いだったのだろうか。しかしルーザーは植物が好きだ。あまり、人には認められていないが。
温室の花や無菌室の中で育てた実験植物だけではなく、こうして自然に植わっている草木も好きだった。
思考はとどまるところを知らない。それは、ハーレムという媒介があるからだ。
「……」
それは有益なことなのか、無益なことなのか、ルーザーはしばし考え込んだ。

「なあ、兄貴」
「なに?」
「消えてくんない?」
「おまえが消えろ」
――やっぱり無益だな。ルーザーはそう決断した。コイツに有益さを認めようとした、僕が愚かだった。
しかしまあ、このルーザーに自分の愚かさを認めさせる存在というものは――珍しい。
「珍奇な動物だ」
思考を言葉にした。
「なに、それ?」
「おまえだよ」
ニッコリと笑う。角度的に見えてはいないだろうが。
「ああ、俺はルーザー兄貴のことかと思ったぜ」
「そう」
別に珍しい話ではない。ルーザーのことをそう見る人間は大勢いる。世の中は馬鹿ばかりだ。
しかしそれが自分の弟となると、話は別だ。

「戦場はどうだい」
尋ねてみた。彼はようやく実戦の場に出してもらえたらしいので。
そのために、兄であるマジックがどれだけ裏で骨を折ったのか、聞かせてやりたいほどだった。
もちろん、実戦の場に出すためではなく、出さないために。せめて16歳になるまでは、と。
――さっさと戦死させたほうが、あいつのためですよ。と兄に言ったら、
――笑えない冗談だなあ、ルーザー。と、笑われた。……本気だったのだが。

「つまんねえよ」
またタバコを吹かしているんだろうなという音がした。
噴水の水に紛れる吐息の音まで、ルーザーの耳は聞き分ける。
普通の人間はあまり……そうではないのかも、しれないが。
「人は殺してみたかい?」
「……殺した」
「どんな気持ちがした?」
「それを聞いてどうすんだよ」
「知りたいんだ」

普通の人間は、人を殺すということに対して、タブーを感じるものらしいので。
そのことによって精神に傷を負うものも多い。
特に若くして戦場を経験するということは、後々まで傷を残す。
内戦が終わっても、平和な日常に適応できない少年兵の問題など……ハーレムには関係ないだろうが。
しかし、少なくとも、彼は人を殺すということが平気な人間ではないだろう。――ルーザーとは違って。
違うからこそ、知りたかった。そして、弟だからこそ。
「嫌だね」
あっさり言われる。たぶん、嫌であることに理由はない。ルーザーが嫌いだという理由はあるだろうが、
別に話したって構わないとも思っているはずだ。
「……」
どう話させたものかと、考えた。知りたい――自分のその欲求に対して、ルーザーは逆らえない。
ハーレムを蹴飛ばし頭の数センチ横に眼魔砲を撃ち込んででも、知りたかった。
しかしまあ、そういうことをすると、余計言わないのだろうが。……その程度のことは分かる。

「ハンカチの分だ」
考えた挙げ句、それを口にした。
考えなければならなかったのは、彼は普段、そんな低俗な取引はしないからだった。
このルーザーが。……やっぱり、これで話さなかったら、眼魔砲だと考えた。
「なあ、兄貴?」
「なんだい?」
「殺気飛ばすの、やめてくんない?」
「勘が鋭くなったね、ハーレム」
笑う。楽しかったから。そう言いながら、思わず左手に眼魔砲の溜めを作りかけたことは事実だが。
「戦場のおかげかな?」
「……多分な」
その口調が暗かったので、やめておいた。
どうやら、話す気になったらしい。

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