ルーザーはガンマ団本部の屋上に立っていた。手には一箱のタバコ。
――分からない。
空を見上げる。
――彼はなぜ死んだのだろうか。
彼というのは、ミツヤのことだ。
彼はルーザーの兄によって殺された。眼魔砲の巨大な力で、跡形もなく吹き飛ばされた。
――なぜ死んだのだろう。
分からない。
――どうして兄さんはミツヤを殺したのだろう。
ルーザーにはそれが理解できない。
――僕が殺したのならともかく。
ルーザーにはミツヤを殺す理由があった。嫌いだったし、邪魔だと思っていた。危険だとも。
またその最後の瞬間、ミツヤはルーザーを「いらないね」と始末しようとしていた。
ルーザーには充分、彼を殺すだけの理由があった。
でも――それは兄さんには関係のないことだ。
兄さん――マジックは、ミツヤのことが好きだった。彼を必要としていたし、彼に助けられてもいた。
実際のところ、ルーザーがミツヤを殺さなかったのは、マジックのためだったと言ってもいい。
それなのになぜ――彼は死んだのだろうか。
――分からない。
◆
それは暑い夏の日。彼らは屋上に居た。ガンマ団本部ではなく、別のビルの。
ルーザーは床に遮熱シートを敷いてその上に寝そべり、ライフルスコープを覗いていた。
ミツヤはその横にしゃがみこんで、双眼鏡を覗いていた。
彼らが共に見ていたもの。それはあるホテルの一室。その中に閉じこもっていた標的――殺す相手。
同じ青の一族。でも、そいつは邪魔だった。マジックにとって邪魔で危険な存在だった。
新しい体制に異論を唱え、あまつさえそれが聞き入れられないとなると、マジックを殺そうとした。
彼には充分殺されるだけの理由があった。だからルーザーとミツヤは彼を殺そうとしていた。
それにしても――。
「臆病者だね」
そう声に出したのはミツヤだった。
「……」
ルーザーは無言でスコープを覗き続ける。胸に不快感をにじませながらも。
「もう一週間か」
ミツヤは胸のポケットからタバコの箱を取り出す。ルーザーは横目でそれを見ていた。
「ラッコン閣下といい、うちの一族はホテルに籠城するのが好きなのかな」
「それが合理的だからだろう」
「まあ、確かにね」
ホテルという場所は暗殺には不向きだ。なにせ人の目という壁がある。
あそこで目撃者を出さずに殺す――それが暗殺というものだ――のは、かなり厄介なことだった。
よって彼――標的は、自分の命が危険にさらされていると感じるやいなや、
大勢の用心棒を連れてホテルに閉じこもった。
そのおかげでミツヤとルーザーは、この狙撃ポイントを探さなくてはならなかった。
従業員として潜入することや、正面から突破すること、様々な可能性も検討したが、
目撃者を出さないという点が難しかった。全部殺せばいいだけだろうとは思うのだが、
彼らの主にして王たるマジックは、無関係の者を巻き込むことを嫌った。
まあ、それならそれでいい。マジックがそう望むのなら。
彼は自分たちとは違う。違う価値観を持っている。そのことをミツヤもルーザーも知っていたし、
だからこそマジックは覇王なのだとも思っていた。
「タバコ」
「あ、なに?」
ミツヤは怪訝な顔で聞き返す。
「タバコなんか吸わないでくれ」
「それは僕のためを思っての忠告かい?」
「ハッ、まさか」
ルーザーは笑う。吐き捨てるように笑う。大嫌いだった。ミツヤも夏の暑さもスナイパーライフルも。
「……その笑い方、君の兄さんに似ているね」
そう言いながら、ミツヤはタバコをくわえて火を点けた。
臭いが漂ってくる。嫌な臭いだ。
この仕事が終わったら、今着ている服は全部捨てないとなと、ルーザーは思った。
「兄さんの前では吸わないんだろ、タバコ」
「うん、そうだよ」
「なぜ?」
ライフルスコープを覗く。標的は用心深く、窓にすらめったに近寄ろうとしない。
ルーザーは、ならば爆弾を使うことを提案したのだが、それも「無関係の者を巻き込まない」という
マジックの命に背くこととして却下された。
あんなホテル……一フロア丸ごと爆破してしまえばいいと思うのだが。
「なぜって……」
ミツヤは首をかしげた。
「なぜかな」
「理由のない行動はない」
「そうだね……」
ふうと煙を吐き出す。大嫌いだった、この男もタバコも。
「じゃあ、ルーザー。君がタバコを吸ったら、マジックはどうする?」
「さあ」
自分がこんなものを吸うなんて、想像だに出来なかった。百害あって一利なし、最悪だ。
「考えてみて」
ミツヤは言う。本当にずうずうしい男だ。だから、嫌いなのだ。
「……怒る、かな」
それでも答える。なぜだろう。ミツヤと共にいると、時々こういう不条理に遭遇する。
「だから、僕はマジックの前では吸わないんだよ」
ミツヤは言った。
「論理が飛躍している」
「そうかな」
ルーザーは大きく息をついた。それでも手はぴくりとも動かず、照準は微動だにしない。
そういう行動はルーザーは得意だった。肉体を隅々まで律すること。
それは彼が生まれながらに自らに課していた、規範と言ってもいい。
……実際のところは、ただの暇つぶしだったのだが。歩くとき、座るとき、立つとき、思考に暇が出来る。
ルーザーにはそれが我慢できない。だから常に完璧な姿勢を自らに要求した。そんな暇つぶし。
まさかこんなことで役に立つとは思わなかったが。
「僕がタバコを吸ったら、兄さんは怒るだろう。それは兄だからだ。ミツヤは家族じゃないだろう」
「あっさりと、ひどいことを言うね」
「ただの事実だ」
「ハハ……」
その笑い声も、嫌いだった。
「兄さんはミツヤがタバコを吸うんだと知っても、おそらく受け入れる」
その不条理な現実を、追認する。
「ありがとう」
「感謝されるようなことは、何も言っていない」
「うん……。そうだね」
吸い終わった吸い殻を地面に押しつけて火を消し、また新しい一本を抜き出して火を点ける。
いい加減にしろと怒鳴りたかったが、我慢した。アスファルトに付いた黒いシミにすら、吐き気がするのに。
まったく、自分が我慢なんて出来る人間だとは、思ってもみなかった。父が存命していた頃には。
けれどもう父はいない。……不条理な現実。だから、我慢する。ミツヤという存在も。すべてを。
「つまり、こういうことだよ」
ミツヤはタバコをくわえて息を吸う。副流煙がこちらに流れてくる。
「僕は君がうらやましい。マジックに叱ってもらえる君が」
「……」
まったく、理解不可能だった。
「だから、僕は彼の前ではタバコを吸わない」
「違うだろう」
ルーザーは言った。
「ミツヤがマジック兄さんの前でタバコを吸わないのは、
マジック兄さんはタバコが嫌いだと知っているからだ。だから吸わない」
どうしてこんな単純な事実が分からないのだろう。この世の誰も彼も。
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