総帥になってから、ずいぶんと沢山のことを知った。
父が教えてくれなかったことは、本当に沢山あった。
あの神々しいまでに美しかった父の姿、その影に隠されていた多くのもの。
毎日戦場でこんなにも多くの兵士たちが死んでいることも、その裏で動く巨万の富も、
一族の者たちがいかに欲深く浅ましいかも……。それでもなお、守らなければならないものがあることも。
マジックは今日も総帥の執務机に座る。大きな椅子に体重を預けて、肘掛けに手を乗せて。
それはまだ14歳の彼の身には少し大きかったが、それすら利用して、
わずかでも自分を大きく見せようとするかのように、深く腰掛け足を組み、
口元には余裕のある笑みをたくわえて。
こういう時に決まって彼が考えることは、父ならどうしただろうかということだった。
父もよく、こうして椅子に腰掛けながら賑やかな四兄弟の姿を見守っていたのだ。
……ほんのわずかばかり前までのことだ。
広げられた目の前の地図に目をやる。U国は制圧したから、次はS国を狙う。
実績を積み上げ、業績を拡大するために手っ取り早いこと、それは戦い続けること。
彼はその危険性もきちんと知ってはいたが、今の自分に立ち止まれるほどの余裕はないことも
同時に分かっていた。走り続けて……倒れたら、そこで死ぬのだ。
「また何か難しい顔をしているね」
ミツヤが言う。いつものように微笑んで。
「ああ、どうやってこの国を攻略しようか考えていたからな」
マジックは指でS国の位置を指し示した。
「君なら造作もないことだよ」
彼の補佐官は簡単に言う。なんのためらいもなく。マジックへの賛同を示す。
それは……内心、不安で満たされた少年の心に、優しく染み渡る。
「そんなに簡単に言うな」
心とは裏腹に、マジックは不機嫌そうに言った。
「ここはいくつもの勢力が入り乱れた、難しい国だ」
「そう? 僕はだからこそ、簡単だと思うけれど」
「倒すだけならな……」
頬杖をついて、窓の外を見やる。立ち並ぶいくつものビル。その一つ一つに人の営みがつまっている。
そしてその生活の全ては、ガンマ団総帥であるマジックの肩にかかっている。
あまりにも重い……けれど……。
「難しく考えすぎないで。なんとかなるものだよ」
そう言って笑ってくれる彼の存在が、マジックには有り難かった。
もちろんミツヤはただ無責任に言っているだけではない。彼は想像以上に有能な男で、
だからこのミッションの危険性も充分に分かっている。それでもなお、「大丈夫だよ」と言ってくれる。
……そんな人間は、彼だけだった。
だれしもが、マジックの能力を危ぶむ。その若さを、その未経験を、危惧する。
総帥の座を虎視眈々と狙う一族の者たちも、忠実なる部下達も。
みなそれぞれの思惑で、年若い総帥のことを疑っている。
……そんなこと、本人が一番よく分かっているのに。なによりも不安なのは、彼自身なのに。
弟であるルーザーならきっと、「皆バカばっかりだ」と言ってキレるだろう。
マジックは軽く微笑んだ。だから弟は巻き込めない。彼は現在士官学校に通っているが、
それにしてもその進路決定に当たってはずいぶんと喧嘩をしたものだった。
「僕は兄さんの側にいます」と言い張る彼と、弟をこの汚い戦いに巻き込みたくないマジックと。
それは兄としての心配を越えて、ルーザーにはこんな現実が許容できるとは思わなかったから。
あの人見知りで純粋な弟が。
その点、ミツヤは……決して純粋ではない。人を殺すことも、汚い仕事もいとわない。
それでも彼の微笑みは優しい。マジックに向けられる視線は、常に暖かい。
自分に兄という存在がいたら、こんな感じだったのだろうかと、四兄弟の長兄であるマジックは想像した。
◆
考えを弄びながらも、指はせっせとS国に派遣する部隊の派遣案を検討していた。
参謀達があげてきたプランを、一つ一つ検討していく。分からない部分は質問にして返す。
それはあまりにも膨大な作業で、ミツヤに言わせると、「ただサインすることも総帥の仕事」だそうだが、
こうして実務の中から学んでいかなければ、自分はいつまで経っても世間知らずの総帥のままだと
マジックは思っていた。彼は自分に厳しく、そして多分、他人に対しても厳しい人間だった。
「なあ、ミツヤ」
「なんだい?」
コーヒーカップを片手に、忠実なる補佐官は歩み寄ってくる。
「おまえはどうして、僕に従っているんだ?」
それは前々からの謎だった。ミツヤに初めて会った時――マジックは彼の無防備な微笑みを見て、
他の人間とは違う何かを感じ取ったのだが、
最近はミツヤがマジックに対してどのような感情を向けているのか――、それが無性に気にかかる。
「うーん、どうしてかなあ」
彼はカップの一つをマジックの前に置き、自分はもう一つを手に机の端に腰掛ける。
総帥の執務机に腰掛けるなんてこと、他の人間なら決してしようとはしないし、
マジックも許すはずはないのだが、何故かミツヤがすると気にならない。それが、自然なことだと思える。
「理由はいろいろあるんだけどね……」
「おまえも計算ずくか?」
わざと意地悪く言う。
「やだなあ、そんな深刻なものじゃないよ」
ミツヤはあくまで軽くかわす。
「僕は君の能力も性格も外見も好きだし、それになんていうのかな……」
一口コーヒーをすすった。そして眼鏡の奥の目を、どこか遠くに向ける。
「君の側にいることが、僕にとっては自然に思えるんだよ、マジック」
瞳が動いてこちらを見つめ、目が合ってミツヤはニッコリと微笑んだ。
それでまた、マジックも自分がミツヤの顔を凝視していたことに気がついた。
「フン……」
少し慌てながら視線をそらす。気まずさを打ち消すかのように、コーヒーカップを取り上げて口をつけた。
濃すぎもせず、薄すぎもしないブラックで、暖かさもほどよい。温くはないが、熱過ぎもしない。
だから、ミツヤが自分で煎れたものだと分かる。
コーヒー一つにこんなに手間をかけて……と前に言ったことがあったが、
「戦略を練るのも、コーヒーを煎れるのも、どちらも大切なことだよ」と言われた。
そんな価値観を持つ人間もまた、今まで周りにはいなかった。
「どうして大切なんだ?」と聞いたら、「だってクリアじゃない頭脳じゃ、いい作戦は考えられないだろ」と。
そう、美味しいコーヒーも、全ては頭の中をクリアにして、最善の状態で執務に臨むため。
ミツヤは……決して無駄なことはしない。
「U国と同じ部隊をそのまま向かわせるか、新しい兵を投入するか、だね」
「ああ……」
自分が今まさに悩んでいたことを指摘されて、マジックは少し頭が熱くなる。
誰かにわずかでも前に出られることは嫌だった。常に決定は自分が下したかった。
それが子供っぽい思考であることは理解していたが、今の彼は背伸びせずにはいられなかった。
「同じ部隊だとすでに経験がある、隣国だから移動コストもかからない」
「何よりも彼らは退屈している」
「そう」
ミツヤはうなずいた。
「人間は同じ場所にいると飽きちゃうんだよ。次の戦場を求めずにはいられない」
「……」
そこが考えどころだった。
そのような勢い――あるいはただの欲求――に任せて、部隊を動かしていいものか。
自分自身も同じように常に次を求めているだけに、マジックは不安でならなかった。
「新しい部隊を派遣した場合は……」
「まずコストがかかる。訓練にも時間がかかるし、損害率も高くなるだろうね」
よどみなく流れるミツヤの答え。彼が軍服を着ているのは、決して伊達ではなかった。
もっともそういった有能さがなければ、傍系の彼が補佐官候補のリストに載ることもなかっただろう。
彼は自らの力で今の地位を勝ち取った……そうマジックは思っていた。認めていた。ミツヤのことを。
「けれども挑戦させなければ、彼らはいつまでも新兵のままだ」
「……フン」
それもまた、自分のようだとマジックは思った。
「おまえならどうする?」
自然と聞いていた。他の人間には、決してこんな無防備な質問はしないのだが。
自分の迷いや弱さをさらけ出すような、こんな質問の仕方は。
「そうだねえ」
ミツヤは微笑んだ。嬉しそうに。マジックが自分を頼ってくれたことが心底嬉しそうに。
そこには年若い総帥への不安感などみじんもない。
「僕なら今ある部隊を使うかな」
「そうか……」
それはマジックの考えとは違った。彼は新しい部隊を派遣する方に、気持ちが傾いていた。
大局的に物事を見た場合、そちらの方がいいように思えたからだ。
「僕は新兵を派遣しようと思う」
彼は言う。きっぱりと。
「ああ、そう」
ミツヤは気にした様子もなく、また微笑んでカップに口をつけた。
「いいんじゃないかな」
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