「すまないな」
マジックは呟いていた。ごく自然に。
「え、何が?」
「せっかくおまえの考えを聞いたのに」
「そんなの……いいんだよ」
口調はむしろ、満足げだった。
「僕は君のために存在しているんだから」
「……そんなこと、言うな」
何故か胸が痛くなる。彼の言葉は決して重荷ではなく、重荷ではないからこそ、心にかかる。
「ミツヤは、もっと自分のために生きるべきだ」
どうして自分がそんなことを言ったのかも分からないままに。
「そうかな……」
ミツヤはどこか遠い目をして、コーヒーを飲んだ。
「ありがとう、マジック」
儚く微笑みながら。
そう、彼の微笑みは、いつだってどこか儚いのだった。だからこそ、気にかかる。
それは幼い弟達が持つ儚さとは違い、外に対する弱さではないのだが、
まるで内側に何か消せない病を抱え込んだような儚さで。
◆
マジックは眉を寄せながら、報告書を読んでいた。
新兵達をS国に派遣した結果、その損害率は予想以上だった。
手強いゲリラとの戦闘で、幾人もが命を落とした。
それはすべて、マジックの命令がもたらした結果だった。
「……」
ずっとこんなことを繰り返している。そしてこれからも、繰り返していくのだろう。
父は……、こんな時、どうしたのだろうかと考える。しかし、答えは分からなかった。
それは決して、父が自分には――子供達には見せなかった姿だったから。
もっともそれを恨む気持ちなどないが。マジックだって今の自分の姿を、弟達に見せたいとは思わない。
けれど……。
「残念だったね」
ミツヤは側にいる。……いてくれる。
「でも、仕方なかったよ」
優しく、そう言ってくれる。それがただの気休めでも、なぐさめでも、彼の言葉は心に染みこむ。
「仕方なくはない」
だからマジックはあえて言う。
「これは僕のミスだ」
「そんなことは……ないさ」
ミツヤはまた、儚く微笑む。
「君は何も間違ってなんかいない」
「……」
片手を振る。それ以上は言うなと。乱暴な仕草で。総帥の権限を振りかざすかのように。
こんなこと、他の人間には決してしないのだった。命令は、いつだってきちんと言葉にする。
だからこれは命令ではなく……ただの、甘えだろう。
マジックは報告書を凝視する。多くの損害を出しながらも、任務は完遂された。
S国の制圧までにはまだいくつもの障害があるが、彼らはきっと乗り越えていくだろう。
ただし、また新たにいくつかの部隊を派遣しなくてはならない。……死地へと。
そして幾人かは、永遠に帰ってこない。確実に。
いつまでこんなことを繰り返していくのだろう。……おそらくずっと、死ぬまでだ。
「なあ、ミツヤ」
マジックは呟く。
「一度、前線に行こうと思う」
「どうして?」
声には幾分かの戸惑いが含まれる。それは少し意外だった。
「彼らを鼓舞するために。もちろんずっとはいられないが、一度行くだけでも」
「……危険だよ」
「だが兵士たちはその危険な場所で戦っている」
「君は兵士じゃなくて総帥なんだよ、マジック」
「ああ……」
分かっていた。だがもう、決めていた。マジックの決断はいつもそうだった。
彼が口にしたことは、常に決定事項なのだ。
「止めた方がいい」
だがミツヤは食い下がる。珍しいことだった。
「どうしてだ?」
自分が明らかに不機嫌になっていくのを、マジックは感じていた。
少し意外な程に、彼の反対は心に刺さった。
「今本国を留守にするのはまずいよ。まだ君に不満を持つ敵はたくさんいるんだから」
それは確かにそうだった。叔父であるラッコンのことをマジックは思い浮かべた。
「下手をしたら、クーデターが起こる」
「ラッコンがか?」
「……」
沈黙は雄弁に肯定を物語っていた。
マジックは息を吐く。蜘蛛の糸に絡め取られたかのように、自由にならない己の身を感じながら。
それでも今は、一つ一つ糸を断ち切っていくしかないのだ。
「そうだな……」
未練はあったが、彼は諦めた。こんなにもあっさりと、決断をひるがえす自分を意外に思いながら。
……きっと他の人間なら、こうはいかなかっただろう。マジックは自分の決断を強行したはずだ。
たとえそれがどんなに危険でも、失敗すれば死ぬだけだと、そう念じながら。
だがそれでは弟たちを守れないし……ミツヤも、悲しむだろう。
彼の儚い微笑みが頭をよぎった。……ミツヤはきっと、自分のために悲しんでくれる。他の誰でもなく。
家族でもない彼が。
マジックはじっとミツヤの顔を見つめた。
どうして自分は彼を受け入れたのか。その理由の一つが分かったような気がした。
その笑顔があまりにも無防備だったから――自分のすべてを肯定してくれていたから。
総帥としてのマジックだけではなく、兄としてのマジックも、一個人としてのマジックも、
その全てを見つめてなお、微笑んでくれたから。儚く――自分のためではなく、相手のために。
ミツヤはおそらく、マジックが家族の中から外の世界へと出て行くための架け橋だった。
彼と出会ってようやく、マジックは他者という存在を特別なものだと認識できるようになった。
部下でもなく、敵でもなく、……一人の人間として。
「どうしたんだい?」
ミツヤは言う。
「そんなに見つめられたら……照れるね」
自分の意見に異論を唱えられた新総帥が怒っているとは考えずに。
他の人間ならきっと、緊張の面持ちを向けてくるであろうこの場で。彼は微笑む。
「おまえは本当に変わっているな」
マジックは自分も苦笑いしながら言った。
そして総帥になってから、このように相手に向かって笑いかけたことはあっただろうかと考えた。
「だから……君は僕を選んでくれたんだろう?」
ミツヤは言う。
「ああ、そうだ」
マジックは肯定する。その時の自分の決断を、絶対に間違っていなかったと思いながら。
「嬉しかったよ」
彼は微笑む。いつもの儚い微笑みではなく、心の底から嬉しそうに。
「僕はこれからずっと、君の側にいるよ」
「……ああ」
マジックはうつむいた。そうしないと、目頭が熱くなりそうだったから。
この長い道のり。血と死体に彩られた戦いの道を、共に歩いてくれる存在がいることを……
心の底から嬉しく思いながら。
それは彼の弱さだった。マジックは自分のもっとも弱い部分に、ミツヤという存在を受け入れた。
◆
だが、誰がそれを責められるだろう。
マジックはその時確かにミツヤという存在を必要としていたし、そして何より
――ガンマ団総帥が恋をしてはいけないなど、誰も教えてはくれなかったのだ。
彼はまだ気付いていなかったが、この感情は確かに他の人間に向けるものとは違っていて。
ミツヤという存在を特別だと認識するからこそ、マジックは自分の心の中に彼のためだけの席を与えた。
それがつまり、人に恋するということだった。純真な少年は、ただ一途に、相手のことを想った。
そして――恋してはいけないなど、誰も教えてはくれなかったのだった。
彼らはその時、恋に落ちていた。
例え誰かがそれを間違っていると言ったとしても、止めることは出来なかっただろう。
彼らはこの時、確かに恋をしていた。
例え後日、彼自身がその過去を消し去ろうとしたとしても、その事実は決して消えない。
2007.3.26
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