合わせ鏡 前編


「現実を正しく認識していることは、有能な将校の条件だ」
ルーザーは紙をめくる。彼の詳しい経歴に目を通す。エリートというよりは、叩き上げと言った方がいい。
それも現場に出たタイプではなく、後方勤務が多い。
「だから、何?」
「つまり……条件が足りない」
「何の?」
――こいつはバカのふりをしているのか、本当にバカなのか。
この1年近く、何度も胸の中で繰り返してきた問いを、繰り返す。
「僕たちが暗殺するのは、マジック兄さんの邪魔になる相手だ」
「邪魔だろう、彼は」
「いさめただけでか?」
「……ルーザー」
ミツヤはため息をつく。ため息をつきたいのはこっちだと、思う。
ルーザーだってこんな奴は殺したい。いや、彼を殺したいのではなく、すべてを殺してしまいたい。
けれども、それではマジックはガンマ団を担っていくことはできないから、それで、我慢しているのに。
こいつは――ミツヤは――根本的なことが分かっていないんじゃないかと、気になって仕方がない。

「いさめたのは1度だけじゃない。彼は何度もマジックに意見をしている」
「それがこの男の役割だからだろう」
「反対意見が多い」
「その意見の内容による」
「ルーザー」
「なんだ?」
視線が交差する。静かににらみ合う。先に目をそらしたのは、ミツヤの方だった。
そらしておきながら、彼は得意げに微笑んだ。
「ああ、一つ言い忘れていたよ。彼は言った。『このままではあなたには付いていけなくなります』と」
「別に構わないだろう」
さっさと引退でもなんでもすればいいだけのことだ。
「分かっていないね、ルーザー」
「何が?」
「彼がマジックを見捨てる――周りはそう思う、ことで、与えられる損害がだよ」
「……」
しばし考えた。たしかにそれは正しい。ルーザーはしばしば考え忘れてしまうことだが、
人の心とはそういうもの……らしい。実のところ、理解しきれていないことなのだが。
したくもない、と言った方が正しいかもしれない。これ以上の面倒など、見たくない。人の面倒など。
「その前に、彼には死んで欲しいわけだよ。できるなら、敵の手にかかってね」
ミツヤは満面の笑みを浮かべた。人を殺す話をするとき、ミツヤはよく笑う。
……楽しいのだろうか。楽しいのかもしれない。ルーザーには、よく分からないが。

「そうか……」
しばし考える時間が欲しくて、さらに書類をめくった。
いくつかの暗殺計画が書かれている。いつどこでどのように殺すか。それをどう偽装するか。
ずさんな計画だと思う。しかしそれに修正を加えるのが、ルーザーの役目だった。
純粋に思考する能力だけなら、ルーザーの方が優れている。
しかしミツヤにはルーザーにないものがある。……例えば先ほどのような、一般人の視点だとか。
だから二人はお互いに補い合って、完璧な計画を練り上げる。そのことは、スマートだった。
何も無駄はない。……そもそも彼ら自身が無駄な存在である、ということを除いては。

「僕は通勤途中の車中を狙うのがいいと思うな」
ミツヤは楽しそうに言う。
「移動中の車を爆破か」
ルーザーは頬杖をつく。そしてさらに書類をめくる。
「マフィアの手口だ。ラッコンもよく好んだよ」
「……おまえがやってみたいだけなんだろう」
――おまえも、というべきか。
「あ、ばれたかな」

「……」
思考する。大して難しい話ではない。車に爆弾を仕掛けるまでの手口はミツヤが用意していたし、
あとは爆弾の製造だけだが、それはルーザーの領分だ。
リモートコントロールにするか、車がある一定の動作――例えば60km/hのスピードを出した後、
ブレーキを踏む――で、動作するようにするか、それともある場所を通過したら動作する
――爆破するようにするか。
どれも試してみたい設計だった。そしておそらく、ミツヤはそれも分かっている。
分かった上で、勧めている。――そういう部分では、確かにこの男は頭がいい。

あと考えるべきなのは……。
「マジック兄さんは、これを了承しているのか?」
彼を殺すという計画そのものを。
「……うん」
ミツヤは微笑んだ。嬉しそうに、幸福そうに。
「……」
ルーザーはじっとその笑顔を見つめる。
「嘘だろう」
そう言った。ついでに、先ほどの『このままではあなたには付いていけなくなります』も、嘘だろうと。
確かに彼はそう思っているのかもしれない。そう言っても不思議はないのかもしれない。
けれども、実際に言ったということは、嘘だろうと。
何故か。そんな手札があるなら、最初からきっているはずだからだ。
ルーザーに追い詰められた挙げ句、後出しにするはずがないからだ。

そういうことは、よく分かる。人は皆、ルーザーが人の心など分からないと思っているようだが、
実際のところ人の心を読むのは得意だ。チェスが得意であるように。
人の心の9割は理屈通りに動く。分からないのは後の1割だけだ。
「……」
ミツヤの表情から笑みが消えた。
「ルーザー」
口調に剣呑さが加わる。……本性を出したなと思った。これが、この男の本性だ。
「マジックは間違いなく了承してくれる」
「どうかな」
ルーザーは笑う。剣呑な笑みを浮かべる。……自分もまた、本性をむき出しにする。
「マジック兄さんは僕と同じことを言うだろう。あの人は、反対意見というだけでは殺さない」
ゆっくりと相手の瞳を見つめる。その眼鏡の奥の瞳を。唇に笑みを浮かべながら。
「……おまえが、また嘘で固めて、兄さんを騙したら、ともかくね」
僕たちに嘘をつくことは許さない――、そう無言で断言する。

ミツヤはゆっくりと、腰の後ろから拳銃を取り出した。ゴトリとそれを机の上に置く。
サイレンサー付きの拳銃。彼がいつも好んで使っているものだ。
――またそんなものを持ち込んで、と思った。ハーレムやサービスが見たらどうするんだと。
いついかなる時も拳銃を手放さない――それは弱さの表れだ。こいつは、弱い男なのだ。
「ルーザー。君やマジックはまだ世の中を知らない」
「そうだろうな」
否定はしない。
「僕がそれを教えてあげているんだ」
「思い上がるな」
きっぱりと言った。
ミツヤは机の上の拳銃に手を滑らせる。まだそれを掴みはしない。
けれども、その動作が示すところは明瞭だった。――フンと思う。さっさとこちらに向ければいいのに。
くだらない駆け引きだ。そんなものでこのルーザーを脅そうだなんて。
まして、ここがどこだと思っているのか。マジックの屋敷だ。

「ミツヤ、マジック兄さんは覇王だと言ったな」
「そうだよ」
「『僕の覇王』だと」
「ああ」
「その意味を確認しておきたい」
「なに?」
興味なさそうに聞きながら、拳銃を弄ぶ。それだけで怯え上がる相手もいるだろう。
でもルーザーは違う。こんな奴、いつでも殺せると思っている。……眼魔砲があるから。
そんなことすら、分からないのだろうか。

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