「おまえが兄さんを覇王にするのか。兄さんが覇王なのか」
「同じことだよ」
「違う」
さりげなく右手を握りしめる。決意を示すかのように。……実際のところは、眼魔砲の溜めのために。
「どっちなんだ?」
「どっちと言われてもね……困るな」
「そうか」
「何?」
「否定しないんだな。『おまえが兄さんを覇王にする』という部分を」
「……なにか、問題かい?」
息をつく。まったくもって、世の中は面倒だった。くだらない。人間のエゴ。
ルーザーが理解できない、残りの1割。
「思い上がるな」
ただの人間風情が。
「兄さんは生まれながらの覇王だ。おまえが覇王にするんじゃない。思い上がるな」
「……狂信だね」
「違う」
「じゃあ、何?」
「兄さんは放っておいても覇王になる。なることができる。
僕たちはその階段を早めているだけに過ぎない。……僕たちは本来、無駄な存在なんだ。
つまり、おまえは、ただの捨て駒に過ぎない。思い上がるな」
ガッとミツヤは拳銃を掴みあげた。左手で素早く安全装置を外し、スライドを引く。
流れるような動作だ。それはさすがだ。これでいつでも発射できるなと、ルーザーは笑った。
「こんな単純な理屈も分からないのか?」
――本当は、分かっているんだろうと思った。おまえが笑うのはそのためなんだろうと。
ミツヤは賢い。しかしその賢さは、多くの余分なもので覆い隠されている。つまり泥や脂肪が付いている。
だからこそミツヤは笑う。微笑む。薄っぺらな笑みを浮かべる。
ルーザーは、知っていた。
「……僕はマジックを愛しているんだ」
今だってミツヤは、追い詰められた顔をして、額に汗を浮かべながら、笑っている。
狂った微笑みだと、他者は評するだろう。しかしルーザーは考える。その奥にある、ミツヤの本質を。
「知っているよ。おまえが兄さんを愛していることは」
譲歩するわけではなく、肯定する。たしかにそれは事実だろうから。見ていればよく分かる。
――そして、マジック兄さんもまた、ミツヤを愛していることも。
「でも、それはなんの言い訳にもならない」
ルーザーの冷たい頭脳はその答えを出す。
「愛なんて理由にならない。愛なんてなんの言い訳にもならない」
必要なことは、するべきことをするべきように、行うことだ。そうしなければ、この世は狂ってしまう。
間違えてしまう。破綻が訪れる。よく――分かっていた。父を亡くしたから。
それ以来ずっと、マジックとルーザーは、その破綻と隣り合わせで生きてきたのだから。
「僕たちは父さんを愛していた。それが父さんを守ってくれたか? 何も関係ない。
何も関係ない部分で、父さんは殺された。だから、間違っている」
「……何が」
ひっくりかえる寸前の声。指は引き金にかかったまま。発射される寸前の弾丸。
あんなに震えていては、ものの弾みで引き金を引いてしまうんじゃないかと、ルーザーは思った。
しかしその事実は、彼に何の感慨ももたらさなかった。むしろ……可笑しかった。
「手順はきちんと踏まなければならない。行うべきことは、行うべきように、行うべきだ」
まったく、自分が常識なんてものを説くとは。
「さもないと、危険が訪れる。安全確認をおこたれば、そのツケは必ずやってくる」
「分からないね」
「今だってそうだ」
ルーザーは言った。静かな口調で。別にもう、怒ってはいなかった。彼は――悲しかった。
「ミツヤ、その拳銃を発射したとして、どうする。この屋敷にはハーレムもサービスもいる。
僕がミツヤと会っていたことは、サービスが知っている。……彼も、殺すかい?
でも無駄だ。使用人達だっている。おまえが僕を殺したことは、マジック兄さんに必ず知られる」
ゆっくりとチェス盤の上で、両手の指を組む。これでもう、眼魔砲は発射できない。
「そうしたら、おまえはどうなる? その愛すら、失うんじゃないか」
立ち上がっているミツヤを、上目遣いに眺める。にらむわけではなく。ただ静かに。
――どうする?
視線で問うていた。それでもミツヤが自分を殺すのだというならば、それも構わなかった。
それくらいにこの男が愚かならば、別に殺されても構わなかった。その責任はルーザーにもある。
この愚かな男と共犯関係を組んだ、ルーザーにも。
ミツヤの顔から笑みが消えた。代わって現れたのは、放心したような無表情。
ルーザーはそれを確認しながら、そっと自分に向けられた拳銃に手を伸ばす。
銃身を掴んで、下ろす。抵抗はなかった。
「おまえは疲れているんだろう」
優しい言葉なんてかけるとは、思ってもみなかった、この相手に。
しかし……それはたぶん、ルーザー自身に向けられた言葉でもあったのだ。
合わせ鏡――。ミツヤと、ルーザー。
「ふふ……」
ミツヤは微笑んだ。彼らしく。
そうしてどさりと椅子に腰を下ろした。
「まったく、僕としたことが」
銃に安全装置をかける。
「こんな子供相手に本気になるなんてね」
「……」
そのように処理したのかと思った。余計な泥や脂肪。
だからミツヤはいつまで経っても、本質に気がつかない。そうやって目をそらし続ける。
しかしまあ……それがこの男の有り様なのだろう。
「それで、どうする」
「なに?」
「この男の処分だ」
別に構わなかった。それでもミツヤが殺すというのなら、殺しても。
本来、ルーザーは殺したかったのだから。すべてを。爆弾も、作ってみたかったし。
「……やめておこう」
けれどミツヤはそう言った。
「面倒くさいよ」
「そうか」
ルーザーは笑う。面白かった。まるで自分を見ているようで。
確かに、面倒くさい。殺人なんて。準備に時間は取られるし、疲れる。手も汚れる。
「じゃあ、話は終わりだな」
そう言ってルーザーは立ち上がった。
「いや、もう一件あるんだ」
足を止める。
「でもまあ、それは次の機会にしておくよ。ちょっと君は疲れているみたいだからね」
「ああ」
否定はしなかった。ルーザーは確かに疲れていたから。
別に今回の――ミツヤの件があったからではなく、元から疲れていたのだから。
「ありがとう、ミツヤ」
そう言った。自分を殺さなかったことに対して。たまにはそんな、気まぐれがあってもいい。
「……?」
背後からは驚いたような気配が伝わってくる。
ルーザーは可笑しかった。そっと笑いながら、扉を開けて、部屋の外へと出て行った。
◆
自分の部屋へと戻っていくと、扉の前にサービスがいた。座り込んで、本を読んでいた。
「サービス」
「あ、ルーザー兄さん」
こちらを向いて、ぱっと微笑む。花のような笑みを。
「廊下に座り込んではいけない」
それでもルーザーは言う。愛しているからこそ、忠告する。
「ごめんなさい」
サービスはうつむいた。
「でも、ルーザー兄さんと、もっと一緒にいたくて」
「もう時間も遅いだろう」
そう言いながら、でもルーザーは部屋の鍵をあけ、サービスを中に誘った。
しばらくならまあいいだろうと思った。またあの穏やかで暖かい時間を過ごしても。
……自分たちは疲れているのだから。自分たちというのは、ルーザーとミツヤだが。
でも、彼は知らない。――「愛なんてなんの言い訳にもならない」
自らが口にしたこの言葉が、約十年の後、自らにかえってくることになるとは。
それも、この愛する弟、サービスの所行によって。
そうして……自分もまた、死ぬことになるとは。
でもまだ、彼は知らない。
愛し合う兄弟はルーザーの部屋の中で、しばしの間、静かで穏やかな、優しい時を過ごしていた。
疲れを癒すための、暖かな時間を。
2007.2.25
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