生の意味とはなんだろうと、ずっと考えていた。
彼はまだ幼かったが――とてもとても幼かったのだが――その疑問は彼にとって、
生まれつき当たり前のものだった。
何故か。その両目が秘石眼だったからだ。一族で初めて、両の瞳に秘石眼を持って生まれた。
そのことの意味。――問わずにはいられなかった。
彼は単に両目が秘石眼であるだけではなく、とても優秀な頭脳の持ち主でもあったから。
マジック。そう付けられた名前。"奇跡"を意味する名前。
それを背負うこと。そして自分はいかにして生きるべきなのか。あの偉大な父の息子として。
また、彼の傍らにはもう一人、その生の意味を問われ続ける存在がいた。
1歳違いの弟ルーザー。しかし彼の秘石眼は片眼だけ。周りの人々はそのことに落胆した。
子供だからこそ、聞いてしまう諸々のこと。
子供だからこそ、何も分かっていない子供だと思っているからこそ、人々がつい口にする言葉。
「ああ、彼は片眼なのですか」「それは残念でしたね」……そんな残酷な言葉。
ルーザー。そう付けられた名前。"失われたもの"を意味する名前。あるいは、単に"敗北者"とも。
けれどもその弟は、マジックよりもさらに優秀な頭脳の持ち主だった。
言葉を話し出すと同時に読み書きも修得し、当たり前のように四則演算を理解し方程式にも手を伸ばす。
1歳の差などあっという間に追い越して、弟は知識の街道を駆け抜けていった。
けれども……、マジックは問わずにはいられない。己と同じように、そんな弟の生の意味も。
なぜだろう。彼はとても、儚い存在に見えたから。
◆
「ルーザー」
「なんです、マジック兄さん」
ようやく5歳になったばかりの弟。いかにその頭脳が優秀でも、口舌の発達がそれに追いついていない。
舌足らずな口調。それでも弟は、兄に対して敬語を使う。
「今日は木登りをしないか?」
「……」
寄せられた眉、そして弟は考え込む。
「危なくないですか」
「大丈夫だよ。僕は何度も登っているから。教えてやるよ」
「僕も、登るべきなのですか?」
「ああ、もちろん」
マジックは笑う。この、すぐに考え込んでしまう弟を、笑い飛ばすために。
「じゃあ、登ります」
ルーザーはそう言って、ニッコリと微笑んだ。彼はどういうわけか、ひどく論理を重んじるくせに、
兄の言葉だけはどんな論理よりも優先して受け入れた。
……いや、それが彼の論理だったのだろう。兄の言葉は何よりも優先するという、論理。
そうして兄弟は庭の木に登る。マジックはしっかり足場を確保しながら、木に取り付き、
その足場を一つ一つ指し示しながら、弟が続いて登ってくるのを待つ。
手を伸ばし、引っ張り上げてやる。とはいえ、この弟も、決して運動神経は悪くなかったから、
大して心配することはなかった。心配するといえば、いきなり木の皮がめくれているのを見つけて
その断面を興味深く観察し始めるとか、そのせいで思わずバランスを崩すだとか、そんなことで。
つまり、それすら、楽しかった。
ごく自然にマジックはルーザーという存在を受け入れていたし、
ごく自然にマジックはルーザーという存在を守るべきものだと考えていた。
なぜだろう。誰に教えられたわけでもないのに。
◆
ただ……マジックは知っていた。自分もまた、恐れられている存在であることに。
両目が秘石眼であること、それは祝福であると同時に……呪いでもある。
強大な力。その暴走。ゆえに一族には時々「善悪の区別が付かない」人間が生まれる。
そんな彼らは力を暴走させ、周囲に破滅をもたらす。ましてやそれが両目共に秘石眼であったなら……?
「末恐ろしいですな」、そう言って笑う声。その裏に隠された皮肉と、恐れ。
彼は子供だったが、子供だったからこそ、気付いていた。当たり前のように、分かっていた。その恐怖を。
でも、だからといって、どうすればいいのだろう。
父は言う。「まずは、普通に肉体を制御することを覚えなさい。遊んだり、運動をしたりして」
「秘石眼の力は……?」そう聞くと、「それはもっと、ちゃんと体が出来てからでいいんだよ」
そう言って、父はマジックの髪をくしゃくしゃと撫で、目を細めた。
嬉しそうに。その未来が楽しみだというように。欠片も不安など見せず、感じさせず。
「ルーザーもだよ」父は言う。「おまえはとても賢いけれど、急いで大人になることはないんだ」
「なぜですか、父さん」ルーザーは不思議そうに首をかしげた。
「子供の時にしか学べないことも、世の中には多いからだよ」「どんなこと、ですか?」
「たくさん遊んだり、失敗したりすることだ」「……?」分からないというように、弟は首をかしげた。
「それはマジックに教えてもらうといい」父は傍らの兄を見て微笑む。
マジックは自然とうなずいていた。
「おまえたちは、一緒にいなければいけない」父はそう言った。
「マジックはルーザーにないものを持っている。ルーザーはマジックにないものを持っている。
それはとても大切なことだ」
「どうして、大切なんですか?」
ルーザーは聞く。彼はなんでも、分からないことは尋ねる。
「助け合うことが出来るからだよ」
父はそう言って、また大きく微笑んだ。
「それはとてもとても、大切なことなんだ」
「僕たちが、生きていくために?」
「いや……、それは手段じゃなくて、目的だ」
「?」その言葉は、ちょっと、5歳と6歳の子供には難しかった。
でも父は、ちゃんと言い換えてくれた。「助け合うということは、おまえたちが生きる意味なんだよ」と。
……やっぱりそれでも、ちゃんと理解できたとはいえない。
けれども、マジックも、ルーザーも、父の言葉に対してうなずいた。
生きる意味。それはマジックがずっと追い求めていたことだった。
ルーザーにとっては……、いや彼にとっても、おそらくそうだったのだろう。
"失われたもの"、その名を与えられた子供が、自分の生の意味を探さないわけはない。
生の意味。生きる意味……。
僕たちにとって、それは何なのだろうと。
非凡な子供達は、非凡であるがゆえに、子供のうちからそれを探し求めた。
偉大な父の背中を追いながら。
◆
「ほら、ここに座るといい」
「はい、兄さん」
木に登って、ルーザーはマジックの横に腰掛ける。ちゃんと教則どおりに、三点で体を支えながら。
そんな弟の姿は、まるで教科書から抜け出してきたようで、少し可笑しい。マジックは笑った。
「なにが、おかしいですか?」
弟はいたって真面目な顔で聞く。
「ルーザーは、かわいい」
マジックは微笑む。
「……」
相手は真っ赤な顔をしてうつむいた。でもそれは怒りではなく、純粋な照れ。
弟はやっぱり、ひどく純粋な人間だった。人の善意はそのまま、人の善意だと理解する。
悪意は……そのまま、悪意だと理解する。だからやっぱり、守ってやらなければならないのだけど。
「この木は、トネリコですね」
「そうなんだ」
「モクセイ科の小高木です。比重は0.76。年輪は明瞭」
そう言いながら、庭師が枝を払ったその断面を示す。
「心材は黄色を帯びた淡褐色。辺材は淡黄白から紅色を帯びた淡黄白色」
おそらく事典に載っていた言葉をそのまま再現しているのだろう。
ルーザーは、そういう頭脳の持ち主だった。つまり、百科事典も丸暗記できる。
ただし、実践は……まだまだ、これから。
「これが、淡黄白色っていう、色なんですね」
「ふうん」
マジックはうなずく。そうして興味深く年輪を指で辿る弟の姿を、眺める。
集中して顔を近づけるあまりに、バランスを崩しかけることを予測して、素早くその腕を捕まえる。
「あ……」
「ちゃんと支えているから、大丈夫だ」
そう言って笑う。
父が言ったこと。――おまえ達は助け合わなくてはいけない。
それはこうして、日常的に実行されていた。
そしてそれは確かに、とても楽しいことなのだった。――やっぱり父は正しい。
マジックは、そう思う。
別にマジックがルーザーを助けるのは、それが自分の役に立つからとかそんなことじゃなくて、
そうするのが楽しいから、嬉しくて仕方ないからだ。……そこに生の実感が、あるからだ。
自分が生きている意味があると、確かに感じることが出来る。
だから、「手段ではなくて、目的」。生きる意味。
――父さん。
そう思っていると、急に体がぐらっと傾いた。パキッと木が折れる音がする。
ああ、落下する……と思っているうちに、体は地面にたたきつけられた。
もっとも下には芝生が敷いてあり、その上には落ち葉がたっぷり積もっていて、
彼らが登っていたのもそんなに高い枝ではなかったから、怪我をするというほどではなかったのだが。
ただやっぱり体は痛い。
二人は一緒に地面に寝っ転がりながら、しばし呆然と空を見上げた。
「おかしいです」
ルーザーは言う。
「トネリコは重くて硬く、粘りがあり、曲げに非常に強いはずです」
「……うん。でも、僕ら二人の体重を支えられるほどじゃ、なかったんだろう」
――おまえが身を乗り出していた細い枝は。
やっぱりマジックはおかしかった。そして、おかしくて楽しかった。
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