祝福 前編


生の意味とはなんだろうと、ずっと考えていた。
彼はまだ幼かったが――とてもとても幼かったのだが――その疑問は彼にとって、
生まれつき当たり前のものだった。
何故か。その両目が秘石眼だったからだ。一族で初めて、両の瞳に秘石眼を持って生まれた。
そのことの意味。――問わずにはいられなかった。
彼は単に両目が秘石眼であるだけではなく、とても優秀な頭脳の持ち主でもあったから。
マジック。そう付けられた名前。"奇跡"を意味する名前。
それを背負うこと。そして自分はいかにして生きるべきなのか。あの偉大な父の息子として。

また、彼の傍らにはもう一人、その生の意味を問われ続ける存在がいた。
1歳違いの弟ルーザー。しかし彼の秘石眼は片眼だけ。周りの人々はそのことに落胆した。
子供だからこそ、聞いてしまう諸々のこと。
子供だからこそ、何も分かっていない子供だと思っているからこそ、人々がつい口にする言葉。
「ああ、彼は片眼なのですか」「それは残念でしたね」……そんな残酷な言葉。
ルーザー。そう付けられた名前。"失われたもの"を意味する名前。あるいは、単に"敗北者"とも。

けれどもその弟は、マジックよりもさらに優秀な頭脳の持ち主だった。
言葉を話し出すと同時に読み書きも修得し、当たり前のように四則演算を理解し方程式にも手を伸ばす。
1歳の差などあっという間に追い越して、弟は知識の街道を駆け抜けていった。
けれども……、マジックは問わずにはいられない。己と同じように、そんな弟の生の意味も。
なぜだろう。彼はとても、儚い存在に見えたから。

「ルーザー」
「なんです、マジック兄さん」
ようやく5歳になったばかりの弟。いかにその頭脳が優秀でも、口舌の発達がそれに追いついていない。
舌足らずな口調。それでも弟は、兄に対して敬語を使う。
「今日は木登りをしないか?」
「……」
寄せられた眉、そして弟は考え込む。
「危なくないですか」
「大丈夫だよ。僕は何度も登っているから。教えてやるよ」
「僕も、登るべきなのですか?」
「ああ、もちろん」
マジックは笑う。この、すぐに考え込んでしまう弟を、笑い飛ばすために。
「じゃあ、登ります」
ルーザーはそう言って、ニッコリと微笑んだ。彼はどういうわけか、ひどく論理を重んじるくせに、
兄の言葉だけはどんな論理よりも優先して受け入れた。
……いや、それが彼の論理だったのだろう。兄の言葉は何よりも優先するという、論理。

そうして兄弟は庭の木に登る。マジックはしっかり足場を確保しながら、木に取り付き、
その足場を一つ一つ指し示しながら、弟が続いて登ってくるのを待つ。
手を伸ばし、引っ張り上げてやる。とはいえ、この弟も、決して運動神経は悪くなかったから、
大して心配することはなかった。心配するといえば、いきなり木の皮がめくれているのを見つけて
その断面を興味深く観察し始めるとか、そのせいで思わずバランスを崩すだとか、そんなことで。
つまり、それすら、楽しかった。

ごく自然にマジックはルーザーという存在を受け入れていたし、
ごく自然にマジックはルーザーという存在を守るべきものだと考えていた。
なぜだろう。誰に教えられたわけでもないのに。

ただ……マジックは知っていた。自分もまた、恐れられている存在であることに。
両目が秘石眼であること、それは祝福であると同時に……呪いでもある。
強大な力。その暴走。ゆえに一族には時々「善悪の区別が付かない」人間が生まれる。
そんな彼らは力を暴走させ、周囲に破滅をもたらす。ましてやそれが両目共に秘石眼であったなら……?
「末恐ろしいですな」、そう言って笑う声。その裏に隠された皮肉と、恐れ。
彼は子供だったが、子供だったからこそ、気付いていた。当たり前のように、分かっていた。その恐怖を。

でも、だからといって、どうすればいいのだろう。
父は言う。「まずは、普通に肉体を制御することを覚えなさい。遊んだり、運動をしたりして」
「秘石眼の力は……?」そう聞くと、「それはもっと、ちゃんと体が出来てからでいいんだよ」
そう言って、父はマジックの髪をくしゃくしゃと撫で、目を細めた。
嬉しそうに。その未来が楽しみだというように。欠片も不安など見せず、感じさせず。

「ルーザーもだよ」父は言う。「おまえはとても賢いけれど、急いで大人になることはないんだ」
「なぜですか、父さん」ルーザーは不思議そうに首をかしげた。
「子供の時にしか学べないことも、世の中には多いからだよ」「どんなこと、ですか?」
「たくさん遊んだり、失敗したりすることだ」「……?」分からないというように、弟は首をかしげた。
「それはマジックに教えてもらうといい」父は傍らの兄を見て微笑む。
マジックは自然とうなずいていた。

「おまえたちは、一緒にいなければいけない」父はそう言った。
「マジックはルーザーにないものを持っている。ルーザーはマジックにないものを持っている。
 それはとても大切なことだ」
「どうして、大切なんですか?」
ルーザーは聞く。彼はなんでも、分からないことは尋ねる。
「助け合うことが出来るからだよ」
父はそう言って、また大きく微笑んだ。
「それはとてもとても、大切なことなんだ」
「僕たちが、生きていくために?」
「いや……、それは手段じゃなくて、目的だ」
「?」その言葉は、ちょっと、5歳と6歳の子供には難しかった。
でも父は、ちゃんと言い換えてくれた。「助け合うということは、おまえたちが生きる意味なんだよ」と。
……やっぱりそれでも、ちゃんと理解できたとはいえない。
けれども、マジックも、ルーザーも、父の言葉に対してうなずいた。

生きる意味。それはマジックがずっと追い求めていたことだった。
ルーザーにとっては……、いや彼にとっても、おそらくそうだったのだろう。
"失われたもの"、その名を与えられた子供が、自分の生の意味を探さないわけはない。

生の意味。生きる意味……。
僕たちにとって、それは何なのだろうと。
非凡な子供達は、非凡であるがゆえに、子供のうちからそれを探し求めた。
偉大な父の背中を追いながら。

「ほら、ここに座るといい」
「はい、兄さん」
木に登って、ルーザーはマジックの横に腰掛ける。ちゃんと教則どおりに、三点で体を支えながら。
そんな弟の姿は、まるで教科書から抜け出してきたようで、少し可笑しい。マジックは笑った。
「なにが、おかしいですか?」
弟はいたって真面目な顔で聞く。
「ルーザーは、かわいい」
マジックは微笑む。
「……」
相手は真っ赤な顔をしてうつむいた。でもそれは怒りではなく、純粋な照れ。
弟はやっぱり、ひどく純粋な人間だった。人の善意はそのまま、人の善意だと理解する。
悪意は……そのまま、悪意だと理解する。だからやっぱり、守ってやらなければならないのだけど。

「この木は、トネリコですね」
「そうなんだ」
「モクセイ科の小高木です。比重は0.76。年輪は明瞭」
そう言いながら、庭師が枝を払ったその断面を示す。
「心材は黄色を帯びた淡褐色。辺材は淡黄白から紅色を帯びた淡黄白色」
おそらく事典に載っていた言葉をそのまま再現しているのだろう。
ルーザーは、そういう頭脳の持ち主だった。つまり、百科事典も丸暗記できる。
ただし、実践は……まだまだ、これから。
「これが、淡黄白色っていう、色なんですね」
「ふうん」
マジックはうなずく。そうして興味深く年輪を指で辿る弟の姿を、眺める。
集中して顔を近づけるあまりに、バランスを崩しかけることを予測して、素早くその腕を捕まえる。
「あ……」
「ちゃんと支えているから、大丈夫だ」
そう言って笑う。

父が言ったこと。――おまえ達は助け合わなくてはいけない。
それはこうして、日常的に実行されていた。
そしてそれは確かに、とても楽しいことなのだった。――やっぱり父は正しい。
マジックは、そう思う。
別にマジックがルーザーを助けるのは、それが自分の役に立つからとかそんなことじゃなくて、
そうするのが楽しいから、嬉しくて仕方ないからだ。……そこに生の実感が、あるからだ。
自分が生きている意味があると、確かに感じることが出来る。
だから、「手段ではなくて、目的」。生きる意味。

――父さん。
そう思っていると、急に体がぐらっと傾いた。パキッと木が折れる音がする。
ああ、落下する……と思っているうちに、体は地面にたたきつけられた。
もっとも下には芝生が敷いてあり、その上には落ち葉がたっぷり積もっていて、
彼らが登っていたのもそんなに高い枝ではなかったから、怪我をするというほどではなかったのだが。
ただやっぱり体は痛い。
二人は一緒に地面に寝っ転がりながら、しばし呆然と空を見上げた。
「おかしいです」
ルーザーは言う。
「トネリコは重くて硬く、粘りがあり、曲げに非常に強いはずです」
「……うん。でも、僕ら二人の体重を支えられるほどじゃ、なかったんだろう」
――おまえが身を乗り出していた細い枝は。
やっぱりマジックはおかしかった。そして、おかしくて楽しかった。

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